豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

ミッション・インポッシブル

2002-06-11 15:19:20 | Weblog
6月11日(火)快晴  

   ミッション・インポッシブル

4月22日僕はユミとボタニー湾をドライブして、最後にベアー・アイランドを訪れた。

1770年4月29日にキャプテン・クックが白人として初めてオーストラリアの地を踏んだ。ボタニー湾のその第1歩の海岸、水を汲んだ小川、探検した小道などが正確に分かっている。ボタニー湾の正確な地図やそこに生息する動植物やアボリジニーの生活などの詳細な記録も残されている。クック一行の航海の目的は植民地ニュージーランドの測量であり、そのための専門家と博物学者たちが同行していた。偶然オーストラリアを発見した彼らは初めて見る動物や植物やアボリジニーに驚いて沢山の日記や記録や標本をイギリス王国に持ち帰ったのだ。これは「ミッション・インポッシブル」と呼ばれるにふさわしいと僕は思う。
ベアー・アイランドはボタニー湾の狭い入り口にある要塞島だ。未開の植民地オーストラリアはその生活必需品のほとんどを輸入に頼っていた。ボタニー湾は植民地の唯一の輸入港であり、植民地防衛のためにボタニー湾に侵略を企てる他国の船を撃退しなければならなかった。その仮想敵国の第1番目が帝政ロシアだと聞いて「本当かいな」と思った。
それはともかく、ベアー・アイランドには熊もヌーディストもいない。木造の長い橋を渡ると高い塀と頑丈な鉄の門扉がある。管理人1家と番犬数頭が暮らしていて、土日だけ1日3回、有料で観光客に見学を許可する。ガイドのおじさんが領収書もくれないで、入場料をポケットにねじ込むのだから、この島は多分私有地に違いない。直径300mくらいの島は全体が要塞になっている。くど過ぎるくらいに丁寧な説明の3分の1はMI2に割かれた。ここはMI2のロケ現場だったのだ。以来ここはトム・クルーズ・ファンの結婚記念写真のロケ現場としての名声を高めた。専門業者が松竹梅みたいなコースを準備しているらしい。青いボタニー湾に浮かぶベアー・アイランドをバックに、芝生を歩むウエディング・ドレスと燕尾服のカップル。スチール写真班とムービー班が2人を囲んでするすると移動する。小休止の間に2人はバスの中でMI2のヒーロー、ヒロインに早代わりをして映画と同じシーンを演じる。僕とユミが訪れた日も2組のカップルがメイクやヘアーデザイナーに急かされながら半ばやけになって熱演を演じていた。しかし、燃え盛るベアー・アイランドをバックに、2人がバイクで橋を駆け抜けるシーンなんてあったっけ?確かヒロインは悪者に拉致されて、チャイナタウンかマンリーのノースヘッドにいたはずだ。島からバイクで脱出するのはトム・クルーズ1人のはずだよね?
今夜船のシネマで僕の指摘が正しいことを確認した。だからどうだって?

ダブリンではジェームス・ジョイスのユリシーズについて2,3確認するつもりだ。パブに犬を連れて入ってもいいのか?パブの内部はバー、プール、レストランの3つに分かれているのか?店内のテレビでスポーツ番組を流しているのか?それはサッカーなのか、競馬なのか、クリケットなのか?タブ(スポーツの賭け)は店内にあるのか、専門店があるのか?ギネスの黒ビールが圧倒的に飲まれているか?
限られた時間内にすべてを調べることは難しい。ミッション・インポッシブルだ。

読書:「ジェームズ・ジョイスの謎を解く」柳瀬尚紀

映画:「MI2(ミッション・インポッシブル2)」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする