lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

Delerium / "Lost and Found" Video Clip.

2008-01-23 04:11:03 | delerium
</object>



やっと見れるようになりました。
Jael、脱いだら凄いんです。
イモムシ注意。

シンプルだけど、すごく綺麗なPVですね。
森の感じとランプのミスマッチの妙。
そしてラストの衣装は、
"Semantic Spaces"のジャケットのアレを思いださせます。

狙い過ぎて訳ワカメだった"Angelicus"より好感がもてますね。
それにしても、改めて良く出来た曲だなぁと思います。


乙女会用BGM.

2008-01-21 07:14:12 | music6
Otome
(c) 2007-8 Otomekai ALL RIGHTS RESERVED.



□ 『乙女会』 Group Exhibition.

>> http://www.geocities.jp/otomekai2008/index.html
>> lens,align.:乙女会 作品展のお知らせ


先日お知らせした、なな子さん、a-ya★さん、yooさん、あっちんさんの4名によるイラスト展、『乙女会』のギャラリー用BGMの選曲の一部を手掛けました。ギャラリーに相応しいように、また、みなさんの作品の魅力を引き立てるセレクトを意識しました。

近日中に乙女会のHPにてBGMのタイムテーブルも公開されるようで、「音楽」も一つの重要なコンセプトを担っているそうです。お立寄りの際には、ぜひギャラリーに流れるミュージックにも耳を?てて見て下さいね。


今回の選曲のテーマは『乙女と妖精』。これらは既にHPにおいて公開されている乙女会の作品のイメージにインスパイアされたものなので、ぜひ照らし合わせながら聴いてみてくださいね。"Vergine(ヴェルジーネ)"は、私も硬派だけどニャンニャンしたかったあの頃の乙女心を思い返して作りました。"fata(ファータ)"は、なな子さんによる幻想的で神秘に満ちた姿絵に捧げたものです。

また、以下に用意した試聴ファイルは、実際に乙女会に提供したものより短く、多少構成が異なります。ブログサーバに一回にUploadできるファイルサイズが制限されてしまった為、それぞれ2パートに分けました。


□ lens,align. Mix.

□ Vergine

Vergine -part.1  (27MB)
Vergine -part.2  (26MB)


01. Ave Maria / Andain
02. Take Me Back To Your House / Basement Jaxx
03. Mother / Moloko
04. Trishika / Telepopmusik
05. pipeDREAMvoices / AGF
06. Revans / sola
07. Vers Toi / Alpha
08 Every Time (A Man Called Adam Balearic Remix) / Lustral
09. Fine Day (James Holden Remix) / Kirsty Hawkshaw
10. My Dogan / Kettel
11. Leaving You Behind / Herrmann & Kleine



□ fata

fata -part.1 (28MB)
fata -part.2 (23MB)


01. Weather Storm / Craig Armstrong
02. Bless This Morning Air / Helios
03. Twijfel Doubt Hesitation / Kettel
04. Sonata No.XIV Adagio Sostenuto / Divine Works
05. Strange World (Tranquilos Chill Out Mix) / Push
06. NAGA (Flare Remix) / 細野晴臣
07. Still Life / Banco de Gaia
08. No On On Earth (Chill Out Mix) / Above & Beyond ft. Zoe
09. Music For Elevators / Chicane
10. Napels Vluchtplan / Kettel
11. Hymn 3 / Craig Armstrong



earth

2008-01-20 09:20:30 | Science
Rearth

?5 billion years ago an asteroid crashed into the earth. The impact tilted the planet at an angle of 23.5 degrees. This cosmic accident created the world we know today. Using the sun as a guide, we set out on an epic global journey.


