非国民通信

ノーモア・コイズミ

The fascist regime

2008-01-30 22:59:28 | 非国民通信社社説

 「実際、バンドとしては、演奏ができるよりは出来ない方がよいのだ」と、語ったのはマルコム・マクラーレンですが、皆さんご存知ですか? セックス・ピストルズのマネージャーだった人です。このマクラーレンの方針もあってバンドのベーシストがグレン・マトロックからシド・ヴィシャスに変わりもしたのですが、日本のノーフューチャーな政治状況と重ね合わせて考えてみると、色々と興味深くも感じられます。

 シド・ヴィシャスはパンクに全く関心がない人でも、名前くらいは聞いたことがありますよね? ピストルズの2代目ベーシストで、ほとんどベースが弾けなかったのでアンプに繋いでもらえなかった人です。一方、マトロックはと言えばピストルズで最も演奏技術、作曲能力共に秀でており、一番まともな人でした。そのマトロックが脱退してヴィシャスにが加入、ベースはお留守になりましたが、彼の伝説的なパフォーマンスによってバンドはセンセーショナルな成功を収めました。ほんの短い期間でしたが。

 マトロックは優れたベーシストでしたが、優れたベーシストは他にいくらでもいました。一方でヴィシャスのような狂気じみたパフォーマンスは、少なくとも当時は余人を以て変えがたいものだったわけで、それを考えればマトロックからヴィシャスへの交代は概ね成功だったのでしょう。とりわけ既存の音楽に対して鬱屈した不満を抱いていた人々にとって、確固たる演奏能力のあるマトロックよりも、徹底的に型破りなヴィシャスの方が、新しい風を感じさせたに違いありません。

 さて、保守政党の支配が続いている日本ではありますが、見方によっては世界屈指のパンクの王国なのかも知れません。だってほら、「実際、候補者としては、政治ができるよりは出来ない方がよいのだ」と言わんばかりの選挙結果ではないでしょうか。マトロックのような「普通の実力者」なんて見向きもされない、ヴィシャスのように「全くベースを弾いたことがない、全く政治に携わったことがない」候補者が圧倒的な支持を集めているではありませんか。

 例えばこの前の参院選では、東京選挙区で保坂三蔵が落選し、丸川珠代が当選しました。かの実力派の保坂三蔵ではなく、選挙に行ったことすらない丸川珠代が選ばれたわけです。長年に渡って政治の第一線で実績を積み重ねてきた候補よりも、全く政治に無関心な候補の方がよいのだと、そんなところでしょうか。まさにパンク! (メタルとパンクは仲が悪いみたいですが、なるほど確かに、メタルを愛する私としては、このパンク精神溢れる選択は理解できません、ピストルズは好きですがね)

 そしてこの間の大阪府知事選です。橋下氏が圧勝しました。今になって対立候補の非力を指摘する声も強まりつつありますが、それはどうでしょうか? ことベースの演奏技術ならぬ政治力という面では、橋下氏はそれ以上に非力なはずです。それでも橋下氏が選ばれるのはなぜか、単に知名度の問題ばかりでもなく、候補者の方向性の違いを考えてみるべきです。

 ピストルズが生まれた当時の若者達と同様に、この国の有権者達は社会に漠然とした不満を抱いています。漠然と。そして「何か」が、何かが変わらないといけないと思っている、とにかく既存のものはもう駄目だと、そう思うわけです。ならば既存のスタイルを受け継いだものではなく、既存のスタイルから外れたものに期待しようと、そう動くわけです。例えばベースを弾いたことがないベーシスト等々。

 ここで何が不満の原因なのか、それを解消するためには何が必要なのか、考えることが出来れば具体的な対応策も出てきますし、そこに訴えることも出来ます。しかし現状への中身のない不満や中身のない変革意識しか持ち得ていないと、そこでの評価基準はいかに既成のイメージから遠いか、それだけに止まってしまうのです。それがよい方向であろうと悪い方向であろうと、あるいは全く無関係な方向であろうと、とにかく既存の政治家イメージから遠いことが、待望の改革者として歓迎される要因となります。

