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lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

科学的“啓蒙”の罠

2009-05-08 06:50:04 | Science
「科学的手法」の本質とは、事象の「Why?」を問うことではなく、全て実証的あるいは言辞的に再帰性のある「How?」のPathwayを構築して行くことに他ならない。


当ブログでも過去に繰り返し扱って来たテーマですが、昨今の出版業界、科学ジャーナリズム、ポップ・サイエンスの分野においては、日常生活に適用される科学的関心をセンセーショナルに煽り「読者を釣る」ためのコピーが氾濫している。

その権威主義的なマスカルチュアライズによって一般の科学思考を焼き畑的に劣化・阻害しかねない言説が、当の科学者自身によって「商品化」されるケースも目立っており、その有害さは到底看過できるものではなくなって来ているように感じられます。



男女論を扱いながら脳医学や遺伝子学、疫学的見地からの中途半端な啓蒙を行う著書の数々は、その最たるものとしてあげられるでしょう。あれらは単なる科学「風」のゴシップ・エンターテイメントでしかない。増してやSFですらない。


彼らの最大の矛盾点は、記事の序文にあげた"Why?"と"How?"の論理区分が見苦しいほど交雑していることにあります。敢えて過去に挙げた引用を繰り返しますが、「なぜ男女が存在するのか?」という疑問にたいして、ある学者が「免疫を強化する側面もある」と解答をした場合、最初の質問の「なぜ?」は無効となって「男女が存在することによって」と前提が挿げ替えられて「免疫を強化する為に~」、つまり「How?」に対する解答となっているのです。

「なぜ男女は存在するのか?」の「Why?」は解消されたわけではなく、「なぜ免疫を強化する必要があるのか?」、究極的には「なぜ生存するのか?」と形を変えて保存されたままですが、この一連のやりとりは出題者に疫学的な知見を投げかけるという意味で、有益と評価できるものに違いありません。



問題は、クエスチョンそのものが解答者自身によって同時に提示されている場合に起こりがちです。「男性は女性の為に遺伝子を運ぶ存在として作られた。」これは、著書で20万部を売り上げた何処ぞの生物学者が実際に展開している自説ですが、この是非とは無関係に、これが「男性が女性に尽くす理由」と、日常的社会的な経験事象への説明としていられる時点で目を疑ってしまいます。

突っ込みを入れるのも情けないのですが、多くの動物がメスを基準にオスを形成するからといって、遺伝的に「雌が雄に先立つ」というわけではありません。寧ろメスとオスは系統発生的に等価な関係性にあり、そこには変異と分布の為の効率性が大きく絡んできます。仮にはじめからオスを作る必要が無ければ、メスである必要も無かった。と言えばわかるでしょうか。


「~する為に、○○した」という同様の論理階層の混同は、あらゆる学術分野で日常的に用いられる一種のレトリックではありますが、厳然たる科学的事実とは全く別種のものです。「A→Bという振る舞いを実現する為にプログラムした」事実について「A→Bという振る舞いを起こすプログラムがある」のは真であっても、「A(or B)のプログラムがA→Bを実現する」のではありません。


上の例では、「男性が女性に尽くす」と見なされる観測事象が、「女性の遺伝子を運ぶ」という目的に従属する様を、あたかも普遍的な機序として短絡することで、人類学、遺伝子学の双方の類比推理(アナロジー)から破綻しています。

「男性が女性に尽くす」を事実と仮定すると、それには社会的日常的な解答が無数に考慮され、同様に「女性の遺伝子を運ぶ効率性」には、遺伝子学上の相当の仕組みが考慮されなければならないのに、その別次元の2つを結びつけて"That's Why"とするのは余りに放言に過ぎるということです。




ゲーデルの不完全性定理が如く、
「人間を定義するものを人間の価値観で断じることは出来ない。」のは自明のこととは言え、近代において優生学が引き起こした過ちを例にとるまでもなく、中々そうはいかないのが、古い歴史から民族間人種間闘争における払いきれない火種の一つと言えるでしょう。



1)科学的に観察された日常の事実(経験)
2)直感的・思索的な日常の事実(経験)の観察
3)科学的事実(経験)に基づいた日常の観察


多くの人が日常を送る上で抱きうる科学的関心と思考法は、上に挙げた3要素を循環、フィードバックしていると仮定してみると、非論理的な科学ジャーナリズム(シャーマニズム)は、(2)から(3)に至るプロセスで大きくバランスを欠いて逆行しているように思えます。そして大衆の主観となる(1)に伝播し、無益なり有害なりな影響を及ぼす。


一般大衆の科学的興味を惹き付ける為に、無駄にセンセーショナルなコピーを打つこと自体を批判したいわけではないのですが、それが「論理的思考」の意義そのものに遡行しうるものであれば改めて然るべきです。無論、経験事象の科学的評価とは、それ自体完結しているものではありえません。

人の言辞とは総て、事実の記述的構築が帰趨するトートロジーの環に介入する手段でしかなく、その価値は人間にとっての実効性を以て天秤にかけるしかない。



そろそろ、「非科学的な」科学啓蒙書がベストセラーになる理由を、社会人類学的に検証した著書が現れても良い頃合いだと思うのですが。。


information: Life Science Networking System (RIKEN SciNes) on Semantic Web >> Press Release.

2009-04-01 14:28:43 | Science
Scines



理研のデータベース構築基盤の公開基準をセマンティックウェブに統一
 - ライフサイエンスネットワーキングシステム(理研サイネス)の運用を開始 -

 [2009/03/31]

>> http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2009/090331_2/detail.html


ここ数年の間、ずっとお世話になっている[bio-informatics]コミュニティの主宰で、ウェブ上における情報統合を常に先導してきた豊田哲郎氏(理研BASE 部門長)から、近年のデータベース統合研究の総括とも言えるべき成果がプレスリリースにて発信されましたので、ここに転送します。



◇ポイント◇

各分野で活躍する日本の研究者が中核となる国際連携を推進する情報基盤へ
大量データを扱うライフサイエンス分野の統合データベース事業でも有用性を発揮
個々のデータベースを丸ごと研究成果物として発表できる学術メディアとして期待



 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、ライフサイエンスを主体にしたデータベースの構築基盤システムを理研内で一元化し、国際標準規格「セマンティックウェブ形式※1」に準拠したデータ公開を大規模に実施するための共通基盤「理研サイネス」を構築しました。これは、理研生命情報基盤研究部門(理研BASE、豊田哲郎部門長)による研究成果です。


 近年のライフサイエンスが、大量のデータを扱う科学に発展したことなどから、研究成果を論文形式にして発表するだけでなく、ウェブ上でアクセス可能なデータベースとして独自に発信していく機会が増えました。しかし、研究論文の発表では学術雑誌などの専用のメディアが発達しているのに対し、データベースの発信・発表では、個々の研究者が自らウェブサイトを立ち上げてサービスしなければならず、特に、発信・発表後も継続的にサービスを維持するための運用コストが、研究者にとって大きな負担となっていました。さらに、個々の研究者が立ち上げた独自サイトが、多数乱立するにつれ、公開方法がまちまちで国際基準規格に準拠していないサイトも多くなり、利用者から見ても分かりづらく、統合的な活用が妨げられていました。


 そこで理研BASEでは、研究者がウェブサーバーを維持する必要がなく、個々のデータベースを丸ごと研究成果物として発信・発表することができる共通基盤「理研サイネス」を開発しました。理研サイネスは、研究者自身が、サイバースペース上でバーチャルな研究プロジェクトを組織することを支援し、数万個以上の研究プロジェクト群の収容を想定しています。

この新たに開発したデータベースの構築基盤システムは、各研究プロジェクトを機密性高く区切り、未公開情報の管理や大規模なデータを介した研究業務フローを、プロジェクトごとに柔軟に設定することができることから、研究プロジェクト内のデータガバナンス※2を向上させ、新しいタイプの学術メディアとしても期待できます。この基盤で構築したデータベース群は、国際標準規格を採用し、公開が容易なため、「理研総合データベース(RIKEN Hub-Database)」として理研が集約的に維持管理を継続し、各分野の日本の研究者が国際連携研究の核として主導権を発揮するチャンスを提供します。


