11月27日投開票の大阪市長選に出馬する可能性に言及している大阪府の橋下徹知事は27日の記者会見で、「市役所だけではなくて、関西電力との戦いになる。既存の体制を変えようと思えば、死力を尽くす戦いにならざるを得ない」と述べた。
市長選に合わせて辞職し、府知事選とのダブル選にする考えを改めて示し、「11月27日は既存の体制を転換する重大な日になる」と対決色を鮮明にした。
橋下知事率いる大阪維新の会は両選挙への候補擁立を目指しており、知事は市長選について「候補者が見つからなければ僕が出る」と明言。維新の候補が勝利した場合、市が筆頭株主の関電に対し、「脱原発」を求める株主提案を行うことも表明している。
さて、橋下曰く次の大阪市長選は「市役所だけではなくて、関西電力との戦いになる」そうです。前々から目の敵にされている役所だけではなく、とうとう電力会社までが「敵」として設定されるようになってしまいました。従業員個人としてはともかく流石に企業としての責任は免れられない東京電力ならいざ知らず、別に直近で目立った事故を起こしたわけでもなければ、むしろ脱原発ドミノという逆風の中でも懸命に頑張っている関西電力には応援されこそすれ敵視される謂われはないはず、にも関わらず「関西電力との戦いになる」などと一方的に宣戦布告されてしまう関西電力には心の底から同情するほかありません。
橋下発言では関西電力と市役所が同列に並べられています。非難の仕方が同じ、という意味では自然な成り行きなのでしょうか。以前に、電力会社社員に向けられた非難の大半は公務員叩きの単語を入れ替えただけ、みたいなことを書いたものですが、公務員叩きで人気を得てきた知事が公務員と同じくらい社会的に嫌われるようになった電力会社の存在を見逃すはずがないわけです。とにかく嫌われ者を叩いておけば有権者のウケは悪くない、その結果がどうなろうとも因果関係など気にしないのが日本の政治風景でもあります。もし明日、あなたが世間の鼻つまみ者となったなら、あなたのことを最も口汚く罵った人がヒーローになるのです。
実態を大きくかけ離れて、とんでもない高給取りという設定で話が進められるとか、あたかも原罪のように公務員であること/電力会社であること自体が咎められるとか色々ありますが、より顕著なのは「公務員/電力会社の業務と住民との関わりが無視されている」ところでしょうか。公務員なんて仕事をしていないとか、公務員なんていなくていいみたいなことは、それこそ自治体の首長クラスの口からも聞かされるものですけれど、実際に公務員が仕事をしなくなったり、いなくなってしまえばそれこそ街は大混乱に陥るわけです。その程度のことは少しでも政治に関心があれば理解できるはず、しかるに公務員の仕事も我々の社会を支える歯車の一つだということに敢えて目を背けながら、その価値を否定することで政治家が支持を集めてきました。これと似たようなことが、今度は公務員ではなく電力会社を対象にして行われ始めているのが現状であるように思います。
本来なら電力会社と住民との関わりは、公務員のそれよりも意識されやすいもののはずです。健康で文化的とは言えないような生活水準であろうとも、やはり生活の中で電気を使う機会は多いもので、電力会社がしっかり仕事をしているかどうかで我々の生活は大きく左右されます。電力会社が何か重大なことをやらかしたとして、そこで厳しく責任を問うのは必然的なことではある一方、結果として電力会社が機能不全に陥ってしまうとなると、電力供給を受ける側にも深刻な影響が出てしまうわけです。どうにも「悪い奴」を罰することにばかり気が向いているかに見える時代ですけれど、もっと大事なのは住民の生活への負の影響を最小限に止めることではないでしょうか。電力会社にしっかり仕事をさせるよう行政が監視を強めるというのならいざ知らず、電力会社を攻撃した結果として電力供給を受ける側の住民や各々の職場までもが共倒れというのでは笑い話にもなりません。
