lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

lens,align. awards 2008.

2008-12-31 05:02:33 | art music
恒例企画です。
2008年にlens,align.で紹介してきた音源から、
ベスト・トラックを3つ紹介していきます。

過去のawardはこちら↓

lens,aligh. awards 2007.
lens,align. awards 2006.
lens,align. awards 2006 Summer.
lens,align. awards 2005.




□ lens, align. awards 2008.

>> Best 3 Tracks.


Fordlandia


□ Jóhann Jóhannsson / "FORDLANDIA"

How We Left Fordlandia

>> lens,align.: "Fordlandia" Review.


先日紹介したばかりですが、未だ感動冷めやらぬので敢えて推します。アイスランドの前衛芸術家、Johann Johannssonのオーケストラ大作。実在した資本主義の理想郷‘Fordlandia’の破綻と、人類にとっての「テクノロジー」への夢想と幻滅の悲哀を絡めて描く。「私たちはフォードランディアの呪縛を解き放てるのか」アルバムを締めくくるこの願いは、反復旋律のディミヌエンドに乗せて、遥かな宇宙の深遠へと消亡する。



Mtmh


□ Craig Armstrong / "Memory Takes My Hand"

Memory Takes My Hand (excerpt)

>> lens,align.: "Memory Takes My Hand" Review.


お馴染み、Craig Armstrongの委嘱作品集から、ハイライト・トラックにあたる"Risen"、"The World Shall Turn"、そして"Many"を一つの流れで紹介。"Memory Takes My Hand"は、Craigの故郷でもあるグラスゴーの『ケルヴィングローブ美術館』に提供された楽曲。人類の産み出す思想や観念の美への賛歌、そして平和への切なる祈りを、サンスクリット語テキストなどを交えて静謐に奏でる。このコンセプトによる楽曲構造の気宇壮大なミニマル性は、あのPhilip Grassの交響曲第五番と大きく相通ずるものがあります。



Es_cartographercover


□ e.s. Posthumus / "Cartographer"

Isunova PI

>> lens,align.: "Cartographer" Review.


そしてやはり、e.s. Posthumusは外せません。
「音楽による一大スペクタクル」という形容が最も相応しい巨篇。前作"Unearthed"に比べて、ややパワーダウンしてしまった混声合唱が心残りですが、この哀調の旋律に絡めた壮大なスケールの悲壮美は、彼らにしか奏でられないもの。



□ lens, align. special award.


Mots

□ Mike Oldfield / "Music of the Spheres"

Harmonia Mundi

>> lens, align.; "Music of the Spheres" Review.


「一曲として」選出するには弱いですが、アルバム全体の中にあって非常に際立った美しさを放つ楽曲。選外にするには惜しいので、特別賞として紹介することにしました。第二部の中盤に位置する"Harmonia Mundi"ですが、ここでは第一部のモチーフに対し、寄せては返す波のように響きを呼応させています。前呈示部の光(主題)を照り返す妙趣に満ちた一曲。




以上です。
私事ですが、ここ数年プライベートな時間に対する制約が厳しくなっていると実感を重ねています。音楽に関しては特に顕著で、チェックする音源の絶対数が減っているのも確かですが、CD等を購入しても聴けないままだったり、或は紹介したくても機を逸してしまいがちで、ブログでのレビューについても色々と未練や不満が残ってしまった一年でした。

ただポリシーとして、そういう状況でも「決して作品を片手間なんかで見極めない」という姿勢は、これからも心がけたいですね。アーティストが魂を削った作品を引用・紹介するからには、こちらも魂を削って向き合いたい。果たして何処まで走り続けられるかわかりませんが、生温く見届けて頂ければ幸いです。


では、皆さん良いお年を!
2009年もよろしくお願いします♪
Have a happy new year☆

**************************************************************

□ Tune of the Year.

Ring

□ Wagner / "Der Ring des Nibelungen"

Götterdämmerung (excerpt)


Bernard Haitink
Symphonyorchester des Bayerischen Rundfunks

リヒャルト・ワーグナー『ニーベルングの指環』より
『神々の黄昏』終曲部。
ベルナルド・ハイティンク指揮
バイエルン放送交響楽団



_*


Xmas Dim.

2008-12-24 20:39:40 | music8
Xmas_dim_3
(IXY DIGITAL L2; ISO Auto; AWB; Nightsnap; Evaluative: iPhoto.)



□ lens, align. Mix - "Xmas Dim"

Xmas Dim (26MB)


>> tracklisting.

1. The Christmas Bells of Chants (Intro) / Gregorian Chill
2. White Christmas / Love Colony
3. Music Box / Atthis Alcedo
4. Walking in the Air / The Noeltunes
5. Where You Belong / Blank + Jones
6. O Little Town of Bethlehem
7. The Sun's Gone Dim and the Sky's Turned Black / Jóhann Jóhannsson




あぁ~。。点心が食べたい。。。
飲茶したい。。。
肉まんじゃ満たされないの。。


そんなわけで、ささやかながら、
今年もクリスマス“っぽい”BGM作りました。

商業戦略に踊らされたっていいじゃない!
仏教だっていいじゃない!
お一人様だってい...いじゃ....な.....い
お祭りだもの!

楽しみ方は人それぞれ。
凛と澄んだ聖夜の空気は、
毎年何か特別な気持ちにしてくれますよね。


HAPPY MERRY CHRISTMAS!!


Xmas_dim_2_2


昨年に作ったクリスマス用動画も置いておきますね。

【ニコニコ動画】クリスマス用BGM


[Google Video Version]

□ lens, align. Mix - "Xmas Night Music"

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□ "Xmas Night Music - 2"

<embed id="VideoPlayback" src="http://video.google.com/googleplayer.swf?docid=257917878231729028&hl=ja&fs=true" style="width:350px;height:285px" allowFullScreen="true" allowScriptAccess="always" type="application/x-shockwave-flash"> </embed>



Jóhann Jóhannsson / "FORDLANDIA"

2008-12-22 07:37:14 | art music
Fordlandia


□ Jóhann Jóhannsson / "FORDLANDIA"

♪ <script type="text/javascript" src="http://mediaplayer.yahoo.com/js"></script>Fordlandia
Chimaerica

Release Date; 03/11/2008
Label; 4AD
Cat.No.; CAD 2812 CD
Format: 1xCD

Fordlandiacase_1_3 Fordlandiacase_2_2


>> http://www.johannjohannsson.com/
>> http://www.myspace.com/johannjohannsson


>> tracklisting.

01. Fordlândia
02. Melodia (I)
03. The Rocket Builder (Io Pan!)
04. Melodia (II)
05. Fordlândia Aerial View
06. Melodia (III)
07. Chimaerica
08. Melodia (IV)
09. Great God Pan Is Dead
10. Melodia (Guidelines For A Propulsion Device Based On Heim's Quantum Theory)
11. How We Left Fordlandia


written, arranged and produced by Jóhann Jóhannsson

Clarinets (2,4,8) by Guðni Franzson. Percussion and electronics (3,5,10,11) by Matthias M.D. Hemstock. Piano, pipe organ, electric organ, guitar and electronics by Jóhann Jóhannsson. Pipe organ (7) by Guðmundur Sigurðsson. Strings (3,5) by Una Sveinbjarnardóttir, Greta Guðmundsdóttir, Guðmundur Kristmundsson and Hrafnkell Orri Egilsson. Orchestra and choir (1,9,10,11): The City of Prague Philharmonic Orchestra and Chorus, conducted by Miriam Nemcova. Concert Master: Bohumil Kotmel. Orchestra Conductor: James Fitzpatrick. Orchestration by Jóhann Jóhannsson except (10 and 11) by Jóhann Jóhannsson and Arnar Bjarnarson.