□ "earth" (邦題:アース)

>> http://www.loveearth.com/


BBC WORLDWIDE
Germany / UK
90/96min

Director:
Alastair Fothergill
Mark Linfield

>> http://www.imdb.com/title/tt0393597/


漆黒の闇に蒼い輝きを放つバイオスフィア
天空高く聳え雲海を見下ろす岩の塔

灼熱の砂に果てしのない波面を紡ぐ乾きの大地
幾億の意識がたゆたう水の揺り篭
下辺の翼で異空を渡る鯨は神話の船の如く

生命の群体は地表を這う細胞の励起を顕現し
その目の眩むような光と闇の明滅によって
生と死の輪舞を奏でる


地球に息吹く2つの魂。『気候』と『生命』が織りなす共生と拮抗のバランス。最先端の撮影技術とスタッフの気の遠くなるような努力が実現した、地球を俯瞰する『自在な視点』。映像素子がスクリーンに投影する脅威のダイナミズムに何を感受し、如何なる兆しを見せるのか、それらは全て観客に委ねられている。

マーク・リンフィールド監督が語るように、この映画は広告で宣伝されているような環境保護の啓蒙を目的としたお説教映画ではない。カメラが捉えた自然の情景や息吹、匂い立つような効果音、そして「物語としての力」を吹き込む音楽によって、生命の躍動をかつてない臨場感で感じるための映像エンターテイメントである。

誤解が多いが、最後の数カットに挿入される温暖化に起因した幾つかの動物の絶滅危惧のメッセージは、あくまで「これらの光景が見られるのは今が最後かもしれない。」という純粋な、しかし残酷な事実である。劇中に人間や人工物は一切登場しないが、その不在の影がジワジワと忍び寄り、暗に彼らを脅かすものとして捉えられるかどうかは、これもまた受け手次第だろう。(動物名など、最低限必要な学術知識は説明されるが、人間が名而した詳細な地名は敢えて伏されている。)


温暖化要因が人為的なものでないとする説もありますが、IPCC Reportで科学的な手続きを経て得られた認識はあくまで「人為的な二酸化炭素量の増加による温暖化は確からしい」という有力なもの。数少ない反例と、より小さな可能性を持って、昨今騒がれている「温暖化は人為に起因しない自然のサイクルの一部である」とする異説は、両者とも推測結果に過ぎないと言う点において、前者の調査結果についても何ら自身の確証性を担保していない。さらに言うなら、温暖化→寒冷化の巨視的サイクルは確かに存在するが、今、議題に挙がっている「温暖化」が地球環境の必然であるなら何も問題の対象にはならない。(→生存の為の手段と選択という別の問題に変わる)現状において人為的な制御の可能性があるか否かに、様々な問題の根幹が絡むのである。異説の支持者は、これらについて根拠を乏しく責任を放棄しているに等しい。



地球環境、主に「気候」と「生態系」の2軸に関係性を固定した切り口、同監督やスタッフが手掛けている環境映像ドキュメンタリー、"Planet Earth"の拡大再編集版とも位置づけられる今作ですが、撮影対象は十数種類の動植物に絞られた限定的な視点を軸としている他、使い回しと言われてもわからないほど見慣れたシークエンスが目立つため、同シリーズのファンとしては物足りない部分があるのも事実。ただコンセプトとしては、ひたすら超高速度カメラや制振技術を応用した映像美に偏重したもので、"DEEP BLUE"の成功によって証明された、一般大衆における地球環境への関心に訴求する潜在的なポテンシャルは決して低くはありません。

映画館のスクリーンで観て改めて、動物の数々の感情を露呈する豊かな「表情」に驚嘆させられます。シロクマが授乳時に見せる慈愛と安らぎに満ちた眼差し、水場でお互いを牽制しあうライオンの狡智とゾウの警戒心。求愛のダンスの為に、せっせと舞台作りに勤しむ極楽鳥。トボケた様子で氷上を滑るペンギン、飢え死に瀕したシロクマの悟ったような悲哀....人間がそれらにシンパシーを抱くということは、人自身が彼らの中に帰属しうる存在であることを裏付けているようです。


動植物が人の理解を超えた知性を行使する時、「まるで人間みたい」とした印象を抱くのは全く逆転した認識に等しく、人に委ねられた高次元に及ぶ『智慧』がというものが、実は生体群の振る舞いを一様に規定する巨視構造の一部を為しているに過ぎないという側面を顕現しているのだと、私は感じます。生命38億年、いや、宇宙が誕生してからの137億年を経た、あまねく物質の振る舞いと膨大な演算と試行の帰結によって、地球と言う惑星上に各個体、群体間のエネルギー交換が関係性を結ぶ「今」の様相なのです。

