非国民通信

ノーモア・コイズミ

改革という名の退行に背を向けて

2012-06-02 00:17:59 | 非国民通信社社説

 定期的に持ち上がってくる論議の一つに、成人年齢を引き下げるべしというものがあります。現在の日本では20歳が境目ですが、これを18歳とかその辺に引き下げようというわけです。確かにまぁ、世界各地の貧困国では十代の少年少女が大人と肩を並べて労働力として駆り出されている、アフリカの紛争国では年端もいかない子供が自動小銃を手に大人達に混ざって戦っていたり、多少は平和な国でも日本なら淫行条例に引っかかるような年齢の子供が日夜、立派に大人の相手を務めていたりします。それに比べれば、日本の20歳という成人年齢は高いのかも知れませんね。経済面では新興国を目指して後ろ向きに階段を駆け下りてきた日本なのですから、社会面でも相応に退行を志向した動きがあっても不思議ではありません。

 何度か書いてきたことではありますが、将来が決まるタイミングがどれだけ「遅いか」で、概ねその社会の成熟度は測れるように思います。まず未熟な社会では生まれたときからもう将来が決まっている、親の属する社会階層がそのまま子供へと引き継がれます。そして多少なりとも近代化が進むと僅かながらも選択肢も出てきて、例えば中学生までは割と誰でも平等だけれど、そこから先の進路でだいたいの将来が決まってしまうみたいなパターンが挙げられます。もうちょっと社会が成熟すれば進路の変更にも融通が利くようになって、20歳くらいまでは人生のやり直しが可能になる、他の道へと再スタートが切れるようになると言ったところでしょうか。日本の場合、大きな転換点は卒業時ですね。高校でも大学でも専門学校でも、とにかく学校を卒業した時点で、しっかりとした会社に就職できるかどうかが大きな差が付きます。ここで就職機会を逃すと、後に分類上は正社員として就職できたとしてもろくな会社ではなかったりするなど、ほぼ挽回不可能となっているわけです。

 私の大学時代の恩師が定年で退官することになったときのことですが、未練タラタラの先生は「だいたい60歳で定年ってのは、60歳くらいでどんどん死んじゃう人がいた時代の考えでさ……」と愚痴をこぼしていました。そうですね、たとえば平均寿命が50歳かそこらの時代と、平均寿命が75歳を超える時代では社会保障制度の望ましい在り方も変わってくるものです。日本のように世界トップクラスに寿命が長い社会と、もっと寿命が短い社会とでは、アプローチの仕方も多少は変えなければならないものなのかも知れません。そうした面では、上述の成人年齢の引き下げ論はどう見るべきでしょう。昔よりも平均寿命が大きく延びている中で、成人年齢を前倒しするとなると、未成年の期間と成人である期間のバランスは輪をかけて崩れてしまうように思います。むしろ寿命という名の人生のスケールが延びた分だけ、「成人」になるまでの期間も延ばした方が釣り合いが取れるのではないでしょうか。

 年金受給年齢は加入者の同意なく引き上げられることが既に決まって久しいですけれど、まぁ寿命が延びた中で支給開始年齢だけを据え置きというのは難しいのかも知れません。そして我が国の政府としては異例中の異例と言うべきなのが悲しいことですが、引き上げられた年金支給開始年齢に達するまで雇用を延長するよう指針も出されています。制度改革に伴う負担を、個人ではなく雇用側に求めるのは実に珍しいことですね。まぁ、流石に60歳定年で65歳の年金支給開始までは自己責任で済ませというのは無理な話ですから。元より一世代前や二世代前の60歳に比べれば現代の60歳とは随分と健康でバイタリティーに溢れています。もちろん個人差も大きくなる年代だけに一緒くたに扱うのは危険でもありますけれど、だいたいの人にとって65歳まで働いてもらうというのはそんなに難しい話ではないのでしょう。あんまり長く働きたくないという思いはあるにせよ……

 こちらは上手い図ではないですがニュアンスは伝わるでしょうか。とりあえず一番上の段が平均寿命70歳の場合で、次が平均寿命80歳の場合です。成人年齢や年金支給開始年齢を据え置いたまま寿命だけが延びると、どうしてもバランスは崩れます。そして改革モデルと銘打ったのが、現行の政府案ですね、成人年齢と、年金支給開始年齢がそれぞれ動かされているわけですが、これまたバランスの悪いものと言わざるを得ません。そこで最下段の「成熟モデル」は私のオリジナルで、年金支給開始年齢だけではなく成人年齢も「引き上げた」形になります。先述の通り寿命という人生全体のスケールが伸びたのですから、未成年でいる期間を圧縮するのはむしろ不自然、反対に伸ばすべきとの考えに沿って提唱してみました。とりあえず、この成熟モデルの方が未成年、労働年齢、年金受給年齢のバランスは取れているはずです。

