lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

James Blackshaw / "The Glass Bead Game"

2009-05-30 11:28:35 | music9
Tgbg



□ James Blackshaw / "The Glass Bead Game"

Cross

Release Date; 26/05/2009
Label; Young God Records
Cat.No.; YG40
Format: 1xCD

>> credit.

Tgbg2_2

>> http://www.myspace.com/jamesblackshaw
>> http://younggodrecords.com/


>> tracklisting.

1. Cross
2. Bled
3. Fix
4. Key
5. Arc

James Blackshaw - 12 string guitar, piano & harmonium.
Lavinia Blackwall - vocals
Fran Bury - violin and viola
John Contreras - cello
Joolie Wood - violin, flute and clarinet
Nicole Boitos - artworks >> www.nicoleboitos.com



私がもう少し若かった時、将来なんてものがまだ、箱は愚かチョコ銀紙のクズ程にもまとまって視えていなかった頃。密かに憧れていたのは、一本背負ったギターだけで生を謳歌する根無し草だったりして、でも、とかく煩わしい憂き世の一切合切を振り払い、好い事だけに憂き身を窶す日々を送ることが出来たとして、そんな私が誰に何を歌えるようになるというのだろう。

頃日、年を経る毎に人生とは、敢えて口に出来ない、言葉にならない累々たる感情を背負っていくことなのだと思えてきて、それと同時に自分に「歌」がないことに虚しさを覚えるのです。



Jamesblackshaw


James Blackshawはロンドン出身のナチュラル・ボーン・ギタリスト。私と同い年にして、“12弦アコースティック・ギターのヴィルトゥオーソ”との異名を恣にする天才で、所属していたパンクバンドからの独立以降、世界各国のリスナーの関心と高い評価を急速に集め始めています。


John FaheyやRobbie Basho、Leo Kottkeといった60年代タコマ・レーベルのギター音源をフィンガーピッキングの教本にしたというJamesのタッチは、決して技巧に走らず、あくまで情感に寄り添うように移り変わる繊細な音色に、それを聴く者の心を映したかのようなカレイドスコープ。或は漆黒の夜空に瞬く満点の星々、風にさんざめく夥しい野の草花。

彼の弾く一弦一弦の響きは、私の心の中にある琴線の一つ一つから零れる「歌」であり、そこでは生きることの嬉き憂いの全てが渾然一体となり複雑なハーモニーを奏でられているようで、落涙を禁じえません。



また、アルバート・アイラーからシュニトケ、ペルトやメシアンに至るまで、近現代の作曲家に傾倒する彼らしく、今作ではより室内楽風のクラシカルなアレンジに拘った独特の作風を確立しています。

プロ声楽家のLavinia Blackwallを迎えた"Cross"の後半では、交互にうねりを繰り返すストリングスとギターが耽美なヴォカリーズにバッキングして、何処かルネンサス風ともバロック風とも思わせる佇まいを漂わせています。


暗愁に耽りながらも、一歩一歩を強く踏み出すような転調に救われる"Bled"の多彩な音色の重なりにも心揺さぶられるものがあります。



アルバムタイトルは、ヘルマン・ヘッセの巨作『ガラス玉遊戯』に因んだもの。精神世界と芸術とのハーモナイズ、それらに対して現実として押し寄せる社会問題や環境変化との軋轢を描いたテーマは、この作品を聴く私自身に向けられた寓意なのか、それとも物語の主人公と同じく『演戯名人』たる天才が自身に課したテーゼなのか...


天使と悪魔 (Angels & Demons)

2009-05-18 18:05:59 | music9
Angeldemon


>> http://angel-demon.jp/


□ Angels & Demons

♪ <script type="text/javascript" src="http://mediaplayer.yahoo.com/js"></script>God Particle
Black Smoke

Release Date: 15/05/2009 (World)
Director: Ron Howard
Screenplay: David Koepp / Akiva Goldsman
Novel: Dan Brown
Music: Hans Zimmer