Orchestra recorded at Barrandov Studios, Smecky Soundstage, Prague by Jan Holzner. String quartet recorded in Langholtskirkja, Reykjavik by Finnur Há konarsson. pipe organ recorded in Langholtskirkja, Reykjavik by Finnur Há konarsson and Bragernes church in Drammen, Norway by Thomas Wolden. Additional recordings in Copenhagen, Reykjavik and Tokyo. Storm recordings (9) by BJ Nilsen. Mixed in Sýrland, Reykjavik by Finnur Hákonarsson and in NTOV, Copenhagen by Jóhann Jóhannsson. Mastered at Abbey Road by Steve Rooke.

Artwork concept: Jóhann Jóhannsson. Art Direction and Design: Vaughan Oliver at v23. Assistance: Chris Bigg and Stuart Munro. Rocket image manipulation: Marc Adams / panoptika.net. Video for (10): Magnus Helgason. Published by mute song.



AND THAT DISMAL CRY ROSE SLOWLY AND SANK SLOWLY THROUGH THE AIR FULL OF SPIRITS MELANCHOLY AND ETERNITYS DESPAIR! AND THEY HEARD THE WORDS IT SAID PAN IS DEAD - GREAT PAN IS DEAD.
       - Elizabeth Barrett Browning (1806-1861)


"Failure is the opportunity to begin again, more intelligently. "
   - Henry Ford (founder of the Ford Motor Company)


"For a revolutionary space transportation system, however, the physical concepts of matter and inertia as well as the nature of space and time have to be understood"
 -Walter Dröscher, Jochem Häuser "Guidelines For A Propulsion Device Based On Heim's Quantum Theory"



妙なる天上の鳴動が この胸に衝問する。
我々は何故ここに産まれ 何処へ向かうのか。
遥かな時が、苔と木々の抱擁に遺物を覆うとも
あの発条は未だ響き渡るのだ。
在りし日々の光跡を遺して...


アイスランドにおいて、美術・映像メディアといった多方面に渡るアート領域の最前線を牽引する現代音楽家、ヨハン・ヨハンソン(Kitchen Motors創始者)の最新ソロ名義アルバム。

ミリアム・ネムコヴァ指揮、プラハ市フィルハーモニー管弦楽団及び合唱団によるオーケストラ演奏。プログラミング、ギターやパーカッション、エレクトロニク・アレンジといった他パートのオーヴァーダブは、欧州や日本を含む世界各地で別々に行われた。



前アルバム、"IBM 1401, a user's manual"に続く『アメリカ技術史三部作』の2作目に当たるというこの"Fordlandia"は、フォード・モーター社の歴史的暗部とも言われる、アマゾン奥地に築かれた理想郷"フォードランディア"の末路と、現代のロケット工学の発展に深く関わった科学者でありながら、異教の秘術の信奉者でもあったJack Personsを取り上げた、まったく交わりの無い2つの物語を大きな機軸とした実験的な『巨作』である。



とはいえ、ヨハンソンは今作のテーマを明確に定義しているわけではない。『より散漫で、自由な解釈を齎す』と自身が語る"Fordlandia"の世界観の全貌は確かに、深く認識すればするほど、楽曲の神秘性と真摯なメッセージ性をスポイルしかねない、三文オカルト的な要素に躓いてしまう。

"Fordlandia"におけるテーマ性の構築手法は、Alejandro JodorowskyやWerner Herzog、Kenneth Angerらの実験フィルムの方法論を意識したものだと言う。とりわけ、Jack Parsonsと同じオカルト信仰である、O.T.O.系のThelema教に傾倒していたアンガーの呪術的なモンタージュに影響を受けているとのこと。また、同時にフランスのシュルレアリスム詩人、Andre Bretonの名も挙げられている。



テーマの機軸は大きく分けて2つだが、それ以外にも文学・史学・科学の分野から、関連性のあるギミック、あるいはマクガフィンとも喩えられそうな引用が為される。共通のテーマに牧神パン信仰があると思えば、ある点においては関係性が隔絶している。しかしロケット工学に視点をシフトすれば関係性が断続的にリンクする。


楽曲の一つ一つを貫くテーマは存在しないが、それぞれを包括するアウトラインは描けそうだ。それには先ず、一曲一曲について解題を施すのが最良の経路かもしれない。さながら現代音楽版"Intolerance"といった様相だが、以下、ヨハンソンの要約を交えながら、この途方もない作品を紐解いていきたい。



1. Fordlândia                 .

アルバムの主題曲。
ストリングスによる壮大なオスティナートが胸を打つ。遠来するパイプ・オルガンとアトモスフィアからのフェードイン。哀感を帯びたギターループが荒漠とした印象を齎し、重厚な反響音が機械的に周期を広げながら鳴動を続ける。それは終盤5分にも及ぶリタルダントの過程で、機械装置の斜歯を制動するかの如く、より重々しい巨億の響きを咆号し、心の扉を揺さぶり叩く。

ヨハンソンが近年行ってきたライブ・エレクトロニクスの集大成。ギターシークエンスはノルウェーのドラメンにある教会で録音されたもの。


1920年、文明の興隆期にあったアメリカ。
ヘンリー・フォードは自動車のタイヤ・ゴムの採取の為に、ブラジルの熱帯雨林に巨大なプランテーションを築く。『フォードランディア』と名付けられたその土地には、白い柵に囲われた家々が立ち並び、ハンバーガーや禁酒法といった時代性がそのまま反映された"アメリカの理想郷"に成り代わろうとしていた。


Fordlanphoto Fordlanphoto2
(左:泥濘に嵌る自動車 ca.1940 右:現地労働者たち)

1930年代に入って、ますます豊穣の時代を謳歌していくフォードランディアの白人労働者たちは、それぞれにIDバッジを身につけ、怠惰な生活に耽った。そして過酷な待遇を強いられていた現地労働者の反乱を引き起こすが、この暴動はブラジル軍の介入によって沈静化を視る。


Fordlanphoto3_2
(熱帯雨林の中心に位置するフォードランディアのアメリカ住宅)

しかし、合成技術の発展から天然ゴムの需要が低下し続けた1945年、ヘンリーは遂にFordlandiaの売却を決める。この時の損失は2000万ドルに及び「ユートピアの破綻」の象徴となった。現在、フォードランディアはジャングルの奥深くに埋もれ風化の一途を辿っているという。



2. Melodia (I)                 .

古き良きアメリカの時代性を代弁するような、クラリネットの明朗な旋律と、ペーソスに満ちた弦のトレモロが印象的なインタールード。

何年か前、奏者のGuðni Franzsonに、幾つかの主題の変奏曲を依頼したんだが、トラックとして仕上げるには至らなかった。ここ2-3年、同様のメロディをライブで使うようになり、10曲目においてオーケストラ用に編曲する際、Guðniのヴァリエーションを思い出したんだ。アルバムの主題を導くモチーフとして、この旋律を散りばめることにした。



3. The Rocket Builder (Io Pan!)         .

インダストリアル調のプログラミング・ビートに、不安感を煽るストリングスの旋律が反復する。Craig Armstrongの"Rise"を彷彿とさせるホーンティングな一曲。中盤における楽曲の断絶部からは、魔教的なチェレスタの循環メロディに加えて、シンセの濁ったエコーが、暗澹かつシュールなアトモスフィアを醸し出している。

演奏はアイスランド弦楽四重奏団、Matthias Hemstockのパーカッション、他楽器をヨハンソン自身が演奏している。



本作のもう一人の主人公が、独学・異端のロケット工学者であり、今にちの基礎を支える燃料推進装置を開発したJohn Whiteside ParsonsことJack Parsonsだ。


1930年代、カリフォルニア工科大学(California Institute of Technology)において、グッゲンハイム航空研究所長であったTheodore von Kármánに師事するFrank Joseph Malinaらのチームは、当時は無謀とも思えた実用的な宇宙航法としてのジェット推進を目指した実験の結果、ある偶然(発火部位のミス)から、これまでの燃焼効率を刷新するロケット・モーターを製造。

彼らが創設したJPL(ジェット推進研究所 )及びエアロ・ジェット社(現・GenCorp)は、その後もアメリカないし世界におけるジェット推進に関わる礎を築き、航空・宇宙開発(推進機構)・軍事(ミサイル防衛)といった分野において、現代に至る発展を牽引した。


Rocketboys
(1936年の歴史的実験の合間。右端がParsons.)

