非国民通信

ノーモア・コイズミ

子供を怒鳴りつけたって何も解決しません

2012-06-07 22:59:35 | 社会

問題私大に廃止命令も…文科省、質確保に厳格化(読売新聞)

 文部科学省は、私立大学の質確保に向け、指導内容や経営に問題がある大学に対して、廃止命令などを含めた厳しい措置で臨む方針を固めた。

 日本の大学の国際競争力の低下が叫ばれる中、質の悪い大学には“退場宣告”を行う一方、優れた大学に重点投資を行い、大学改革を促す。

 文科省は今年度以降、経営状況に改善が必要な場合、積極的に実地調査を実施。改善を図るよう経営指導を行う。「改善の見込みがなく、教育の継続に悪影響を及ぼす」と判断した場合は、私立学校法に基づき、学校法人に解散命令などを出す。また、教育の内容に問題がある大学には、学校教育法に基づく改善勧告や組織廃止命令などに踏み切る。

 

 「質確保」とやらは結構なのですが、それでどうするつもりなのでしょうか。挙げられているのは「廃止命令」「解散命令」「改善勧告」などの「厳しい措置」だそうです。報道する側が怠慢なだけで、本当はもうちょっと具体的に踏み込んだ方策が練られているのかも知れませんが、どうにも「怒鳴りつければ子供は勉強するようになって成績も上がる」と信じている無能な親みたいな感じですね。そんな低レベルな脅しをかけたところで「質確保」が実現されるとは思えないのですけれど、子供にガミガミ言うだけで自分は頭を使わないダメな親と同様に、叱られている側だけの問題としか考えられないのでしょう。

 そもそも「質確保」といった場合の「質」は、どういった基準に基づいて判断されているのかも記事では曖昧なままです。具体的かつ客観的な基準としては本分にもある通り「経営状況」でしょうか。経営悪化で「教育の継続に悪影響を及ぼす」事態は確かに懸念されるところです。だからといって、それで解散させてしまえば済むのかと言えば首を傾げたくもなりますが。そもそも「質」の高い教育に努めれば、その分だけ経営面では不利になるものではないかと思われます。どんなに教育に力を注いでもそれで収益が増えるわけではありません。経営状態を改善させるべく収入を増やすには学生数を増やすことが必要ですし、そしてコスト削減を進めなければならないのです。しかし、その場合の「質」は?

 私なんぞはロシア文学という大変に流行らない専攻だったため、教授とマンツーマンの授業になることも少なくありませんでした。そうでなくとも専攻とは無関係で、かつニッチな授業にも出席したりして、結局は教授とマンツーマンやそれに近い状態になることが毎日のようにありました。加えて普通の人が3年で勉強を切り上げて就職活動に専念する中、私は4年生になっても授業に出続けていたわけです。たぶん、私のような手間のかかる学生ばかりだったら大学は大赤字でしょう。反対に、1クラスに受講者200名みたいな授業にばかり出席して、かつ受講は卒業に必要な最小限に抑える、4年になったら就職活動に専念で大学には来ない、このような学生ばかりであれば大学側も大いにコスト削減を進められるはずです。ただし、「質」はどうなりますかね。

 まぁ、採用側が応募してくる学生に血液型を訊ねることはあっても成績を問うことなんて、よほど特殊な職域でもなければないわけです。我々の「社会」は、ネームバリューのある大学を留年することなく卒業することは求めても、そこで何を学んだかは気にかけません。こういう社会において大学の「質」とは何なのでしょうか。少なくとも大学側は「社会」≒「会社」から必要とされる人材を送り出そうと必死になっているわけで、それが学問の府から就職予備校への転身という結果にも繋がっているはずです。「社会」≒「会社」から必要とされる人材の育成が「質」の基準であるなら、たぶんそれは従来的な意味合いでの「教育」内容では対応しきれないものであるように思います。

 むしろ、少し前に取り上げた産能大調査みたいに、大学の名を称しながら研究発表の内容があまりにも低レベルと言わざるを得ないところはどうなのかとか、早川由紀夫だの武田邦彦だのあまりにも問題のある人物を教壇に立たせ続けているような良識の疑われる大学こそどうなのかとか、とかく若い学生の側ばかりが咎められがちな風潮があるように思いますけれど、「学校」としての大学ばかりではなく「研究機関」としての大学の質も、もう少し気にして欲しいところです。

 だいたい「日本の大学の国際競争力の低下が叫ばれる」云々との危機意識があるようですが、それで「質の悪い大学には“退場宣告”を行う」というのもどうなのでしょう。「質の悪い大学」なるものを「原因」として、そこに責任を押しつけようという魂胆が見えないでもありません。「質の悪い大学」が存在するから「大学の国際競争力」が低下しているというより、そもそも日本全体の国際競争力が低下しているフシもあります。「質が悪い」と断罪して大学を「退場」させたところで、起こりうるのはせいぜい「進学」という選択肢を失った高卒者の就職率が劇的に悪化するするくらいじゃないでしょうかね。それに、勉強だけが全てじゃありません。勉強などしなくとも就職で成功している人はいくらでもいますし、大学時代には専ら社会運動に励んだり、文化活動やスポーツに打ち込んでいた人だっている、むしろアマチュアスポーツは大学生によって支えられている部分も少なくないくらいです。大して勉強していなくとも、お金にならないことに打ち込める期間を前途ある若者に提供する、それは社会にとっても好ましいことと考えられます。

 

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4 コメント

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Unknown (くり金時)
2012-06-08 03:01:10
これこそ、役人のチョンボですよ。そもそも、法によって許認可を与えたのは、文部科学省でしょう。妙に厳しくしたところで、教育の質が上がるとは、私には思えない。まぁ、要は「質」というのは「金次第」と。(教育に口は出しても、金は出さない。認可はしても、育てない。文部科学省のやり方は、そうとしか思えないが。)
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-08 23:22:03
>くり金時さん

 この頃は大学生叩きみたいな風潮も強い、大学進学者の増加を否定的に見る向きも強いですから、文科省サイドも態度を変えたというところもあるでしょうかね。「質確保」のためには脅しではなく支援も必要に思いますが、まぁ何でも厳しく締め上げるのが国民にも好まれるものなのかも知れません。
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Unknown (amanojaku20)
2012-06-09 12:35:47
最近は何かと競争競争という言葉が好まれますけど民間企業やプロスポーツじゃないんだから、優秀か優秀でないかなんて選別するか、到底不可能だと思いますけどね。

優れた大学を作るよりも、多様な進路に対応できるべく教育制度を整備していくのが文科省の責務だと思いますけど
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-09 21:56:58
>amanojaku20さん

 決まったルールの下で動いているスポーツならいざ知らず、他は判断基準が曖昧なものばかりですからね。「優れた」と呼びうる基準もまた状況によって変わるもので、教育行政にもその辺の理解が求められるのですが、どうも流行廃りを追いがちに見えるところがあります。
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