Tom Hanks / Ayelet Zurer / Ewan McGregor


A shining star at the end of the Path of Illimination.
?????“啓示の道”の終わりには星が輝く


あらすじ:
ローマ教皇の逝去にともない、新教皇選挙(コンクラーベ)まで空位の期間に鎖されたヴァチカン。全世界10億のカトリック教徒の指導者として有力とされていた4人の枢機卿が拉致され、かつて教会によって歴史の闇に葬られた秘密結社・イルミナティからの犯行声明文が示される。

一方、スイス・ジュネーヴのCERN(欧州原子核研究機構)は陽子加速器の衝突実験により、宇宙創造の源とされ『神の素粒子』とも呼ばれる反物質(Anti-matter)の生成に成功。しかし直後、何者かによって研究所から盗み出されるという事件に遭遇していた。




天使「ネタバレはお止しなさい。」
悪魔「おいおい、それじゃ言いたいことも言えない。」
天使「そんな世の中なのよ。」
悪魔「YOUネタバレしちゃいなよ。原作付きだし大丈夫。」
天使「ダメーッ!映画では脚色されてるし、読んでない人がうっかり...」
悪魔「ユアンが何故あの役で出演してるかってのがミソ。」
天使「そうそう、泣かせるのよね~。でもあのラストは慈悲なのかも。」
悪魔「そこまで言うとは思わなかった。。。」



ネタバレは極力なしの方向で(笑)

かのガリレオ・ガリレイが、ラファエロやベルニーニの彫刻・美術品に秘めたとされる「コード」を追って、ローマとヴァチカンの秘所名所を縦横無尽に駆け巡り事件を解明していくという内容。コンセプトとしては、夜9時台の「湯けむり旅情サスペンス」とかなり通じるものがあります。


宗教史のゴシップをセンセーショナルに煽った「ダ・ヴィンチ・コード」とは全くベクトルの異なる作品で、科学ネタは勿論、テーマの核となる歴史的事実にまで大胆な創作とハッタリを織り交ぜたエンターテイメント作品。

ですが、蘊蓄と伏線の緻密さとは裏腹に、ミステリーそのものの出来としてはかなりかなりザックリ感のある大味な印象を受けました。「天使像が指差してる方向だ!!」って真顔で言われても。。とか言いながら、結構ときめきながら楽しめてしまいました。科学ネタにしろ宗教にしろ美術史にしろ、深く考えないほうがロマンを感じられますね。


最初に推理ミスを冒して、事件に関わる重要な情報を観光ガイドに質問する件は人間臭くて面白いですね。それで「歴史を勉強しろ」と釘刺したスイス衛兵隊長に皮肉を返されるのが最高です。



宗教象徴学者のラングドン教授が作品内で三面六臂の活躍が演じられるのは、逆に宗教を基にしたパラダイムというものが、科学に負けず劣らず極めて体系的で完成度の高いシンタックスを構築していることの裏付けであり、そこにはあらゆる宗教文化が長い歴史とともに育み、現代文明そのものを大きく支える豊穣な精神世界と芸術の圧倒的ダイナミクスに溢れているのです。



カメルレンゴ(前教皇侍従)役のユアン・マクレガーは、本作品の主人公としても申し分のない存在感。原作ファンからは消化不良の声があがっている、彼の強い信仰心の理由も、私としては「戦場で死地に赴いたことがある」という説明で十分に感じられました。

大選皇枢機卿を演じたアーミン・ミューラー=スタールは、どこか影を背負った人物を演じさせたら右に出るものはいないだろうし、トム・ハンクスはどんな役をやってもトム・ハンクスだし、もうキャスティングは他に選択肢が考えられない程はまってますね。


ちなみに、映画と原作シリーズでは時系列が逆になっています。「天使と悪魔」のラングドン教授は「ダ・ヴィンチ・コード」を経過して「キリスト教の真実を心に忍ばせている人物」として教会との確執も描かれており、今作においては、それが却って脚本により深い含蓄を持たせていると言えるでしょう。



さて、劇中では半ば無理矢理こじつけられた感のある時限装置としてのマクガフィン、『反物質』の虚実については敢えて触れませんが、この作品では、それが『反物質』でなければならない寓意上の理由があります。

