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lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

RIKEN Resercher Finder BETA.

2007-08-03 18:36:02 | Science
Omicbrowse
[OmicBrowse; Homo Sapiens; Chromosome X.]


□ 「理研の研究者を探し出すサイト(試作版)」

>> http://omicspace.riken.jp/db/researcher.html


システム生物学の最前線分野、Omic Space情報空間のバイオ統合データベース構築における第一人者、豊田哲郎氏が立ち上げた理研関係者の研究者サーチエンジン。bio-informaticsのデータマイニング技術を応用した、同様のウェブサービスに比類して現時点で最もパワフルなもので、そのうちバイオ研究以外にも汎用性を発揮する可能性があります。

・オミック・スペースって何?という方は↓

>> http://omicspace.riken.jp/publications/toyoda1.pdf


各分野毎の過去5年間の論文情報から構文解析して構築されたデータベースで、検索された任意の対象に関する言及年度や、関連研究者を一覧して、レビューや共同研究をコレスポンディング・オーサーから辿って依頼することも目的としています。

また、研究者検索に限らず、Omic BrowseやGenome Data Base、バイオリソースから脳科学のレジストリ検索など、ウェブ・アノテーションの見本のような非常に高レベルなアクセシビリティを実現しています。ゲノム情報を2-3stepで参照でき、かつクロモソームごとに細分化されたデータベースをマイニングする為のパースペクティブのスウィッチが即応的に行えます。

研究情報の統合ということだけでなく、研究者情報というメタ・データを付与した包合的なソリューションは画期的と言わざるを得ないですね。Omic Spaceの理念にあるように、コンピュータやネット、人工知能が齎した「情報処理」の為のイノベーションに代わり、『ソリューションの為の情報空間の構築』という、「実効性を伴った」新しいメソッドが、現在地球上において最も複雑で膨大な情報を扱うBio-Informatics分野において開拓されていることは、ある意味必然的であると同時に誇らしい限りです。


[bioinformatics-jp]「ライフサイエンス分野の統合データベース」の連載

2007-07-25 12:15:32 | Science
>> http://www.kyoritsu-pub.co.jp/pne/libs/2007/usual08.html

[bioinformatics-jp] MLからの転載です。
産学官連携の生命科学データベース化戦略。


最新の蛋白質核酸酵素(2007年8月号)
http://www.kyoritsu-pub.co.jp/pne/libs/2007/usual08.html
から「ライフサイエンス分野の統合データベース」の連載が始まりました。
一回目は「生命科学系データベース統合化の背景」ということで、内閣府連携施策群「ライフサイエンス分野のデータベースの統合化に関する調査研究」
http://61.193.204.197/html/20527A01001.htm
の代表研究者、大久保公策先生が書かれています。現状の問題点がよくまとめられていると思います。

「シリーズの開始にあたって」に書かれているように、「最近、国家レベルでのデータベース整備戦略の立案と実施を行なう中核的組織の必要性が認識され、2006年度から"ライフサイエンス分野の統合データベース整備事業"が文部科学省によって開始された。2007年度からは大学共同利用機関法人
情報・システム研究機構内にライフサイエンス統合データベースセンター(Database Center for Life Science:
DBCLS, センター長 高木利久)が設立され、国内のさまざまな生命科学データベースに対して、単なるunificationではなくintegrationという意味での統合化を図ろうとしている。また、経済産業省、厚生労働省、農林水産省も、省庁連携施策としてこれを進めようとしている。」とこのような情勢になっており、日本の統合データベース構築・維持に向けていろいろと進んでおります。



教育と産業構造虚飾化の相関。

2007-07-20 01:47:26 | Science
>> 博士とプライド-ポスドクの死者、行方不明者の本当の原因

「博士」も定職が見つけられず…ポストドクター1万5000人超(産経)
【やばいぞ日本】序章 没落が始まった「ダイナミズム失う」(産経



私は今は現場の人間ではないので、この問題については手短に私見をまとめさせて頂く。ともかく、日本の産業構造における人材不足である。人数ではなくて、その質。エレクトロニクス、精密機械、その他あらゆる基幹産業の末端におけるまで、技術や知見の伴わない未熟な人材の多さ。これは当然、日本の村社会的な教育差別構造に端を発した現状であると言わざるを得ない。いわゆる「日本のエリート」の基本能力の欠陥、技能の偏向性などについては、上記『【やばいぞ日本】序章 没落が始まった「ダイナミズム失う」』を読んで察して頂きたい。

技術者と研究者は違う。また、経済を動かすダイナミズムとなる多くの「非」理工系の社会人も、様々な方面で実力やキャリアを評価されるだろう。しかし、現在は産学共同システムに代表される一部の上部構造を除いて、技術者と研究者が軽視されると言う逆転現象が起こっている。彼らを労うことはあっても、自分がなりたいとは思わない。社会の中枢には、いわゆる文(経済・法学)系エリートの価値観が蔓延していて、富のダイナミクスで物事のバリューを計るという矛盾した悪癖が支配的である。結果、個々で見ればたいして創造性がなく、利益を産まない(しかしなくてはならない)業務が蔑ろにされることになる。一般的にとは言わないが、悪例として「一定水準の訓練と経験を経れば誰にでも出来る仕事」を専門的な技術者に強いて、本来「専門性が高く、技術的な知見に長けた」人がいるべきポストに、無能なキャリア組が居座る。(これには理系に対してのコンプレックスなどの精神的な要因も働いていると思われる。だいたいにおいて、「専門性が高い」→「視野が狭い」という一意的な決めつけは、その手のまやかしでしかない。優秀な人に限って言えばだが、理工系分野の専門性の高さは、汎用可能な普遍性のある技術の高さを保証すると同時に、先端的な学際に通じた深く広い知見ゆえに齎されるはずのものである。)


