(from my twitter log.)
某雑誌で、トンデモ円高礼讃記事が掲載されていると話題に。円高肯定派は、デフレ背景で購買力平価に接近している事実を「適正レートに近づいている」と論拠にすり替えていないか。
適性レートには違いないんだけど、「適正」の意味の取り違い。企業物価ベース(PPP)と輸出物価ベースが同時に下がり続ける結果、許容できる円高と円安の範囲が狭くなって行く。
円高で潰れる中小を見捨てて内需を喚起出来るなんて楽観論がそもそもおかしい。適性レートについても、適正じゃないバランスを欠いた部分にこそ価値が出るわけ
デフレメリット?収入がカットされたら高い安いじゃなく消費そのものが閾値を持って下降していく。同じように資産としての債権も焦げ付いていくだろう
件の雑誌が取り違えてるのはGDP比に占める輸出依存度なのですが、それこそ自殺行為。物資を海外に頼る日本の場合、外需が内需の循環を構成していることぐらい中学レベルで理解出来るはず。
因みに、基準年によって値が変動する「購買力平価」という概念は、「個人による長期投資」の目安として有効であるものの、実際の相場の推移を算出するものではなく、増してマクロに作用する現実の市場予測において「適性レート」が何者かにとって「適正」であることを示すものではない。そこに誤謬が。
そして過剰な円高を背景に海外企業を買収する動きが活発化しても、買収側企業がどういうスパンで円高の推移を見積もっているかによるが、寧ろ長期にわたって円安に推移せず、株安が招く中国側からの買収のリスクも考えれば、諸手を上げて賛同出来るような事態ではないことは明白。
いまのところ有効と思われる方策は、円高を追い風に乗ってレアルメタル・レアアースの採掘権を確保、あるいは休止鉱山の再開などで利益を押さえるやり方だが、資源マーケットから海外の警戒感を高めて円安傾向に移行するにしても、そのタイミング如何では大きい投機的損失に見舞われる可能性もあるだろう。
某雑誌で、トンデモ円高礼讃記事が掲載されていると話題に。円高肯定派は、デフレ背景で購買力平価に接近している事実を「適正レートに近づいている」と論拠にすり替えていないか。
適性レートには違いないんだけど、「適正」の意味の取り違い。企業物価ベース(PPP)と輸出物価ベースが同時に下がり続ける結果、許容できる円高と円安の範囲が狭くなって行く。
円高で潰れる中小を見捨てて内需を喚起出来るなんて楽観論がそもそもおかしい。適性レートについても、適正じゃないバランスを欠いた部分にこそ価値が出るわけ
デフレメリット?収入がカットされたら高い安いじゃなく消費そのものが閾値を持って下降していく。同じように資産としての債権も焦げ付いていくだろう
件の雑誌が取り違えてるのはGDP比に占める輸出依存度なのですが、それこそ自殺行為。物資を海外に頼る日本の場合、外需が内需の循環を構成していることぐらい中学レベルで理解出来るはず。
因みに、基準年によって値が変動する「購買力平価」という概念は、「個人による長期投資」の目安として有効であるものの、実際の相場の推移を算出するものではなく、増してマクロに作用する現実の市場予測において「適性レート」が何者かにとって「適正」であることを示すものではない。そこに誤謬が。
そして過剰な円高を背景に海外企業を買収する動きが活発化しても、買収側企業がどういうスパンで円高の推移を見積もっているかによるが、寧ろ長期にわたって円安に推移せず、株安が招く中国側からの買収のリスクも考えれば、諸手を上げて賛同出来るような事態ではないことは明白。
いまのところ有効と思われる方策は、円高を追い風に乗ってレアルメタル・レアアースの採掘権を確保、あるいは休止鉱山の再開などで利益を押さえるやり方だが、資源マーケットから海外の警戒感を高めて円安傾向に移行するにしても、そのタイミング如何では大きい投機的損失に見舞われる可能性もあるだろう。