 ただ単に選挙に勝つだけならば、より有権者の好む方向性を備えた候補、すなわちより政治とは無縁な人を連れてくるのが有効な選挙戦術になるのかもしれません。しかし、それで勝ったところで何が出来るのか、勝つことが目的になってはいないか、そこも考えねばなりません。候補者を変えれば選挙の結果も変わるかも知れませんが、それで社会が良い方に変わるのか、そこはどうでしょうか? 有権者が変わること、有権者の選択が変わらない限り、自ずと限界はあります。

 まぁ、しばらくはベースでぶん殴られる日々が続くでしょうか。自分の胸を剃刀で傷つける日々も続くでしょうか。気弱な青年が虚勢を張り続けるのは、後に大きなストレスとなって跳ね返ってくることも予想されます。それでもそのパフォーマンスに新たな時代や変革を感じ取る熱狂は得られるのかも知れません。しかし、政治とは劇場のパフォーマンスではなく、我々の生活に密接に関わってくるものなのです。

 

 ←No future, no future, no future for you!


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9 コメント

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RICH KID`S (死ぬのはやつらだ)
2008-01-30 23:28:22
元PUNKSにとってかなり解りやすいたとえでした。

人は見た目が9割ってことを痛感した選挙でしたね。

ところで、SIDですが、彼がいなければ、ビジュアル的にイマイチだったように思いますよ、PISTOLSは。
彼の MY WAY は最高のカバーでしたね。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-01-30 23:34:13
>死ぬのはやつらださん

 こうは書いたものの、実はパンクにはあまり詳しくないだけにファンからのツッコミがあるかと戦々恐々でしたが、ほっとしました。何ともイメージだけが先行してモノを言う選挙でしたが、それに対抗するためにこちらも外面が派手なだけの候補を立てればいいものなのかどうか、思案のしどころです。
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こんばんは。またまた失礼致します。 (往楽)
2008-01-31 00:12:07
見た目だけ選挙はあくまで丸山女史や橋下氏以外にも多数いらっしゃいますね。



別に今に始まった事ではなく、むしろ日本のミーハーの真骨頂と謂うべきなのでしょう。



政と文化を同一化する輩が支配する国なのですから。



ネオコンとミーハーの国であり、メディアの笛の音で盆踊りを踊る国なのです。



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Unknown (Unknown)
2008-01-31 02:01:18
消去法で投票先を選ぶような選挙が多いですね。

アメリカ大統領選挙じゃないですが
大阪府知事選などでも、テレビで公開討論会等を放送すればいいのになあ、などと思ったりします。

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パフォーマンス (una)
2008-01-31 13:14:26
スポーツでも、控えめより、オーバーアクション選手は
目立ちますよね?
(尤も、それだけで、実力が伴わなければ、
 ただのお調子者に終わりますが^^;)
選挙というミズモノは、
真面目だけでは、通らないようで・・
真面目を演出する才覚?も必要なんでしょう。

再度、TBをさせて頂きました。
(都知事選も大阪選もモヤモヤとしていました)
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The Great Election Swindle (反日工作員)
2008-01-31 18:03:45
昔福田和也がパンク右翼と自称していました。
パンクと日本のナショナリズムの関係について古いですけど『状況』2000年6月号の丸川哲史+堤健「知識人たちのJ回帰と「だめ連」的なものの行方」という論文があります。ちょっと引用しますと。

自らに対する負い目を自覚しただけで、憧れていたカッコイイものといっしょになれること。この夢想の追求は、負い目の自覚、引き受けをどんどんエスカレートさせていく、パンクというあり方以外は考えられないのである。
さて、現代のナショナリズムはこのように負い目を引き受けることからしか出発し得ない、と唱えるのが福田和也である。