技術者や研究者になるには、莫大な自己投資と研鑽を積み重ねなければならないのに、「現況の」社会の要求に応えられない(細分化された学術分野は、いつどこで必要性に迫られるかわからない、データドリヴン的性質を持つ)という理由で社会的評価がなされないというのならば、大学院までの「技術・研究」の特化型教育を刷新する必要が有る。現状の「犠牲者が出ることを前提」とした高リスクシステムは破滅的な内部矛盾を抱えている。その結果が、今の日本の産業構造の空洞化に繋がっているのだ。Googleなどが導入し、日本物理学会が企業に呼びかけた「20%ルール」(仕事時間の20%を、独自の研究にあてられる)でさえ、任期付きの職場では如何程の実効性があるのか疑問である。時間だけでなく、設備や資金の充足も問題であろう。

たとえば就職の問題。教授、研究室のコネや、院生自身の活動という従来の選択肢に加え、やはりなんらかのセーフティネットを展開する必要がある。研究者の輩出の過程に注がれたはずのエネルギーの損失を考えれば、その程度は当然理にかなっているものと個人的には考える。そもそもドクターの量産は国が打ち出した政策であった。独立の自由研究機関みたいなものを新しく作って、自律的な社会構造の中で創造的なプロジェクトやテーマに打ち込んでもらうというのもいいかもしれない。そして、やはり劣化の激しい末端の産業において、それなりの「報酬」と「評価」のもと、支援や指揮に向かってもらうとか。社会活動の上で、個人の人間性に何らかの障害があるならば、メンタル面も含めたコンサルティングの上で、保障を制度化する必要性さえあると思う。

然し乍ら、本当に実力のない博士もいるのだから問題は複雑である。間違いだらけの論文、企業利益に癒着したお手盛りレポートetc...)本当に優秀な人材は現状でもアカデミックポストを得るだろうが、やむを得ない事情で技能を生かせない人の方が大半だろう。そもそも金と時間をかければ誰でも容易に博士になれるシステム自体が問題なのだ。博士号を得るためだけなら、海外のディプロマミルでいくらでもPh.Dを取得すれば良い。問題は、本人が人生をかけて「何を探求したかったのか」あるいは対照的に「どのように社会貢献したかったのか」という、真に基本的なことなのだということを忘れてはいけない。だから、その為に必然的に誰かが苦労しなければならないなら、ボトムラインを上げましょう、というのが人道的な姿勢ではないか。自己責任論とかいうすっとぼけた言論は、富を得ながら(あるいは貧しくても)利己的な振る舞いで経済構造に巣食っている厚顔な人たちに本来向けられるべきものである。


abstract: Quantitative evaluation of Chaos. - 複雑性の定量化。Version/1.0.3

2007-07-14 15:21:52 | Science
柔軟なデジタル言語を使うことによって、今やわれわれは、アイデアのブロックをかつてないほど容易に識別し、操作することができる。アイデアのブロックが急増していることを考え併せると、イノベーションのペースはますます加速すると結論づけることができる。たとえばヘルスケアのような分野では、デジタル化の技術と生物学の知識(ゲノムのマップ)と強力なコンピューターの組み合わせによって、次々に大きな変化が起こることが予想される。

21世紀のライト兄弟は、アイデアの組み合わせによる解決策を見つけ出す為に、先例のない手法と能力を手に入れた。将来の富は、優れたアイデアを実行する人間ではなく、優れたアイデアを創造する人間に齎されるに違いない。

            -Michael J. Mauboussin.



私見では、この言説の意味する所にポジティブな指向性を認めることには疑問を覚えます。言語の発達、法律、世界の工業化、携帯電話、インターネットなどのツールが実現したイノベーションは、世界と個人個人の関係性の為す相の変化を齎しはしたが、同時にツールを取り巻くビジネスや世界観が創出され、既存の現実問題に絡みあい、より複雑化せざるを得なくなった。人の生活は便利になるが、それ故に忙しくなる。つまり、問題解決の為の手段のはずが、それ自体が新たな問題に成り代わる。物事が単純になるということはありえない。その為に共変位した相の関係性が、局所的、離在的には単純性をもたらしたとしても、その一定の範囲規模内に存在する関連事象に干渉しながら、一回り高次な構造となって再構成される環の中に世界はある。

(素粒子物理学における重力子や、さらに基本的な粒子といった未発見粒子の理論的予測、標準模型に付きまとう諸問題も、この一環を成す。)


→この『理論の符号化レベルの保存性』ということについては、実は過去のエントリーにおいても言及しています。

>> lens,align.:二重のコード (物理認識レベルの情報階層性)

(物事を理論的に解決、説明できるということが「事象の真性」を捉えることだとは限らない。超弦理論のような、現在有望視されている主流の理論科学ですら、帳尻合わせの試行錯誤による複雑化が著しい。(論理的適合性は向上していく)。また最近ネットでも活発に見られるようになった、文理統合を試みた「自己流」の多くの科学哲学も、恣意的、独断的な論理展開の過程で多くの解れを生じさせている。単に概念的に認識可能な任意の形式に変換できるということに過ぎない。)


情報の複雑化はエントロピー増大に例えられることがあります。それは、「情報」が単に抽象的な存在なのではなく、「情報」を生み、「情報」を認識する、人間を含めた物質層のダイナミクスまでを包合した振る舞いの一側面として捉えられるからです。だとしたら、情報のインフレーションには『非永続性』、あるいは『破綻(catastrophe)』があるかもしれないと危惧することもできるでしょう。人にとっての「情報が尽きる」とはつまり、人が社会性を維持出来なるまま収束させていく、ということと同義です。逆に、人間という種が抱えて来た問題の複雑化は、進化過程において必然性、あるいは必要性のあったもの。依って、人口の爆発的増殖と生存のプロセスにおいて正のフィードバックを持つ適応度地形の定性であったと言い換えられます。


※・・・また、人間と、その周辺に相互作用する情報受容体(準知性、他生物等)に共有される情報特性には、「距離・地形的な連続性が与える相関性」というパラメータが含まれている。あくまで我々が認識の根を下ろす次元、時間系において負荷が生じる情報についてしか言及することはできない。情報は「相対性」の産物に他ならないからです。→リャプノフ時間。