こうも言い換えられるかもしれません、「生命と言う形象を借りて顕現する確率的な挙動」。系統発生の過程において記憶された進化の記憶。「空を羽ばたく感覚」、「四肢で地を駆け抜ける感覚」あるいはもっと漠然とした「群れに従い、駆り立てられる衝動」が潜在的無意識において共鳴する感覚。生命は、進化の過程で母なる海を「骨」という形で体内に取り込み、遙かな陸の世界を闊歩した。生命は地球環境から結露した一滴一滴の雫であり、生命は環境を、環境は生命を、お互いの全てを、その身に写している。

人間の生活圏、世界観のみで切り取られる「地球」が如何に矮小なフレームに過ぎなかったのかを、この映画は実際に宇宙から大気を見下ろす光景以上に、私たちの眼前に突きつけてくれるでしょう。



この映画が命を吹き込んだのは、何も生命活動だけではない。ベネズエラのギアナ高地、 「アウヤンテプイ(悪魔の山)」の、落差978mの滝「エンジェルフォール」。自身の風圧で途中で霧に変わってしまうということで有名なスポットですが、通常不可能なアングルから捉えられたショットは、死に近い畏怖さえ覚えさせる程。これほど圧巻のスケールで映し出した映像を他に知りません。また人の畏崇の及ばない力によって茫白たる蜷局を巻き、暗黒の顎を宇宙に向ける台風。雲の一つ一つまで立体感を浮き彫りにする再現力はHD撮影ならでは。そして微速度カメラによって切り出された南極の氷山のダイナミクスとオーロラの演舞は、無意識の彼方にある遠い光景の記憶を目にしているようで涙しました。

斯様にタイムスケールを操作して描き出される、普段はその時間の襞に隠されている自然の様相は心打たれるほど躍動感に満ちていて、例えば奈良県吉野山の千本桜が数十秒で開花~紅葉を迎える様は、正に「もののあはれ」。大昔の詩人たちは、こうして現代人には知り得ない時間感覚で侘び寂びを捉えていたのかもしれませんね。



劇中もっとも迫力を見せつけたのは、補食時に巨躯を捻って空中に躍り出るホオジロザメのジャンプ。同様にハイスピードカメラのスローモーションで描き出される肉食動物の補食シーンもショッキングな感情を喚起させます。それが本能的な共感なのか、演出によるものなのか(anggunによる挿入歌が悲壮感を煽っています。)どちらにせよ、死そのものの描写にはオブラートがかけられているとはいえ、「食べられる側」と「食べる側」の間に敷かれている暗黙の了承、その残酷さの意味に、不気味な寒気を感じずにはいられませんでした。これが飢えた側からの視点だけなら、ホッとするだけの場面なのでしょうけど。。



ここに来て、人間の「映像による情報交換」こそが、現時点において他生命のコミュニーケション手段に準ずる振る舞いであるという自明な事実に一巡して辿り着く。ヴィジュアルによる認知の拡張。形象が紡ぐ物語の力。伝えられた光景に感情移入するということ。まるでヒマラヤの峰を超えるあの渡り鳥のように、私たちは何か連絡をやりとりして、何処かへ辿り着こうしているのではないか。

あの象のように、砂嵐で方向を見失いはぐれてしまった者も居るかもしれない。解けた氷の上に取り残された熊のように、飢えて眠りにつく者が何処かに居るのかもしれない。社会化された通念ではそれとして捉えられない事象かもしれないが、物事は相対的だ。文字通り非人道的に失われる命は限りないし、誰もが、あの象や熊になり得る可能性がある。他種生命の様相であろうと、そこに感情を動かすダイナミクスが働くのは、紛れも無く普遍的な私たち自身の姿を映しているからなのだ。

では、その特性から人間自身にとって有益な住環境である自然を浸食し、文化や生命種としての持続可能性を著しく損なっている我々の業は何だろう。それすら運命付けられ、私は人類が滅びに向かうタイムスケールの縁に偶然産まれて来たのだろうか。否、未然の帰結は存在しない。人には己の習性と群体としての振る舞いを判断し、客観視、制御する力があると私にはまだ信じられる。