 本研究は、理研内の戦略的裁量研究費所内連携推進事業として行ったものです。理研サイネスは、閲覧機能に限り、Firefoxというウェブブラウザに対応した試用版で、理研総合データベースとともに、3月31日から公開しましたhttp://database.riken.jp/



以下、技術サイドからデータ運用に関する
利点で目についたものを抜粋します。


現在、大型研究所全体のセキュアなデータ連携と大規模なデータ公開の両方が行える情報基盤を、国際標準であるセマンティックウェブ技術によって構築しているのは理研以外にありません。このシステムはセマンティックウェブとファイルシステムの両方の長所を併せ持つ“Semantic Web Folders(SWF)”という理研BASEが独自に開発した情報技術を使って実装されており、数千個の異なるデータベース群を一つのシステム内に包含して同時に運用することを想定し、データベースの数が増えても安定した動作が可能なシステムとして設計しています。


理研サイネスのリポジトリ機能は、従来のリポジトリのようにファイルや画像など個々のデジタルコンテンツを格納する機能だけでなく、データベース自体を利用可能な状態のまま丸ごとひとつのコンテンツとして格納する「ライブデータベースリポジトリ機能【22】」という新しい特徴があります。



その他、数えきれない程の特徴が挙げられていますが、
機能に関するアウトラインとしては、

・データベースマネージメントの一元化
・人為的マイニングを介在
・グローバルID付与による外部利用手続きの簡易化
・コンピュータによるデータ・ドリヴンな解釈構築


あらゆる学術分野の中でも、突出して天文学的な情報量を扱うライフ・サイエンスですが、セマンティック・ウェブの概念がデータベース運用という、これだけ現実的かつ有用な形で実装される例もまだまだ数少なく、情報技術分野に置いても画期的な成果となるのではないでしょうか?


“神の軽さ”が見え難くする:Fermilab experiments constrain Higgs mass.

2009-03-18 15:56:59 | Science
News2009164_2
(Fermi National Accelerator Laboratory in Batavia, Illinois.)


□ A lighter Higgs makes particle hunt harder. (13/03/2009)
『神の粒子』の質量予想範囲が更に制限される。

>> http://www.nature.com/news/2009/090313/full/news.2009.164.html

The Higgs boson particle may be lighter ? and the race to find it tougher ? than particle physicists had hoped, according to the latest results from the Tevatron particle accelerator at the Fermi National Accelerator Laboratory in Batavia, Illinois.

On 13 March, scientists there announced that they had ruled out a crucial part of the hunting ground for the 'God particle', thought to confer mass on all other matter.

Eric Hand



アメリカのフェルミ国立加速器研究所のTevatronを用いた実験により、素粒子物理学における『標準模型』のラストピース、宇宙にある万物の質量要因であり『神の粒子』とも呼ばれるヒッグス・ボソンの質量について、従来の理論予想範囲を更に狭める数値が算出されました。


Higgsparticle


Fermilabの研究チームであるCDFとDZeroの共同実験によると、テバトロン内部に拡散したヒッグス粒子の痕跡を観測した結果、ヒッグス粒子が持つ質量が、従来のグラフのより低い領域にあることを特定。具体的には、発見確率の高さから期待されていた、160Gev/c^2-180Gev/c^2の範囲に定位する可能性を高確率で除外したもの。(CDFのスポークスマンは『我々はそのことを発見したのであって、除外したのではない』と語っています。)

CERNのLHC(スイス、ジュネーヴ)の最上命題とも言えるヒッグス粒子の実験観測は、早くて今年度末にも行われる予定ですが、今件によって実験そのものに暗雲が立ちこめる結果となってしまいました。


というのは、テバトロンの5倍の出力を備えるLHCは、とりわけ高質量の場合のヒッグス粒子の観測に特化しており、低エネルギーの粒子はトレースできない可能性が高いのです。素粒子のエネルギーは当然その質量に比例するので、仮にヒッグス粒子のエネルギーが185 GeV(ギガ電子ボルト)以下であった場合(当実験からの予想では160Gev未満とされる)、ヒッグス粒子が存在したとしても見逃してしまうか、或は存在しなかったことにすらなってしまうかもしれないとか。

(※ 崩壊シミュレーションのモデルによっては、低エネルギーでも高確率で検出可能なチャンネルは存在する。)


対して、LHCのプロジェクト・リーダーを務めるLyn Evansは、「誰であれ(Fermilabであろうと)、その質量領域からヒッグス粒子を見つけ出すのは容易ではない。」とのこと。フェルミ研究所は2011年以降の国からの出資計画が滞っており、今後ヒッグス粒子の明らかな痕跡を発見出来る可能性は30%に留まると公表しています。



科学史にとって決定的な功績と進歩を齎すであろうヒッグス粒子の実験観測は、重畳宇宙やタイムトラベルの可能性等、人類にとってあらゆる光明とリスクを同時に与える「未来の狩り場」と同義と言って良いでしょう。その狩り場が私たちの可能性とともに狭められた、ということは、単にヒッグス粒子の質量領域が制限されたということ以上に重要な意味を示唆しているのです。


Announcement: "Petaflops-Over-Scale Computer and Life Science Applications".

2009-01-23 05:42:55 | Science
シンポジウムのお知らせ:
「超ペタフロップス級コンピュータと実験生物学の連携による生命現象への挑戦」
Petaflops-Over-Scale Computer and Life Science Applications


【日 時】2009年2月5日(木)10:00-17:40
      2009年2月6日(金)10:00-12:35

【場 所】理研横浜研究所 交流棟ホール
http://www.yokohama.riken.jp/outline/access/index.html

【懇親会】2月5日(木)17:50-20:00

【参加費】無料(懇親会費 3,000円)

【申込方法】事前登録要:http://mdgrape.gsc.riken.jp/pcla/pcla09.html


【概 要】
現在理研では、10ペタフロップス超の性能をもつ次世代 スーパーコンピュータの開発が着々と進められており、それに合わせて理化学研究所での各種研究活動との連携について議論が進められています。

その中でも特に、近年の 生命現象の定量化の進展から、生命科学における大規模シミュレーション・情報処理の可能性が注目されています。特に横浜研究所は、大規模計算を活用する上で有効な生命研究データを大量に産生するポテンシャルを有しています。

そこで、横浜研 究所を中心に、基幹研究所・神戸研究所・播磨研究所を含めて実験的な方法に基づく生命現象の解析と大規模シミュレーション・情報処理による計算生物学の連携を考えるシンポジウムを開催いたします。



本シンポジウムでは、特に、以下の3つの領域について議論します。

1.構造生物学と分子シミュレーション
タンパク質の立体構造をベースにしたシミュレーションや計算機上での分子設計・創薬研究

2.大規模実験データと情報処理技術
次世代シーケンシング施設やXFELから生み出される大量データの解析のための情報技術

3.細胞生物学と数理モデル化
細胞生物学データの定量化とそれに基づくシミュレーショ ン・モデル化


皆さまの参加をお待ちしております。




#English information

Announcement:
Symposium on “Petaflops-Over-Scale Computer and Life Science Applications”.

Date:
February 5 (Thu) 10:00-17:40
February 6 (Fri) 10:00-12:35

Place:
The main lecture hall (Koryuto Hall) in the main office building,
RIKEN
Yokohama Institute
http://www.yokohama.riken.jp/english/outline/access/index.html

Reception:
February 5 (Thu) 17:50-20:00
(Fee: 3000yen)

Registration:
http://mdgrape.gsc.riken.jp/pcla/pcla09.html
(Admission Free.)

At the plenary symposium, the following three areas would be discussed:

1. Structural Biology and Molecular Simulation
Computational and simulation molecular design and drug discovery researchbased on three-dimensional [3D] protein structure (s).

2. Large-scale Experimental Data and Information Processing Technology
Information technology for analyzing massive data produced through the next generation sequencing facility (ies) and XFEL.

3. Cellular Biology and Mathematical-modeling
Quantification of cellular biology data, and simulation-modeling based on it.

*The presentations will be given in Japanese




□ clip.

