自民党総裁選を争っていた当時は早期解散に否定的な態度を示していた石破総理ですが、総裁就任後は早々に解散総選挙を表明、今月の末には投票が行われる運びとなりました。選挙期間中の主張と当選後の行動が一致しないのは石破以前にも常であり、ある意味で従来路線を継続する姿勢の現れと言えるでしょうか。なにしろ選挙前の公約を当選後に無視したところで責任を問われることはない、辞職を迫られるのは金銭や女性問題ぐらいというのが日本政治ですから。
もっとも、今回は金銭問題の重みが違います。これまでは金銭問題の追及は特定の議員が一人で背負い込むことが多かった、それ故に辞職まで追い込まれることも普通だったわけです。ところが今回は金銭問題を抱えている議員が圧倒的に多く、結果として責任追及は皆で分散して受け止める形になっています。一人では耐えられなかった責任追及を、今回は皆で支え合って耐え凌ぐ格好になっているのが昨今の政治資金問題なのかも知れません。
もし裏金議員が軒並み政治生命を保つことがあれば、「政策的や誤りは問われないが金銭問題には厳しい」我が国の政治文化が変わることになります。主立った野党は裏金問題への追及に余念がありませんが、政治資金問題の追及を看板に掲げる従来のスタンスが有効かどうかが今回の選挙で問われることになるとも言えそうです。そして金銭問題で与党を攻撃する路線が奏功しないようであれば、野党側はスタイルを変える必要がある、政治と金の問題ではなく政策の誤りを問う必要性が高まってきます。
ここで問題になるのが日本では政治的な対立が少ないことです。自民党だけではなく立憲も維新も親米・緊縮のいわゆる中道右派で固まっており根本的な違いがない、方向性を同じくする政党が勢力争いを繰り広げているだけというのが実態であり、ゆえに政策論議が意味を持たない、仮に民主党が自民党から与党の座を奪ったとしても日本の政治は変わらないわけです。一応の野党第一党である立憲民主党などは尖閣国有化で中国との対立路線に大きく舵を切り消費税増税を決めた野田が返り咲きを果たす有様で、これは本当に「日本の政治は変わりません」というメッセージと言えるでしょう。
参考:各国の選挙を振り返って
「中道」とは一つの極であり、「左」と「右」の中間ではないと以前に書きました。政治の世界において中道と呼ばれるのはネオリベ・ネオコンの先鋭化された勢力であり、決して「中庸」の立場を取る人々ではありません。そして「中道右派」もまた然りで、中道と右派の中間的な立場と誤って解釈されがちですが、実際は中道と右派の悪いところを兼ね備えた立場と理解すべきでしょう。すなわちネオリベ・ネオコンでありつつも差別主義を兼ね備えたのが中道右派である、と。
ところがヨーロッパでは中道派の持つネオリベ・ネオコン思想と右派の「自国第一主義」が相容れないものとなり始めており、これが「極右勢力の伸張」として報じられる結果に繋がっています。つまりネオリベ路線では一部の資本家が肥えるばかりで自国民の多数派は貧しくなる、ネオコン路線ではアメリカ陣営の覇権のために自国の支出が増大する、これを右派が許容できなくなっているわけです。政治は資本家のためではなく自国民の多数派のためであるべき、アメリカの覇権のために自国が何かを負担する必要はない──そんな思想を持った「極右」が近年のヨーロッパでは台頭し始めています。
しかるに日本では中道と右派の蜜月が続いているのが現状ではないでしょうか。中道派は右派の唱える差別主義には目をつぶる、右派はアメリカの覇権こそが日本の国益であると信じて疑わない、資本家が豊かになることが国が豊かになることだと勘違いしたままでいる、そうして中道と右派が堅く手を握り合っているのが日本政治であると言えます。もしヨーロッパのように中道と右派が分裂して争うようになれば日本の政治も変わるのかも知れませんが、今のところその兆しは皆無ですね。