先週放送分(感想)からの続き。
■感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(2/3)
(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より引用)
不意に訪れた理不尽な災厄に、心が折れかけた野乃さん。
だけど顔を上げると、子供の頃に憧れたヒーローたちが果敢に立ち向かっている。
振り返ってみれば、そこにはかつての自分。子供たちの姿も。
私がなりたかったのはあのヒーローたち。彼女たちなら諦めない。それに引き換え、今の自分はどうか。
これしきのことで心折られるなんて、そんなの私のなりたかった私じゃない。
あの頃の自分を裏切らないために、憧れたヒーローたちを否定しないように、だから叫んで立ち上がる。
もはや逆ギレです。事態を解決する術も妙案もなく、無駄だろうが何だろうが今まで頑張ってきた私を舐めるなという、ただただ闇雲な突進です。
でも追い詰められたとき、最後の最後の踏ん張りはもうそういうことしかないと思う。
10周年の時「何にもできなくて、ごめんなさい」とつぶやき、「それでもそばにいるから」「あの頃のイノセントな気持ちを忘れないで」と儚く寄り添った時代を経て、盛大に振り切ってきた。
未来が壊れてるとか努力では解決できないとか、そんな分かり切ったことはもうウンザリだ、それでも生きてきたんだと積み重ねそのものをパワーに変える。
「リワインドメモリー」のはまりっぷりも凄まじい。変わりゆく季節の中、目を閉じて思い出を振り返れ。そして喜びも悔し涙も力に変えて立ち上がれ。
15年目の「ハグプリ」だからこそできた物凄くパワフルな回答だと思う。
そして奮起したキュアエールをミラクルライトを振って応援した子供たちが成長し、プリキュアとして参戦する。
応援してくれる子供たちの前では負けられない。負ける姿を見たくないからプリキュアになって自分も戦う。
現実の自分もこうでありたいと思う。
…と、ここで終わっても十分に15周年メモリアル映画として成立するのに、即座に打たれる致命的なカウンター。
『では思い出がない者は救われないのか』
ミデンに思い出がないのは彼の責任ではない。野乃さんらと同じく、不可避の理不尽な不幸に見舞われたせいです。
今回放送分まででは、初代も当時最新鋭のハグプリも回答を持っていない。戦闘前のミデンへの説得も空虚に響き、果ては全滅。
完全に詰んだこの状況。突破手段はつくづく凄まじい。来週も楽しみです。
【15年から後の時代】
16年目以降のプリキュアさんは、ミデンとの戦い(今回放送分の前半の戦い)に勝てないように思う。優劣の問題ではなく、テーマ的な相性として。
スタプリ:
ミデンを理解することではこの局面は突破できません。固定観念の枠で苦しんでいるのでもない。「もっと自由に星座を描こう」とばかりに「仲間や記憶は実は不要なのでは」にまで吹っ切ってしまえば勝算もあるかもしれませんが、自分自身を失ってしまったら勝ちとは言えないように思う。
ヒープリ:
ミデンを踏み越えて前に進もうにも、そのための手段がない。仲間を犠牲にすれば勝てるかといえば、そうでもない。この状況下ではミデンが記憶を奪って進むことを肯定してしまうため、敗北を早めてしまいそう。
トロプリ:
今一番やりたいことができない。トロプリ的には後付けで浮上するはずの「目標」が、既に明確に立ちはだかっている。夏海さんの「今一番大事なことをやっていれば、それが何の役に立つのか今は分からなくても、いつかは何かの力になる」は、差し迫った目の前の具体的な危機には無力だ。トロピカれないのが問題なのに、トロピカってる場合ではない。
じゃあデパプリはどうなんだろう?