物理学者とともに読む「天使と悪魔」の虚と実 50のポイント
http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/hayano/angles_and_demons_fact_vs_fiction/FACT.html



物質と作用してエネルギーに変化・消失する反物質は、言うまでもなく、この作品上で相対関係にある概念「宗教と科学」の対比的象徴となっています。私だけではなく、今では多くの人が「宗教と科学」は必ずしも対立するものではないと考えているかもしれませんが、この現代においても、技術や生活基盤において、「科学の適用」がキリスト教圏では未だに切実な問題となっているという事実については、ここでわざわざおさらいする必要も無いでしょう。



「崇拝」とは疑わぬ心であり、「科学」とは疑いから始まるもの。しかし言い換えれば、「崇拝」は信心を問われるものであり、「科学」は知の体系を受け入れることに始まる。互いの内包する相克は、実は各々が解決しなければならない深刻な問題を抱え込んでいて、本作の結末においては、これについてのある種の昇華が図られます。


奇蹟と思いやりを説き、人々の心を結びつけるのが教会の役割なら、その点において科学は、彼らの存在理由を脅かさずにはいられない。しかし宗教であれ科学であれ、これを行使する「人の心」によって、其の力は天使の御業にも、悪魔の所業にもなりうるのです。



クライマックスでのエネルギー爆発は、まるで宗教画を見るような法悦に満ちていて、それが実は科学的啓示を目にしたときの感覚と非常に似通っていることに気付く。その宇宙創造の光の中、天上の雲の合間から飛来した「彼」が、一体何者であったのか。もしかしたら太古の人々は、この光景を予見して宗教的啓示を得たのかもしれないとすら考えてしまいます。

あるいは、世界を記述する反陽子を含めた、あらゆるエネルギーの決定論的動態が、いわば「アンビグラム的に」今回のような宗教と科学の交錯する舞台装置での人間の振る舞いを巻き起こしていたとしたら、そしてだからこそ、この物語が世界中の人々を惹き付けてやまないのだとしたら...そこに何か意味を求めずにはいられません。


また、原作者であるダン・ブラウン自身が、世に聞く数多の陰謀説についての否定的な見解を示しているようにも伺えるのです。私たちの世界はもっと複雑で、ちょうど反物質が物質と対消滅して烏有に帰すように、特殊な偏向性を伴った思想はいずれ社会に霧散して力学を失うのではないかと。そんな陰謀すら弄ぶほどに物事を強く突き動かすのは、他ならぬ人それぞれの「想い」であり、「願い」であると。



そんなわけで、多くの点で拍子抜けであり、同時に多くの点で想像を超えていた史跡サスペンス「天使と悪魔」。概ね満足出来ましたが、欲を言えば、科学と宗教芸術を絡めた、もっと緻密に構成されたミステリーが観たかった!というのが本音。。今度はケプラーとパレストリーナで「天球の音階」なんてどうでしょうか。

9月に刊行予定のラングドン・シリーズ最新作"The Lost Symbol"の映画化も既に決定しているようです。




Aandd

□ Hans Zimmer / "Angels & Demons" Original Score Soundtrack


"The Da Vinci Code"のスコアは、間違いなくハンス・ジマーの最高傑作の一つでした。「天使と悪魔」では、最近のJames Newton Howardとの仕事で聴かれたBass偏重の実験音響や、"160 BPM"に代表される新機軸で、ミニマル調の混声合唱による劇的なアクション・スコアを展開しているものの、基本は前作のモチーフのアレンジや焼き直しが大半を占めていていて、音楽的啓示には物足りない印象。


とはいっても、ユダヤ系のヴァイオリニストJoshua Bellの静謐なソロは、まさしく天上のものと聴き紛う至高の響きに満ちているし、迫力の合唱スコアは大地を揺るがすほどに響き渡り、以前までしつこいほど聴かれたワーグナー・コンプレックスもさほど目立っていません。ただ、「パルジファル」を模したようなメイン・モチーフは、テーマ的にも前作までに留めておくべきだったと思うのですが。。


Slumdog Millionaire

2009-05-15 16:44:48 | 映画
Slumdogmillionaire


>> http://slumdog.gyao.jp/


□ Slumdog Millionaire

Jai Ho


Release Date; 18/04/2009
Director: Danny Boyle & Loveleen Tandan (co-director: India)
Screenplay: Simon Beaufoy
Base Novel: "Q&A" by Vikas swarup
Score: A.R. Rahman


Dev Patel / Freida Pinto / Madhur Mittal / Tanay Chheda / Ayush Mahesh Khedekar / Azharuddin Ismail / Rubina Ali / Anil Kapoor / Irrfan Khan



この映画がアカデミー8冠に輝いた理由はどれか?