これらの偉大な業績に反して、チームの一員であったJack Parsonsについてはどちらかというと異端信仰に傾倒したスキャンダラスな側面が取りざたされることが多い。当時から神秘主義・秘術教として悪名高く、各界で着実にカルト信奉者を増やしていた"Thelema"に入信。グールーであるAleister Crowleyから、カリフォルニア支部である""Agape Lodge"のリーダーに選出。後年に渡って多くの著書を遺す。


Thelemaのパガニストが大きく批判される理由の一つに、ドラッグを介したインモラルな性魔術思想が実践されていることがあり、信者が社会生命を脅かされることも多かった。パーソンズも例外ではなかったのだ。彼が崇拝の対象としていた「牧神パン」については詳しく後述するが、これは他の多くの悪魔教のシンボルにされている牛頭の神である。


Jack

Jack Parsonsは信仰に関わる人々との間で、数奇な運命を辿ることになる。後にサイエントロジーの始祖となるL. Ron Hubbardとも、性魔術教にありがちな男女絡みの関係性の中で親交を深めて行く。また彼は、妻とともにボート会社を設立するが、ビジネス上のトラブルからHubbardと対立。一連の出来事で搾取されたマネーが、今にち幅を利かせているオカルト宗教である、サイエントロジーの立ち上げ資金にまわされた。


パーソンズは晩年、クロウリーの「法の書」に基づいて、神を受肉した"ムーン・チャイルド"を宿す為、"緋色の女(聖書における淫婦)"と契約を交わしたというが、1952年、自宅ガレージの実験室にて雷酸第二水銀の化合中に爆発事故を引き起こし死亡する。その死を不可解なものとして神聖視する向きも多い。



ヨハンソンはオカルト信仰者ではないが、先述のフォードの野心にも通じて、圧倒的な情熱と傾倒が導く、神懸かりな求心力というものについて、一定の憧憬を抱いているのかもしれない。しかし、彼の友人はアルバムのテーマを「思い上がった人々の末路」だと一蹴したという。ヨハンソンはそれを「要点を掴んでいる」と評価する。



奇妙な符合だが、その後エアロジェット社は、1940年代にゴム結合剤を用いた固形燃料の共同開発からはじまる、ジェネラル・タイヤ社との協力関係を保ち続けなら、最近は宇宙開発の足がかりとなるホール効果を応用した最先端の電気推進エンジン・システムの開発に成功した。実はここが、後述する未来の宇宙推進システムのテーマに深く関わってくる。

ヨハンソンは『タイヤ』を、現代文明を運行する象徴として捉えているのかもしれない。


余談だが、エアロジェット社創設メンバーであるフランク・マリナは、主に兵器システムにおける実績を残し、ユネスコの関連役職を歴任。後年は現代美術と科学技術の接点について深い興味を示し、主にScience/Art 両分野の化学反応を見据えて"Leonardo Journal"を創刊。死後は「レオナルド/芸術と科学と技術の国際協会 (Leonardo/The International Society for the Arts, Sciences and Technology, ISAST)」が創立され、現在まで活動を続けている。



4. Melodia (II)                .

再びクラリネットが寂し気に歌う、ごくごく短い間奏曲。寥々とした環境音のノイズが、いっそう孤独と無常感を募らせて行く。



5. Fordlandia Aerial View           .

レイキャビクの教会で一発録りされたというライブ・レコーディング作品。愁然に臥した"Fordlandia"の主題が錆色を帯び、電子加工された罅割れたトレモロが、俯瞰する理想郷が放つ最期の煌めきを物語る。


6. Melodia (III)                .

Melodia (II)のフレーズがピアノに取って代わられ、何かの去来を眈々と待つように、壊廃したドローンの暈が視界を覆い始める。ピアノは濁った残響に離散しながら、暗い深淵へと没していく。オーストリアの教会で目にしたSunn O)))のパフォーマンスに着想を得たという。


7. Chimaerica                .

レイキャビクのラングホルト教会にて、著名なオルガニストGuðmundur Sigurðssonによって演奏されたパイプ・オルガン作品。バロック期の手法に倣った純器楽風の面持ちだが、徐々に電子的な歪みが楽曲を浸食し始める。

Chimeraとは、複数の動物が融合した神話上の獣だが、遺伝子工学においては発生系統の異なる細胞からなる一個の有機体を指す。Chimaericaとはつまり、キメラの支配する土地を意味する。


ここに至って、ヨハンソンの標榜するテーマの統括を見ることが出来る。アメリカという国家が歴史を築きながら孕み続けている気の遠くなるような交雑性。現代文明を支えるテクノロジーや資本主義の形骸に繰り込まれて来た、茫漠とした危うさ。しかし、この作品が最後に示すのはカタストロフィではない。



8. Melodia (IV)                .

静かに鳴る機械音に包まれて、Guðni Franzsonによるクラリネットが、今度は目覚めの刻を迎えようとしているかの如く、再び哀感豊かに奏でられる。パイプ・オルガンのペダルによる持続音はノルウェーで収録され、弦楽器のトリルとハーモニクスはプラハで録音された。


9. The Great God Pan is Dead         .

ストリングスとホーンが、前曲から引き継いだトリルに導かれ、まるで何かの訪れを告げるように柔和な響きを呼び交わす。ポツポツと降る零雨と川のせせらぎの中、プラハ・フィルハーモニー合唱団によるキリスト教聖歌風の厳かなユニゾンが、全能の神パンの死と、オリュンポスの神々の嘆きと別れを象徴する。

環境音のフィールド・レコーディング素材は、スウェーデンにおいて支持を集めている実験音響作曲家、BJ Nilsenによって提供されたもの。


Ebb
(Elizabeth Barrett Browning [1806-1861])

冒頭に引用したイングランドの詩人、エリザベス・ブラウニングの『死せるパン』は、神秘主義者にとっては、クロウリィーが自著で引用する『パン賛歌』と並び評されるパガニズムの詩と思われがちだが、それは単に彼女の幽玄な詩的センスの発露の賜物である。


『偉大なるパーンは死せり』

この文句は帝政期ローマのギリシャ人歴史家プルタルコス以来、「古代の没落」を示す表現として2000年以上に渡って親しまれて来た。ニーチェの句「神は死んだ。」も、このセリフに由来している。同様のテーマは、古代から近現代の創作・美術・音楽分野において枚挙の暇がないほど引用されており、しばしば「パン」は自由と救済を齎す創造主、あるいは畏れ多き背徳の象徴として表現されている。


Aphroditecupidpan
(1904年ミロス島で出土したアフロディテとパン、キューピッド像)

山羊の形相をしたパン(Παν)は元々、どちらかというとサテュロスなど共に下位に属する神であったが、その単語が『全て』を意味する他の『パン』と混同され口承されていくうちに、いつしか「全ての神」と意味を換え、ストア学派によって正式に「全宇宙の神」として、ゼウスに次ぐ存在と位置付けられてしまう。


しかし、キリスト教の確立にともない、ギリシャの多神教的世界観に折り合いをつけて収束させようとするという思惑が働いた。その節目の出来事として伝承されるのが、ティベリウスの時代に船乗りが耳にしたという「Palodesに着き次第、偉大なるパーンは死んだと伝えるのだ」という神託である。この時、無数の精霊を宿したギリシアの自然は悲嘆に暮れ、他の神々は闇の世界へと去っていったという。


Pan
(Franz von Stuck / "Pan" 1908)

以降、中世期に権威が肥大化したキリスト教圏においては、獣の容姿をしたパンは男性の性的なシンボルとも直結され、不浄で粗野な悪魔=サタンの原型として扱われるようになるが、ルネサンスを経て19-20世紀初頭にかけて、人間としての悦びを謳歌する象徴としての「牧神パン」が創作の題材として好まれるようになり、現在に至る。その捉え方は、無数ある「パン」の体系により様々である。


Jack ParsonsとElizabeth Browningが見た『パン』は、きっとそれぞれに異なる存在であったに違いない。ヨハンソンにとってはどうであろうか。