表面気温の年サイクルの位相変化
Changes in the phase of the annual cycle of surface temperature p435
A. R. Stine, P. Huybers & I. Y. Fung
doi:10.1038/nature07675

Abstract: http://ml.emailalert.jp/c/adcRadhs4cyumvbp
Article: http://ml.emailalert.jp/c/adcRadhs4cyumvbq



南極氷床表面の1957年の国際地球観測年以後の温暖化
Warming of the Antarctic ice-sheet surface since the 1957 International Geophysical Year p459
Eric J. Steig et al.
doi:10.1038/nature07669

Abstract: http://ml.emailalert.jp/c/adcRadhs4cyumvbx
Article: http://ml.emailalert.jp/c/adcRadhs4cyumvby



生態:生態学的ネットワークおよび社会組織ネットワークに対する単純な二者間協力モデル
A simple model of bipartite cooperation for ecological and organizational
networks pp463 - 466
Networks of co-operative interactions occur in both ecological and socio-economic situations, with plant pollination by animals and interactions between manufacturing and contracting companies being respective examples.

This work proposes a parsimonious model for co-operative networks that predicts the specific properties of real ecological and socio-economic networks, demonstrating that similar principles of co-operation might underlie both situations.

Serguei Saavedra, Felix Reed-Tsochas and Brian Uzzi
doi:10.1038/nature07532

Abstract: http://ml.emailalert.jp/c/adcRadhs4cyumvbz
Article: http://ml.emailalert.jp/c/adcRadhs4cyumvb1



波動関数を元に戻す
  (from "Nature Physics 2009/01" Reserch Highlights.)

>> http://www.natureasia.com/japan/physics/updates/200901.php

波動関数の崩壊は、量子物理学における最も興味深く、また誤解される要素の1つである。シュレーディンガーの猫は、箱を調べることによって死んでいるか生きているかを確認できるが、それまでは両方の状態にあると考えられている。N Katzらは、正しい方法で箱を調べればこの「崩壊」を逆転できることを実験で示した。

量子的なふるまいの観察についていえば、超伝導回路は猫よりはるかに優れている。回路の状態(2つの可能性のうちの1つ)は「弱」測定を用いて調べることができる。否定的な結果からは、部分情報のみが得られる。そして、波動関数の崩壊の逆転が依存するのは、この不完全性である。たとえ一方の状態になる可能性が他方より高いにしても、我々にわかるのは系がそれぞれの状態になる可能性だけである。Katzらは、マイクロ波パルスを印加して、これらの確率を逆転し、同じ弱測定を繰り返した。ほかの否定的な結果が得られれば、系は初期状態に戻る。Katzらの実験では、70%の確率でこれが起こった。


【関連】

>> http://blog.goo.ne.jp/razoralign/d/20080708 (ページ下部)

(量子物理:輪廻が「シュレーディンガーの猫」を救う)

>> http://www.nature.com/news/2008/080702/full/454008a.html

Physicists reverse quantum?classical transition.
Zeeya Merali


President Obama's inauguration.

2009-01-21 07:25:14 | Science
Obama
(オバマ大統領の就任演説:CNN)



第44代アメリカ大統領となったBarack Obama氏の就任式が、つい先ほど執り行われました。(今現在パレード中)注目されるスピーチの内容は、キャンペーン時の煽情性を抑制した真摯で粛々とした現実的な色を帯びつつも、相変わらず求心力に満ちたもの。若干27歳のスピーチ・ライターが手直したという文面は、手堅くも瑞々しいエネルギーを感じさせるものでした。


時間が限られているので率直な感想だけ述べさせてもらうと、最も印象的だったのが、自国の経済復興に言及した中で「自己利益の為に他者を犠牲にした者たち」を批判する内容があったこと。多くの資本主義国家にはもちろん、とりわけ日本のトップにはまずできない論説に違いないですね。「新時代には一人一人の責任が求められる」という要旨に照らして、これほど決意を明示する一節は他に無いでしょう。


個人的な最関心事である環境/科学政策については、まずはEPA主導による温暖化対策の一環として、2009年末のコペンハーゲン会議までに指針を定めること。これは国際的な科学研究従事者の大きな共通了解でもあります。日常的にレポートされる世界各国の研究機関からの多角的なデータに触れていれば、それが現実の問題であるのは自明なことなのですが。。


(※ しかしながら、昨今は温暖化懐疑論の主流として、IPCCの示した二酸化炭素要因の「確信性の高さ」を、「確定事項か否か」と二元論に挿げ替えてしまう、凡そ『科学的論議』とはかけ離れた物言いが、科学従事者【ではない】弁者(特に専門知識に疎いエコノミスト)の間でスタンダードを得つつある由々しい実態がある。

つまりは環境問題がプライマリかどうかを議論の対象にしている愚である。包括的に問題を解決するフレームを構築・維持していくことが堅実であるべき姿勢なのだ。その中で人為的CO2排出要因が90%以上の確度を以て、【目下検証されている】。その姿勢すら否定するのなら、温暖化政策が飢餓問題や経済問題に優先、あるいはスポイルしているという「実態」が如何程に深刻な影響を及ぼしているか、ということこそ、彼らは説得に足る根拠を示して訴えるべきだ。


彼ら「一部のエコノミスト」の第一の問題点は、その論拠が画一的なソースに偏りすぎるということ。彼らは自身でリサーチできるはずもなく、任意のデータひとつとっても、イロハを知った如きの見聞に憶測の上塗りで論駁し、おこがましくも数値に基づいた論議を阻害、翻訳による解釈の違いや、誤謬についての攻撃的な言葉いじりに明け暮れ、「国際的にはそれほど問題とされていない」「環境利権のプロパガンダだ」(モチベーションとしても、良くも悪くもビジネス性を伴うのは必然ではあるのですが)と極端な印象にミスリードしてしまう。

これはもはや環境問題がどうのと議論するステージに上がる以前の話で、自身の専門外の分野について、誤った権威的・一時的なトレンドに降り回されているに過ぎない。自身こそが操作・利用されている存在だという自覚が無いのだ。)



次いで、目下直接的な影響を波及させている"Primary Problem"、飢餓・健康問題へのFDAの早急な対処。そして、ブッシュ政権下で不遇の時を迎えていた、NIHによるStem-cell(幹細胞)研究の強化を公約したオバマ大統領の‘ゴーサイン’が待たれています。



私にとってサプライズだったのは、この就任式典の為の音楽が、John Williamsに委嘱されていたこと。そのタイトルは"Air and Simple Gifts"というヴァイオリン・チェロ・クラリネットとピアノによる四重奏曲。

アメリカを代表する作曲家、コープランドが1944年に作曲した『アパラチアの春』を引用した楽曲で、あの有名な"Simple Gifts"の主題が大胆に盛り込まれています。



□ Variations of "Simple Gifts"

"Simple Gifts" by Empire Brass
"Simple Gifts" by Cincinnati Pops Orchestra, Erich Kunzel & James Galway
"Simple Gifts" by Laura Sullivan



アメリカ生まれのアメリカ育ちと言っても良いこの曲は、元々はシェーカー教が発祥の伝統歌で、多くのAmericanに親しまれているクリスチャン・スタンダード。シェーカーの母体、クェーカーのルーツのあるイギリス/スコットランドに絡めて、しばしばCelt Songとしても演奏されます。



Tis the gift to be simple,
'tis the gift to be free,
'Tis the gift to come down where we ought to be,
And when we find ourselves in the place just right,
'Twill be in the valley of love and delight.

When true simplicity is gain'd,
To bow and to bend we shan't be asham'd,
To turn,turn will be our delight,
Till by turning,turning we come round right.
     
      -Elder Joseph Brackett (1797-1882) America


つつましくあることは天与のもの
自由であることは天与のもの
私たちの行き着くべき場所を見つけることも また天与であり
そしてその場所に辿り着いたときこそ
その谷間は愛と喜びに満たされるだろう。

私たちが真の慎ましさを手にしたとき
真っ直ぐに、そして謙虚に生きることは
もはや恥ずべきことではなくなり
変わることも 変わることも私たちの喜びとなるだろう
変わろう 変わるのだ あるべき居場所に巡ってくるまで



John WilliamsがObama氏に捧げる言辞(楽曲に歌詞は無いのだけど)として、これ以上相応しいものは有り得ないという気がしますね。その大部分が、大統領の就任演説に大きくオーバーラップするものでもありました。


Michael Crichton dies at 66.

2008-11-06 18:34:50 | Science
Mc_4



□ マイケル・クライトンが11月4日、癌のため死去 享年66歳。

>> Washingtonpost.com

Michael Crichton, 66, a writer and filmmaker whose enormously popular and entertaining novels such as "Jurassic Park" and "The Andromeda Strain" explored the limits and consequences of science, and who also created the long-running television medical drama "E.R.," died of cancer Nov. 4 in Los Angeles.

Mr. Crichton began his literary career as a Harvard University medical student in the late 1960s and parlayed his knowledge of technology, medicine and science into a series of swiftly paced techno-thrillers. He sold more than 150 million books, and more than a dozen films were made from his novels, several with him in the director's chair.



私の人生と世界観に決定的な影響を及ぼした2人の"M.C."、その一方が、作家Michael Crichton氏でした。本当に、本当に言葉が見つからないほど悲しい。


中学生の頃に読んだ小説"Jurassic Park"及び続編の"the Lost World"(映画化作品とはほぼ別物)は、生命科学と情報工学、理論数学という多岐の道を私に啓示した聖書ともいうべき存在。私の青春期における価値観を、カオス理論をはじめとする複雑系のパラダイム一色に染め上げました。

数学モデル、複雑系システムの破綻という、ネットワーク理論黎明期の当時はまだまだ馴染みの薄い現象を、「恐竜」を用いてスリリングに示し、更に制御工学と生命工学の両者が孕むリスクと問題点を予言して見せたのは正にエポックメイキングと言えます。


そして何より、当時まだ科学理論のワン・トレンドに過ぎなかった複雑系の概念を、圧倒的なSFエンターテイメントをベースとして大衆に喧伝した功績はあまりにも計り知れなく、自然科学研究と文筆業双方に一定の貢献を果たしたことに異論を挟む余地はないでしょう。



クライトンはハーバード大で人類学を専攻、ケンブリッジ大学の客員講師にも招かれていますが、その後ハーバード大学のメディカル・スクールにおいて医学博士号も取得。1969年から1970年にかけては、あのSalk研究所(Salk Institute for Biological Studies)にポスドクとして務めていました。医学生時代に書いた『緊急の場合は』と『五人のカルテ』は、海外医療ドラマの先駆け"ER"の原案としても有名ですね。


「コーマ」や「未来警察」など、映画監督、脚本家としても独特に光る才気と情緒性を垣間見せていて、映像作家としての彼の手腕に魅了されているカルトなファンも数知れません。緻密な科学見識を散りばめたメッセージ性は、よく「説教臭い」と揶揄されるほどですが、そこには常に、彼が作家として、文学を通して大衆に発して来た通奏低音とも言うべきテーマが流れているからこそ、現代のアメリカに最も必要とされた作家と成り得たのです。


日米貿易摩擦を描いた『ライジング・サン』、航空業界に潜在するリスクに警鐘を鳴らす『エア・フレーム』、環境テロリストを題材にしたタイムリーとも予言ともいえる『恐怖の存在』といった社会派のテーマにも、一貫して見て取れたのが「思想・行動の偏向性」と「一般・硬直化した体制」との衝突と拮抗であり、双方の破綻が齎すカタルシスから覗く一縷の希望・・・これこそがクライトンの魅力でした。

今ならきっと金融危機を扱った著作を手がけるでしょうか。。




奇しくも昨日、アメリカの次期大統領にバラク・オバマ氏が決定し、環境問題、科学分野においても世界でイニシアチブを担うことを表明しました。代替エネルギーの研究開発には1500億ドルもの資本を投下する予定とのことですが、同問題についてブッシュ大統領がクライトンに会見し提起された教訓の数々を、どうかオバマ氏にも留めておいてもらいたい。


(※私としては、必ずしもクライトン氏の地球温暖化における二酸化炭素要因の否定説と、見解を同じくしているわけではありません。lens,align.における過去の「環境」カテゴリを参照のこと。「温暖化」という現象の捉え方に誤謬が発生しがちなのも、潜在的な問題なのかもしれません。(実質的には気候の『極端化』)しかし人因もしくは外因による「環境変化への適応と抑制」が普遍的な共通了解には違いありません。)




□ Breaking News.

■〔 US Election Special 〕 米大統領候補にNatureが問う
……………………………………………………………………………………………………
Natureが先ごろ、2人の米大統領候補に18の科学関連の質問に対して書面での回答を求めたところ、バラック・オバマ氏からの快諾を得た。しかし、ジョン・マケイン氏の陣営からは拒否された。ここでは、10の質問に対するオバマ氏の回答を掲載する。

http://ml.emailalert.jp/c/ac1oadjvkVohvYak



□ 遺伝:可逆化ターミネーター法を用いた高精度の全ヒトゲノム塩基配列決定
Accurate whole human genome sequencing using reversible terminator chemistry pp53 - 59

doi:10.1038/nature07517
Abstract: http://ml.emailalert.jp/c/ac1oadjvkVohvYbi
Article: http://ml.emailalert.jp/c/ac1oadjvkVohvYbj



□ 生態:気候変動とレミングの個体数周期との関係付け
Linking climate change to lemming cycles pp93 - 97
Kyrre L. Kausrud et al.

doi:10.1038/nature07442
Abstract: http://ml.emailalert.jp/c/ac1oadjvkVohvYby
Article: http://ml.emailalert.jp/c/ac1oadjvkVohvYbz



□ 16年間冷凍保存のマウス死体からクローン個体を作出 (2008/11/05)
  - 絶滅動物を復活させる新技術開発へ -

Mice Frozen 16 Years Ago "Resurrected" by Cloning

理化学研究所 >>
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2008/081104/index.html


Google Map Street Viewの功罪に見る「悪意の計量」の必要性。

2008-08-06 12:27:48 | Science
Viewstreet


>> http://www.google.co.jp/help/maps/streetview/


仰々しいタイトルを打ってみたものの、これに関しての議論は「何故今更?」と言いたくなるほど各所で為されていると思うので、私としては、この問題についてシンプルに物申したい。


先日観た「ダークナイト」の中で、ブルース・ウェインが敵役のジョーカーの居場所を突き止めるべく、都市中の高周波を傍受してヴァーチャル・マップを作り出すというくだりがあったのですが、映画の中でも、その行為は緊急時の為に犯さざるを得なかった「暴挙」として描かれており、最後にはシステムを完全に破壊するシーンが弁明として加えられています。



さて、このグーグルマップ。これまでの衛星航空写真に加えて、車道から撮影した画像で構成した仮想空間の中をドラッグ操作一つで360°自在に視点移動可能。道端に落ちてるタバコの吸い殻から、ビルの谷間から覗く太陽を見上げることも出来る、この機能。当然過ぎるかの如く、先日この日本でも導入されるや否や、プライバシー問題や予防的見地において盛大な紛糾を招いています。

対岸の火事とでも思っていたのか、コンプライアンス的に「日本は受け入れるべきでない」という有効な予防措置が、Google社に向けて何も為されないまま、デファクト・スタンダードを狙いにいく圧倒的な技術力とイニシアチブを見せつけられてしまった形。もし糾弾のスタンスを取るなら、その責任は少なくとも自身にも分配されるでしょう。



とはいえ、非常に可能性を感じさせる技術には違いありません。ナビゲーション、不動産、観光案内、想い出巡り、ヴァーチャル・トリップ・・・、よりhuman-nativeなパースペクティブにおける地理データ集約の利用価値、或は単純な楽しみ方の数々は魔性の魅力を持っています。何が出来て、何を出来ないようにすべきなのか、価値とリスクの天秤は、今に始まったことではなく、常に揺変を繰り返しています。

最も指摘されているのは犯罪予防について。窃盗やストーカー、あらゆる形でのデータの悪用といった犯罪・反倫理的行為への間接的幇助の恐れ。しかし、私たちには、それらの悪意が一つのインターフェースにおけるデータ共有によって如何に分布と確率を変動させるのか、その価値に照らして測るための天秤として一般化された方程式を未だ持っていません。私たちは数秒単位で人命を葬っている交通システムを捨てられないし、数億件の詐欺やペテンを媒介するインターネットを必要としている。