それでもやはり、有権者の生活環境を維持することより懲罰勘定を満たしてやることの方が、票には繋がるものなのでしょうか。少なくとも橋下は、そう考えているようですから。概ね日本の電力会社が最重視してきたのは電力供給の安定のようで、料金は高めで防災対策にも疑問符が付く一方で停電の少なさだけは世界に誇れる水準でもありました。この厳しい状況下でも各電力会社は電力供給が途絶えることのないよう奔走しているわけですが、そこに行政が介入することで足を引っ張っているのも現状です。行政が足を引っ張った結果として電力供給に不足が生じれば、その結果を押しつけられるのは住民であり、現に今でも健常者目線で押しつけられる節制や深夜操業へのシフトなど就業環境の悪化が随所に見られます。こういう事態を屁とも思わないが故に橋下は躊躇うことなく懲罰勘定を満たしてやることの方を選ぶのでしょうけれど、その「結果」を負わされているのは住民であることに有権者は自覚的であるべきです。でも怒りの矛先は行政ではなく電力会社に向けられることで、何となく完結してしまうものなのでしょう。福祉が削減され行政サービスが滞って住民の生活に不便が生じようとも公務員叩きが止まることがないのと同じことが、電力会社を前にしても繰り返されようとしています。せめて、これが大阪(もしくは橋下)と関西電力の間に限ったことであってくれればいいのですが。
奴は、いつだって話題になりそうなこと、仮想敵になりそうな存在に寄生し、世間の耳目を集めて自分への賛意に変えることにかけては、恐ろしいまでに臭覚が効く、というか。
大阪府政はあまり芳しい成果を上げていないので、さっさと辞めて次は市長選に逃げるのでしょう。政治の責任を果たさずに逃亡するにも関わらず、選挙で勝つことで「世間の支持を得た」と強弁し、好きなことを放言して、政治も行政もいじくり廻してダメにするという、嫌な構図です。
失敗した東国原のよりもしたたかに、コウモリよろしく世論を伺いながら常に言動・立場を変えるこの男、今度の選挙でも狡猾に生き残るのか、と戦慄します。
以前の懲戒請求のときも、今度の関電のことも、本質的には全くどうにも思っていないんでしょうね。
ですが、橋下のような知名度の高い(その分、影響力も強い)首長が自らその二つを混同しているのですから、差を明確にするのは困難でしょうね。
常に「敵」の存在を示唆することで、府政で成果が上がらなくとも責任を転嫁できるよう備えが出来ているところもあるのでしょうね。府政が上手く行かなかったのは、府の職員が知事の意向に背いて改革を妨げたからだ、と。そういう人に支持を与えてしまう有権者も有権者ではありますけれど、権力を手にした人にはもう少し自省して欲しいものです。
>リンデさん
ただ公務員に関してはまだしも分別のある人がいた一方で、電力会社に関しては理性が決壊したかのごとく橋下的なものへと修練されているフシもあります。橋下には批判的な人までもが、電力会社に対しては橋下と似たような考え方をするとしたら、まぁ厳しいです。
「ISO規格を導入すれば役所の仕事は素人でもできる」と言いますが、仕事をなめている、と言われても仕方がないでしょう。少なくとも「ISO規格の導入がどれだけ面倒くさいかを知らないで言っている」ことは確かです。
最低賃金法を意図的に無視して(性善説で言うと)「公務員の給料を生活保護費並みに」というツィートをしていました。
先の埼玉知事選挙に触れてその人は「脱原発候補推し」の姿勢でいましたが「現職の上田清司と橋下は仲良しだけど、脱原発を取るか、上田と橋下の友情のどちらを取るの?」と意地悪く言ったら相当マズイと思ったので止めておきました。
私の意気地なしぶりが出てしまいましたが、何かの役に立てばと思います。
まぁ、その手の人は何を言ってもムダですから反論するのも虚しいでしょうね。結局、役所の仕事に関しても電力供給に関しても、ご都合主義的な設定でしか語らない、不都合なことは無視する、そういう人は自分の妄想の世界に生きているだけですから。
人気取りとみなされるだけの人もいれば、実際に人気を高めるのに成功している人もいるわけで、どのみち反原発論が人気獲得に繋がる、と言うのは共通認識なんですよね。でも、この人気取りが優先されて、平常運転に戻すための具体策が阻害されているようにも思えるわけでです。脱原発論は政治家の延命には有効ですが、果たして住民にはどうでしょう。