非国民通信

ノーモア・コイズミ

「普通」の働き方

2013-05-17 22:42:43 | 非国民通信社社説

 「有徴」と「無徴」という言葉があります。ジェンダーの文脈とかで耳にすることが割と多いでしょうか。平たく言えば「留保あり」と「留保なし」ぐらいのニュアンスで、例えば「医師」と「女医」であれば前者が「無徴」で後者が「有徴」、「棋士」と「女流棋士」とかも同様ですね。要するに留保を付けずに語られる「普通」のものとして「無徴」があり、逆に留保を付けて語られる「イレギュラーなもの、付随的なもの」として「有徴」があるとも言えます。男性であれば性別を示す徴なしに呼称が作られる一方で、女性ではしばしば「女~」あるいは「女子~」と徴が付けられる、こういうところに意識されにくい格差は潜んでいるのでしょう。

 で、ちょくちょく取り上げてきましたけれど、二極化する正社員と非正規雇用の間に「職種限定正社員」、「業務限定正社員」もしくは「準正社員」などと名称はさておき中間層を作ろうという提言が出てきているわけです。これが現状を変えうるものなのかと首を傾げるところもあるのですが、ともあれ上述の「有徴」と「無徴」の概念を思い出しながら、「正社員」と「限定正社員」の位置づけを考えてみてください。一方は留保なしの「正社員」、もう片方は「~限定」なり、「準(准)」なりの留保が付けられた肩書きです。どちらが「普通」として位置づけられているのか、自ずから明らかではないでしょうか。

参考、人事権を持つ側が変わらないことには

 日本型正社員は、その「働かせ方」の柔軟性、流動性を特徴とします。原則として雇用側の望む通りの職種、部門、勤務地へと異動させることができるわけです。一方で新たに提言されている「限定正社員」の場合は職務の範囲や勤務地域が限定される、一定の範囲内に止まることが前提とされた雇用形態ということになっています。そうした雇用形態の需要は少なからずあるのですが、しかるに「限定正社員」が昔年の一般職なり現在の派遣・契約社員と大差ない扱いになる可能性は少なからず危惧されるところです。結局、年金を受け取れる年齢まで働き続けたければ、あるいは家族を養える程度の収入を望めば「留保なしの」正社員として働く以外に選択肢がない、要するに現状と大差ないことにもなるであろうと見込まれます。

 むしろ逆だな、と私は考えます。つまり「正社員」に付随するオプションとして「限定正社員」を位置づけるのではなく、職務の範囲や勤務地域が限定される「正社員」を基軸とし、その限定なしに「働かせる」ことが可能な例外として「幹部候補社員」を設けた方が、まだしも有意義であろうと思うわけです。職務の範囲や勤務地域の限定された正社員が「普通」であり、一部の仕事に生きたい人のために無限定の幹部コースというイレギュラーな勤務形態を許す、こういう位置づけにできない限り、結局のところ現状のまま無限定の正社員が「普通」で、職務や勤務地が限定される社員は付随的な存在のままであり続けるのではないでしょうか。

 正社員として採用する以上は無限定の働きを暗黙の了解とし、長らく会社に在籍しても頭角を現さなかった人には「無能な中高年」云々とレッテルを貼ってリストラの対象とする、そこでもっと簡単に解雇できるようにすれば良いのだ、解雇が許されないせいで若者の雇用機会が奪われているのだ!と息を荒くすれば経済誌っぽい主張のできあがりです。もちろん経済誌的な主張には事実の歪曲が溢れているのですが、それはさておくにしても年齢とともに会社からの評価も高めていかなければ首が危ういのであれば、「働かせ方」に最初から制限のある限定正社員の扱いなどどうなることでしょう。昔年の一般職や昨今の非正規従業員で、果たして年金を受け取れる年齢まで会社から追い出されずに済む人がいったいどれだけいるのやら。名称が準正社員云々に変わるだけで、それが変わることなど考えにくいところです。

 リストラの標的にされたくなければ限定なしの正社員として働くことが事実上の必須要件となってしまう、それを変える必要があります。そのためには「限定なし」の雇用形態の方をこそイレギュラー、有徴の側に位置づける必要があると思うのです。子供の数が多く、自営業や一次産業の家に生まれた子が会社勤めに流入してくるような時代であれば、「若い部下」の数が相対的に多くなる、年長世代には軒並み管理職としての役割が期待されたかも知れません。しかし少子化が進み、女性社員も昔ほどには若い内に退職しなくなった現代において、「若い部下」の数は減るばかり、年長世代が率いるべき後進の頭数も減るばかりです。ならば管理職になる必要はなくなった、幹部を目指して働く人は一握りで足りるようになったのが現代ではないでしょうか。

 将来的に無限定の社員は「一部の例外」でも足りるはずです。仕事を人生としたい一部の例外を「幹部候補社員」として採用し、その他を「普通の社員」として職務や勤務地限定で雇ったとしても十分に組織は成り立つと考えられます。逆ピラミッド型の世代構成の中でも部下を率いる立場となる一部の例外だけを無限定の社員(現代日本における正社員)として残し、それ以外の多数を今後の「正社員」として雇用の中核に位置づける、そういうプランで進めた方が現状の二極化に中間層を作るという点では効果的ではないかと思うわけです。(なお昨今の流行である英語力に関しても近いことが言える気がします。海外市場を切り開く一部の人には必要ですが……)

 新卒で採用する男性正社員(女性でも総合職採用)を等し並みに将来の管理職候補として扱うことは人口ピラミッド的にもはや成り立ちません。ここで会社からの評価が芳しくない(管理職としてふさわしくない)中高年をリストラして人為的にピラミッドを作れるようにしよう、というのが日本の経済誌やコンサルタント界隈における主流の考え方でしょうか。もちろん、それをやっては「働けるのは若い内だけ」になりかねない、会社の取り分は増えても社会全体で見ると不安定化が進むばかりと、このような事態こそ行政が断固として阻止せねばならないものと言えます。

 出世を望まない若者が増えてきているとも、しばしば語られるところです。新卒採用の時点では出世意欲も高かったはずが、入社後は急激に「出世したい」とアンケートに回答する人が減っていくようですね。草食化云々とも語られますけれど、むしろ時代への適応とみるべきでしょう。自分より年下の人間の方が少なくなる時代なのですから、率いるべき後進の数も然り、誰もが出世したら管理職の人数が部下の数を上回ってしまいます。そういう時代に出世を望まない、出世できなくても不満を抱かないであろう若者が増えているのは、まさに時代への適応に他なりません。雇われる側の心の準備はできているのです。しかるに雇う側、働かせる側は? この時代にも尚、正社員として採用する以上は無限定で昇進を目指して働かせるとあらば、時代錯誤としか言い様がないわけです。限定された範囲で「年金受給年齢まで、ほどほどに働き続ける」ことを認めなければ成り立たない時代は、既に訪れているのではないでしょうか。

 

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