Googleに限らず、現行のあらゆるマップ・システムで住所録と詳細な地理データが併せて何らかの実効性の対象となるケースは、例えば何者かの悪意による「晒し」や、「アリバイ操作」という考えに至り易いものですが、それらが脅威を成す為には、データそのものが実効性を発現させる然るべき前後の文脈という、「壁」とも言うべき条件が発生します。そうした悪意と結果の距離が、これらの機能によって如何に縮まり、或は有事を誘う恐れがあるのだろう。


或はもっと根本的な問題。仮に誰かが街中を歩いてる時、周囲の人目にそれほど脅威を感じなくてすむのは、空間を共有している人々が認識する情報と利用価値、及びその行使に付随するリスクが物理的・圧力的に波及しているから。それを名も無き第三者がデータ上で自在に走査・識別・共有できるとなると、従来とは別次元のリスクが介在することになります。これは侵すべき領分か否か。

いくらパブリック・スペースでの出来事とはいえ、今回のことでちゃっかり秘め事やアリバイが露呈してしまう人なんかは、今までは了解を得ていた時空間でのリスクに対する担保において行動していたものだから、その変化の境目に不運にも居合わせた場合には、やはり自己責任以上に、プライバシー的見地から批判したくなるのも当然だと思うのです。


変化するべきは人々の意識(住居に付随するプライバシーは公開がデフォルトとした上での、データ開示に関する取り扱いモラル、及び防衛リテラシー)とライフ・スタイルなのか、それとも時代性に即したコンプライアンスに可能性を押しとどめるべきなのか。恐らくは、その両方が必要であることは誰もがわかっているはず。しかしルールに変化の兆しがある時は、それに関わる一人一人が己のスタンスを訴え、力の平衡に交わらなければいけないのです。



映画に出てきた高周波ヴァーチャル・マップのように、「今の」システムが、リアルタイムで人々の会話を聴き取ることは不可能かもしれませんが、人類の歴史上、一度垣根を越えて了解を得てしまった可能性の顕現は、次なる草地を求めるバッファローの行進の如く立ち戻ることはしないでしょう。


そのうち街中に撮影カメラが配置されて、リアルタイムで現実空間をヴァーチャルに転写するシステムが実装されるかもしれませんね。人倫に背く統制さえ発生しなければ、防犯から物探までを制御する、まるで理想的な監視社会が実現できるかもしれません。

そういう時代には、実効空間における自己のデータ化を無効にする為の"Anti-Sensored"技術と手段が、新しいマーケット価値を見い出しているに違いないでしょう。そしてその時はもう始まっているのかも?


Lightspeed.

2008-04-20 20:08:11 | Science
150億光年。

この果てしない宇宙は、どの地点からも等しい広さをとる。
それは宇宙を「存在たらしめる由縁」量子の形成する
「場の波及」状態に他ならないから。

単一の光子が宇宙の果てに辿り着くのは150億年後。
そこはもはや辺縁ではなく470億光年より彼方へ霞んでいる。
しかし何処まで行っても「光子それ自体」の体感する時間は0。
つまり光は此処に在り、同時に何処にでも存在する。

一部であり全体たる環。


光とは、電子や量子の運動から発生する
電磁波の一領域であり、「そのもの」である。
何かが存在するだけで波及する影響の波。
光速は存在間の物理的影響を結ぶ情報連結性の制限だが、
存在自身の時空は全ての点において完結したものだ。


それに等しく、
人の「想い」「記憶」は忘却されるのではなく「過る」のだ。
そして「自分と他者」の狭間には、
「過去と未来」ほどの隔たりがある。

彼、彼女の意識の存在を証せないように
外側に顕現される振る舞いが、
自分の心に落とす影を眺めるだけ。

誰かの心に、あるがまま触れることは叶わない。
犇めく星空に塵を掴むように。
風に流れる雲へ手を翳すように。
私たちはかつて一緒にあり、そして離れてしまった。
150億年たっても、もう近づけない。


変わることは強さであり弱さだった。
失くしたピースを探しても、
パズルはもはや欠けていない。


だから光よ
この声がもし届くなら
憶えていて
そこに辿り着いたら還りたい
あの環の中へ もう一度。




カオス理論の偉大なる提唱者、E.Lorenz氏の逝去に捧げる

http://web.mit.edu/newsoffice/2008/obit-lorenz-0416.html

誰かの運命を変えられるなら、それは変えられないのと同じ。

論理空間と同相にある宇宙では
何者かが成し得ることは 
宇宙のとりうる必然の形となる。
潤うべきかな
人には「人」であること以上のものが
託されている。

Rest in Peace.


太陽系に新たな第9惑星発見の可能性。 -the New Solar System's ninth planet.

2008-02-28 06:59:51 | Science
Xplanet



□ 太陽系外周に「新惑星」か=地球質量の3-7割と理論予測-神戸大

>> http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008022800064 (2008/02/28/05:54)

太陽系の惑星で最も外側を周回する海王星より、はるかに遠く、大きな軌道を回る惑星級の新天体が存在する可能性が高いとの理論的予測を、神戸大の向井正教授とパトリック・リカフィカ研究員が27日発表した。主に氷でできており、質量は地球の3-7割、直径は地球並みの1万-1万6000キロとみられ、今後の大規模観測で10年以内に発見される可能性があるという。

実際に発見され、国際天文学連合(IAU)の惑星の新定義を満たせば、準惑星に格下げされた冥王星(質量は地球の500分の1)に代わって、第9惑星が復活することになりそうだ。論文は米天文学誌アストロノミカル・ジャーナルに掲載される。
 海王星より外側では、太陽系外縁天体と呼ばれる小天体が1994年の初発見以来、約1100個も見つかっている。しかし、海王星より内側の惑星や小天体の軌道が円盤を成すように並んでいるのに対し、外縁天体群の軌道は楕円(だえん)形で、大きく傾いている。
 向井教授らはこの謎を解くため、約40億年前に太陽系が誕生してからの歴史をコンピューターでシミュレーションした。



向井正教授は日本惑星科学会会長で、宇宙探査機などの光学システムの技術更新にも大きく貢献している方です。外縁天体群の変則軌道を理論上再現するために仮想した『惑星X』。海王星の遙か外側を、長半径150-260億kmの楕円軌道で周回し、公転平面が他惑星に対して大きく傾斜している為、今まで観測されなかったそう。

観測が実現すれば、かつてセドナとエリス(不和の女神の名前)の存在によって、その座を追われた冥王星に代わり第9惑星の地位を得るのは間違いないでしょうね。


Watch out for falling satellites. (successfully broken up!)

2008-02-01 09:09:13 | Science
(At 03:26 GMT on 21 February, the Navy cruiser USS Lake Erie fired a modified Standard Missile 3 (SM-3), which intercepted the satellite as it passed 247 kilometres over the Pacific Ocean,and successfully fired.)

Nrol21_2
(Deltaロケットで打ち上げられるNROL-21)


※ 2/21日、ハワイ海洋上の米海軍イージス艦「レイク・エリエ」が、迎撃ミサイルSM-3にて当該衛星の撃墜に成功。概算では破片は大凡大気圏で燃え尽き、この高度では脅威となるデブリは発生せず、高高度のヒドラジン汚染は現状では危険視することはないとの発表。


□ 米スパイ衛星NROL-21が陸地に墜落する可能性

>> http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200801301539
>> http://www.nature.com/news/2008/080129/full/news.2008.536.html

北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)のルノー司令官は29日、米国防総省で行われた記者会見で制御不能に陥り、近く地球に落下すると報じられている米国の大型スパイ衛星に付いて触れて、制御不能に陥った衛星が「NROL-21/USA-193」である事実を認めた上で、NROL-21は2月末から3月にかけて北米大陸に墜落するとの見解を示した。


NROでは、次世代のスパイ衛星として、衛星自体を地上の光学観測施設から見えなくする「Misty」と呼ばれる一種のステルス衛星と、「KH-12」シリーズの巨大な光学観測装置の小型化を目指した衛星の開発を主導。 今回、制御を失って近く地球に落下してくる可能性が強まってきた衛星は、後者の技術開発の過程で生まれてた技術を検証するために打ち上げられた次世代スパイ衛星の技術検証用実験衛星となる。

