内閣支持率62%、ムダ削減「評価」76% 世論調査(朝日新聞)
朝日新聞社が14、15日に実施した全国世論調査(電話)によると、鳩山内閣の支持率は62%で、前回調査(10月11、12日)の65%からやや下がった。不支持率は21%(前回16%)。個別政策への評価は必ずしも高くはないものの、行政のムダを減らす取り組みを「評価する」人が7割を超えるなど、内閣の基本姿勢は高い評価を受けている。
内閣支持率は、民主支持層では9月の内閣発足直後の調査(前々回)以降、9割以上の高さを保っているが、無党派層では55%、50%、39%と下落傾向が顕著だ。
個別分野での内閣の取り組み評価では、年金・医療政策では「評価する」48%、「評価しない」28%だが、景気・雇用対策は37%対38%、外交・防衛政策は36%ずつと、いずれも意見が分かれた。
これに対し、行政のムダを減らす取り組みは「評価」76%、「評価しない」14%。政府の行政刷新会議による事業仕分けが進行中なのも影響しているようだ。官僚に頼った政治を改める取り組みも「評価」が69%で「評価しない」の18%を大きく上回る。
民主党がマニフェストに掲げた政策は「必ず実現すべきだ」との答えは16%にとどまり、「柔軟に見直してもよい」が77%と圧倒的多数だ。
以前から指摘してきたことですが、民主党政権はその内閣支持率の高さに比して、個々の政策への賛意を十分に集めていません。鳩山内閣は支持するけれどマニフェストに掲げた○○や××には反対、みたいな人が多いわけです。唯一の例外として「天下り根絶」だけは内閣支持率を上回る世論の支持を受けていましたけれど。
そこで今回の調査結果はいかがでしょうか。ご祝儀相場が終わりつつあり、内閣支持率も緩やかに下がっていますが、それでも十分に高い数値です。例によって内閣支持率が高い割に個々の政策への評価は意見が分かれる、内閣は支持するけれど政策は評価しないという人が多いのは相変わらずです。そんな中で、「天下り根絶」同様に一つだけ抜きん出て高い評価を得ているのが「行政のムダを減らす取り組み」だとか。個別政策への評価の低さにも関わらず、「行政のムダを減らす取り組み」に関しては内閣支持率を上回る7割超の賛意を得ているようです。おそらく民主党支持層と自民党支持層とで、思いを共有できている部分なのでしょうね。
やはり国民が民主党に期待しているものは「ムダ削減」であって、ムダを削減して云々という「その先の」話ではなさそうです。一応の大義名分として、民主党が自身の公約を実現するため、その財源を捻出する手段として「ムダ削減」が位置づけられているわけですが、国民の関心は何よりも「ムダ削減」であって、その先ではないのでしょう。「ムダ削減」自体には7割を超える支持があるのに、ムダ削減によって捻出された財源で実現させようとしている諸々の政策に関しては、むしろ反対意見の方が強いくらいですから。国民は「ムダを削減して公約を実現させて欲しい」と民主党に期待したのではなく、「とにかくムダを削減して欲しい」と願ったと見て間違いなさそうです。
一昔前は手段と目的が云々という話をよく書いていました。より良い社会を作るという目的があって、その手段として政権交代がある、政権交代という目的を達成するための手段として民主党に票を集めるという手段がある、こうしたルートを経る内に「民主党の勝利」こそが至上の目的となり、最初の目的すなわち「本来の」目的が見失われていると、そう主張してきたわけです。そこでムダ削減の議論はいかがなものでしょうか? 少なくとも国民の半分くらいは、かつて手段であったはずのものを今や目的として追求しているように見えます。ムダを削減せずとも当初の目的を達成できればよいのではないかと私なんかは思うわけですが、どうやらムダを削減すること自体が政府の評価を左右することになりそうです。そしてムダを削減することによって捻出した財源で何をするかまでは、たぶん深くは追求されないでしょう。むしろ「何か」に使えばそれこそ新たなムダと呼ばれかねないくらいです。国債発行が論議された際に鳩山首相は「国民の意思として伝えられたら、そういう(公約を見送る)方向もある」と語りました。ではムダ削減そのものが国民の意思であると告げられたなら……
書きたかったのはお金の流れが今じゃ、上のほうに吸収されてるんですけどそれが、循環しないということ書きたかったのに。
醜態を晒してしまってすいませんw
小沢の献金疑惑あたりから顕著になりましたが、今や民主党支持層の方が権力べったり、改革万歳になりつつありますからね。ある意味ネトウヨの方が批判精神に富んでいるという点で、政権交代と同時に「どちらがマシか」も一概には言えなくなってきた気すらします。小沢も野党時代はもう少し冷徹で、選挙に勝つためなら「生活者重視」などと柄にもないことを主張していましたけれど、支持層やメディアに甘やかされている内にすっかり慢心してしまったのでしょうか。
>やすさん
