4月1日、東京文化会館小ホールで「御喜美江 アコーディオン・ワークス2005~風景のなかで」を聴く。
第一部は「風景」:牧歌(F.クープラン)、谷間におりてゆく(高橋悠治)、ゆうぐれ(林光)
「風」:風に向う小さな風車(F.クープラン)、そよ風ふいて(高橋悠治)、つむじ風(J.Ph.ラモー)
「鳥」:小さなシジュウカラ(S.グバイドゥーリナ)、恋のうぐいす(F.クープラン)、きつつき(S.グバイドゥーリナ)、かっこう(L.Cl.ダカン)、
「人」:陽気者(J.Ph.ラモー)、孤独な旅人(E.グリーク)、異邦人のうた(高橋悠治)、バチンの少年(A.ピアソラ)
野村誠:<タンポポ組曲>より第2曲「誰といますか?」*新作初演
第2部は高橋悠治と語る「水牛のように」:お話/高橋悠治、御喜美江
高橋悠治:「水牛のように」
J.S.バッハ:フランス組曲 第5番BWV816
CDだけでなく是非生で聴いてみたかった御喜美江さんのアコーディオン。この楽器って想像していたよりもずっと多彩なニュアンスが出ることを実感する。彼女の音楽を聴いていると風景が浮かんでくる。そして広がっていった時間の軸と空間の軸が溶けていったその中に音楽が生き生きと浮遊しているよう。プログラムはもう死んでしまった作曲家の作品と今生きてる作曲家、国も別々のそれが全く違和感なく並んでいて、それがごく自然に入ってくる。
彼女は「さまざまだけど、好きな人だけえらぼう。編成はいろいろ興味あるけれど、”ひとりで語る”とういうことで、今日はソロの箪笥を作ってみた。」(プログラムより)と語っている。
2部では高橋悠治さんとのやりとりが興味深かった。彼をステージで拝見したのはほんとに久しぶりで(最後は20年以上前になるかも・・・)まったく変わってないことが嬉しかった。
彼女がエッセイを執筆中のサイト「水牛」はこちら
アンコールはジョン・ケージの「夢」
第一部は「風景」:牧歌(F.クープラン)、谷間におりてゆく(高橋悠治)、ゆうぐれ(林光)
「風」:風に向う小さな風車(F.クープラン)、そよ風ふいて(高橋悠治)、つむじ風(J.Ph.ラモー)
「鳥」:小さなシジュウカラ(S.グバイドゥーリナ)、恋のうぐいす(F.クープラン)、きつつき(S.グバイドゥーリナ)、かっこう(L.Cl.ダカン)、
「人」:陽気者(J.Ph.ラモー)、孤独な旅人(E.グリーク)、異邦人のうた(高橋悠治)、バチンの少年(A.ピアソラ)
野村誠:<タンポポ組曲>より第2曲「誰といますか?」*新作初演
第2部は高橋悠治と語る「水牛のように」:お話/高橋悠治、御喜美江
高橋悠治:「水牛のように」
J.S.バッハ:フランス組曲 第5番BWV816
CDだけでなく是非生で聴いてみたかった御喜美江さんのアコーディオン。この楽器って想像していたよりもずっと多彩なニュアンスが出ることを実感する。彼女の音楽を聴いていると風景が浮かんでくる。そして広がっていった時間の軸と空間の軸が溶けていったその中に音楽が生き生きと浮遊しているよう。プログラムはもう死んでしまった作曲家の作品と今生きてる作曲家、国も別々のそれが全く違和感なく並んでいて、それがごく自然に入ってくる。
彼女は「さまざまだけど、好きな人だけえらぼう。編成はいろいろ興味あるけれど、”ひとりで語る”とういうことで、今日はソロの箪笥を作ってみた。」(プログラムより)と語っている。
2部では高橋悠治さんとのやりとりが興味深かった。彼をステージで拝見したのはほんとに久しぶりで(最後は20年以上前になるかも・・・)まったく変わってないことが嬉しかった。
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アンコールはジョン・ケージの「夢」