そして多くの人間は、他の生命について「弱肉強食」の意味をしばしば誤って用いて来ました。誰かの利益の為に不利益を被る存在を笑うなら、将来、彼のために作られた負債を背負うはずの子孫に泥を塗るのも同じ愚かなことです。子孫が弱者になる関係を目指す種など、淘汰に向かっているのも明らかなのだから。動植物の生命サイクルの全ては、この映画がテーマとしているように、親から子へと受け継がれる絆のバトン(子殺しなどのマイノリティな反応も含めて)と言い換えらるでしょう。しかしそこに何か意味を見出せと言われても、本質は皮を剥がれるほど空虚に帰すだけ。ただそこにある様相に駆り立てられる感情があるのです。


世界を見て、ただ美しいと感じること。
それが最小限の要約を以て投機となるのなら、
この映画の存在価値は十分に見出されるでしょう。



(関連)
>> lens,align.:The IPCC 4th Assessment Report.
>> lens,align.:死の中の生命

Rearth2



□ Mars Lasar / "Karma"

Sacrifice


□ hammock / "kenotic"

the Silence




_*


BT's daughter Kaia is MISSING.

2008-01-12 08:54:49 | music6
Kaiaash
(Click Picture to View Full Size.)



□ Brian Transeauの一人娘、Kaiaが行方不明に。

>> http://www.myspace.com/btnetwork
>> http://www.missingkids.com


非常に痛ましい、ショッキングなニュースなのですが、ブレイクス・トランスシーンに一時代を築いて来たBTこと、Brian Transeauの一人娘、Kaia Transeau(3歳)が先月から三週間もの間、行方不明になっているとのこと。Kaiaを連れ去ったとされる親権の無い母親、Ashley Duffyに対しては1/5付けで、幼児誘拐の重罪令状が発行されたそうです。(Ashleyの親族からは、「誘拐」はBT側のエゴだと主張する声もある)

Kaiaに対するBTの溺愛ぶりは、DVD作品"This Binary Universe"の"Good Morning Kaia"とタイトルした曲で、スライドと共に非常に印象的に語られていたので、本人がどれだけ心を痛めているのかは、ファンも良く知るところだと思います。今はただ早急な解決を望むのみです。

念のため追記しますが、当件については、BTとAshleyの子供を巻き込んだ家族間トラブルであって静観しようという向きもあります。しかし、仮にも片親であるBrianに対し、娘を連れたまま一ヶ月近くも連絡を断つ、行方を眩ますというのは、法的・客観的に見ても異常事態には違いありません。親権トラブルについては、まず母親と娘の保護を迎えて、そこから争っていく問題であって、現状の対応としては「急ぎ過ぎる」ということは無いというのが私個人の意見です。


>> lens,align.: "This binary universe" Review.


乙女会 -作品展のお知らせ-

2008-01-06 16:01:04 | アート・文化
Otome
(c) 2007-8 Otomekai ALL RIGHTS RESERVED.



□ 『乙女会』 Group Exhibition.

>> http://www.geocities.jp/otomekai2008/index.html

・ 展示内容:イラスト・ドールドレス
・開催場所:GALLERY 4匹の猫
  (阪急梅田 芥屋町口より徒歩一分 聖パウロ教会前)

・日程:2008年1月31日(木)~2月5日(火)
・時間:11:00-19:00 (2/5は18:00まで)


日頃私もお世話になっている、なつみるくさん(=なな子さん)の主催するグループ展『乙女会』が、上記の通り行われます。その名の示す如く、出展する麗しき乙女たちの女性的な華やかさと、煌びやかで繊細なタッチが活かされた多彩な作品に包まれて、ポップでキュートな一時を過ごしてみませんか?


lens,align.では昨年から、なつみるくさんに主にフレンチ周辺のトリップ・ホップ音源の紹介を委託しており(笑)、そのフェミニンでありながら愁いを伴った選曲センスは、このブログでも昨年の特徴的なカラーになっていたと思うのですが、今回の作品展でも、そんな彼女の世界観がより深く垣間見えるような、夢幻的で潤いに満ちた絵画を目にすることができます。

彼女が好むラファエル前派や象徴主義、そして妖精画家の影響を窺わせるのはもちろんのこと、筆致はより現代的な女性感覚に根差した彩りに溢れ、瑞々しく香り立つようなライン、人物の陰影に込められた、憂い、安らぎといった深淵な表情には、紛うことなきデザイナーとしての彼女のオリジナリティが息衝いています。


共同出展者であるa-ya★さんやyooさん、そしてあっちんさんの可愛らしくもキッチュの効いた作品も見応えアリですね。というか未成年でも入場出来るのかちょっと心配です(笑)このメンバーでは更に「デザインフェスタ 2008」への出展も予定されているそうです。


lens,align.は「乙女会」及び「親父会」を応援しています。乙女たちを一目拝顔したい方は2/2-2/3の土日に足を運ぶと確実だそうです☆


New Releases in Early 2008.