「奪われるレシピッピ。失われる楽しい経験」「子供の頃は見えたのに、大人になると見えなくなる」「孤立、分断」は、テーマ的に相通じるものがあるように思えます。
結論先行で「デパプリは勝てない」と決めつけるなら、違いは「思い出と違い、レシピッピは具体的に役立つもの」あたりでしょうか。
「思い出」そのものはミデンを倒す役には立っていない。「3年前に編み出したこの技を使おう」とか「その攻撃はもう見た!通じぬ!」とかではない。技法ではなくアイデンティティの問題であり、料理で言うなら「産地」とか「生産者の苦労」とかのことに思えます。
デパプリが想定している課題は、「想いはあるが、物理的に断絶していて交流できない」「自分の想いを皆で共有する術(例えばレシピ)がない」なのかもしれない。
現実社会でいえば、会いたいけれどコロナ渦で会えないのようなもの。想いはあるが、実行手段がない。その実行手段をもたらすのがデパプリとか。
逆に「想いはないが、実行手段はある」だと、全員義務感でやってるような職場の飲み会とかになってしまいます。デパプリがミデンと戦うとそんな感じになってしまう、故に勝てないのかもしれない。
対ミデンを軸にして書いているので「勝てない」とネガティブな表現になりますが、逆に言えばハグプリは16年以降の敵とは相性が悪いです。
子供時代の思い出を胸に奮起するのは良いこと。でも固定観念を助長するし、切り捨てるのを躊躇するし、新しいことも取り入れづらくなる。これらを突破するには、スタプリやヒープリやトロプリの力がいる。
15年目の野乃さんの戦いを境に、プリキュアのフェーズは大きく変わったのを感じます。
ところで「レシピ」は技術であると同時に、思いや文化も練りこまれています。思いも文化もないレシピが良いレシピとは思えない。
デパプリが「手段はあるが思いには言及しない(思いがあるのは当たり前の前提とし、思いがない状況を想定しない)」のなら、「思いはあるが手段がない」ハグプリと組むと相互補完になりそう。ヒープリとプリキュア5、トロプリとハトプリも対称的な組み合わせでした。
例えるなら「土地は瘦せてるし碌な食べ物ないけど、それでも私はここが好きで頑張って生きてきたんだ!」の逆ギレに、「貧相に思えた食材を美味しく食べるレシピを開発」を繋げるような感じか。
デパプリ側から見るなら「技術的にはこの組み合わせで料理をすると美味しいんだが、マッチする食文化の人いるのか?」または「特徴的すぎる料理(例えば激辛料理や昆虫食)は共通の団欒にはそぐわない。では存在意義がないダメな料理なのか?」の解決になるとか。
実際らんらんは楽しく一人飯を謳歌している(マズ飯被害に遭われまくってますが)。「一人で食べてキュアスタにアップ」も悪ではなく、それに適した料理だってある。今はマイナス要素として描かれている芙羽様の一人飯も、この経験をより良いレシピ(例えば連帯感を持てるような食材を使うとか)に昇華するエピソードがあるのかもしれない。
(色々と無理がありますが、放送話数が少ない現段階での思考実験として)
ハグプリがまだ4年前なのでコラボするには早そうには思えますが、来年が20年のメモリアル年なので、先駆けて旧作を振り返るような販売戦略もあるかもしれない。良くも悪くも偶然に、野乃さんはテレビ復帰して知名度を上げましたし。
■感想「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」(2/3)
(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より引用)
不意に訪れた理不尽な災厄に、心が折れかけた野乃さん。
だけど顔を上げると、子供の頃に憧れたヒーローたちが果敢に立ち向かっている。
振り返ってみれば、そこにはかつての自分。子供たちの姿も。
私がなりたかったのはあのヒーローたち。彼女たちなら諦めない。それに引き換え、今の自分はどうか。
これしきのことで心折られるなんて、そんなの私のなりたかった私じゃない。
あの頃の自分を裏切らないために、憧れたヒーローたちを否定しないように、だから叫んで立ち上がる。
もはや逆ギレです。事態を解決する術も妙案もなく、無駄だろうが何だろうが今まで頑張ってきた私を舐めるなという、ただただ闇雲な突進です。
でも追い詰められたとき、最後の最後の踏ん張りはもうそういうことしかないと思う。
10周年の時「何にもできなくて、ごめんなさい」とつぶやき、「それでもそばにいるから」「あの頃のイノセントな気持ちを忘れないで」と儚く寄り添った時代を経て、盛大に振り切ってきた。
未来が壊れてるとか努力では解決できないとか、そんな分かり切ったことはもうウンザリだ、それでも生きてきたんだと積み重ねそのものをパワーに変える。
「リワインドメモリー」のはまりっぷりも凄まじい。変わりゆく季節の中、目を閉じて思い出を振り返れ。そして喜びも悔し涙も力に変えて立ち上がれ。
15年目の「ハグプリ」だからこそできた物凄くパワフルな回答だと思う。
そして奮起したキュアエールをミラクルライトを振って応援した子供たちが成長し、プリキュアとして参戦する。
応援してくれる子供たちの前では負けられない。負ける姿を見たくないからプリキュアになって自分も戦う。
現実の自分もこうでありたいと思う。
…と、ここで終わっても十分に15周年メモリアル映画として成立するのに、即座に打たれる致命的なカウンター。
『では思い出がない者は救われないのか』
ミデンに思い出がないのは彼の責任ではない。野乃さんらと同じく、不可避の理不尽な不幸に見舞われたせいです。
今回放送分まででは、初代も当時最新鋭のハグプリも回答を持っていない。戦闘前のミデンへの説得も空虚に響き、果ては全滅。
完全に詰んだこの状況。突破手段はつくづく凄まじい。来週も楽しみです。
【15年から後の時代】
16年目以降のプリキュアさんは、ミデンとの戦い(今回放送分の前半の戦い)に勝てないように思う。優劣の問題ではなく、テーマ的な相性として。
スタプリ:
ミデンを理解することではこの局面は突破できません。固定観念の枠で苦しんでいるのでもない。「もっと自由に星座を描こう」とばかりに「仲間や記憶は実は不要なのでは」にまで吹っ切ってしまえば勝算もあるかもしれませんが、自分自身を失ってしまったら勝ちとは言えないように思う。
ヒープリ:
ミデンを踏み越えて前に進もうにも、そのための手段がない。仲間を犠牲にすれば勝てるかといえば、そうでもない。この状況下ではミデンが記憶を奪って進むことを肯定してしまうため、敗北を早めてしまいそう。
トロプリ:
今一番やりたいことができない。トロプリ的には後付けで浮上するはずの「目標」が、既に明確に立ちはだかっている。夏海さんの「今一番大事なことをやっていれば、それが何の役に立つのか今は分からなくても、いつかは何かの力になる」は、差し迫った目の前の具体的な危機には無力だ。トロピカれないのが問題なのに、トロピカってる場合ではない。
じゃあデパプリはどうなんだろう?