 
衛星は2006年12月13日に米カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地からデルタ(Delta)II-7920-10型ロケットを使って打ち上げられた後、高度376キロから354キロの楕円の低軌道に投入された。しかし、予定軌道に投入は成功したものの、衛星本体の起動シーケンスが始動した後で問題が発覚。フライト・プログラムが正常に起動しないという状態に陥った。NROでは地上管制からコマンド操作を行い、衛星コンピューターのリブートを行うことで問題からの復帰を試みたが、事態の解決には至らず、1月末には「トータル・ロス(Total Loss)」が宣言されて運用は断念された。

 衛星は打ち上げられてからしばらくの間は内部バッテリーの電源供給により基本的なコマンドは受け付けていたが、フライト・プログラムが起動しなかったため、主電源供給源となるソーラーパネルの展開もできず、既に昨年2月頃には内部バッテリーも空となり、完全に制御を失う状態に陥ったものと見られている。

 この衛星はNROのスパイ衛星のため開発費用などの詳細は明らかにされていないが、開発には数億ドル(約数百億円)が投じられたものと見られている。



上を向いて歩こうよ~♪
って、エーッΣ(゜д゜lll)

(この記事について、3時間もかけて長々と書いた文章がブラウザのバグで吹き飛んでしまった為、上の引用を以て簡潔に締めます。くやしいですっ!(TДT))


海外ではトップニュースを飾るほど大々的に報じられていますね。もともとは内部関係者のリークが発端となって公表された情報。それがなければ隠し通す気だったんでしょうか。。現時点では北米に落下予定とは公表していますが、実のところ大気圏での再突入時に進路が大きくブレる可能性もあるわけです。事実、再突入までは落下地点の予測は不可能だとのアナウンスを当初は行っていました。被害は未知数ですが、とりあえず同緯度上の陸地の人々は覚悟しておいた方が良いかもしれません。


NASA Orbital Debris Program Officeによると、過去40年間、地球上には一万を超える軌道上のデブリが落下してきているが、これまでに深刻な事故に至ったケースは皆無だとか。

Skylab
2001年、サウジアラビアに落下したSkylabのチタン製ロケット・モーター(重量70kg)


NROL-21については、大気圏への再突入時にアルミニウムの外層は剥がれ落ち、燃料タンク部分が焼け残って落下する可能性があるとのこと。その際に飛散するとされる、非常に毒性の強い(人にとっては神経毒にあたる)ヒドラジン(hydrazine)が、低高度まで残存していた場合に環境汚染や健康被害が予測されています。逆に、再突入時に拡散しきった場合は無害化されるそうですが、姿勢制御の為に搭載されていたヒドラジンは事故の為使われず、ほぼ満タンの状態で残っている可能性が高く、楽観はできません。


スペースデブリ対策として、使用済みの衛星は25年以内に落下させるという国際ルールがあります。しかし今回のように何らかの不具合で制御不能になったデブリが危険物と化す可能性も、今後考えられるわけですね。その場合の対応マニュアルや責任の分配などの更なる明確化も急務かもしれません。


・1995年にNASAが制定した要項
>> http://www.orbitaldebris.jsc.nasa.gov/mitigate/mitigation.html


・関連

□ 軌道デブリ解析ツール

>> http://www.orbitaldebris.jsc.nasa.gov/model/engrmodel.html


□ 宇宙太陽発電システム(SSPS)の軌道間輸送の検討(2)

>> http://utashima.exblog.jp/92410/

lens,align.:宇宙の太陽光をレーザー光に変換、地上へ (頁下部)




□ clip.

ヒトの行動:人殺しの本能
Human behaviour: Killer instincts pp512 - 515
What can evolution say about why humans kill ? and about why
we do so less than we used to? Dan Jones reports.

Dan Jones
doi:10.1038/451512a
http://ml.emailalert.jp/c/ab2badva7yxdyaa4


デバイス物理学:ナノワイヤーを使った有望なディスプレイ
Device physics: Nanowires' display of potential pp533 - 534
The future of the video display is both flexible and transparent. Finding
a material for the attendant electronics that is small-scale, bendy and
see-through is a tall order ? but a promising candidate is emerging.

Hagen Klauk
doi:10.1038/451533a
Standfirst: http://ml.emailalert.jp/c/ab2badva7yxdyaaT
Article: http://ml.emailalert.jp/c/ab2badva7yxdyaaU




□ Tunes of the Day

Wmsfd

□ Lustral / "When My Satellite Falls Down"

When My Satellite Falls Down (Slow Dancing Society's Event Horizon Mix)



□ carl b presents khensu

Chasing Leaves




_*


earth

2008-01-20 09:20:30 | Science
Rearth

?5 billion years ago an asteroid crashed into the earth. The impact tilted the planet at an angle of 23.5 degrees. This cosmic accident created the world we know today. Using the sun as a guide, we set out on an epic global journey.


□ "earth" (邦題:アース)

>> http://www.loveearth.com/


BBC WORLDWIDE
Germany / UK
90/96min

Director:
Alastair Fothergill
Mark Linfield

>> http://www.imdb.com/title/tt0393597/


漆黒の闇に蒼い輝きを放つバイオスフィア
天空高く聳え雲海を見下ろす岩の塔

灼熱の砂に果てしのない波面を紡ぐ乾きの大地
幾億の意識がたゆたう水の揺り篭
下辺の翼で異空を渡る鯨は神話の船の如く

生命の群体は地表を這う細胞の励起を顕現し
その目の眩むような光と闇の明滅によって
生と死の輪舞を奏でる


地球に息吹く2つの魂。『気候』と『生命』が織りなす共生と拮抗のバランス。最先端の撮影技術とスタッフの気の遠くなるような努力が実現した、地球を俯瞰する『自在な視点』。映像素子がスクリーンに投影する脅威のダイナミズムに何を感受し、如何なる兆しを見せるのか、それらは全て観客に委ねられている。

マーク・リンフィールド監督が語るように、この映画は広告で宣伝されているような環境保護の啓蒙を目的としたお説教映画ではない。カメラが捉えた自然の情景や息吹、匂い立つような効果音、そして「物語としての力」を吹き込む音楽によって、生命の躍動をかつてない臨場感で感じるための映像エンターテイメントである。

誤解が多いが、最後の数カットに挿入される温暖化に起因した幾つかの動物の絶滅危惧のメッセージは、あくまで「これらの光景が見られるのは今が最後かもしれない。」という純粋な、しかし残酷な事実である。劇中に人間や人工物は一切登場しないが、その不在の影がジワジワと忍び寄り、暗に彼らを脅かすものとして捉えられるかどうかは、これもまた受け手次第だろう。(動物名など、最低限必要な学術知識は説明されるが、人間が名而した詳細な地名は敢えて伏されている。)


温暖化要因が人為的なものでないとする説もありますが、IPCC Reportで科学的な手続きを経て得られた認識はあくまで「人為的な二酸化炭素量の増加による温暖化は確からしい」という有力なもの。数少ない反例と、より小さな可能性を持って、昨今騒がれている「温暖化は人為に起因しない自然のサイクルの一部である」とする異説は、両者とも推測結果に過ぎないと言う点において、前者の調査結果についても何ら自身の確証性を担保していない。さらに言うなら、温暖化→寒冷化の巨視的サイクルは確かに存在するが、今、議題に挙がっている「温暖化」が地球環境の必然であるなら何も問題の対象にはならない。(→生存の為の手段と選択という別の問題に変わる)現状において人為的な制御の可能性があるか否かに、様々な問題の根幹が絡むのである。異説の支持者は、これらについて根拠を乏しく責任を放棄しているに等しい。



地球環境、主に「気候」と「生態系」の2軸に関係性を固定した切り口、同監督やスタッフが手掛けている環境映像ドキュメンタリー、"Planet Earth"の拡大再編集版とも位置づけられる今作ですが、撮影対象は十数種類の動植物に絞られた限定的な視点を軸としている他、使い回しと言われてもわからないほど見慣れたシークエンスが目立つため、同シリーズのファンとしては物足りない部分があるのも事実。ただコンセプトとしては、ひたすら超高速度カメラや制振技術を応用した映像美に偏重したもので、"DEEP BLUE"の成功によって証明された、一般大衆における地球環境への関心に訴求する潜在的なポテンシャルは決して低くはありません。