※・・・Bio-Informartics分野のイノベーションを取り上げると、象徴的、汎用的な問題解決の為のアルゴリズムが、非常に多岐に渡って細分化され、試行・最適化が為されている。たとえば昨年末には、「時間制約の厳しい大規模巡回セールスマン問題 (TSP)を対話的応答時間内に専門家レベルの最適度で解く」という題目に対して、"メタヒューリスティクスの並列タブーサーチにおけるプロセス間通信の効率化"、"多種ヒューリスティックスによるGA (Multi-world Intelligent Genetic Algorithm)"、"局所利己的遺伝子許容型GA (Locally Selfish-gene Tolerant type GA)"といった、様々な画期的な提案が公表された。

しかしながら、対象となる問題を分解、解析するルートをアーキテクトしたところで、今度はそのためのツールやインターフェースの一般化、もしくは理論から現実の事象、問題解決への応用に付随するマッチングや諸コストの問題が浮上する。『手段』は恒常的に再評価され、見直されるべきものである。


現状においては、事象の複雑性を「何が、何に対して、どの程度複雑なのか」と定量化する手段は一般化されていない。もしこの定量化が何らかの必要性を持って確立されるとしたら、ある複雑系を持つ『群』について、その規模依存性と時間発展における特有の振る舞いをデータ化して、一定の定性を解析、俯瞰できる可能性があり、ある集合の活性化の度合い、あるいは結晶化、破綻予測を、その集合の帰属する構造に照らして、相対的に量ることができる。カオスを計測するということは、同時にオーダーを計るということに繋がる。そして、この手法自体によって更に深刻化した社会の複雑性が、人を新たな問題と対峙させることも自明であろう。


Clip. -Biodiversity and ecosystem multifunctionality.

2007-07-13 03:01:50 | Science
地球:海洋トランスフォーム断層に沿った重力異常の拡大速度依存性
Spreading rate dependence of gravity anomalies along oceanic transform faults
p183 - 187


Gravity and bathymetry data from transform fault systems associated with mid-ocean ridges that are spreading at different rates indicates that crustal thickening may occur under transform faults associated with intermediate- and fast-spreading ridges. If confirmed, this observation would require a change in our understanding of how magma accretion occurs along rapidly spreading mid-ocean ridges.

Patricia M. Gregg, Jian Lin, Mark D. Behn and Laurent G. J. Montesi
doi:10.1038/nature05962

Abstract: http://ml.emailalert.jp/c/abcRaeaUj2oCjIba
Article: http://ml.emailalert.jp/c/abcRaeaUj2oCjIbb



生態:生物多様性と生態系の多機能性
Biodiversity and ecosystem multifunctionality pp188 - 190

An analysis of published data from grassland biodiversity experiments looks at the relationship between biodiversity and multiple ecological processes (ecosystem multifunctionality). Different species often influence different ecosystem functions, suggesting that studies considering single ecosystem services in isolation may severely underestimate the levels of biodiversity required for fully functioning ecosystems.

Andy Hector and Robert Bagchi
doi:10.1038/nature05947

Abstract: http://ml.emailalert.jp/c/abcRaeaUj2oCjIbc
Article: http://ml.emailalert.jp/c/abcRaeaUj2oCjIbd


□ 2007年日本バイオインフォマティクス学会年会 (JSBi2007)

>> http://zp.cbrc.jp/jsbi2007
>> http://www.jsbi.org/


Michael J. Mauboussin /「投資の科学」

2007-07-09 03:22:58 | Science
Mtyk


『投資の科学』
(原題:"More Than You Know - Finding Financial Wisdom In Unconventional Places")

著者:Michael J. Mauboussin
初版:2007/02/26
監訳:川口有一郎
翻訳:早稲田大学大学院応用ファイナンス研究会
発行:日経BP社
ISBN978-4-8222-4551-1

投資業界を先導する世界有数のトップ・グループ、"Legg Mason Capital Management, Inc."のチーフ・インベスト・ストラテジスト(=投資戦略立案者)が、複雑系(Chaos/Complexity)、情報理論、生物学や脳科学といった知見から『投資のダイナミクス』について鋭く切り込んだ著書。トレーダー達の間でカルトな支持を得たエッセー集"The Consilience Observer"を拡大再構成したもの。


・投資における『適応度地形』の存在
・「結果」に対して人は「原因」を捏造する(因果関係を見誤る)
 →事象に『真因』というものは存在しない。
・経験則からの分析は役にたたない。
・平均値ではなく、異常値が世界を支配する (→ファットテール)
・行動ファイナンスは地雷である
・「希少性」「非対称性」の高い情報の負荷と価値
・あらゆる企業成長に共通する4つの法則

・多くの投資家の行動が一様化すると(誰かの知識に頼ると)、マーケットは機能しなくなる。(群衆行動における情報のカスケード)

→行動原理・価値体系がバラバラの方が相互活性化(カオスの縁)

・「何もしない」ことの価値・知性(『無為』と『作為』の天秤)
→ 近視眼的な損失回避が導く非効率性
→『非自在性の自覚』=『自覚無き自在性の獲得』

・記憶媒体の進化による爆発的なイノベーションの加速は、問題解決に多様な(予測不可能性のある、意外な)道筋を与える。

→※私見では、この言説の意義にポジティブな指向性を抱くのは疑問を覚えます。携帯電話、インターネットなどのツールが実現したイノベーションは、世界と個人個人の関係性の為す相の変化を齎しはしたが、同時にツールを取り巻くビジネスや世界観が創成され、現実問題に絡みあい、より複雑化せざるを得なくなった。つまり、問題解決の為の手段のはずが、それ自体が新たな問題に成り代わる。物事が単純になるということはありえない。その為に共変位した相の関係性が、一回り高次な構造となって再構成される環の中に世界はある。