だめな大阪という負い目を自覚した人は、スキャンダラスな橋下に投票することによって負い目をエスカレートさせるパンク行為をしたと言えるかもしれません。
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なりふりカマワナイ (死ぬのはやつらだ)
2008-01-31 21:03:19
選挙は戦争です。

勝たねば意味がない。

頭がカタイ人には申し訳ないが、見た目重視の候補も必要だね。
もちろん、落すべき自民党候補を検討したうえでだ。

俺は、ネットで話題になっている青森の美人市議は衆院選に出馬する可能性大だと思う。
落下傘候補でね。

今後、選挙権が18歳からとなれば、タレント候補が重要視されるだろうね。
政治に無関心な層が選挙に行く理由は「オモシロソウ」だと思うからさ。
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「アナーキーインザUK」はmegadeth版が良い (y-burn)
2008-01-31 22:30:24
 見た目が、と言うことでダイエットと整形までさせたケースが、我らがHM/HR界でもあるじゃん。元deeppurpleで現whitesnakeのデヴィッド・カヴァーディル(何で一発変換するかな、うちのatok)さん。御大にやられたそうだが。使用前は長髪の大橋巨泉だったのに、今や・・・もっとも、カヴァーディルはそれなりの実力はあったから良いんだがな。今のJ-ROCKなんざ、技術的にはイカ天時代のバンドより下なのに・・・

 音楽に限らず、エンターテイメントって言うのは目立つもん勝ち、実力は関係ない(実力がどうこう言うのなら、個人的にはロバート・フリップが世界で1000万枚売れてもおかしくないと思う・・・)世界なだけに。それがいつの間にか日本の場合、政治にも移ってきた、と言うことなのかな?

 実は橋下府知事ってのは、おいらと同年齢なんですが、若さや測定不可能な政治の実力が良い方向に行けばな、とは思います。どうもそれが良い方向に行かないようだ、ともね。キャラは嫌いじゃないんだけど、それと政治力は別視すべきだったんじゃないかな?

 今回の府知事選挙=日本人がメディアの狗である、と言うことの再認識。または、インテリジェンスとインフォメーションの区別が付かない、ということも。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-01-31 23:40:39
>往楽さん

 せめて文化であってくれればまだマシな方ですが、実際は政治とステージ上のパフォーマンスが同一視されている、そんなところまで来ているのかもしれません。政治とフィクションが区別されていない!と。

>Unknownさん

 公開討論会をやっても、まともに政治を語れば語るほど、視聴者が離れていくのが日本のような気もします。実は消去法に見えるのも、有権者の無知故に支持できる具体的な理由が見つけられないからかもしれません。

>unaさん

 過剰なアクションで試合を盛り上げる選手はスポーツの世界では歓迎されますが、日本だと政治の世界でも歓迎されるのが特徴でしょうかね。「ファン」に訴えかける演出能力も才覚の一つですが、競い合うものが違うだろう、と。

>反日工作員さん

 福田和也と言いますと、初めて氏の著作を読んだとき、一文ごとに改行してあることに衝撃を受けた記憶があります。この余白の多さ、まるで詩のようだ!と。それはさておき橋下氏支持層の声を見ますと、対立候補の非を指摘して(作って)、それで橋下氏しか選択肢がなかったのだと、そういう論調の人が割に多いようです。この堂々と支持できない辺り、負い目の深さでしょうかね。

>死ぬのはやつらださん

 まぁ、負けては意味がないとも言えますが、かと言って「いかにろくでもないか」を自民党候補と競い合って、その「ろくでもなさ」で上回っても、ねぇ。インリン様でも選挙に出るなら、私も応援したいところですが。

>y-burnさん

 まぁ、キャラクター性と政治家としての適正を区別しないどころか、関連づけるのが強まりつつある傾向と言うことでしょう。橋下氏の人気もさることながら、対立候補の不人気も、娯楽性に欠けるキャラクターを理由に政治家として拒絶された節もありますし。
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