A. インチキだった
B. ついていた
C. 天才だった
D. 運命だった


"It is written."
・・・私たちが「物語」に求めるものとは何だろう?

もし、“偉大な神”が世界で起こることのシナリオを記述しているとして、それは誰に何を訴える為に書かれたものなのだろう。


内容そのものはステロ過ぎる程のダニー・ボイル作品でしたね。感傷・情緒過多な映像美、お世辞にも丁寧とは言えないストーリーテリング...これがエナジー溢れる「インド」という地と運命的なくらい相性が良い!!

そしてあくまでイギリス映画であることから、インドという文化に造詣の深い人ならより楽しめるような作りが意識されています。



この映画に対する紋切り型の社会・文化的考察、及びテクニカルな批評は、もう既に多くなされていると思うので省きますが、やはり映画の外、製作に関わることで「現実の」摩擦や社会問題、スキャンダルが付きまとっているようです。


「スラムドッグ$ミリオネア」出演の子役たちの住むスラム街の住居、強制撤去される (FNN)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00155190.html



無学の少年ジャマールがクイズに正解し続けたという「映画内の事実」に対して、現実における「知」の統語論的意味を語るのは、観点としてはおそらく正しく無いでしょう。然し乍ら、「経験が知に先立つ」という最近のコレクティブ・インテリジェンス研究のトレンドを、皮肉を交えながらこれほど象徴的に描いた作品が支持されたことも、単なる偶然とは思えない感慨があるものです。


カーストに関わらず、民衆の誰もが夢見る「ミリオネア」。インドに犇めく多様な人々が各々の生き様を通して、明日また問題になるかもしれない何かの答えを手にしている。いわゆる「衆愚の知」は民衆のものであり、同時に権威主義的なメディアや人々そのものに返ってくる言葉でもあります。「衆愚」を知らないものが本当の「衆愚」である。

「ミリオネア」という舞台は、ジャマールという少年が通過する一局面として彼の人生に招かれたのであり、答えが彼の人生を、彼の人生が答えを真実であると、必然的に証明している。それは何よりも、人にとって「物語」が必要な最も尊い理由と符合して、ジャマールが、そしてこの映画が祝福されたことの意味すら兼ねています。

私たちの観たい物語は、現実に起きることを望むべく物語であり、描かれるべき物語なのだ。



「三銃士」の最後の一人のくだりは感動的でしたね。
出題の答えはわからないのに、ジャマールが最も望んだ答えはそこにいる。ミリオネア最後の問題と、映画冒頭の問いに対するファイナル・アンサーは正に、「彼の人生に書かれていた」ものだったのです。



Sdmsoundtrack

音楽を担当するのはインドの鬼才コンポーザー、A.R. Rahmanですが、ご当地インド音楽とテクノビートを絡めながらも、実際にはあまりにも当世的なスコア作りに拍子抜けする方も多いかもしれません。2007年の"Elizabeth: The Golden Age"では、今作と同様の音楽性の作品を多く手掛けて来たCraig Armstrongと共作しており、彼からの影響も少なからず聴き取れます。


Steve Roach / "Dynamic Stillness"

2009-05-10 09:44:50 | music9
Dynamicstillness



□ Steve Roach / "Dynamic Stillness"

Long Tide

Release Date; 05/05/2009
Label; projekt
Cat.No.; PRO00228
Format: 2xCDs

>> http://steveroach.com

>> tracklisting.

