lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

教育と産業構造虚飾化の相関。

2007-07-20 01:47:26 | Science
>> 博士とプライド-ポスドクの死者、行方不明者の本当の原因

「博士」も定職が見つけられず…ポストドクター1万5000人超(産経)
【やばいぞ日本】序章 没落が始まった「ダイナミズム失う」(産経



私は今は現場の人間ではないので、この問題については手短に私見をまとめさせて頂く。ともかく、日本の産業構造における人材不足である。人数ではなくて、その質。エレクトロニクス、精密機械、その他あらゆる基幹産業の末端におけるまで、技術や知見の伴わない未熟な人材の多さ。これは当然、日本の村社会的な教育差別構造に端を発した現状であると言わざるを得ない。いわゆる「日本のエリート」の基本能力の欠陥、技能の偏向性などについては、上記『【やばいぞ日本】序章 没落が始まった「ダイナミズム失う」』を読んで察して頂きたい。

技術者と研究者は違う。また、経済を動かすダイナミズムとなる多くの「非」理工系の社会人も、様々な方面で実力やキャリアを評価されるだろう。しかし、現在は産学共同システムに代表される一部の上部構造を除いて、技術者と研究者が軽視されると言う逆転現象が起こっている。彼らを労うことはあっても、自分がなりたいとは思わない。社会の中枢には、いわゆる文(経済・法学)系エリートの価値観が蔓延していて、富のダイナミクスで物事のバリューを計るという矛盾した悪癖が支配的である。結果、個々で見ればたいして創造性がなく、利益を産まない(しかしなくてはならない)業務が蔑ろにされることになる。一般的にとは言わないが、悪例として「一定水準の訓練と経験を経れば誰にでも出来る仕事」を専門的な技術者に強いて、本来「専門性が高く、技術的な知見に長けた」人がいるべきポストに、無能なキャリア組が居座る。(これには理系に対してのコンプレックスなどの精神的な要因も働いていると思われる。だいたいにおいて、「専門性が高い」→「視野が狭い」という一意的な決めつけは、その手のまやかしでしかない。優秀な人に限って言えばだが、理工系分野の専門性の高さは、汎用可能な普遍性のある技術の高さを保証すると同時に、先端的な学際に通じた深く広い知見ゆえに齎されるはずのものである。)


技術者や研究者になるには、莫大な自己投資と研鑽を積み重ねなければならないのに、「現況の」社会の要求に応えられない(細分化された学術分野は、いつどこで必要性に迫られるかわからない、データドリヴン的性質を持つ)という理由で社会的評価がなされないというのならば、大学院までの「技術・研究」の特化型教育を刷新する必要が有る。現状の「犠牲者が出ることを前提」とした高リスクシステムは破滅的な内部矛盾を抱えている。その結果が、今の日本の産業構造の空洞化に繋がっているのだ。Googleなどが導入し、日本物理学会が企業に呼びかけた「20%ルール」(仕事時間の20%を、独自の研究にあてられる)でさえ、任期付きの職場では如何程の実効性があるのか疑問である。時間だけでなく、設備や資金の充足も問題であろう。

たとえば就職の問題。教授、研究室のコネや、院生自身の活動という従来の選択肢に加え、やはりなんらかのセーフティネットを展開する必要がある。研究者の輩出の過程に注がれたはずのエネルギーの損失を考えれば、その程度は当然理にかなっているものと個人的には考える。そもそもドクターの量産は国が打ち出した政策であった。独立の自由研究機関みたいなものを新しく作って、自律的な社会構造の中で創造的なプロジェクトやテーマに打ち込んでもらうというのもいいかもしれない。そして、やはり劣化の激しい末端の産業において、それなりの「報酬」と「評価」のもと、支援や指揮に向かってもらうとか。社会活動の上で、個人の人間性に何らかの障害があるならば、メンタル面も含めたコンサルティングの上で、保障を制度化する必要性さえあると思う。

然し乍ら、本当に実力のない博士もいるのだから問題は複雑である。間違いだらけの論文、企業利益に癒着したお手盛りレポートetc...)本当に優秀な人材は現状でもアカデミックポストを得るだろうが、やむを得ない事情で技能を生かせない人の方が大半だろう。そもそも金と時間をかければ誰でも容易に博士になれるシステム自体が問題なのだ。博士号を得るためだけなら、海外のディプロマミルでいくらでもPh.Dを取得すれば良い。問題は、本人が人生をかけて「何を探求したかったのか」あるいは対照的に「どのように社会貢献したかったのか」という、真に基本的なことなのだということを忘れてはいけない。だから、その為に必然的に誰かが苦労しなければならないなら、ボトムラインを上げましょう、というのが人道的な姿勢ではないか。自己責任論とかいうすっとぼけた言論は、富を得ながら(あるいは貧しくても)利己的な振る舞いで経済構造に巣食っている厚顔な人たちに本来向けられるべきものである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