19世紀のブラウニングの詩を歌詞にした。森の神・パンへの哀歌だ。ここではペイガニズムの死を示した。やがて一神教が支配し、資本主義が台頭する。フォードに代表される大量生産時代の幕開けだ。



10. Melodia (Guidelines for a Space Propulsion Device based on Heim's Quantum Theory).

</object>
(Short Edit/Video by Magnús Helgason)



"Fordlandia"の総体を運行するダイナミクスであり、断片的な音楽的機軸として働いてきた"Melodia"の主題が、ここで完成される。パイプ・オルガンとストリングスのフーガ形式で構築される楽曲だが、ドープなプログラミング・ビートと環境音のノイズ・サンプリング、そしてギターのディストーションが一層共鳴を重ね、楽曲をループ状のクレッシェンドに引き上げていく。



凡そ3年前、New Scientist誌に掲載された恒星間飛行に関する論文が、物理コミュニティを騒然とさせたことがあった。ドイツの物理学者Jochem Häuserと同僚のオーストリア人Walter Dröscherによって提出された"Guidelines for a Space Propulsion Device based on Heim's Quantum Theory(ハイムの量子理論に基づく宇宙推進装置のガイドライン)"である。

>> http://www.hpcc-space.de/publications/documents/aiaa2004-3700-a4.pdf (本文)
>> http://www.heim-theory.com/ (基本公式・理論)


通覧したところ、概して平行宇宙を介したハイパースペース航法の可能性を示した文献で、その基礎科学はドイツの理論物理学者、Burkhard Heim (1925-2001)の斬新な仮説に拠るものである。


Heims_propulsion

Burkhard Heimによれば、この理論上のエンジンは"Gravitophoton"なる粒子の2重作用により莫大な電磁場を形成、"光速がより速く進む異次元"を重力場の作用で推進力を得ながら航行するという。一見、基礎科学を度外視した途方も無い仮説のように思えたが、両名の発表者の明かした所に拠ると、米空軍が実験に前向きな興味を示しているとして、事態は仄かに信憑性を帯び始めた。

然し乍ら、論文の骨組みを裏付けるには、あまりにも未証明や仮説事項が多く、現代の物理解釈のパラダイム・シフトを要する。道のりは遠い。Heim Theory(主に“統一場の幾何学的量子論”)も、どちらかというとUFO研究といったオカルト分野で引き合いに出されることの多い概念である。


Jóhannssonが実際に論文に目を通したかどうかは定かではないが、その異端とも言える学説と哲学的知見に根ざした画期的なアイデアは、ある種のカルト的な支持を得ている。Heimもまた、強い意志で知的地平線を切り開こうとした不屈の人である。


Heim
(Burkhard Heim [1921-2001])

Burkhard Heimは大戦中からドイツ軍の爆薬研究に従事していたが、19歳の時の事故により、両手と視力の殆どを失ってしまう。しかし後年、ゲッティンゲンの大学で物理を専攻、同時に医学と心理学、電気工学のみならず、歴史と神学を学ぶ。そして1952年、国際宇宙連盟の会議において、宇宙推進システムについての初の講演を行う。IAFの認めるところとなった彼の才能は、その後も重力制御推進の研究などにおいて一定の貢献を果たす。


ハイムは一般相対性理論と量子論を等価にしようと試みる統一場理論研究に腐心し、1956年に提出された27ページのレポートでは、上述のハイム理論に基づく効率的な推進システムの概念が既に示されていた。それはわずか285kgの燃料で、火星までの航行時間を336時間以内に留めるという画期的なものであった。


Formula
Formula2
(Difference and summation operators: ハイムは異なる演算子を多用する)

以降40年間に渡って、彼は孤立しながら自説の理論証明の時を待つが、時代はハイム理論を受容しなかった。しかし今、その先駆的で目新しい発想は、理論物理が陥っている閉塞感へのブレイクスルーとして脚光を浴び始めている。



11. How We Left Fordlandia          .

そう、ここに再帰しよう。このアルバム全体を縫い通す一本の糸は、人類の生産物は何れ自然に帰してしまうという観念だ。ジャングルの木々が、あのフォードランディアを悠々と覆い隠して行くように。もう一つは、パーソンズとヘイムの遺業、神秘主義とロケット工学との邂逅であり、それは全宇宙を統べる"原初の神"パン ・・・異教の顕現とされた森の神のイメージとなる。私にとって、この作品は大きく二分されたストーリーラインからなるフィルムのようなものだ。それらは一見して何ら関わりを持たない。その詩的センスという因子以外には。


人類史の進歩の原動力を支えて来たのは、人それぞれが抱きうる絶ゆまない夢想と情熱に違いない。そうして今、テクノロジーという歯車に呪いを噛んで軋んでいる。



最終楽章の"How we left fordlandia"では、アルバム中で最も心を揺さぶるエモーショナルな試みが為されている。草露となった理想郷、虚構に囚われた男の代え難い偉績、豊穣を極め疲憊する資本主義、かつて自由を謳歌した神々...人類の可能性を委ねられた大いなる空想。この"幻滅の悲哀"に一期の煌めきを託して、時の彼方に消えた麗しき夢境を讃える気宇壮大なリチェルカーレ(探求)を奏でる。


咽び泣くようなコーラスの導入からパイプ・オルガン、そして儚いトリルからストリングスが追奏を重ねる。中盤のアラルガンドをピークに、いつ果てるとも知れないオスティナートの静謐な軌道に捕らわれる。夢の跡を残して何処までも遠ざかるように、響きは何時しか暗い闇の遥遠へと霞んでいく。この地上を去るのは我々か、それとも...





Cad2609

□ Jóhann Jóhannsson / "IBM 1401, A User's Manual"

>> http://www.ausersmanual.com/ (full story)

Release Date; 10/2006
Label; 4AD
Cat.No.; CAD 2609
Format: 1xCD


>> tracklisting.

01. Part 1 - IBM 1401 Processing Unit
02. Part 2 - IBM 1403 Printer
03. Part 3 - IBM 1402 Card Read-Punch
04. Part 4 - IBM 729 II Magnetic Tape Unit
05. Part 5 - The Sun's Gone Dim and the Sky's Turned Black


</object>

("IBM 1401 Processing Unit" Video by Magnús Helgason)


Jóhann Jóhannssonが『技術史』をテーマに扱うという三部作の第一作目"IBM 1401 - A User's Manual"は、最も実験的かつコンセプチュアルな作品で、1960年代の世界中の技術/ビジネス成長を支えたこのコンピュータへのレクイエムとして捧げられたもの。

ヨハンソンの父親であるJóhann Gunnarssonが30年以上前に録音していたメインフレームの稼働音にインスパイアされたものであり、当初はクァルテットと舞踊の為の作品として書かれていた。アルバム化にあたり、ヨハンソンは60名のオーケストラを起用し、実際にIBM 1401の駆動音が用いられ、エレクロニカ・アレンジを施した。こうして"Fordlandia"に通じるコンセプトを確立する。


何より素晴しいのがシュールでありながら美麗なジャケット・アート。デジパックの内側にはIBMの仕様書を模した小さなスリーブが貼付けられています。


Enigma / "SEVEN LIVES MANY FACES" DVD-Album.

2008-12-17 20:48:30 | Enigma
Dvdslmf


□ Enigma / "Seven Lives Many Faces" DVD Album.

>> http://www.enigmaspace.com/
>> http://www.enigma.de/

Release Date; 28/11/2008
Label; Virgin
Cat.No.; WD2661039
Format: DVD-Video.


Dslmfcase1 Dslmfcase2


>> contents.