・1987年10月の「ブラックマンデー」のような株価暴落は、宇宙が10億回生まれ変わった時間を要しても『計算上、確率的にはありえない』はずだった。


ここ5年間、ファイナンス、マネージメント系の著書には色々手をつけてきましたが、遂に決定的な良書に出会えました。というのも、私自身にとっての命題分野でもある、生物学的複雑系システムの知見(他には脳科学分野の説明も豊富)から投資論を扱った最初の総括的著書だからなんですね~。あのダンカン・ワッツ(非線形動力学のパイオニア)と友人だというのも奇遇というか驚き。 関連して、Steven WolframやSteven H. Strogatzの引用があるのも、最近の自然科学のトレンドを着実に取り込んでいることが窺えて、信頼がおけます。まえがきでは、複雑系研究の最先鋒、サンタフェ研究所への熱烈な謝辞も表明されています。

まだ一通り目を通した他、触りと本命の第四章『科学と複雑系理論』しか本読していないですが、私が昨年あたりにここで展開していた「株価変動の『アノマリー(特異点)』とユニタリー時間系」に結びつくような主張も展開されていて胸のすくような思いです。が、複雑系のパースペクティブではありがちですが、株式市場でうたわれている、いわゆる「定石やテクニック」というものの根拠を否定、あるいは無効にしてしまうような内容も含むので、敵を作ることもあるでしょう。問題作といわれる所以でもあります。


本著は投資論にとっての新風とされているそうですが、複雑系の見地からはまだまだ掘り下げが浅いような気もします。まだ認識が一般化されていないせいでもあるでしょう。でも危険予測の重要性に鑑みるという点では、それに大部分を割いた非常に先鋭的な言説なので、投資のプロにほど、一度は読んで胸に刻んでほしいもの。


また、扉でウィルソンの"Consilience"を引用しているように、著者は現代において細分化、専門化の著しい異分野学術(学際)の知見の統合がもたらす創造的な発見を重要視していて、これも自分が常々考えていることと共鳴しているのですが、それは何故かというと、著者が「結果」よりも「過程」に本質があると説く通り、あらゆる問題に向き合う「手段」というのは、思考のアルゴリズム(及び、振る舞いと関係性の変位)に関わることであり、それは脳科学的には信号の処理方法であって、「信号の処理」と一元視すると、汎用的にあらゆる問題解決に対して有用性を持つ、ということなのだと思います。

ここで何回も取り上げてきた、bio-informaticsにおける情報処理技術の発展と蓄積がもたらした、同技術の他分野への応用(プロトコル解析や電波天文学等)も代表例の一つでしょう。他のことに関する考え事に適用したメソッドが、知らぬ間に無関係な考え事に噛み合う、という経験なら誰もが持っていますよね。複雑系とは、無限に絡み合ったシンプリシティの非可換なセグメントとして捉えられるからです。(このセグメントは、主観者のパースペクティブが属するエネルギー準位系に築く関係性によって、"還元的に"全体性から現出する。)


と、齧っただけで長々とイントロダクションを書いてしまいましたが、読み終わったらまた感想を書くかもしれません。とりあえずオススメ。


tempus fugit.

2007-05-18 13:57:59 | Science
Breeze

(IXY DIGITAL L2; ISO Auto; Exp.±0; AWB; Evaluative.)



その皮膚の下に真の闇を抱えて
彼の亡骸はあった
生ける何者の侵略を許さずに
あまねく生者を
鳴動する宇宙を
静かに無を湛える鏡の如く従える

吹き荒ぶ風も
草木や枝のざわめきも
彼方にうねる あの白波も
すべて彼の息吹だった

この手に抱いた闇に流れ込む
この亡骸へ この亡骸から
生は突き動かされている
遠い響きに揺られながら
彼は、かつての私の居場所を
映し示したのだ。




□ 性のアトラクター -開示と秘匿 (5/21 >>ロジックを一部補完)

人間の性行動は、他の動物では生殖活動とフレーム付けられるものよりも、その様態自体が持つ情報価値が多様化し、依って、その開示と秘匿が、性に関わる一連のアトラクター(Attractor)を引き起こす大きな鍵となっていると捉えられます。(個人にとっての性情報の価値は、成長過程における刺激信号の偶発的な交雑やフィードバックを経て構成される。)人の知能は、脳内部での情報処理が他者にも認識可能であり、汎用性と保存性の高さに由来するところが大きいのですが、動物では、その大部分を(人間と比較してシンプルな)本能で共有を行っています。

彼らが、訪れるであろう自身の死を、生きる上で与えられる一連の刺激や感覚を、他の個体と確認しあう手段は限られています。(※・・・本能的に「共感」が与えられている可能性は否定できない。また、「見よう見まね」による直接刺激を経た学習と行動パターンの後天的な習得は、広義には人間のコミュニケーション手段と同質である。ここでは、知覚的確認というより、記号的確認と可覚性の予測という意味において、人間と他種生命の刺激共認を区別する。)しかし、人間の場合は、同質(或は、内部、外部に対して同様の反応を引き起こす特定のアトラクタ)の身体刺激をお互いに共有し、持ち合わせている感覚について、他者についても認めることが、(認識の上だけでは)可能です。従って、性に関わるあらゆるレベルの情報については、「開示と秘匿」のシステマティックな様相が、社会性の構築に置いて大変な意味と必要性を持つことになるのです。生命のメタな振る舞いにおいては、性行動に必然的な権限と透明性があるのに対し、人間のbehaviorに視点を絞ると、性的なアトラクタが予め秘匿されていて、アクセスの手続きが複雑化しているというパラドクス。(もちろん例外もある....)

性行動を快感と結びつけられるのは人間だけと言われますが、現状では他種生物の身体刺激を共有する手段は無いので、この証明は不可能です。しかし、人間の最も近しい他者、異性(人によっては性的な対象となる同性)について関わるとき、彼らの関係性の描く様相は、(個体同士では感覚の隔絶があるため)一気にStrange Attractor(位相空間におけるカオスな動態の引き込み領域)に引き込まれてしまいます。お互いに理解しえるのは、性的対象が自身に与えている、或は与えてくれるであろう刺激信号の類型への期待と、相手が自分と同じメカニズムを有していることであって、システムのある段階で、その機能を相互の必要性から行使する可能性があるということ。一方で、どんな形で他者の情報が開示されていようと、個体と個体との関係においてのみ、特定の個体の性的な様態を知ることができるのが、社会性を伴う性行動の一般性です。同時に、個体の性行動に関わる情報は、疫学的、遺伝的、社会的負荷に付随するリスクが併存する為、秘匿と開示の権限の限定が大前提として構成されます。

性的な様態の開示を許した人間との間で、相互に共有する感覚的な負荷が最も高くなるのは、秘匿から開示にいたる刺激的なプロセスにあり、その瞬間に達する微時間的な部分にピークがあると、私は解釈しています。(感覚的なピークがどういうスケールで起きているか、どの時点に価値を求めるかは、個体差があり、人様々。)なぜならば、その時「開示されたもの」こそが、人が予め付与された、「秘匿される前の」性衝動の純粋な極点であり、生物種における生殖行動の目的と達成への回帰だからです。但し、人間はその刺激だけを抽出して欲求を解消する術を備えています。性交渉の相手の性的な様態に惹かれるのは、この共感のダイナミクスが働いているからに他なりません。隔絶されているはずの感覚を、相互のコネクターとして動機に置き換えているのです。

※人間の築く関係性の中で、ある相手に任意の手段で特定の刺激を与えたい、反応を引き出したいということについては、他のあらゆる種類の身体刺激についても同様のことが言える。しかしこの社会の位置づけにおいて、人間の身体反応から特定の信号を引き出すということを原理的な意味において「秘匿からの開示」という論点で切り出せるのは、『性』に関わる問題しかないことに着目しました。






□ Google Analyticsの最新バージョンがリリース

http://services.google.com/analytics/tour/index_ja-JP.html

実は、このブログも以前からGoogle Analyticsで解析を行っています。プロ向け、主にマーケティング層のデータ・コンバージョンやインターフェースが、無料で使えるのが大変な魅力。デザイン的には前の方が洗練されてたような気もするけど、コンテンツ、セッションごとのトラフィックの推移のディテールを、flashを利用してより直感的に、短絡的なプロセスで注釈とともに一覧できるようになっています。




□ 立てこもり事件を見て思うこと。

この種の事件に甚大なエネルギーと関心が注がれるのは、治安に関わる期待効用(expected utility)の保持のために、集団が取らざるを得ないフォーメーションの為である。よって、予期出来ない事態や、犯人の命でさえ、自殺をさせないという形で、不確実性の離散とリスク回避の形を取らなければならない。しかし、犯人が武力によって、大きな権限を有したわけでは決してない。立てこもり事件は、起こした時点でほぼ死に体であり、全ての行動の導出する結果が時間的に制限され、あらゆる被害の効用は、ショートスパンでは一定の限界内に収束する。


abstract: Breaking the Antinomie. (反定立が両立するという矛盾を媒介して矛盾を成り立たせる。)

2007-05-06 04:14:02 | Science
カントによれば、数学的二律背反と論理的(力学的)二律背反は区分されるものですが、論理命題を数学的に転写し、かつ数学的に定立と反定立が「重なり合う」ように成り立つ空間がアーキテクトできないだろうか。試料としては、無限級数、論理密度、様相論理学及びユニタリー行列の概念を用いる。制約プログラミング、プロセス工学における非線形代数方程式系の応用をステップとして参照する。思索的要素として、クリプキの「プラス・クワスの懐疑論(plus/quus hypotheses)」(論理体系の局在性、哲学の非普遍性)、また、カントの二律排反という概念が、ヘーゲルによって「悟性的思惟」として退けられていることも念頭に置く。

[ex.]
A→Bという論理展開において、Bに至るまでの論証の手順は無限に考えられる。A→(1→)(2→)Bという道筋もあれば、A→(1.05→)(2.01→)(C→)Bなど、記述される論理的手続きが、「記述されるたびに」数式全体として真性を保持する為に、フレームを変える。それは、あらゆる論理性が導く論証の様相について固有の「定性的な」形状を持つかもしれない。



[可能性]
思弁的論理性の可視化の一般化。
観念的対立条項の計算による解決。


tuning bird.

2007-04-19 18:33:25 | Science
Tuningbird
(IXY DIGITAL L2; Exp.±0; ISO Auto; AWB; Evaluative.)



□ 宇宙の最後を見る方法 - How-To:Seeing the End of Time.

「ブラックホールに落下する。」

・・・その筋では割りと有名な理論。
ブラックホールに落下した物体は、その外縁であるシュヴァルツシルト面(the Schwarzschild surface:[event-horizon])で永遠に時間を凍結させてしまいます。この「永遠に凍結した時間」は、逆に言い換えれば、ブラックホール外の全時間経過を転写します。外から見ると止まったままということは、中から見ると、外に存在していた時間の流れが一点に収束するということなのです。(但し、面上の観察者の実在は、空間短縮によって極限まで薄膜化し、観察者にとって一瞬で終わる。) 

発想を転ずると、事象の地平面は常に宇宙の全時間を上映しているということですよね。「どの時点においても終わっている」のに、「何時飛び込んでも」途中からラストシーンまでを見ることが出来るのです。(『見る』としなくても、観察者の存在-質量が光速で空間に及ぼす作用と言い換えても良い。)一実在の時空間に占める局在性、相対性は、あらゆる質点に及ぶ相互作用に対して固有の状態を生み出します。私たち人間が時間を捉える意識とは何か。それは空間上にバラついた関係性に働くダイナミクスだということが顕著に分かる例です。



□ Clip.

量子力学:局所性か、非局所性か
Quantum mechanics: To be or not to be local pp866 - 867
The experimental violation of mathematical relations known as Bell's inequalities sounded the death-knell of Einstein's idea of 'local realism' in quantum mechanics. But which concept, locality or realism, is the problem?

Alain Aspect
10.1038/446866a
http://www.nature.com/nature/journal/v446/n7138/full/446866a.html

日本語訳文一部転載 : Nature asia-pacific

ベルの定理によると、実在論と局所性(局所的な事象は、空間的に離れた領域の作用によって影響されないことを意味する)を同時に仮定する理論に基づく理論はどのようなものであれ、何らかの量子予測と矛盾する。(中略)したがって、物理的実在論を根本概念として維持するには、局所性を否定する「幽霊のような」作用を導入しなければならない。(中略)そのような非局所的実在論のうちの主要でかなり妥当性の高い理論が、観測されている量子相関と矛盾することが示された。(将来的には)実在性に関する記述の一部を放棄しなければならないだろう。





神経生物学:正義が気持ちいいわけ
Neurobiology: Feeling right about doing right pp865 - 866
Reason and emotion come into conflict in making all kinds of judgements. Results of work with brain-damaged patients constitute one line of evidence that the emotional component is not to be dismissed.

Deborah Talmi and Chris Frith
10.1038/446865a
http://www.nature.com/nature/journal/v446/n7138/full/446865a.html

脳の腹内側前頭前皮質の損傷から、情緒欠損のある患者たちに心理テストを行った結果、正常な人に比べて道徳的判断がより「功利主義」に偏るという現象が見られたという内容。

脳科学的視野に限定しなくても、道徳、良識、規範というものが社会的、生物学的ネットワークにおいてどう定義され、個体の振る舞いに還元されているかという視点からも興味深いものがあります。道徳的行為、あるいは対極の背徳的行為であれ、行為の際には行為者に及ぶ身体刺激が併存、または動機となってフィードバックが起きる。すなわち、人間の築く「規範の縁」において、その内に留まり構造を保持するか、逸脱してしまうかの狭間において、大きな負荷を伴うある種のダイナミクスが働いているような気がします。個体が外れるということは、ネットワーク全体が変位するということ。快楽だからするのか、したから快楽なのか。それらの差異は、自らの振る舞いを鏡に映すかどうかという違いに等しい。


Sending the photon to the infinity.

2007-04-15 02:55:56 | Science
□ 光子を無限の彼方へ送る方法。

(´・ω・`)つ 『合わせ鏡』

光子は鏡と鏡像との距離を往復しながら、光速で鏡像を作り続けます。光源は鏡の外にしかないので、人の目には奥の方へ行くに従って暗くなっていくように見えるのですね。最奥の方は正に「真の闇」です。

でも明るさは失っても「形象」は保存されて伝達されます。「物質と光」は同一のものだということが良くわかりますね。


※実際に空間が生じているのではなく、
鏡の間を行き来する光自身に、
遠くまで照射されているような仮想的な
振る舞いが生じています。


>> http://mnemosyne.de-blog.jp/cast_ray_slide/2007/04/post_e968.html

信号の振る舞いが空間情報を定義するなら、
それは現実の「空間」と同義のような気もしますが。
光源のエネルギーを強化するということは、
より遠くへ情報を伝えるということでしかありません。



反射率による損失とか、
フレームの収束という要素もあるのでしょうけど。
鏡像は光の情報であり、「暗くなる」ということは、
情報が欠損していくということと同義でしかありません。

しかし、光源のエネルギーを強くすれば、
遠くの形象の情報が得られるということは
示唆的であるように思えます。


奇蹟の作り方

2007-04-12 18:04:21 | Science
誰でも同じようなことを考えたことがあるかもしれません。

一億人が参加するジャンケン大会を開催したとします。
勝負は一度切り、トーナメント制とすると、
優勝者はジャンケンで一億人の中でただ一人、
一度も負けずに勝ち続けることになります。

重要なのは、時間を制限せずに、試行回数を無限とすると、この優勝者が「確実に生じる」ということ。(否、もしかしたら数学的には、規模によっては永遠に勝負が付かないリミットサイクルに陥ることがあるかもしれない)

逆に、この優勝者を作るには敗者の存在が不可欠です。両者は相補的な存在であり、必然の奇蹟が起きやすい事象(ジャンケンのどこかで負ける)を規定しているとも言えます。その大会の勝敗を記したトーナメント表、その一枚絵全体が、実現された奇蹟と等価なのですね。優勝という奇蹟を作り出すシステムを発生させるということは、試行者と観察者(=勝ち負けを評価するもの)の対称性の破れそのものと捉えることができます。

自然界で行われているサバイバルでは、その優勝者になれるかどうかということが個体にとって最も負荷の高いモチーフですが、個体の誰が優勝者になるかということは実は自然界にとって重要ではない。(固有の結果は生じても、それを評価するパースペクティブを規定できない)では一巡して、自然界そのものとして振る舞う私たちのアクティビティは何に由来するのか?それは現時点においてサバイバルが行われていなければならないという物理的な必然性なのです。


□ clip.

進化:人間にみられる平等主義という動機
Egalitarian motives in humans pp794 - 796

Participants in laboratory games are often willing to alter others' incomes at a cost to themselves, and this behaviour has the effect of promoting cooperation. What motivates this action is unclear: punishment and reward aimed at promoting cooperation cannot be distinguished from attempts to produce equality. To understand costly taking and costly giving, we create an experimental game that isolates egalitarian motives. The results show that subjects reduce and augment others' incomes, at a personal cost, even when there is no cooperative behaviour to be reinforced.

Furthermore, the size and frequency of income alterations are strongly influenced by inequality. Emotions towards top earners become increasingly negative as inequality increases, and those who express these emotions spend more to reduce above-average earners' incomes and to increase below-average earners' incomes. The results suggest that egalitarian motives affect income-altering behaviours, and may therefore be an important factor underlying the evolution of strong reciprocity and, hence, cooperation in humans.


Christopher T. Dawes et al.
10.1038/nature05651
http://www.nature.com/nature/journal/v446/n7137/full/nature05651.html


生物物理:光合成系における量子コヒーレンスによる波動様エネルギー移動の証拠
Evidence for wavelike energy transfer through quantum coherence in photosynthetic systems pp782 - 786
A spectroscopic study has directly monitored the quantum beating arising from remarkably long-lived electronic quantum coherence in a bacteriochlorophyll complex. This wavelike characteristic of the energy transfer process can explain the extreme efficiency of photosynthesis, in that vast areas of phase space can be sampled effectively to find the most efficient path for energy transfer.

Gregory S. Engel et al.