 富国強兵、殖産興行的な発想にとらわれていると、どうしても労働人口を増やすことが国力増強の道という考えになってしまうのかも知れません。十数年来の不況で慢性的に求職者側があぶれているにも関わらず、労働人口を増やすことを是とする言論が巷に溢れているのはそのせいでしょうか。高度経済成長期からバブル期に至るまで、高卒でも働き口に困らなかった時代には日本の大学進学率は至って低いものでした。それが不況で企業側が採用を手控えるようになったのと時を同じくして日本の大学進学率は急上昇を続けて来たわけです。まぁ、急上昇した結果がようやく5割に到達したという水準ですので、まだまだ日本は大学生が少ないと言えますけれど、ともあれ日本でも高等教育を受ける人が増加しています。しかるに、こうした大学進学者の増加を快く思わない人が、とりわけ経済系の文脈において目立つのも事実です。

 成人年齢の引き下げ論議と大学進学者の増加を否定的に見る向きは、底の方で似通う部分があるような気がします。より早く「成人」に組み入れたい、より早く労働力人口に組み入れたい、そういう欲望があるのでしょう。そして教育水準の高さを強みとして高付加価値産業へのシフトを目指すのではなく、賃金抑制を徹底して新興国と同じ土俵で戦おうとするのなら、大学進学者の増大など百害あって一利なしと映るものなのかも知れません。必要なのは一握りのエリートと、新興国に負けない低賃金で働いてくれる従順な労働者ですから。もちろん賃金の低下は即ち、その国で働く人が貧しくなると言うことを意味する、つまりは社会全体にも負の影響を及ぼします。それを補うには「頭数」を増やすことですね。年収500万円の労働者が2人いるより、年収400万円の労働者が3人の方が、トータルでは豊かという計算になります。凋落を続ける一人当たりのGDPには無頓着な一方で、国全体のGDPで中国に抜かれた、今度はインドに追い越される云々と騒いでいる我が国の経済言論がどういったモデルを好むかは言うまでもありません。

 少子化が進むと同時に賃金水準の押し下げも進められてきた中、「国全体」のGDPを引き上げるためには個人の貧しさを補うべく労働人口を増やす必要に迫られる、その処方箋として移民の受け入れだったり、女性の活用や定年の延長など色々と出てくるわけです。そして大学進学率の上昇を否定的に見る向きもその延長線上にあるのではないでしょうか。労働人口を増やそうと駆り立てられるのは、当然ながら女性や高齢者だけではない、若年層だって同様なのです。少子化が進んでも労働人口は確保したい、そのためには早くから労働人口に組み込む必要があります。若年層を大学で遊ばせておくより、安価な労働力として日本企業に奉仕させたい、そういう思惑があると本来なら喜ばしいはずの進学率向上も苛立たしい現象に見えてしまうのでしょう。

 しかるに、将来が決まるタイミングだけではなく本格的な労働に従事する時期もまた、社会が成熟すればするほど遅くなるもののはずです。発展から取り残された国では児童労働が横行していますが、多少なりとも進歩すれば児童労働が禁止されるものですし、さらに社会が成熟していけば進学率も上昇、それに伴ってフルタイムで働き始める時期も遅くなるものです。貧しい国では義務教育機関を過ぎたら遠からず労働力として大人と一緒に働き始めるかも知れませんが、曲がりなりにも先進国であれば高校までは進学するのが当たり前になったり、あるいは大学に進む、時には大学院へも進学するなど、いずれにせよ日本で言う「社会人」になるタイミングは後方へとシフトしていくわけです。

 日本では「改革」を気取る人ほど保守的――より思い切って言えば退行志向であるように思えるのは、そういうところからです。むしろ改革を称する人ほど、賃金抑制=新興国と同じ土俵での競争に積極的であったり、進学率上昇に否定的で若年層を早期に労働市場に組み込みたがるなど、そうした時代に逆行する志向が目立つのではないでしょうか。「経済成長の時代は終わった」みたいな日本くらいにしかあてはまらない妄論が経済誌でも当たり前のように幅を利かせていますけれど、日本経済はまさにブリキの太鼓の主人公よろしく、成長すること、成熟することを止めてしまったかのようです。しかし、誰か他の「大人」が日本を養ってくれるわけでもありません……

 

この業界はどこもそうかもしれないけれど、長期勤続というのは歓迎されないんだ。それで会社も「三年くらいで辞めてもらった方が経費的には助かる。そうすれば、また元気のいい新人が入ってバリバリと稼いでくれるし……」と、公然といっているんだから。 (『ホームレスになった』金子雅臣、ちくま文庫)

 