01. Encounters
02. Seven Lives
03. Touchness
04. The Same Parents
05. Fata Morgana
06. Hell's Heaven
07. La Puerta Del Cielo
08. Distorted Love
09. Je T'aime Till My Dying Day
10. Déjà Vu
11. Between Generations
12. The Language Of Sound

incl.
Audio Comments by Michael Cretu (Germany/English)
Photo Gallery


[Specification]

Colour Code: 1.78:1 (4:3 Letterbox)
NTSC
Region Code: Free


Audio Format:
Stereo,
Dolby Digital 5.1
DTS 5.1 96/24


Running Time:
Approx. 47:37



Director: Thomas Job

Audiovisual recording by Baloo Music
Production: IMAGION AG / Zeitreise/ Saintcirgl Co-Production
Postproduction: Schönheitsfarm Hamburg.



Music and lyrics by Michael Cretu, Margarita Roig (Track7, 11), Andru Donalds (Track 8, 9). All songs published by 1-2-3 Music / Crocodile Music. Produced by Michael Cretu. Non-digital voices by Andru Donalds (Track 2, 4, 8, 9). Nikita C., Sebastian C., Margarita Roig. Digital and orchestral world programmed and performed by Michael Cretu. Recorded and mastered with the ALCHEMIST and ADAM 6.5 AMC Monitoring System A.R.T. Studios Ibiza/ Spain. Director: Thomas Job. Artwork by Dirk Rudolph. Photos by fotolia.de, Rosemary Robenn. Management by Crocodile Music.


>> See also:
lens,align.;Enigma / "Seven Lives Many Faces" Review.
(※ 当レビューは上記エントリーを再構成したものです。)



Enigmaの7thアルバム、
"Seven Lives Many Faces"のVisualization Album。


Visual.

映像監督は"Push the Limits"、"Gravity of Love"で鋭敏なセンスを見せつけたThomas Job。内容は、過去におけるEnigmaの「殆ど全ての」Video Clipを、プログラミング加工してRe:Constructionしたもの。

中には未使用フィルムも追加されているが、楽曲それぞれの音やテーマに即した映像が付されているとは、一概に言い難い。音声信号に合わせてビジュアライゼーションされるコンテンツはまだしも、過去の映像を、寓意や美学が凡そ感じられない手段で無理に引用しているシークエンスは、興ざめと言う他無い。


"The Same Parents"と"Je T'aime Till My Dying Day"には例外として新たなマテリアルが提供されているが、2曲とも抽象性の高いGraphic Artの様相を呈している。


[menu]

Dslmf_menu Dslmf_song

メニュー画面では、"SLMF"のアート・モチーフである機械装置が層状に回転運動。背景には本作の映像のハイライトがレイヤーされている。Photo Galleryでは、Michael Cretuの立ち姿が若干数閲覧できる。



Audio.

本作の実用価値は5.1ch Surround Mixにあるはずだが、通常の2ch Stereo Surroundと比べて顕著な効果が聴き取れない。確かに5.1chの音声信号を出力しているようだが、センターとリアスピーカーの定位が弱い。Cretu自らがミキシングした"A Posteriori"のDVDと比較すると、そのレベルの差は歴然。これが意図的なミキシングなのかどうかは現在のところ不明で、海外では音響面への不満やライティング・ミスだと指摘する声が高い。


ただ、5.1ch モードでは明らかに出力形式が異なり、あえて通常サラウンドを強化したものだと受け取ることも出来る。"MCMXC a.D." DVDの5.1chサラウンドも、ほぼ同様の仕様であった。元々Cretuは"Seven Lives Many Faces"の5.1ch化には消極的であり、今回はStereo信号をPrologicでDolby Digital/DTS音声にコンバートしているという見方が強い。


コメンタリは、各曲それぞれにCretu自身が語る数行の要約が挿入されるもの。これまでCretuがメディアに出して来たEPKを始めとするofficial commentのソースにあたるようだ。

前作からArtworkを手がけてるDirk Rudolph。プリントの撮影はCretu宅の近所にあるFrank Grimm氏のスタジオで行われたという。




Enigmaが「七転生」を経て辿った記憶の光景を虚ろに映し出す"Seven Lives Many Faces"の幻燈。以降、一曲一曲について、その顔たちを明かして行こう。



Ds11 Ds12 Ds13

1. Encounters                 .

七つの星、七の日月、七つの封印、七つの扉
七天使、七様の空、七つの罪、七つの命
七つの塔、七の目、七不思議、七つの命
痕跡、 無数の顔 忘却の彼方へ



"Turn Around"のVideoにおいて、私たちをめくるめく記憶の迷宮に招いたmonolithが、暗紅色に澱んだ深淵より再臨する。人間を最も高揚させるという宇宙と生命の律動の接合点、『心拍』のダイナミズムに委ねて、EnigmaのトレードマークであるHornのモチーフへ。脈打つ鼓動と血潮の満ち引きを象徴するように、映像は深い赤を基調とする。

かつて"Beyond the Invisible"で迷い込んだ蠱惑的に蠢く森の中、天界のように煌めく重厚なアトモスフィアに重ねて、透明感のあるウィスパリング・ヴォイスと、従来のイントロに比して極めて異質と言える環境音のノイズが"Maze of Time"の扉を開く。


Non-Creditの女性Narration Voiceは、Crocodile MusicのProject Managerを務め、バンド経験もあるSusanne Flug。また、今アルバムではクレジットされた"Non-Digital Voices"のヴォーカリスト以外に多くの声がサンプリングされており、その多くはNanuk(inuit/イヌイット語で『北極熊』の意)或は、ALCHEMISTによるジェネレート・ヴォイスによるものと思われる。

Commentaryでは、Cretuが『7』という数字の持つ様々な伝承的意味合いについて語っている。



Ds21 Ds22 Ds23

2. Seven Lives                 .

Traces, many faces
Lost in the maze of time
Blinded by the darkness
That's the start of the seven lives



水を湛えた仄暗い空間に佇む美女。彼女は戦装束を纏いながら、過去に鎖された時に委ねて、猥りがわしい昂揚と官能のフラッシュバックに身を躍らせる。楽曲的にも同じ類型に属する"Push the Limits"と"Mea Culpa"の光景がシャッフルされている。


Andru Donaldsによる感情的なVocal Track。Synthによる疑似オーケストラとBronx Hip-Hopをブレンドしたソリッドなアレンジメント。Enigmaのお家芸であったピチカートと打ち込みリズムの同期が復活。導入部のオリエンタルなストリングスとフルートの絡みが、多くに指摘されるように、あのSchillerの方法論と酷似している。

懐かしくも"Find Love"を思い出させる間奏部では、初期Enigmaに顕著な特徴であったアシッド・ハウス的なパッド展開とBizarreなRap、奇怪な啼声が織り混ぜられ、ヴォーカル以外の楽曲の半分近くを、そのダークで悪夢的なシークエンスで分断して硬質なコントラストを演出。


共にシングル・カットされた"La Puerta Del Cielo"同様、こうして序盤から"A Posteriori"に欠けていた多層的なビートの抑揚とダイナミクスが再び前面に出され、リズムとサウンドの機械的な旋推力が重く響いている。アウトロには、1st Albumから"Mea Culpa"で用いられた馬蹄の音がデジャヴする。



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3. Touchness                 .

わたしに触れて そしてキスして
-上から下まで-



クレトゥ『"Touchness"は特に素晴しい仕上がりとなった。この激しい官能の世界は私にとって、あの"Sadeness"に裏打ちされた新境地だからだ。愛し合う人々の迸る感情と溢れ出る想いを描いている。』


色彩に憂いと激情の「赤味」を帯びた"Gravity of Love"のイメージがフラッシュバックし、貪るような業と愛欲の衝迫が、より露骨に表現されている。


寂寞とした雨音とヴァイオリン、ギターソロから、シンプルだがくぐもった響きのドラムが一遍のスクラッチ・フィルムの様相のイントロ。官能の色を帯びたSusanne Flugの呻きと心の声の二面性が露になる。"Je T'aime Till My Dying Day"のシャウトが一瞬覗かれる。

この性的なイメージを喚起する吐息や喘ぎ声は"Sadeness"以来ずっと聴かれて来たものだが、"Seven Lives Many Faces"に至ってはテーマ的と言える程、ほぼ全編に渡って聴くことが出来、後半においてそのルーツが明らかにされることとなる。


不気味でシュールな浮遊感に乗せて、耳を劈くアトモスフィアとストリングスの破壊的なまでに尖鋭なディゾナンスが刺激に満ちた楽曲。オーケストラル・ヒットとダイナミックなChoir Chorusは過去のCretuプロデュース曲においても顕著で、時代に遡行して80's独特のシニカルな軽さを臭わす特徴的な作風となっている。



Ds41 Ds42 Ds43

4. The Same Parents              .

We all had same parents, Many million years ago
Why can't we live in freedom Without hunger, with no war

At the beginning we all had One mother, and one father
That's where we're descending from

I don't, I don't understand Why so much hate
Between races and religions It's mad, insane
I don't nderstand Why it has to be like that.