「奪われるレシピッピ。失われる楽しい経験」「子供の頃は見えたのに、大人になると見えなくなる」「孤立、分断」は、テーマ的に相通じるものがあるように思えます。
結論先行で「デパプリは勝てない」と決めつけるなら、違いは「思い出と違い、レシピッピは具体的に役立つもの」あたりでしょうか。
「思い出」そのものはミデンを倒す役には立っていない。「3年前に編み出したこの技を使おう」とか「その攻撃はもう見た!通じぬ!」とかではない。技法ではなくアイデンティティの問題であり、料理で言うなら「産地」とか「生産者の苦労」とかのことに思えます。
デパプリが想定している課題は、「想いはあるが、物理的に断絶していて交流できない」「自分の想いを皆で共有する術(例えばレシピ)がない」なのかもしれない。
現実社会でいえば、会いたいけれどコロナ渦で会えないのようなもの。想いはあるが、実行手段がない。その実行手段をもたらすのがデパプリとか。
逆に「想いはないが、実行手段はある」だと、全員義務感でやってるような職場の飲み会とかになってしまいます。デパプリがミデンと戦うとそんな感じになってしまう、故に勝てないのかもしれない。
対ミデンを軸にして書いているので「勝てない」とネガティブな表現になりますが、逆に言えばハグプリは16年以降の敵とは相性が悪いです。
子供時代の思い出を胸に奮起するのは良いこと。でも固定観念を助長するし、切り捨てるのを躊躇するし、新しいことも取り入れづらくなる。これらを突破するには、スタプリやヒープリやトロプリの力がいる。
15年目の野乃さんの戦いを境に、プリキュアのフェーズは大きく変わったのを感じます。
ところで「レシピ」は技術であると同時に、思いや文化も練りこまれています。思いも文化もないレシピが良いレシピとは思えない。
デパプリが「手段はあるが思いには言及しない(思いがあるのは当たり前の前提とし、思いがない状況を想定しない)」のなら、「思いはあるが手段がない」ハグプリと組むと相互補完になりそう。ヒープリとプリキュア5、トロプリとハトプリも対称的な組み合わせでした。
例えるなら「土地は瘦せてるし碌な食べ物ないけど、それでも私はここが好きで頑張って生きてきたんだ!」の逆ギレに、「貧相に思えた食材を美味しく食べるレシピを開発」を繋げるような感じか。
デパプリ側から見るなら「技術的にはこの組み合わせで料理をすると美味しいんだが、マッチする食文化の人いるのか?」または「特徴的すぎる料理(例えば激辛料理や昆虫食)は共通の団欒にはそぐわない。では存在意義がないダメな料理なのか?」の解決になるとか。
実際らんらんは楽しく一人飯を謳歌している(マズ飯被害に遭われまくってますが)。「一人で食べてキュアスタにアップ」も悪ではなく、それに適した料理だってある。今はマイナス要素として描かれている芙羽様の一人飯も、この経験をより良いレシピ(例えば連帯感を持てるような食材を使うとか)に昇華するエピソードがあるのかもしれない。
(色々と無理がありますが、放送話数が少ない現段階での思考実験として)
ハグプリがまだ4年前なのでコラボするには早そうには思えますが、来年が20年のメモリアル年なので、先駆けて旧作を振り返るような販売戦略もあるかもしれない。良くも悪くも偶然に、野乃さんはテレビ復帰して知名度を上げましたし。