Disc -1.
01. Birth of Still Places   40:28
02. Long Tide        19:41
03. A Darker Light      7:34
04. Opening Sky      5:06


Disc-2.
01. Nature of Things    8:50
02. Further Inside     16:58
03. Slowly Revealed   23:55
04. Canyon Stillness   23:17




世界で最も知られたAmbient Composerの一人であり、80年代から現在までのNew Age、Meditate Music、サウンドスケープというジャンルにおいてある種の定向性を示し続けてきた巨匠、スティーブ・ローチの最新アルバム。


"Sonic Space"と形容される彼の音楽は、その音響圏にアモルファスかつダイナミックなシズルを構築した『どこまでも透明な澱み』であり、不可視な既視感を生々しく喚起するような不条理で幻想的なサウンドでありながら、何処か言いようの無いリアリティを纏って押し寄せてくるようです。


Anti-Melody、Non-Beatのノイズ・ドローンである"Dynamic Stillness"はその実、long periodの回帰的なリズムサイクルによって支配され、この上なく「音楽的」に感じられる。一様に聴き取られるフェーズは、うねる波のようなバックグラウンドに絡めとられ緩やかに変幻しているが、俯瞰すれば秩序的なパターンを描き出す。

特に"Birth of Still Places"をはじめ、今作のメインフレームとも捉えられる電子音の周期的なウェーブは、最後の"Canyon Stillness"において、無窮の深淵を吹き渡る風の轟鳴に成り代わり、同様のリズムで幾度となく暗転を繰り返しています。



Dynamic Stillness...大いなる力によって動かざる静穏

自己と非自己、意識と無意識、動的な非動性。
私たちは自身を取り巻く外宇宙についてと等しく、自己の内面という名状の及ばないダイナミクスを伏拝するばかりであり、其の揺らぎの狭間にある境界こそが自我であると認識している。暗翳に蠢いて這いずるような響きは、まさにそのような存在である自意識と環境とがコンフリクトしている様の「写し」のようでもあります。

無限に続くかと思われるような音の反復は、果てのない茫漠を彷徨し明滅する意識の儚さを露呈すると同時に、「音楽」を為すものが、如何様に時間構築によって空間を意識させるかということを四次元的に体現しているものかもしれません。



同じニューエイジ・アンビエント界隈で双璧を為すRobert Richは、どちらかというと一曲一曲の「楽曲性」を重視しているのに対して、ローチの方法論はよりスピリチュアルで、フラットなスタイルが評価されているようです。


センス・オブ・ワンダーと認知的リアリティ、
そして形而上学との感覚的な重層領域。


私がローチの音楽に傾倒する理由は何よりも、彼の筆致がこの現代において、他のあらゆる音楽書法よりも豊穣な詩的感覚に満ちていると感じられるからに他なりません。いわゆる「タイムレスな音楽」とは評価されても、実際には非常に、この時代性と相まって感受できるインスピレーションが大きいのです。


科学的“啓蒙”の罠

2009-05-08 06:50:04 | Science
「科学的手法」の本質とは、事象の「Why?」を問うことではなく、全て実証的あるいは言辞的に再帰性のある「How?」のPathwayを構築して行くことに他ならない。


当ブログでも過去に繰り返し扱って来たテーマですが、昨今の出版業界、科学ジャーナリズム、ポップ・サイエンスの分野においては、日常生活に適用される科学的関心をセンセーショナルに煽り「読者を釣る」ためのコピーが氾濫している。

その権威主義的なマスカルチュアライズによって一般の科学思考を焼き畑的に劣化・阻害しかねない言説が、当の科学者自身によって「商品化」されるケースも目立っており、その有害さは到底看過できるものではなくなって来ているように感じられます。



男女論を扱いながら脳医学や遺伝子学、疫学的見地からの中途半端な啓蒙を行う著書の数々は、その最たるものとしてあげられるでしょう。あれらは単なる科学「風」のゴシップ・エンターテイメントでしかない。増してやSFですらない。


彼らの最大の矛盾点は、記事の序文にあげた"Why?"と"How?"の論理区分が見苦しいほど交雑していることにあります。敢えて過去に挙げた引用を繰り返しますが、「なぜ男女が存在するのか?」という疑問にたいして、ある学者が「免疫を強化する側面もある」と解答をした場合、最初の質問の「なぜ?」は無効となって「男女が存在することによって」と前提が挿げ替えられて「免疫を強化する為に~」、つまり「How?」に対する解答となっているのです。