Videoはここで初めてのオリジナル・シークエンスを迎える。時間制御された闇の中、瞋恚の焰ともいうべき火炎が順々と灯り、シンプルだが強烈なモノローグが重ねて表示される。高速度カメラで捉えられた火球は、人間の肉体美に驚くほど相似している。

音楽における抽象的な歌詞の解釈多様性・普遍性は、聴く者の認識及び概念を結晶化する引力となり、視覚を介した形象のダイナミクスと時間発生的に相同するものがある。


MichaelとSandraの間に生まれた13歳になる双子の兄弟、SebastianとNikitaによるDuet。Sebastianの静かながら直情的なモノローグに重なる悲哀に満ちたマイナーコードのアトモスフィアとクラシカル・ギターリフ("Sadeness"のグロッケンシュピールのモチーフに対応している)の後、重々しいスロービートに乗って、Michael Cretuの面影を受け継いだNikitaのリード・ヴォーカルが、陰なる冷たいエコーを背負って響き渡る。後半のドブロ・ギターが東欧的で寂しげな旅愁の色を添えている。太古から今も続く人間の彷徨を描いているように思える。

今作で私が最も好きな曲。月明かりに黒々と連なる山の尾根の輪郭が目に浮かぶ。



TVで歴史ドキュメンタリーを見たSebastianが、「僕たち人間は太古の昔、同じ両親から生まれたのに、どうして殺し合わなければならないの?」と父に疑問を訴えたのが曲の成り立ちであり、着想からあっという間に完成を迎えたという。

Geneticsの見地からも、人類の出自についての認識は全く正しい。しかし、この曲の解釈については、キリスト教圏で蔓延しているID論(創成者が人間を形作った)支持者から批判の声もある。思想の自由は結構だが、その思想の下に繰り返した愚かな悲劇を反芻し、人類として賢明に生きよと訴えるのが、この曲の趣旨であることを覚知するべきだ。


何処かペダンティックにソフィスティケイトされたEnigmaの観念的な音楽において、これほど淡々とした、しかし確たる炯眼を放つ曲調でありながら、今アルバムにおいては圧倒的な存在感を放っている。



Ds51 Ds52 Ds53

5. Fata Morgana               .

"A Posteriori"と共通の、漂蕩としたトランジション。実はここまでの全ての曲がC-Minorを基調としている。C-minorはMichael Cretuのイニシャル(M.C.)の鏡像であり、彼自身が最も好むコード。これまでのアルバムにも仕掛け的に様々な意匠を以て潜んでいる。

"Take me now"というサンプリング・ヴォイスに促されるように、軽快で小気味良いリフが挿入され、ギターが激情を煽るように叫ぶ。これも80年代の爛熟したRock/Popsの響きを帯びた、中盤に競り上がるシンセ・ストリングス以外に展開に乏しい箸休め的な間奏曲の趣。触れた瞬間に消え去ってしまう『Fata Morgana(蜃気楼)』と、美しい女性や歌姫たちに象徴されるAnimaへの渇望と哀美な憧憬を重ねていると、クレトゥは語る。

また、Enigmaにとって"A Posteriori"以降に確立された特色である、柔らかい膜状の界面を叩くようなカリビアン・ビートの肉感的なリズムが、此処から徐々に顕著となる。



Ds61 Ds62 Ds63

6. Hell's Heaven               .

クレトゥ『地獄と天国について知る者は居ないが、地獄に天国を、天国に地獄を想像することも出来る。このようなパラドックスと循環が我々をコントロールしているのかもしれない。象徴として、天上の美麗なアトモスフィアの中に、荒々しく澱み、割れたサウンドを置いている。』


"Gravity of Love"のPVにおいて、天井に宇宙空間とネビュラが顕現するシーンの時間を静止。音楽に合わせて光を加工するヴィジュアリゼーションを施している。異空間に踊る光の乱舞は時折、意思を持った知的生命体のようにも振る舞う。


引き続き、"A Posteriori"を継承した導入。70年代のディスコ/シンセサイザーミュージックのレトロなSci-Fiサウンドが聴けるが、この部分について、日本盤のライナーノーツの大伴氏の考察が非常に参考になる。

『(前略)かつてのTangerine Dreamのシンセ・ロック、あるいは70年代後期のGiorgio MoroderやHarold Faltermeyerらのディスコ系スクリーン・ミュージックに通じる』


異存はないが、私にはそれ以上に、"A Posteriori"で打ち出した刻一刻連綿と変化するSynth Symphony調の作風は、寧ろ初期のJean Michel Jarre、とりわけ"Oxygene(邦題:幻想惑星)"へのオマージュにより近く聴こえる。

もちろんそれだけではない。"Hell' s Heaven"は、"Seven Lives Many Faces"の流れを俯瞰した場合の折衷点とも言うべき複雑な要素を幾つも兼ね合わせている。金属的な残響を重ねたCutting Edgeなビートと、機械的に定位を移動させるEffectはAutechreを彷彿とさせるし、ポリフォニックなシンセのストロークはSashaの名盤、"Airdrawndagger"にすら似通っている。

そして次曲"La Puerta del Cielo"のシンセベースが中盤において一度提示されている。


Classicalなstringsが静謐で上品な響きを添える終曲部は、"Seven Lives Many Faces"の根底に流れるfluencyでPost-Modernなアートウェーヴを十分過ぎるほど代弁するシークエンスとなっている。ここら辺は何処かRollo Armstrongによる、Instrument主体でEnigmaの楽曲をRemixしたAlbum、"The Dusted Variations"(2005年リリースのBox set "15 years after"に収録)を意識させる。

ちなみに、『バッハやベートヴェンが現代のテクノロジーを手にしたら、私と同じことをしたはず』とはCretuの弁。



Ds71 Ds72

『WALL?E』

2008-12-08 16:24:46 | 映画
Walle


>> http://www.disney.co.jp/movies/wall-e/


□ 『WALL?E』

2815 A.D.
Desperate EVE
Static
Down to Earth (feat. Peter Gabriel)


Release Date; 05/12/2008 (Japan)

PIXAR/Disney
Director: Andrew Stanton
Writers: Andrew Stanton & Pete Docter
Sound Design: Ben Burtt
Scored & Song by: Thomas Newman & Peter Gabriel


</object>



????29世紀、地球。
地上でたった一人、ゴミを片付け続けるロボット。
彼の名はウォーリー。
700年もの孤独は、いつしか彼に夢と憧れを抱かせるようになった。
『いつか誰かと手をつなぎたい????。』



"WALL?E (Waste Allocation Load Lifter Earth-class)"

ピクサー最高傑作の呼び声高いSFファンタジーだが、設定からストーリー展開に至るまで、細部の悉くが判を押したような王道・定型パターンや名カットのオマージュで凝集されており(ある意味、ここまで愚直に金科玉条を守るシナリオは凄い)、元々望むべくも無かったオリジナリティという点においては現在までの最低ラインを割っている。だいたいご都合主義にも程が・・・


Walleye
「う゛ぉーリィー」

(´;ω;`)ブワッ


泣けた。
心が震えた。

もう最後の方を思い出すだけで、今でも涙腺にジワジワと・・・う、うっ。。゜・。(。/□\。)。・゜ウェェェェ。ウォーリー!!700年もひとりぼっちで。。イヴに出会えて良かったよぅ。゜:(つд⊂):゜。健気すぎる~。どうしてそこまで。゜(゜ `Д)ノ。゜ヽ(  )ノ゜。ヽ(Д´ ゜)ノ゜。。゜ヽ(゜`Д´゜)ノ゜。ウワァァァン!!ウォーリィィィィかわいそうだよぉぉぉ(´Δ´)・・・ooウワーン