10.1038/nature05678
http://www.nature.com/nature/journal/v446/n7137/full/nature05678.html


規模に依存するコミュニティ進化 - mixiの場合

2007-04-11 01:52:48 | Science
簡単なお話なので、さらっと読み流してください(・x・)

日本で最大規模となったSNSのmixiをサンプルとした場合。TOPには、マイミクシィやコミュニティの書き込みの更新状況が逐次反映されます。このSNSの特徴はレイアウトの一元化による高度に完成されたアクセシビリティですから、更新状況そのものがアクセスの流入と偏りの発生の仕方を、時間依存的に左右します。

あるコミュニティの管理人なら、こう考えたことがあるでしょう。「もし、コミュニティ登録者が1000人いれば、トピックの更新ごとに1000人のユーザーが更新の状況を知るはずだ。」これはRSSで連携したノード間でも同じことなのですが、現実にはその1000人全員が当該トピックを訪れることはありません。ユーザはもっと多くのコミュニティに重複して属してしていることが多いため、「更新状況の一覧」にあるトピックを母数として「関心」の密度が希釈されてしまうのです。

また、大きなコミュニティほど、トピックが細分化され、集団のクラスタ化が顕著になるでしょう。大規模なコミュニティは、「コミュニティ」を外縁として段階的に膨張し、ある時点で進化を止めて、それぞれのクラスタの励起、または交換といった挙動を繰り返して安定する。一つのコミュニティで多数のトピックが活性化しているのは、アクセスを掻き集める最も理想的な状態ではあります。更新状況が、そのコミュニティのトピックで埋め尽くされることもあるのですから。(但し、コミュニティへの個人の関わり方という制約がボトルネックとなる。)

ではもっとパーソナルなマイミクシィの場合、このときも同じく、日記の更新状況が常にマイミクに知らされることになりますが、マイミクの数が大きければ大きいほど、それらの日記を逐次チェックすることは日常生活の制約から困難となるでしょう。(実際には他にも様々な要素が絡んでいるでしょうが)逆に、個人間の結びつきが強い小規模なマイミク同士なら、彼らが一様にユーザとして振る舞う限りでは、マイミク全体の日記へのアクセスをほぼ完全に確保することができます。


じゃあここで、「もっとも効率的にアクセスを流入させる中庸な規模が定義できるんじゃないか?」という考えが自然に生まれますね。マイミク単位で捉えた場合、ユーザ間のネットワークはノードの近傍作用に依存したモデルとなりますが、コミュニティ単位ではよりスケールフリーなモデルに近づきます。コミュニティの読者が1万人を超えた規模では、ユーザ間の固有な関係性はコミュニティの動的な活性作用の中に埋没してしまいます。これは「マイミクの繋がり」とは全く逆の現象です。(グループ、ネットワークの進化に特定の規模をもたらすのは、その出自と性質に強い関係があるという前提は忘れずに)しかし同様にマイミクにおいても、100人とか1000人のスケールになると、マイミクの形成する共同体は、その1000人を結びつける少数のユーザにとって、mixiというサンプルの中において変質していると言っていいでしょう。実際には特に仲の良い少数のグループが発生しているのでしょうけども。


だらだらと文章のみで冗長になってしまいましたが、
誰か複数のコミュニティを規模ごとに分類して、実際にサンプルを取って

「200人のコミュニティの場合のグループの成長」
「2000人のコミュニティの場合のグループの成長」

という具合に分析してくれたら面白いなというお話。(この場合、当該コミュが成長過程なのか、減衰期なのかは考えずに任意の時間枠で切り取る)限られた範囲の規模にそれぞれ特有の振る舞い(派生、膨張速度、活性化、絶滅w)をもたらす固有値が予想出来るかもしれない。もちろんその数値は、サンプルの帰属する構造に依存したものであるのだろうけど。


Nature : 「社会的グループの進化を定量化する」

2007-04-10 08:04:18 | Science
□ Quantifying social group evolution.

>> http://www.naturejpn.com/go.php?id=6402

社会における個体間の多様な相互関係によって、社会ネットワークにおける友人、家族、あるいは職場の仲間同士の高度に連結したつながりが組み込まれた複雑な共同体構造が生まれる。個人の活動やコミュニケーション様式が頻繁に変化するために、関連する社会的コミュニケーションネットワークは絶えず進化する傾向がある。

本論文では、科学者間の協力関係のネットワークと携帯電話利用者間の通話ネットワークに注目した。大グループでは、メンバーを動的に変更できる場合、より長期にわたって存続することがわかり、グループ構造の可変性によって適応度が高まることが示唆される。一方、小グループの挙動は反対の傾向を示し、グループ構成を変えないことが安定条件であった。さらに、メンバーが共同体に投入する時間がわかれば、それを使ってその共同体の存続期間を推定できることも示す。これらの知見から、小さなグループと大きな組織の動態にみられる基本的差異についての手がかりが得られる。


最近、任意のネットワーク構造に対して、「構成要素」や「集団」の介入によって得られる負荷や過度応答から、進化の様相や時間依存性を計るのが流行のようですね。この間もどこかの研究グループが同様の手法で生命ネットワークを数理的に分析していたと記憶しています。

今回の分析に用いられた『クリークパーコレーション法(clique percolation)』は、連結するコミュニティ構造を結節点を基準に検出するメソッドで、複数コミュニティに属するノードを介在して、そのノードが重複して帰属するコミュニティをメタノードとして、コミュニティ全体をメタエッジで連結した一つのクリークコミュニティとするという、いたって簡単な概念です。(複数のkクリークに対して、(k-1)個のノードを共有していれば、kクリーク間をメタエッジで接続したkクリークコミュニティとみなす。このとき、kクリークはメタノードとなる。)

共同体進化の時間依存性を計ることは、共同体要素のbehaviorが、どのようにネットワークの「相」を導きだすのかを、微視的、かつシステマティックに炙りだす方法論で、この本質は世界を構成するあらゆる要素間の関係性(関係性を捉えることで時間準位が定義される)の転写であり、相の表層的な振る舞いを扱う従来の複雑系研究から一歩踏み込んだ領域にあります。無論、現実社会のネットワークは更に多次元かつ重畳的に交叉したものなので、この方法ではまだ解析に限界があるでしょうが、パースペクティブを限定したコミュニティ抽出には十分有効でしょう。但し根源的には、ノードをある不可分な最小要素と定義して、社会構造を包括する自然構造の全容を記述することは可能かもしれない。問題は、記述を読む者にとって、記述を描くネットワークが彼にどのような振る舞いを起こさせるか、ということである。


