ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

今一度,オペラ座、歌舞伎公演

2007年06月09日 | テレビから
              アジサイ
         淡いブルーの日本のアジサイ

昨夜、NHKで「歌舞伎のパリ公演」の裏話的な番組があった。録っていたビデオを今朝見た。2005年にオペラ座から依頼があり、団十郎親子でプランを煮詰めていった結果の舞台だった。

団十郎さんの2度にわたる「白血病」の治療も「オペラ座の舞台に立ちたい」と言う望が回復の後押をしたようだ。

オペラ座の舞台は幅が無くて、奥行きがあり、歌舞伎の舞台は幅があって、奥行きが無いという正反対のものである。オペラ座の舞台は5度の傾斜が付いていて、歌舞伎の基本のすり足には向いていない。其の傾斜を1度にすることにした。何故0にしなかったのかといえば、歌舞伎の足捌きを見てもらい為だ。

こうして、一つ一つ問題点を取り除いていって、最後に残ったのが「花道」である。出し物が「勧進帳」であるだけに「花道」は重要な意味がある。

団十郎の「弁慶の喜びを表す飛び六方」の引っ込みに無くてはならないものだ。団十郎親子も最後まで考えるのは其の事だったようだ。

オーケストラピットが前面にあるため舞台が客席から其の分遠い。本来は舞台とTの字にあるべき花道を、変則的乍らオーケストラピットに張り出させた。団十郎の「弁慶」の時は「飛び六方」でこの上を上手から下手に引き上げたわけであるから、縦の花道のように、迫り来る迫力にはならなかったかもしれない。

息子の海老蔵はやはり観客に迫り行く迫力を感じて欲しかったのだろう、通路を「花道」に仕立てたいと希望した。父は反対であったが「一度やらせて欲しい。無理ならやめる」と舞台稽古に立った。オペラ座側も海老蔵の形に賛成だった為に、採用され、二通りの演出が採られた。

この度の放映では両「弁慶」「富樫」も見ることが出来た。やはり経験による「重厚な弁慶」は父の団十郎に軍配、しかし「美しい富樫」は息子海老蔵だ。団十郎の「富樫」は日本では絶対見られないそうだ。

海老蔵の「弁慶」の時の団十郎の「富樫」は海老蔵の申し出でにより、父団十郎が「受けて立った」そうだ。親子とは言え強い信頼感、いい親子だな~と思った。

演出家のいない歌舞伎は、座長である団十郎は全てに(囃し方にも)精通し、希望とダメ押しを伝える。「勧進帳は荒事ですから、三味線の強さが・・・」とか口三味線で自ら唄いながら指導していく。舞台上では主役であり、其の姿は見えないが、稽古場の場面を見ていて、全てをまとめ一つにするのは、まるで「オーケストラの指揮者だな~」と思った。

舞台のバックの松、普通は「絹地」に書かれているらしいが、この度は「板」に描かれた。素材の違いにも由るのだろうが、団十郎親子の駄目だしが続いた。団十郎の言うには「霞が掛かったような松」が希望のようで「縁をぼかして」といっていたが中々美術担当と意思の疎通が図れない。其の時天井を見ていた海老蔵が「あのシャガール絵のように描けば、柔らかいが形ははっきりしている」うまいことを言うな~と思った。団十郎の希望に当てはまる。

出来上がった「松」は能舞台の「くっきり松」から「霧にけぶる松」に成っていた。其の時ハタと気付いた。自分の錯覚を、と言うか記憶違いを。私の記憶の中のバックは映画とかテレビの場面だったらしいと・・・。バックに一段高く「富樫」がいる取調べの部屋があったと記憶していたが、市川家の十八番「勧進帳」のバックは「松」「囃し方」のようだ。

歌舞伎は遠くなりにけりかな~。近づきたいな~。







コメント (6)
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