2008-01-04 04:18:47 | music6
2008年にリリースを予定されているタイトルで、
個人的に期待しているものを幾つか。


・ Andain / "Working Title" (※タイトル未定)
・ Aude / ""Effleurescences"

・ Autechre / "Quaristice" (March, 2008)
>> http://quaristice.autechre.org/

・ e.s.Posthumus / "Cartographer"
・ Lesiem / "Working Title(4th Album)"

・ Schiller / "sehnsucht" (February 2008)
>> http://www.schillerserver.de/sehnsucht/
※ JaelとKlause Schulzeが参加。イントロには聖歌風コーラス。

・ Kristy Thirsk / "Working Title"
(produced by Carmen Rizzo/ Mike Hiratzka / Tom Middleton)

・ hooverphonic / "the president of the lsd golf club"
(※ ダウンロード版、及びベルギー、オランダ盤は発売済み)

・ Halou / "Working Title"
・ Pole Folder / "Working Title"
・ Solarstone / "Working Title (New Artist Album)"
・ John Williams / " Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull" Score



□ tba (Maybe Released in 2008)

・ Balligomjngo
・ Conjure One
・ Sleepthief
・ Viia
・ Bridin Brennan (EnyaとMaireの妹)


1バレル100ドル時代は安定するか。-Stability of the Era of high crude-oil prices in $100 a barrel.

2008-01-04 02:48:56 | ニュース
lens,align.を開設して間もない頃に取り上げたことがありますが、
原油価格について、何年も前のJim Rogers(クォンタム・ファンドの設立者)の予言が的中しました。(いつか100ドルになる、という意味ではなく、早い時期に100ドルになった)

今回100ドルを突破するトリガーとなったのは、ナイジェリアやパキスタンの政情不安を外因とした投機筋の動向だと言われていますが、ファンドなんて今も昔もミスリードを犯しまくって、世情を混乱させているわけです。闘牛でいえば決してマタドールではなく、自分の利益の為に猛突する抑えのきかない暴れ牛の方です。リスクヘッジの為に潜在的なリスクを外部に及ぼす。つまり投機家の認識では人と牛の立場が逆になる。 個々の最良の判断が、システム全体に深刻なマイナス影響をもたらすことがあるのです。


とはいえ、値上げの根本的な下地は商品相場のみならず、世界的な資源不足への懸念とインド・中国での需要拡大が作っているのだから、投機要因でない非常にリスクの高い安定カオス的な部分が大きいのですね。

ジム・ロジャーズがいくら天才だとしても、3年前の当時から1バレル当たり45-50ドル以上の値上げ(実質的には、サブプライムローンに端を発した大幅な変位が更に一年以内)をマークする時期の予測に際して、e-folding time(システムの可測性の安定時間:それ以降は予想を行う時点での情報が発散してしまい、初期値が役に立たない)としては、もう少し長いスパンを想定していたと思うのだけど、それが仮に予想値よりも早かったとすると、その分だけシステムの不安定性が拡大していることを意味します。さもなければ、今の動向は最初から誰かの筋書き通りだということになります。 事実、産油国や欧米の石油資本は、ある程度長期的な恩恵を得られることになるでしょう。


バイオエタノールが実は温暖化予防に貢献しない、なんて説も出始めていますね。枯渇した油田から微生物でメタンガスを抽出するという動きも今年からありますが、焼け石に水でしょう。備蓄石油の開放も一時的な安定しか齎しません。あくまでカオス系の視点で捉えれば、新エネルギーへの移行が実現しなければ、たとえこの先原油価格自体が値を下げたとしても(現実には2020年頃には150ドル台に至ると謂われている)、現状の社会システムが破綻を迎える確率が高くなる周期が、非常に狭い軌道に集まっていくことになるかもしれません。


<<関連・参考>>

>> lens,align.: Michael J. Mauboussin /「投資の科学」
>> lens,align.: 原油価格高騰 資源を巡るリスクの交換 (2005年2月)