 拡大を続ける非正規雇用を中心に、主として若年層を取っ替え引っ替えする雇用形態もまた随分と目立つようになりました。不当な解雇も相次ぐ昨今ではありますが、それでもなお、もっと社員を簡単に解雇できるようにせよと主張する声がまた喧しいところでもあります。雇用側に便宜を図ることを以て経済政策と勘違いしている人の好む「改革」の一つですね。もっとも、雇用主に自由を!雇用主を法律で縛るな!全ては主の御心のままに!などと率直に真情を吐露する人はいなくて(隠せていない人はいるにせよ)、大方は奇妙にも「若者のため」などと口にするのですから笑うしかありません。彼ら退行志向の改革論者に言わせれば、無能な中高年またの名を既得権益が社員として居座っているから若者にチャンスが回ってこないのだそうです。へー。

 雇用の面で改革と称して提唱されているものの多くは、近年「ブラック」と呼ばれるようになった類の企業であれば既に当たり前のように実践しているものばかりだったりします。たとえば「無能な」中高年を切り捨てて若者に雇用機会を提供するなど、ですね。決して長くは働けない、目立った成果を上げられなければ遠からず追い出される、そういう会社は必然的に社員も若い人ばかりになりがちです。では、このような企業は若者に優しいのでしょうか。改革論者のいうことを政治家が真に受けて日本中をブラック企業の巣窟にした場合はどうなるでしょう。今まで以上に中高年層はリストラされ、代わりに企業が雇うのは若者ばかり、若者の就業機会は飛躍的に増加……する可能性は高いのですが、そこで就業機会を得た若者の10年後、20年後、30年後がどうなるかも考える必要があります。若者もいずれ年を取ります、かつて中高年層に席を譲ることを強いた若者が中高年になったとき、今度は自分が若者に席を譲ることを迫られる、そこまで想像しなければなりません。

 相対的に低賃金で済ませやすい若年層を、それこそ取っ替え引っ替えしながら使い捨てていけば人件費削減は容易、新興国と同じ土俵で競い合いたい人には好ましい世界と言えそうです。もっとも、働く人にとっては捨てられるリスクが高まる、とりわけ齢を重ねるほど危うくなってしまいます。「若者に雇用機会を提供するため」との美名の元にリストラされた親世代を、より低賃金の子世代が働いて支えるという、実に悪夢のような未来が待ち受けていることでしょう。自分が働いて親を養うんだという殊勝な孝行息子/娘にはそれでもいいのかも知れませんが、私は御免ですね。むしろ中高年層(=親世代)の雇用をきっちりと担保して、子世代をじっくり学ばせておく、その方が成熟した社会にはふさわしいと私は考えますけれど……

 平均寿命が延びたのなら、それに伴って人生の「重心」だって動かす必要があります。寿命がこれだけ長く伸びたのに、そう急いで働き始める必要があるのでしょうか。むしろ大人になるのは「ゆっくり」で良いように思います。人生が50年かそこらで終わってしまう国ならともかく、日本の場合は、大人になってから先が随分と長く伸びているのですから。しかるに進学率の上昇を好ましく思わない人々がいたり、あるいは中高年を追い出して若者に職をと説く人もいるわけです。こうした人々の志向しているのは、より「早く」若者を労働力に組み入れることと言えますが、率直に言ってそれは「退行」に他なりません。そうではなく、逆に若者を働かせる時期を、より「遅く」してこそ進歩です。

 とりあえず日本では、児童労働は概ね禁止です。芸能活動や家業の手伝いは別として、普通の会社勤めとかは表面上やってはいけないことになっています。アルバイトを始める子が珍しくなくなるような年齢でも、未成年であれば深夜労働などには制限がありますね。ならばこうした禁止や制限の課せられる年齢を、大きく引き上げてみるのもおもしろいかも知れません。極論するなら、20代のフルタイム労働を原則禁止してみるのはどうでしょう。さっさと学校を卒業させて、さっさと働かせたいという思惑の強い我が国ですけれど、それが行き詰まっているのも現状です。若者を就職戦争で摩耗させ、会社に縛り付けることこそ才能の浪費と言えます。それよりも、なるべく長く大学なりに通わせて、いわゆるモラトリアム期間を可能な限り長くした方がイノベーションも生まれるのではないでしょうか。決して就職を急がせる必要はありません。その代わり、子世代を支える親世代の雇用をきっちりと守っていくことです。一般に、知能の高い動物ほど親が子供を育てる期間は長くなります。ならば寿命も延びて60歳くらいではまだまだ元気な親世代が子世代を養う期間をもっと延ばしたって、それは進歩と呼べることでしょう。

 