映画館のスクリーンで観て改めて、動物の数々の感情を露呈する豊かな「表情」に驚嘆させられます。シロクマが授乳時に見せる慈愛と安らぎに満ちた眼差し、水場でお互いを牽制しあうライオンの狡智とゾウの警戒心。求愛のダンスの為に、せっせと舞台作りに勤しむ極楽鳥。トボケた様子で氷上を滑るペンギン、飢え死に瀕したシロクマの悟ったような悲哀....人間がそれらにシンパシーを抱くということは、人自身が彼らの中に帰属しうる存在であることを裏付けているようです。


動植物が人の理解を超えた知性を行使する時、「まるで人間みたい」とした印象を抱くのは全く逆転した認識に等しく、人に委ねられた高次元に及ぶ『智慧』がというものが、実は生体群の振る舞いを一様に規定する巨視構造の一部を為しているに過ぎないという側面を顕現しているのだと、私は感じます。生命38億年、いや、宇宙が誕生してからの137億年を経た、あまねく物質の振る舞いと膨大な演算と試行の帰結によって、地球と言う惑星上に各個体、群体間のエネルギー交換が関係性を結ぶ「今」の様相なのです。

こうも言い換えられるかもしれません、「生命と言う形象を借りて顕現する確率的な挙動」。系統発生の過程において記憶された進化の記憶。「空を羽ばたく感覚」、「四肢で地を駆け抜ける感覚」あるいはもっと漠然とした「群れに従い、駆り立てられる衝動」が潜在的無意識において共鳴する感覚。生命は、進化の過程で母なる海を「骨」という形で体内に取り込み、遙かな陸の世界を闊歩した。生命は地球環境から結露した一滴一滴の雫であり、生命は環境を、環境は生命を、お互いの全てを、その身に写している。

人間の生活圏、世界観のみで切り取られる「地球」が如何に矮小なフレームに過ぎなかったのかを、この映画は実際に宇宙から大気を見下ろす光景以上に、私たちの眼前に突きつけてくれるでしょう。



この映画が命を吹き込んだのは、何も生命活動だけではない。ベネズエラのギアナ高地、 「アウヤンテプイ(悪魔の山)」の、落差978mの滝「エンジェルフォール」。自身の風圧で途中で霧に変わってしまうということで有名なスポットですが、通常不可能なアングルから捉えられたショットは、死に近い畏怖さえ覚えさせる程。これほど圧巻のスケールで映し出した映像を他に知りません。また人の畏崇の及ばない力によって茫白たる蜷局を巻き、暗黒の顎を宇宙に向ける台風。雲の一つ一つまで立体感を浮き彫りにする再現力はHD撮影ならでは。そして微速度カメラによって切り出された南極の氷山のダイナミクスとオーロラの演舞は、無意識の彼方にある遠い光景の記憶を目にしているようで涙しました。

斯様にタイムスケールを操作して描き出される、普段はその時間の襞に隠されている自然の様相は心打たれるほど躍動感に満ちていて、例えば奈良県吉野山の千本桜が数十秒で開花~紅葉を迎える様は、正に「もののあはれ」。大昔の詩人たちは、こうして現代人には知り得ない時間感覚で侘び寂びを捉えていたのかもしれませんね。



劇中もっとも迫力を見せつけたのは、補食時に巨躯を捻って空中に躍り出るホオジロザメのジャンプ。同様にハイスピードカメラのスローモーションで描き出される肉食動物の補食シーンもショッキングな感情を喚起させます。それが本能的な共感なのか、演出によるものなのか(anggunによる挿入歌が悲壮感を煽っています。)どちらにせよ、死そのものの描写にはオブラートがかけられているとはいえ、「食べられる側」と「食べる側」の間に敷かれている暗黙の了承、その残酷さの意味に、不気味な寒気を感じずにはいられませんでした。これが飢えた側からの視点だけなら、ホッとするだけの場面なのでしょうけど。。



ここに来て、人間の「映像による情報交換」こそが、現時点において他生命のコミュニーケション手段に準ずる振る舞いであるという自明な事実に一巡して辿り着く。ヴィジュアルによる認知の拡張。形象が紡ぐ物語の力。伝えられた光景に感情移入するということ。まるでヒマラヤの峰を超えるあの渡り鳥のように、私たちは何か連絡をやりとりして、何処かへ辿り着こうしているのではないか。

あの象のように、砂嵐で方向を見失いはぐれてしまった者も居るかもしれない。解けた氷の上に取り残された熊のように、飢えて眠りにつく者が何処かに居るのかもしれない。社会化された通念ではそれとして捉えられない事象かもしれないが、物事は相対的だ。文字通り非人道的に失われる命は限りないし、誰もが、あの象や熊になり得る可能性がある。他種生命の様相であろうと、そこに感情を動かすダイナミクスが働くのは、紛れも無く普遍的な私たち自身の姿を映しているからなのだ。

では、その特性から人間自身にとって有益な住環境である自然を浸食し、文化や生命種としての持続可能性を著しく損なっている我々の業は何だろう。それすら運命付けられ、私は人類が滅びに向かうタイムスケールの縁に偶然産まれて来たのだろうか。否、未然の帰結は存在しない。人には己の習性と群体としての振る舞いを判断し、客観視、制御する力があると私にはまだ信じられる。

そして多くの人間は、他の生命について「弱肉強食」の意味をしばしば誤って用いて来ました。誰かの利益の為に不利益を被る存在を笑うなら、将来、彼のために作られた負債を背負うはずの子孫に泥を塗るのも同じ愚かなことです。子孫が弱者になる関係を目指す種など、淘汰に向かっているのも明らかなのだから。動植物の生命サイクルの全ては、この映画がテーマとしているように、親から子へと受け継がれる絆のバトン(子殺しなどのマイノリティな反応も含めて)と言い換えらるでしょう。しかしそこに何か意味を見出せと言われても、本質は皮を剥がれるほど空虚に帰すだけ。ただそこにある様相に駆り立てられる感情があるのです。


世界を見て、ただ美しいと感じること。
それが最小限の要約を以て投機となるのなら、
この映画の存在価値は十分に見出されるでしょう。



(関連)
>> lens,align.:The IPCC 4th Assessment Report.
>> lens,align.:死の中の生命

Rearth2



□ Mars Lasar / "Karma"

Sacrifice


□ hammock / "kenotic"

the Silence




_*


garbage.txt

2008-01-01 12:45:20 | Science
□ 起こらないことが起こるとは、その逆も起こることである。

非可換エルゴードと巨視的/局所不安定性→リアプノフ時間(情報量次元の限界外)はマルコフ過程を経るだろうか。起こるべくことはあまねく起こる無限次元と、決定論的単一宇宙の実在性の差異は、内部観測からは区別不可能である。→事象の関係性とパースペクティブ(任意の事象が、他の準位系において同一性をもたない。あるいは離散/統合される)を記述・定量化する計算体系が未だ確立されていない。




□ 物理的側面からの公理の普遍性の意味

宇宙で起こる事象を定量化して、予想される結果を得ることが出来るのは、人間の脳内における定量信号交換が、数学や論理体系という形で、世界に対して一定の同期性を持つことが根拠となる。つまり、物理系において「理屈に合わない振る舞い」は「真相」ではないという関係性だ。でも、論理外のことは本当に起こっていないのだろうか。

仮に、宇宙の真相が、何者かによって滅茶苦茶に描かれた落書きだったとしても、一見カオスな点描の中にもランダムな規則性を読み取ることができる。落書きに一定の規則があるのではなく、非連続に離在する点と点の間に規則性が「勝手に」働く関係性(星空に星座を読むのと同じ)があるということだ。パラドックスだが、ここでは読み取る者の存在なしに関係性が先に規定されている。しかし、ある関係性で連結された系は、同時に規定された法則の枠に安定する。また落書き中の各点は、他にも無数の規則性で結ぶことが可能かもしれない。では人間と宇宙の関係性が何かと言うと、まさしく非可算な空間に準拠する、ごく狭い可算な領域。ランダムな点と、それを含む一定の関係性の元に結ばれた点の集合の共鳴であり、1個が全てと等価である。(この思索は、まだまだ理論的な改善と研鑽の余地があります。)