謹賀新年。

2008-01-01 13:44:57 | music6
Kinga_2


あけましておめでとうございます☆
旧年中は本当にありがとうございました。
おかげさまで、このブログもあと少しで
3年目を迎えようとしています。


この三年の間、実生活においても色々あったけど、
経験を重ねる度に、以前は当たり前だと思っていた
人の善意や、思いやりの価値、
ほんとうは見かけとは違うのかもしれないけど、
だからこそ、それがあるということの凄さを実感します。
逆に他人に恣意を押し付けることが幼さなのかな。

今年は、身近な人をもっと大切にしたいと願う一年なのです。
そう思って、夜明け頃に地元の神社に初詣へ行ったら
鍵が閉まってました;;





□ Tunes of the Day

□ Kevin Kern / "Imagination's Light"

Fields of Gold



□ Bernward Koch / "Flowing"

Yearning




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garbage.txt

2008-01-01 12:45:20 | Science
□ 起こらないことが起こるとは、その逆も起こることである。

非可換エルゴードと巨視的/局所不安定性→リアプノフ時間(情報量次元の限界外)はマルコフ過程を経るだろうか。起こるべくことはあまねく起こる無限次元と、決定論的単一宇宙の実在性の差異は、内部観測からは区別不可能である。→事象の関係性とパースペクティブ(任意の事象が、他の準位系において同一性をもたない。あるいは離散/統合される)を記述・定量化する計算体系が未だ確立されていない。




□ 物理的側面からの公理の普遍性の意味

宇宙で起こる事象を定量化して、予想される結果を得ることが出来るのは、人間の脳内における定量信号交換が、数学や論理体系という形で、世界に対して一定の同期性を持つことが根拠となる。つまり、物理系において「理屈に合わない振る舞い」は「真相」ではないという関係性だ。でも、論理外のことは本当に起こっていないのだろうか。

仮に、宇宙の真相が、何者かによって滅茶苦茶に描かれた落書きだったとしても、一見カオスな点描の中にもランダムな規則性を読み取ることができる。落書きに一定の規則があるのではなく、非連続に離在する点と点の間に規則性が「勝手に」働く関係性(星空に星座を読むのと同じ)があるということだ。パラドックスだが、ここでは読み取る者の存在なしに関係性が先に規定されている。しかし、ある関係性で連結された系は、同時に規定された法則の枠に安定する。また落書き中の各点は、他にも無数の規則性で結ぶことが可能かもしれない。では人間と宇宙の関係性が何かと言うと、まさしく非可算な空間に準拠する、ごく狭い可算な領域。ランダムな点と、それを含む一定の関係性の元に結ばれた点の集合の共鳴であり、1個が全てと等価である。(この思索は、まだまだ理論的な改善と研鑽の余地があります。)




□ 美の行使と帰結の環

「美」は人間のbehavior[振る舞い]を規定するオーダーの一側面であり、その統合概念の呼称と言い換えられる。人は、あらゆる複合的な事象を「擬対象化」して感情移入を行う。忌むべき事象を駆逐することは、憎むべき誰かを殺すことと同値である。「美しい誰か」はその逆であり、規定されている実在性が人の価値観を通じて、抗いようのない絶対の作用を及ぼす。手の届かない美、実現できない理想。エロスの極限は神聖化である。信心は「得たい相」を導くベクトルとなり、自己と他者の振る舞いを自身にとっての均衡へ向かわせる欲求を、そして暴力を産む。斯様に、美は支配と暴力の一環を成す。

美を行使するもの、あるいは与えられた者には、他者に作用する自らのSurface(外表面)の負荷と責が生じる。美を所有するものは彼/彼女の内面でありながら、それは同時に他者の世界に属するものであり、外側から規定された価値を共有する。欲望の帰結が破滅ならば美は呪いに等しいが、確固たる意志に基づいた献身は、美に囚われた魂を解放する。その意志は、毅然として現実世界の無価値性を直視しながら、他者の生命を思いやるという矛盾と背反を背負う覚悟を伴うが、かの意志が世界を何者かの理想に近づけるなら、及ぼす原理は同じく幾許の悲劇の中に幾つかの代え難い物語を得ながら、かくて美はエロスの相克を為す。