・・・コホン。
取り乱しました。

なぜ、予定調和な結末に直走るだけの機械的なシナリオが、これほどまでに感動を呼ぶのか。それは他の何者でもない、ウォーリーが自身の「想い」をただひたすらに貫き通し、ただ一途に成し遂げた必然の過程だからなのです。


Walleve


監督が語るように、この映画の持つメッセージ性や寓意は、「それ」としてわざわざ頭で理解する必要は決してなく、ただ映像を通して心を打つエモーションだけを受け止めれば良い。なぜなら、「人の想い」や「言葉」とは、表層に顕われる「行動」に勝ることがないから。それは、この作品のテーゼである「愛」にこそ通じるファクターなのでしょう。

Walle1


『レミーのおいしいレストラン』は本当に素晴しい出来だったけど、思えば私は一年以上前から、その劇場予告編で初お見えした"WALL・E"君に心を奪われていた。何よりもそのデザイン、子供の頃に最も愛着のあったロボット映画、"Short Circuit"シリーズのジョニー5と瓜二つな体躯を機敏に動しアドベンチャーを繰り広げる勇姿に、童心を突き動かされたのです。


「ジョニー5!?ジョニー5じゃないか!!」

Circuit

『WALL?E』を手がけるにあたり、アンドリュー監督と製作スタッフたちは、その教科書として様々なSFロボット映画を参照にしたそうだけど、ウォーリーの性格や、シナリオの筋書きの大きな基軸として"Short Circuit (ショート・サーキット)"を意識したのは明らか。だいたい予想出来る展開だと思いますが、身体が壊されてしまうくだりは"Short Circuit 2"を思い出しますね。。それに普段からボロボロで今にも停止してしまいそうなハラハラ感が、ラストの凍り付くような緊張感に繋がります。


双眼鏡のような頭部はもちろん、アームやキャタピラのような外見上の共通点は恐らく工学系の基本モデルを参照にしているのか、実は割と普遍的なデザインなのかもしれません。あ、でも眉毛が無いな~と思っていたら、「瞳の中」にあった!!(笑)


"Star Wars: Episode II"にもゲスト出演?していたJohny 5ですが、そのいじらしい性格で、歌やダンス、その他人間の俗世的なものをこよなく愛するウォーリー君は、ジョニー5の生まれ変わりに違いないのです!(力説)ただ酷く無口になってしまったけど、声も変わってなくてホロリ・・・。

ちなみに、ウォーリーの充電完了音にMacの起動音が使われていてビックリ(笑)イヴの白くて滑らかな光沢の容貌はiPodをイメージしているそうです。


Wallemo


ウォーリーの他にも、映画の後半部分に実に表情豊かで多彩な個性を持ったロボットが登場しますが、ラスボスである"Autopilot"の行動原理は"2001年宇宙の旅"のHALに代表される60-70年代の風刺的SF映画に多いロボットの類型で、その外見上の動作や特徴は"Flight of the Navigator (邦題:ナビゲイター)"のパイロットも彷彿とさせます。


Walle_eve


前半部分は効果音付きのサイレント映画という趣向のフィルムで、突如飛来した天使のような女性ロボット『イヴ』と心を通わせる過程が情緒豊かに、しかし的確に描写されていきます。

ウォーリーが自分のコレクションをイヴに持たせるシーンでは、意中の彼女が手にして初めて電球(=宝物)が輝くという描写も象徴的です。


"ストーリーを伝えられるかどうかより、ロボットが会話出来ない面白さの方を取ったんだ。(中略)観客は自分で想像しなくちゃいけない。でも自分の想像が正しいと、その対象との間に感情的な絆が生まれるんだ。"  -Andrew Stanton.


Wallee


その背景となる荒涼とした廃棄都市の相貌は、"Star Wars"の方法論を参考にして書き込まれているそうで、ハードSFとしても十分通用しそうなくらい重厚で圧倒的なスケール感を持っています。それをバックに流れるBGMが、かつての豊穣の時代を謳歌する60年代のミュージカル・ソングという点も狙い所として心憎い演出。

700年の間、彼がひとりぼっちで築き上げてきた無数の「ゴミの城」は、既に過去の文明都市を凌駕するほど巨大化していて、そこにウォーリーの孤独と遥かな郷愁の全てが凝縮されています。(風化していくビル街を再現したかった?)


対照となる理想郷、「宇宙船アクシオム号」の概観は溜め息を禁じ得ないほど「未来の様式美」を結集したものですが、その陰となる薄汚れたアンダーワールドも、ファンタジーのお約束に沿ってしっかりと描写されています。


同じ舞台装置が執拗に繰り返し登場するのも、キャラクターの行動を活き活きと印象付ける効果を上げていますね。見終わった後も場面ごとのシークエンスが記憶に残り、感動を呼び覚まし易い仕様。

宣伝されているほど過剰に泣きを誘うわけでもなく、ド派手なSFアドベンチャーを期待していてもいけない、きっと想像されるより割と中庸で小粒な出来ですが、却ってこれほどまでに純度を高く保って完成させたことを評価。


Walles


700年もの間、広大な宇宙の片隅でプログラムに忠実に使命を全うしてきたオートパイロット達は、イヴと出会うまでのウォーリーの生き写しであり、同類だった。太古の人間は想像だにしなかっただろう奇跡。そんな奇跡に心打たれる人々が沢山いるのなら、そんな人間にとっての「パートナー」の現れに憧れる気持ちがあるのなら、私たちの未来はまだ、暗いと決まったわけではないのかもしれない。



□ 吹き替え版について

主人公の2体のロボットには殆ど台詞らしい台詞は無いのですが、注目して欲しいのは、看板やインジケーターの表示等をCGから徹底的に書き直して「日本語化」した映像。荒廃した都市やハイテクの機器類に漢字が踊る様は、それはそれで全く異なった趣があります。

オリジナル音声では、シガーニー・ウィーバーが『宇宙船アクシオム号』のナレーションを吹き替えています。『エイリアン』シリーズで自身が散々苦しめられた「宇宙船の声」を演じるとは何とも皮肉が効いてますね(笑)



□ 音楽について

映画の重要なキーでもある1960年代の古き良きミュージカル映画"Hello Dolly!"の音楽を手がけたのは、言わずと知れたニューマン・ファミリーのLionel。その甥に当たる現代の名匠、Thomas Newmanが、当時のミュージカル映画から特徴的な素材を引用しつつ、新たにSF・ロマンテイスト溢れる叙情的な楽曲に再構築しています。

「ウォーリー」のモチーフらしきチェレスタの旋律がとても切なくて、イヴとの恋の行方に、「ある決着」を迎える最後のシーンでは胸が締め付けられました。


Peter Gabrielとのコラボレーションも特筆に値しますね。両人ともポップ領域における民族音楽の扱い方を心得たプロフェッショナル。EDロールで流れる「映画のその後」を唄った主題歌"Down to Earth"には、歌詞の中盤で世界観がひっくり返るような叙述トリック(過去と未来、双方に向けたメッセージ?)が仕込まれているので、耳を良~く?てて下さいね!


Wallegoods

世界中でのヒットから日本でのブレイクも見込んだらしく、グッズ展開が凄いです(笑)。案の定、上映終了後には販売ケース周辺に人だかりが出来てました。ゴンドラ上の陳列も、ほぼ『WALL?E』オンリーという力の入れよう。天才ベン・バートの作り出した「ウォーリィー♪」の口真似をする人も少なくなく、観賞後のお客さんの一体感は近年稀に見るものでしたね。

恋人同士ならきっと手をつなぎたくなる。そんなささやかな兆しをくれる作品。劇場を後にして「今度はいつ誰と観に行こう?」そう思ったなら、すぐにスケジュール帳をチェックして!