お金の流れにしても、まず第一が「ムダを削る」ですから傾向は変わっていませんね。増税と言っても消費税以外は考慮の対象にすらしないのですから、やはりカイカクの継続でしかありません。
すいません。
要するにお金の動きだと思うんです。
カイカクが始まってからずっと減税only(企業を育てるためという目的?)でお金持ちや成功者と呼ばれる人たちに吸収されていったんですが・・・・・
今回はどうなんだろう、と。
やっぱり民主党なんでしょうかね・・・。
テレビ朝日がワイドショーであのおばちゃんを
「後で滔々と喋ってたよ」
とか告げ口みたいな事しながら笑い物にしてたのたまたま見た。
ああいうの、なんかもう吐き気がね…。
本来体制に文句言うのが仕事だろうに、
テレビ朝日は橋下や民主の太鼓持ちばっかりしてんだよなぁ。
もうアホかと…。
でもそういうのがウケると思ってるからそういう放送をするわけであって、ワイドショーの視聴者層はああいうのを望んでるのかな。
まぁおおっぴらに叩ける物を叩いてると幾分スッキリはするかもしれんしなぁ。
そういう視聴層にとっては自民も民主もその政策自体も興味ないのはさもありなんな気が。
ある意味ネトウヨの方がそういう意味ではマシかもしれんよね。
NHKはその点、毛利さんの話をちゃんと紹介してたから、その辺はやっぱ腐ってもNHKだなぁという感じで再評価だなぁ。
しかしあの事業仕分け、パフォーマンスにしても下手な方だなぁとつくづく。
最初から結論ありきで相手の話聞いてない事が丸わかりすぎなんだもんなぁ。
ああいうレベルの低さはどうしたもんかねぇ?
まぁ初政権与党だから舞い上がっちゃってるんだろうけどさ。
強行採決→一転撤回の流れもお粗末すぎてなんだか…。
ポピュリズムにも程があるというか、こんなんなら最初から強行採決しなきゃ良かったのにさ。
小沢ってもっと賢いと思ってたんだけど、こないだの一神教発言といい、今回のといい、本格的にボケ始めたんじゃなかろうか。
┐('~`;)┌
大半の人は、いつでも自分が「断罪する側」だと思っているんでしょうねぇ。想像力が貧困と言いますか、それが自分の首を絞めていることに気づかない、まぁ目を向けたくないのかも知れませんが。
>やすさん
強いて違うとしたら「政権交代」というまやかしの有無ぐらいだと思いますが、どうなんでしょう。自民から民主へ看板は変わりましたが、否定の対象とするものは見事に継承しているわけで。
30兆円以内だったんですけど、できなかったっていう・・・。
まぁあのころの様子はよく覚えてます
すでに中学生でしたから、テロのイメージも頭にこびりついてますw
デフレ認定(遅い!)されましたが実は小泉さんのときもそうだったんですよね。
3兆円以内でしたっけ、国債発行額が。
でもちょっとしたらめちゃくちゃになっていたって言う・・・。
ただあの時とは、何か構造が違うような・・・。
マスコミの人は口が裂けてもいえないのかもしれませんけど
元来は手段だった事柄が目的に変化する、手段の目的化ともいうべき現象は『勝手に改蔵』でもネタにされていたほど普遍的な現象なのでしょうが、こと財政学の課題に関しては、拙稿「税制についてはそもそも収入に比べて支出を論じた文献自体がすくない件について」をひきついでのハラナ=タカマサ氏の立論にある様に(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-993.html#comment2921)、だれからどれだけ税をとったかの分析は沢山あるが、なににどれだけ税をつかったかの分析はほとんどない、という根本的な不備があります。ですので、なにをもって無駄とみなすかは、現状で入手できる資料の不足ゆえに、どうしても恣意的にならざるをえないとおもいます。もちろん、この拙文は現政権の政策を擁護するためのものではありません。ただ、根本的に参考にできる資料自体が非常に不足しているので「ムダ削減」は原理的に困難な作業にならざるをえない、とおもうのです。
前の人は、顔出して、「それってメリットあるんですか(キリッ)!」とか大声出してれば格好がつく。
手とか足とかは後ろの人。財ちゃんですね、わかります(笑)。
テレビの前の人は、こたつに入ってみかんなんか食いながら、日本伝統の色物を堪能し、官僚にみかんぶつけたりしてたんだと解します。
高みの見物してるうちはメシウマですが、そのうち自分の身の回りに火が回って、「ムダ」呼ばわりされるようになったら、どうするつもりか?見物ですな。
でわ。
その「仕分け」の一方的なこと、初めに結論ありきで、後は国民の前で断罪してみせること、こうした辺りは魔女狩り的なノリを感じさせますよね。私なんかはこうした「ムダ削減」そのものに疑問を感じてしまうくらいです。
これって、中世ヨーロッパの「魔女狩り」と酷似していますね。
「魔女」とされたら火あぶりなど残酷な刑に処される。しかし、魔女なんていたのでしょうか?
「魔女」=「ムダ」とするなら、あの「事業仕分け」とやらはさし当たって「異端審問」でしょう。
まあ、なんと前近代的なこと!