Casa de lápiz:鉛筆庵

鉛筆庵に住む鍵盤奏者が日々の生活の徒然・音楽などを綴ります。

音楽とはあまり関係ない話に発展した話

2009-12-12 00:23:09 | 音楽
先月末、P.アンタイ:チェンバロ・リサイタルを聴いた。CDでは聴いたことがあるのだけれど、生で聴くのはその時が初めての彼の演奏会、会場の武蔵野はいつもそうだがこの日も満員だった。
プログラムに掲載されていた最初の曲はW.バードだったのだけれど、その前にフレスコバルディのトッカータと作曲者不詳の1曲が氏の意向により加えられて音楽会は始まった。その時、プログラムを眺めながらフレスコバルディが演奏されたのはイタリアの作曲家による作品を入れたかったからかなぁ、なんてふと推察してみたりした。確かにD.スカルラッティの作品はあったけれど、彼の場合はイタリアで生まれたけれど、後半生をイベリア半島で過ごしてそこで生涯を終えているのだし・・・。イギリス、ドイツ、フランス、並ぶプログラムにはイタリアがないではないですか!なんて。
彼の演奏で私が一番感じていたのは「言葉」、その音楽に乗せて語られるその国々で語られ、作曲家が使っていたであろう言語が音楽と同時に聞こえてくることが、面白くてたまらなかった。聞こえているのは音楽、でもそこに固有の言語の響きが聞こえるのを感じているのは貴重な体験だった。

ところで、スペインの作曲家の名前がそういえばなかったのだけれど、それはD.スカルラッティでということなのかと思いつつ、そんなこんなを含めてスペイン語学校の会話でこの演奏会の話をしたところ、音楽とは全く関係のない面白い話の展開になった。
このD.スカルラッティが仕えたポルトガル王女マリア=バルバラはあまり美しくなかったので(先生ははっきり"fea"と言っていたけど)この時代、結婚前に慣例として行われていた肖像画をスペイン宮廷に送らなかったのだそうだ。それは肖像画を見た相手が吃驚して結婚を断ってきたら困る、ということだったのだという。これはスペインではよく知られた話だそうだ。この時、見てご覧なさいよ、と彼女の結婚後の肖像画を見せてもらったが、私は美醜ということより、ひどく太っているのが印象に残った。彼女が結婚したフェルナンド6世(1713.9.23~1759.8.10)(在位:1746~1759)は音楽好きなで二人は仲良く暮したそうだ。
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