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6 コメント

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「ウサギ」より「カメ」で結構 (くり金時)
2012-06-02 02:28:28
もう少し、ゆっくりしたほうがいい時代になったにもかかわらず、「ドシドシ効率化、バンバン賃下げ、ガンガン首切り。」で、利益が出たのかと言えば、ほんの一部だけ。こういうモデルから抜け出ないと発展できないにもかかわらず、抜け出さないのが、我が国の誇る「進歩的」経済人及び政治「業者」なんですよね。(そりゃ、自分の懐がふくらむから。)私から言えば、色んなことを学んで社会に出ても、遅くないと。そうすることで、新しい動きがあるかもしれず、結果として、社会的に豊かになっていくだろうと。慌てて「バスに乗り込む」よりは、ゆっくり歩いたっていい気がします。(あんだけ騒いだグローバルスタンダードって、一体なんだったんでしょうかね。)
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Unknown (amanojaku20)
2012-06-02 08:54:03
自民とか子は家庭が育てるもの、社会に教育の負担を押し付けるなみたいな古い価値観を押し付けようとして改革とか言ってるんですよね。
新だの改だのフレッシュな言葉を使うよりも
復古というスローガンを掲げる事をぜひお勧め
したいですね。
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本当の改革 (ヘタレ一代)
2012-06-02 18:44:46
改革だの維新だのいうなら、管理人さんのおっしゃるような今までの不合理、非効率な常識にメスを入れることが必要ですよね。

仕事という意味をこれまでの「労役」の意味から、「その個人が一生涯かけて挑む価値があると思う事」へと転換して、今言われてる仕事はそのためのお金を得る手段にすぎないという事を、在学期間を延ばした大学で徹底的に教えることも必要でしょうね。

かつてのように様々なタイプの方がいらした日本の方が、新しい発想を趣味や遊びの中から見出して、それが新事業につながったという事が多かった気がします(任天堂のファミコン等の様に)。今は締めつけてしまった挙句個性がないとかいって自滅していますが、皆が自分の趣味に生きた方がお金も回ります。

また、輸出にまだ拘るにせよ、こんな画一化強制状態の日本から出る商品では、これから増えてくる成熟社会を迎える海外では通用しなくなってしまいますから、どの道今のままではじり貧です。
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-02 22:02:32
>くり金時さん

 というよりグローバルスタンダードに関しては日本から背を向けた印象の方が強いです。成長を続ける世界経済とは裏腹に、新興国を目指してきたのが日本経済の舵取りですから。「グローバル化がくるぞ~」との脅しをスローガンに、前に進むことを厭うよう仕向けられてきたところもあるのではないでしょうか。

>amanojaku20さん

 本来なら相容れないはずの「改革」と「真性保守」が共存しているのは、結局のところ「改革」と称して過かけられるものの中身がことごとく復古的なものであり、退行志向であるからなのでしょうね。構造改革ならぬ、構造退行が行われてきたわけです。

>ヘタレ一代さん

 改革が唱えられるのに反比例するかのように「革新」的な商品やサービスを作り出せなくなっている気がするのですが、要は改革と称しつつも変えるべきものを変えられていない、逆に時計の針を巻き戻そうとしている部分ばかりだったりなんですよね。まずは改革の誤りを直視することから始めなければならないと思うのですが……
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子供の労働が増えている? (不備)
2012-06-03 12:46:56
 最近、産学協同というような文言を錦の御旗のように押し立てて、学生に仕事をさせたり、学生の商品開発をさせたり、という話を報道で目にします

 まるで「素晴らしいこと」、のように喧伝されるわけですが、私は学生にはきちんと勉強させてやるべきだ、と思います。教科の勉強含めて、友人づきあいとか遊びとか、学生故若年者故の失敗とか、も含めてです。

 社会的に「立派」な人士として華々しい成果を上げる、とか、若くして人気商品のブランドデザインをする、とか、およそ教育の側が迎合すべきやり方とは思えません。企業インターンと同じく、企業側の思惑である「低コストにも関わらず高リターンをあげる」悪知恵としか思えません。
 だいたい、その商品の知的財産権とか、デザインの功績とか、きちんと学生に還元されるのか、大いに疑問です。学業の一端としてやったから、などという言い訳はおかしいですよね。学べたことは学べたこととして、労働には対価が伴う、ということを否定し、推奨する社会と、それを無批判に報道するメディアにも、うんざりします。
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-03 21:32:46
>不備さん

 学生の間は、学生の間だからこそできることをもっとやらせた方がいいでしょうね。それこそ仕事なんて後からでもできる、60歳を過ぎてからでも(雇用さえあれば)できることなんですから。後はアメリカだと学生スポーツが商業コンテンツとして人気があって莫大な収益を上げているにも関わらず、選手(学生)にそれが還元されていないとか。日本でもその辺は倣おうとしているかも知れませんけれど、「対価を支払う」という資本主義のルールすら蔑ろにされているところもあると思いますね。
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