非国民通信

ノーモア・コイズミ

子供ファーストの行き着いた先

2023-10-15 22:52:07 | 社会

「生活できない」 埼玉県の“子供留守番禁止条例案”に批判相次ぐ(毎日新聞)

 埼玉県の自民党県議団が県議会に提出した虐待禁止条例改正案がSNS(ネット交流サービス)上などで波紋を呼んでいる。小学3年生以下の子供を自宅などに残して外出したり、公園などに放置したりすることを禁じた「留守番禁止」「放置禁止」の規定に対し、子育て世代とみられる人たちなどから「現実的ではない」などと疑問の声が噴出している。

(中略)

 改正案では、養護者の義務として、小学3年生(9歳)以下の児童の放置禁止のほか、同6年生(12歳)以下の児童についても努力義務とした。養護者に当たるのは保護者や保育士、教職員など。自民県議団は、未成年のきょうだいと一緒に自宅にいても「放置」とする。

 

 この埼玉県議会で提出されたという法案、最終的には批判の高まりに折れる形で撤回されました。世論のいかなる反発をも乗り越え法案を成立させる実行力のある政治家も多いですが、そうでない議員もいるのでしょう。安倍晋三の良いところは実行力のないところだと以前に私は述べましたけれど、議会で多数派でも世間の反対の声に日和るぐらいの方が安全な政治家の資質であると言えます。

 これもまた以前に書いたのですが、日本は子供を大切にする社会、より厳密に言えば子供を大切に「させたがる」意識が何よりも強い国であることが、今回の一件からも浮き彫りになったのではないでしょうか。しばしば子供の迷惑行為にうんざりしている人の声があげつらわれ、「もっと子供を大切にしろ」と囂々たる非難が巻き起こるわけですが、よくよく見ると「子供を大切にしろ」と叫ぶ当人が実際に子供を育てているのではない、そんな側面もあるように思います。

 「子供を守れ」を大義名分に掲げている人は多く、今回の埼玉県議団もまた同様なのでしょうけれど、そうした議員が実際に育児中であるとは考えにくいです。そして子供を持つ親から「無理」との声が上がっているのは上記の引用元で伝えられているとおりです。「子供を大切にしろ」と唱える人は決して実践者ではなく、単に「子供の周りにいる大人」特に最も距離が近いであろう母親達に圧力をかけているだけなのだ、と言えます。

 「子供を大事に」と部外者が圧力を高め続けてきた結果が現在の顕著な少子化である以上、私なんかは逆のことを考えてしまいますね。「子供の扱いはテキトーに」ぐらいで、むしろ「子供も周りにいる大人」の都合を考慮できる社会へと進むべきでしょう。今の日本は子供ファーストであるが故に、子供が周りの大人の重荷になってしまうわけですから。もっと「子供の周りにいる大人」が自分の生活を確保できる世の中にならなければ行けません。

・・・・・

 なお、子供を学校に「放置」するのはどうなんだろうとも思います。子供を自宅や公園、車の中に放置するのは虐待であると法案では例示されたところですが、車の中はさておくにしても自宅や公園に比べて学校は安全な場所なのでしょうか? 確かに自宅では事故が起こることもある、公園にも不審者が出ることはあり得ますが、しかしリスクは学校にだって多いはずです。

 少なくとも私の子供の頃は、学校が最も危険な場所でした。学校は暴行や傷害、恐喝や窃盗が繰り返される犯罪多発地帯でありながら治安機関による取り締まりも及ばない無法地帯で、何ら危害を加えられずに過ごすことは困難だったわけです。自宅や公園よりも学校の中の方が危険であるにも関わらず、自宅や公園への放置が虐待であり、学校への放置が問題なしと扱われるのであれば、それはなんとも不思議な話だと感じます。

 もちろん時代や地域が変われば、学校の中身も異なるのでしょう。しかし学校教員による体罰の嵐が吹き荒れた時代もあれば、危険な組み体操の流行によって重傷者の相次いだ時期もある、部活指導の中で死に追いやられた児童もいる、そして現在は奪マスク指導の結果として絶えざる感染症の罹患リスクに晒されている子供が相次いでいます。本当に危険なのは学校ではないか、子供を守るためには学校の中に信頼の置ける監視網を築くのが先ではないかと思わないでもありません。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ナチズムの子 | トップ | 共有している価値観 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会」カテゴリの最新記事