ロングテールを踏む。

2007-04-05 18:21:53 | Science
※ロングテール理論やその基幹概念については、lens,align.では開設当初にちょっと触れたり、トラックバックを頂いたりしているので、出自や説明は省きます。ググってみてください。

経済誌などを斜め読みしていくのはほとんど趣味のようなものなのですが、最近、というか少し前まで、著名経済紙などが"The Long Tail"、いわゆる『ロングテール』の理論を過剰気味に宣伝、煽っていた状況に気味の悪さを覚えました。

プロの経営者や経済学者と言われる人たちが、何故いまさらこんな周回遅れのトレンドを振り回しはじめたのか?(中には酷い勘違いや誤用が罷り通ってるものも。。)こうした現象そのものが、実は「操作された」ロングテールに巻かれているということではないか?

プロダクト(及びプロジェクト)マネージメント的に検証してみると、こうしたことが成り立つのは、特殊な条件下に限られるということも言われているようです。つまりロングテールは「現象」ではなく、実現するべき対象、「構造体」であるということ。

この概念自体は、実はそれほど新しいわけでも、画期的なわけでもありません。ネット上では、ロングテールという概念の経営の応用について、既に2年前までに議論が尽くされた感があります。その基幹には、更に数年も遡って、80年代から21世紀にかけて成長しつつある、非線形動力学(eX.創発現象)、複雑系といった、現在では特に生命情報科学において応用の著しい数学的概念のトレンドが息づいています。

では何故いまなのか?ロングテールの経営における実効性は、「分析」という枠を超えて実証されたのか?今の私が答えられる問題ではないのかもしれませんが、それにしては時間が足りなすぎるとは思います。AmazonやGoogle Adsenseの成功例は、ロングテールの応用というよりは、「ロングテールになった」に近いです。


さて、ここからは思弁となるのですが、
「では、利益を上げるロングテール構造の条件とは?」
について、誰もが以下の2点に思い当たるでしょう。

1.供給をもたらす時間密度の圧縮(ショートタイムスパン)
2.それに付随するプロダクト(=空間)の数 (市場規模の確保)

ここで、非線形動力学の視点に立ち返ってみましょう。
ロングテールの本質はスケールフリー・ネットワークですが、ある時点で「創発のスイッチ」を入れてしまえば、瞬く間に「ヘッド」と「ロングテール」が入れ替わる。つまりロングテールを構成するマイナーなプロダクトが集合体として「供給を確保できる」限りにおいて、べき関数のヘッド部分に収束するのです。「スイッチ」とは、共時性を持ち、有効な規模の母集団に対して変幻自在に過度応答、及び「需要の選択」を生じさせる何かであり、ここには従来懸念されていたネットワークの中枢化による脆弱性を打開する可能性が隠されているような気がします。

およそ現実味のないイメージかもしれませんが、もしプロダクト自体が多次元構造を持つような空間であったら、且つ、それ自身が価値を持つような構造をアーキテクトできたら、それは可能かもしれません。まだまだ思索の域を出ないですが、現段階ではそのようなことを考えています。




□ clip.

神経:神経回路に対する多モードで高速の光学的操作・観察法

Multimodal fast optical interrogation of neural circuitry pp633 - 639
A light-activated chloride pump that occurs naturally in bacteria can be transfected into neurons, thereby permitting inhibition of neural activity on a millisecond timescale. This complements an existing tool for activating neurons through a photoactivatable algal channel.
Feng Zhang et al.


10.1038/nature05744

Abstract: http://www.nature.com/nature/journal/v446/n7136/abs/nature05744.html
Article: http://www.nature.com/nature/journal/v446/n7136/full/nature05744.html


"Sensory Design" -アーキテクチャと感覚認識に関わる諸要素について

2007-02-25 07:55:02 | Science
Sensory_design


Joy Monice Malnar and Frank Vodvarka /"Sensory Design"

University of Minnesota Press.
ISBN; 0-8166-3960-4
Release Year; 2004.

What if we designed for all of our senses? Suppose for a moment that sound, touch, and odor were treated as the equals of sight, and emotion considered as important as cognition. What would our built environment be like if sensory response, sentiment, and memory were critical design factors, the equals of structure and program?

In Sensory Design, Joy Monice Malnar and Frank Vodvarka explore the nature of our responses to spatial constructs-from various sorts of buildings to gardens and outdoor spaces, to constructions of fantasy. To the degree that this response can be calculated, it can serve as a typology for the design of significant spaces, one that would sharply contrast with the Cartesian model that dominates architecture today.

In developing this typology, the authors consult the environmental sciences, anthropology, psychology, and architectural theory, as well as the spatial analysis found in literary depiction. Finally, they examine the opportunities that CAVE(tm) and other immersive virtual reality technologies present in furthering a new, sensory-oriented design paradigm. The result is a new philosophy of design that both celebrates our sensuous occupation of the built environment and creates more humane design.

Joy Monice Malnar, AIA, is assistant professor of architecture at the University of Illinois, Urbana-Champaign. Frank Vodvarka is associate professor of fine arts at Loyola University Chicago. They are coauthors of The Interior Dimension: A Theoretical Approach to Enclosed Space (1992).


絵画、フォトグラフ、オブジェ、建築、インターフェース、コンピュータ・モデル・・・あらゆる文化や環境に遍在する様々な感覚情報をわたしたちはどう認識して、またどうやって表象に還元しているのだろうか。それらのプロセス、結節点と共時性について科学的な見地から迫る一冊。ある人の誕生日に(写真集と勘違いして)贈った洋書ですが、部分的にですが、改めて読んでみて、「普遍性」にメスを入れる切り口の鋭さに胸のすく思いです。ただ少し難解なので、全て読み解くにはまだまだかかりそう。。