Casa de lápiz:鉛筆庵

鉛筆庵に住む鍵盤奏者が日々の生活の徒然・音楽などを綴ります。

音楽会で音楽以外のことを考えていた。

2007-10-18 00:07:37 | 音楽
最近聴きに行った音楽会で感じたことをつらつらと・・。
実は、それはとても楽しみにしていた音楽会だったのだけれど・・・

ノリノリの音楽会は勿論好きさ。自然に手拍子が出て、踊りだしちゃう音楽会なんて素っ敵~♪だと思うし、そういう音楽会に行ってほんとに幸せだと感じほくほくして帰路につくことも度々だ。でも、それはいつでも自発的だった、そこにいて自由に音楽を感じたからであって、誰かに強制されてのものではなかった。当たり前なのだけれど(と思うのだけれど)手拍子は打ちたければ打てるし、立ちたければ立てる、けれど座っていてもそれはそれでいいし踊りたければ踊るし踊らないのならそれもかまわない。

それが、ここでは・・・とにかく、まぁテンション上げようと煽ってるのだと思うのだけれど演奏者が頻りに要求するので結果的に殆どの曲に手拍子が入るということになる。段々、演奏聴いてるんだか、観客の手拍子聴かされているのだかわからなくなってくる。「立って!立って!」では、会場のお客が殆ど立って手拍子、そして「こういう風に踊ってみて!」と言われてお客同士がその手をつなぎ、その鎖がかなりの長さになって会場を上り下りする。
見ていて妙な心持ちに陥り、そして薄気味悪さを感じていた。音楽が内包するある一面、力をまざまざと見せられた気がしたのである。

こういう流れの中で自分の感じるままに音楽を聴くにはどうしたらよいのだろう。もっと自由に音楽を聴いていたいのに、強制されればされるほど、煽られれば煽られるほど気持ちは沈んでいき、音楽から気持ちが離れていく。結果として手拍子せず、立たず、踊らないで席に座り続けることになる。「しない」ことで自分自身を保つ努力をさせられるというのは、それは何かが違うんじゃないのだろうか。どんどん心が寂しくなっていき、音楽からどんどん遠ざかるのがわかる。楽しく過ごしてもらおう、というエンタテイメントに徹する気持ちもわからないではないが、ここまでくると結局、観客の音楽を感じる心を信じていないんじゃないのか、と思えてくる。
音楽を聴きに行って、音楽に集中できない時・・・悲しい
コメント (10)
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