The Gewandhaus-Quartett : All Beethoven Program.

2008-12-05 08:50:06 | art music
Gsqflyer_3



□ ゲヴァントハウス弦楽四重奏団 
  結成200周年記念ツアー オール・ベートーヴェン・プロ

>> http://www.gewandhausquartett.de/
>> ジャパンアーツ(公演スケジュール


(曲目)

ベートーヴェン
Beethoven
弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 Op.18-3
String Quartet No.3 Op.18-3

弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」
String Quartet No.9 Op.59-3 "Rasumousky No.3"

弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 Op.132
String Quartet No.15 Op.132


Frank=Michael Erben (1st Violin)
Conrad Suske (2nd Violin)
Olaf Hallmann (Viola)
Jürnjakob Timm (Cello)


先日の話に遡りますが、
世界最古の由緒ある伝統を受け継ぐカルテット、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団のベートーヴェン・プロを鑑賞して参りました。

身バレを防ぐため会場は伏せさせて頂きますが(笑)、私のところではアンコールに『メヌエット』と『ハープ』が演奏されました。(※2曲目については記憶が曖昧。。セリオーソだったような気も。。。)1809年、ゲヴァントハウス・カルテットの結成された年に作曲されたことを考えると、『ハープ(弦楽四重奏曲第10番変ホ長調Op.74)』の可能性が高いかも。。


1809年に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を母体として、演奏会用に結成されたクァルテット。過去200年において数多の鬼才・名演奏家を輩出し、歴史的な作曲家や、名だたる現代のヴィルトゥオーソとの競演を重ねてきました。

「模範的で、かつ一つの基準と成りえる解釈」、「卓越した音の美しさ」(‘Klassik heite’)と評される彼らの演奏は、まさに壮麗なタペストリーに音を一つ一つ織り込んだ、一糸乱れぬ融和性と響きの円環そのもの。その持ち味が特に発揮される弦楽四重奏15番の第3楽章‘Molto Adagio’には、胸の奥底まで溶かしこんでいくような響きに落涙を禁じ得ませんでした。 



他にも第3番4楽章‘Presto’の快活さに満ちた切り込みの一体感には圧倒されました。ベートーヴェン最高傑作の一つとも言われる『ラズモフスキー 第三番』については聴き所が顕著で、新参であるオラフ・ハルマンによるヴィオラのビヴィッドな透明感が、ティムの饒舌なチェロのピチカートと相俟って、かつてない新鮮味を吹き込んでいます。第四楽章に入っても調和は全く乱れず、哀愁と劇情の行き交う発展構築的なフーガを堂々と組み上げ、迫力のコーダで締めくくります。


やはりここでも、第一ヴァイオリンであるエルベンの仕事は大きいですね。残念ながら私の席は割と後ろの方だったので、とりわけて彼の音色を拾うことは出来ませんでしたが、かえって演奏の基軸となる発音のきっかけとしての、
高音の見事な抑制とバランスの制動力に圧巻されました。

第2ヴァイオリン、コンラート・ズスケとの息の読みも、まるで機械計算を見るような安定感を漂わせて居ました。彼は、ゲヴァントハウス管のコンサート・マスター(以降、シュターツカペレ・ベルリン、ベルリン弦楽四重奏団を歴任)でもあった偉大な父、カール・ズスケの息子ですね。カール自身、カルテットにとっても節目となる今回のツアーで息子の晴れ舞台を見るため(?)来日しているそうです。



そんなコンラートを見守るが如く力添えするのが、現メンバーでは最古参のユルンヤーコブ・ティム。会場で販売されていたドイツ・シャルプッテンのCDでは、ハイドン『十字架上の七つの言葉』に次いで貴重なゲヴァントハウスSQ音源の一つであるセザール・フランクの「弦楽四重奏曲 ニ長調」(1983年録音)で、カール・ズスケとティム、そしてオラフの師であるディートマー・ハルマンが顔を揃えています。


因みに、GSQはオラフ加入前の2005年、ベートヴェン弦楽四重奏曲の全集をリリースしていますが、カール・ズスケもベルリン弦楽四重奏団としてベートーヴェン弦楽四重奏曲全集の録音を完成させたばかり。



余談になりますが、
実は2000年のバッハ・イヤーに、聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団による「由緒正しい」『マタイ受難曲』を同ホールで鑑賞したことがあり、今回の公演はとりわけ感慨深いものになりました。

しかし、昨今の管弦楽団をめぐる状況は世界的に冬を迎えていて、つい先日、ゲヴァントハウス管弦楽団も例に漏れずオペラ公演のストライキに踏み切ったという悲しいニュースも。。こんな情勢だからこそ、精神の拠り所としての「芸術の規範」が問われる時代だと思うのに、皮肉なことです。


□ History of The Gewandhaus-Quartett.

</object>


□ The Gewandhaus Quartett /
  Beethoven: "String Quartet in F Major (Hess.34)"


最後にもう一つ、ゲヴァントハウスSQのベートーヴェンを。
これは2005年の録音で、ViolaはVolker Metz。
この曲は、ピアノソナタ第9番(Op.14 no.1)を
弦楽四重奏用に編曲したものです。

動画では四重奏団の歴史が、史料を交えて
わかりやすく説明されています。


HELIOS / "CAESURA"

2008-12-03 11:46:48 | music8
Caesura



□ Helios / "Caesura"

Hope Valley Hill
Fourteen Drawings

Release Date; 11/11/2008
Label; Type
Cat.No.; TYPE042
Format: 1xCD

>> http://www.myspace.com/thesadepicurean


>> tracklisting.

01. Hope Valley Hill
02. Come With Nothings
03. Glimpse
04. Fourteen Drawings
05. Backlight
06. The Red Truth
07. A Mountain Of Ice
08. Mima
09. Shoulder To Hand
10. Hollie


アメリカ、オレゴン州ポートランド在住の音楽詩人、Keith KenniffによるAmbient/Shoe Gazerユニット、Heliosの3rdアルバム。


"Caesura(カエスーラ)"とは、古代ギリシャ詩の中間休止に起源する音楽用語("Helios"はギ神の太陽神の名)で、多くの場合「音楽時間の停止」を意味するものですが、このアルバムの楽曲において、それぞれの終曲が「えっ?!そこで終わるの?」という唐突な断絶が起こる構成が為されています。

荒涼とした寒々しさの中に、一抹の暖かみを感じさせるイラストが施された中折りのスリーブですが、中身はタイトルの「休止」を象徴するかの如く真っ黒。


ジャケットのディスク・ホルダーに"For Hollie"とある通り、"Caesura"は、Keithの妻でありMint Julep名義でのパートナーであるホリーに捧げた音楽散文詩という側面が強く、楽曲の展開も、人の思慕や恋情を反映したかのように変幻自在に跳ね回る印象。



世界中で支持された1stアルバム"Eingya"の牧歌的なアコースティック・アンビエントに、エッジの効いたリズムワークを加味した今作では、Keith Kenniffが別名儀で展開するGoldmundで聴かれた耽美なピアノも主張する他、環境音とミックスされた多彩で複雑な音色が耳を刺激する。

しかし決して暗く重くなり過ぎず、全体では寧ろ、暗愁の中に夕映えを灯す軽快さと躍動感を感じさせるもの。ノイズの陰影を浮かべるプログラミング・ビートは何処か壊れていて、日常の生活、環境の中で私たちの記憶に刻まれた律動と、この上なく符合した響きが心をえぐります。


それは決して自然のままの音色でもなく、楽器の奏でる生々しいビートとも異なる何か。この作品を聴くのに最も適した時間があるとすれば、それはきっと日没前後の数分間。窓の外の暗碧に覆われた部屋、ソファかベッドに深く腰を沈め、遥か隔てた夕雲に見るような連綿と変化する音楽に身を委ねて...

寂寥に打ちひしがれ、一人遠く離れて彷徨うことがあっても、この響きが届くうちは完全に孤独ではないんだ。そんな力強さをくれる素敵な作品です。