「なぜ男女は存在するのか?」の「Why?」は解消されたわけではなく、「なぜ免疫を強化する必要があるのか?」、究極的には「なぜ生存するのか?」と形を変えて保存されたままですが、この一連のやりとりは出題者に疫学的な知見を投げかけるという意味で、有益と評価できるものに違いありません。



問題は、クエスチョンそのものが解答者自身によって同時に提示されている場合に起こりがちです。「男性は女性の為に遺伝子を運ぶ存在として作られた。」これは、著書で20万部を売り上げた何処ぞの生物学者が実際に展開している自説ですが、この是非とは無関係に、これが「男性が女性に尽くす理由」と、日常的社会的な経験事象への説明としていられる時点で目を疑ってしまいます。

突っ込みを入れるのも情けないのですが、多くの動物がメスを基準にオスを形成するからといって、遺伝的に「雌が雄に先立つ」というわけではありません。寧ろメスとオスは系統発生的に等価な関係性にあり、そこには変異と分布の為の効率性が大きく絡んできます。仮にはじめからオスを作る必要が無ければ、メスである必要も無かった。と言えばわかるでしょうか。


「~する為に、○○した」という同様の論理階層の混同は、あらゆる学術分野で日常的に用いられる一種のレトリックではありますが、厳然たる科学的事実とは全く別種のものです。「A→Bという振る舞いを実現する為にプログラムした」事実について「A→Bという振る舞いを起こすプログラムがある」のは真であっても、「A(or B)のプログラムがA→Bを実現する」のではありません。


上の例では、「男性が女性に尽くす」と見なされる観測事象が、「女性の遺伝子を運ぶ」という目的に従属する様を、あたかも普遍的な機序として短絡することで、人類学、遺伝子学の双方の類比推理(アナロジー)から破綻しています。

「男性が女性に尽くす」を事実と仮定すると、それには社会的日常的な解答が無数に考慮され、同様に「女性の遺伝子を運ぶ効率性」には、遺伝子学上の相当の仕組みが考慮されなければならないのに、その別次元の2つを結びつけて"That's Why"とするのは余りに放言に過ぎるということです。




ゲーデルの不完全性定理が如く、
「人間を定義するものを人間の価値観で断じることは出来ない。」のは自明のこととは言え、近代において優生学が引き起こした過ちを例にとるまでもなく、中々そうはいかないのが、古い歴史から民族間人種間闘争における払いきれない火種の一つと言えるでしょう。



1)科学的に観察された日常の事実(経験)
2)直感的・思索的な日常の事実(経験)の観察
3)科学的事実(経験)に基づいた日常の観察


多くの人が日常を送る上で抱きうる科学的関心と思考法は、上に挙げた3要素を循環、フィードバックしていると仮定してみると、非論理的な科学ジャーナリズム(シャーマニズム)は、(2)から(3)に至るプロセスで大きくバランスを欠いて逆行しているように思えます。そして大衆の主観となる(1)に伝播し、無益なり有害なりな影響を及ぼす。


一般大衆の科学的興味を惹き付ける為に、無駄にセンセーショナルなコピーを打つこと自体を批判したいわけではないのですが、それが「論理的思考」の意義そのものに遡行しうるものであれば改めて然るべきです。無論、経験事象の科学的評価とは、それ自体完結しているものではありえません。

人の言辞とは総て、事実の記述的構築が帰趨するトートロジーの環に介入する手段でしかなく、その価値は人間にとっての実効性を以て天秤にかけるしかない。



そろそろ、「非科学的な」科学啓蒙書がベストセラーになる理由を、社会人類学的に検証した著書が現れても良い頃合いだと思うのですが。。


Burn After Reading

2009-05-01 06:13:12 | 映画
Burn_after_reading_2


>> http://burn.gyao.jp/


□ Burn After Reading

"CIA Man" / The Fugs
"Night Running" / Carter Burwell

Release Date; 23/04/2009 (Japan)
Director: Joel Coen / Ethan Coen
Music: Carter Burwell
Cinematography: Emmanuel Lubezki
Starring: George Clooney / Frances McDormand / John Malkovich / Tilda Swinton / Richard Jenkins / Brad Pitt



『バーン・アフター・リーディング』・・・読後焼却すべし

天下のCIAが「ワケワカラン!」と匙を投げた部外秘レポートとして扱われる物語の顛末は、あまりに滑稽で、そこそこ不条理で、わずかばかりの現実味を覗かせている。


最近観た中で最も酷い映画でした。
とにかく言いたいことはそれだけです。


この映画を観たという事実そのものを消し去りたい???、記憶を書き出して文字通り焼却処分しても何ら差し障りないと思えるのですが、観賞後から今に至るまで、このジワジワと効いてくるフックのようなものが、コーエン兄弟のレシピの妙味なんだろうなぁ。。

自分がこの映画について語りたいことは何だろうと一週間考えたあげく、結局何も残りませんでした


Bar2
(愛すべきiPod馬鹿、チャドがひょんなことからCIAの極秘文書?を手に入れてしまう)



ブラピ若いねー!
現実にベンジャミン・バトンしているのかと思っちゃうくらい。そしてヘタレ演技が上手い!あの怯えるシカのような目は、そこらのベテラン二枚目俳優にはそうそう出来ない芸当だと思います。マルコヴィッチの滲み出る狂気やクルーニーのアホ演技もさることながら、やはり役者の力量なしには成立しない作品には違いありません。


ブラック・コメディと銘打ってはいるものの、実際にはシュールで淡々とした群像サスペンス。登場人物同士の絡みの妙な擦れ違いやセリフの噛み合なさに、「あー、あるある」とか「ありえねー」とか心の中で突っ込みを入れつつ、失笑や冷笑を交えて味わう映画ですね。

その手のジョークは好きな方ですが、この映画については正直「まだ終わってくれないのかな。。」と心の中で呟き通しでした。内容に不釣り合いなほど仰々しいOPスコアや残酷描写、ことごとく肩すかしに流れ過ぎていく深刻げな筋書き、絵的にどうかと眉をひそめてしまうエロ椅子と、あれよあれよとギミックは登場するものの。。


Bar3
(出会い系中毒の連邦保安官ハリー。こいつがビビリなばっかりに。。)



極めて卑近で当世的な人柄と言える登場人物たちの行動は、時にあまりにもコメディ的で、時にあまりにも荒唐無稽に映ることがありますが、それを「こいつならやりかねないな」と説得力を齎すのが、一見無価値と思えるほどの細かいセリフの応酬や、大物役者陣の有無を言わせぬ演技力によって仕込まれた伏線の数々。これは見事と言わざるを得ません。「魅せる演技」ではなく、しっかりと「見せ物になる演技」になっている。

そういった意味で、これほどの力業で「役者の物」になっている映画には、昨今なかなかお目にかかれるものではありません。煩悩にしがみつく一人の女性の欲望を契機に、それと気付かず振り回され這いつくばるどん詰まりの人たち。剥き出しであるがゆえに捉えどころのない悲喜劇。



かのシャーロック・ホームズ曰く、「この街に暮らす人々の相関を書き出すだけで、いかなる推理小説も真っ青のシナリオが描けるだろう。」その通り、現実に生きる人々は、自分の身に起きることが、常に自分の見知らぬ誰かの行動の連鎖に組み込まれていることを無自覚に承諾している。


それがひょんなことで日常生活という箍から外れてしまった時、自身を取り巻く一連の出来事を関連づけるパースペクティブが如何に認識困難でナンセンスな模様を描き出すのか。それこそ、この作品の投げかける一さじばかりの真実味なのでは無いでしょうかと最もらしいことを言ってみるものの、やっぱりこの記事を書いた時間も含めて返して欲しいというのが本音のところ。


ブラピの何とも言えない最期の笑顔(?)が目に焼き付いて離れない、連れに言われた「○○(私)って、チャドっぽいとこあるよね☆」ってことだけが断じて納得いかない、そんなどうしようもなさ一杯の最高の映画でした。