□ 美の行使と帰結の環

「美」は人間のbehavior[振る舞い]を規定するオーダーの一側面であり、その統合概念の呼称と言い換えられる。人は、あらゆる複合的な事象を「擬対象化」して感情移入を行う。忌むべき事象を駆逐することは、憎むべき誰かを殺すことと同値である。「美しい誰か」はその逆であり、規定されている実在性が人の価値観を通じて、抗いようのない絶対の作用を及ぼす。手の届かない美、実現できない理想。エロスの極限は神聖化である。信心は「得たい相」を導くベクトルとなり、自己と他者の振る舞いを自身にとっての均衡へ向かわせる欲求を、そして暴力を産む。斯様に、美は支配と暴力の一環を成す。

美を行使するもの、あるいは与えられた者には、他者に作用する自らのSurface(外表面)の負荷と責が生じる。美を所有するものは彼/彼女の内面でありながら、それは同時に他者の世界に属するものであり、外側から規定された価値を共有する。欲望の帰結が破滅ならば美は呪いに等しいが、確固たる意志に基づいた献身は、美に囚われた魂を解放する。その意志は、毅然として現実世界の無価値性を直視しながら、他者の生命を思いやるという矛盾と背反を背負う覚悟を伴うが、かの意志が世界を何者かの理想に近づけるなら、及ぼす原理は同じく幾許の悲劇の中に幾つかの代え難い物語を得ながら、かくて美はエロスの相克を為す。


宇宙人論争における否定と誤謬の心理。

2007-12-22 23:16:48 | Science
国会に端を発して巷を騒がせている宇宙人の話題ですが、一部の好事家にとどまらず、それなりの見識を持った人々の間でも愉快な論争がネット上で繰り広げられています。

宇宙人問題というのは、ある意味象徴的なテーマで、実はあらゆる「議論」の普遍性に通じる問題を包しています。宇宙人の存在の肯定、否定に関わらず、「(いるorいない)可能性の話」をしているにすぎないのに、同様に「不確かな推論」を持ち出した主観で「それはありえない」とか「そう考えないとおかしい」と断定調で水掛け論をする人々に限って、攻撃的な論調を繰り広げがちなように見受けられるのが興味深いです。

と、これだけで言いたいことが終わってしまった(笑)


当然、「推論の確かさ」は議論において一定の優位性を持ちますが、そこには彼の推論が実証されているか、あるいは「確からしい」という社会的に構築された論理性のレベルがあり、その人の主張を評価できるのは、アカデミックな共通認識のみであって、誰かの恣意的な推論ではありえません。

つまり、「同等の可能性のレベル」の議論の掛け合いは問題ないけれども、より「確からしい(曖昧さの少ない)」推論に対して、実証性レベルが下位にある推論をもって「前者への否定」とすることは、主張の内容とは無関係に意味をなさない。


例えば、「人間原理」について、人間が存在する世界を現象した微小な可能性に必然を求めるか、偶然と切り捨てるか、「神がやったと考えないとおかしい」と考えるか、各々の主張の説得力は、実は目に見えている論旨の表層とは無関係に、その人の論理の組み立ての仕方に依存します。


(※・・・「誰が考えても確率的にありえないから何かの意志が存在するに違いないだろ、常識的に考えて」というバカげた戯れ言をセントラルドグマにしているID論者は、そもそも議論のステージにあがる資格を持っていない。人間の尺度を思い込みで定義して絶対視しているのは己の方である故に、自然主義者が人間の尺度に囚われているとする矛盾で既に破綻している。逆に「インテリジェントデザインが介入する余地はある」とすることは、そもそも定義する前提が超越的だが、実は論理に叶っている。しかしそのような存在は際限なく定義可能な為、ID論者の自然主義否定のスタンスは、その理論体系に照らしても異質でしかない。

仮に人間をデザインしたそのような知性が存在したとしても、彼らの偏向性と恣意性が何ら注がれるわけではない。全く無関係である。事実、ID論の支持者には議論もまともにできない理系コンプレックスの論客が多い。そして耄碌した理系が唱えているからと言って妄信している。このような有害な思想体系がアメリカの学校で教えられている現実は嘆かわしいものがある。聖書に合理性を強いることこそ神への冒涜に等しくはないのか。さもなくば宗教資本の入り込むトロイの木馬を仕込んでいるようなものである。)

以上の追記については、私が参加しているBio-InformaticsのMLで、バイオ関連研究者へのインテリジェント・デザインに対する意見を募る「調査」がアメリカで行われていることが報告されたことに薄ら寒いものを感じた為、私自身の見解を明確に表明しておいた。


・もっと深刻なキークエスチョンの乖離

「人間原理についての必然性の否定派」・・・確率に支配された宇宙は試行回数が有限であり、有り得なさそうなことは宇宙の年齢を考えると起こりえないと考えるのが自然。だから人間が誕生したのは単なる偶然であり、それ以上の意味はなさそうだ。(偶然=事象は離在する飛び飛びの値に働く関係性の認識?)

※言外の否定・・・「決定論者は、起こりえなさそうな現象が実際に起こることの説明ができていない。」→確率的にありえなさそうなのに起きたから「必然」であると意味付けるのはナンセンスである。現象の生成には何らかのプロセスがあり、不可逆、不確定性のある人間の時間尺度では確率という形で認識可能なのだ。


「人間原理についての偶然性の否定派」・・・宇宙は一部、あるいは全体に必然性を内包しているらしい。重要なのは宇宙の現象の仕方である。そもそも時間の存在そのものが因果の必然性の支配の可能性を示唆するものではないか。時間は人間と言う存在を相補的に担保する遡行的な認識形態である。

※言外の否定・・・「確率論者は、起こりえなさそうな現象が実際に起こることの説明が出来ていない。」→事象の必然性は人間にとっては確率で「計測」できるというだけで、ありえなさそうなことが起きたことを「偶然」で片付けるのは、現象の生成のプロセスに言及できない弱みを抱えている。

[→両者の問題はエルゴート仮説(※遙かに長い時間尺度を取ると、微小な事象は等しい確率で実現する)とフラクタル次元の適用を経由して解決できるかもしれない。ポアンカレ周期(=有限な宇宙時間)の壁は、最近話題になっているランドール博士の無限次元仮説で克服できるかもしれない。]



実はこの両者、主張の中身は単なるネガポジの関係にあり、共通了解が大きく重複しているにも関わらず、お互いに言外の意味を取り違えたまま、お互いの「言ってもいないこと」を勝手に仮想して攻撃対象にしてしまっているのですね。ここでは推論内容を限定しましたが、現実の議論はもっと不確かな情報や思い込み、感情論の応酬で、議論の枠組みと方向性が歪に壊れてしまいます。このブレの大きさは宇宙論特有の問題であると言えます。


こうした議論の罠にはプロの科学者も陥りがちで、偉大な天才科学者が当時の方法論で一万年、あるいは百年先の未来まで覆ることの無い万物の真理を見抜けたかと言えば、決してそうではないということも自明なことでしょう。(特定の論理の指向性は、現在到達可能な認識の枠組みに限定されている)案外専門外のことには不用意で無責任な発言が多いのも、ホーキングやセーガン、ドーキンスの例をとって見るまでもなく、日常至る所で繰り返されている光景です。

最後に、カントが自身の超越論的哲学で否定した「結果の出ない無意味な論争」には真実を求めるのではなく、何がその論争を取り巻く人たちにとって有益なのか、その実効性を鑑みるためには、ナンセンスで議論を掻き回すだけの「否定」は有害なノイズでしかないというのが、私の主張です。


Holophonicsの効果とまやかし。[改訂版]

2007-11-09 06:09:07 | Science
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(Virtual Barber Shop:ヘッドフォンでお聴きください)



>> http://www.holophonic.ch/newsite/index.php


昨年辺りからYouTubeを中心に世界中で話題となった立体音響技術、ホロフォニクス。ステレオ合成における左右間の音像だけでなく、観測者の前後上下に距離感を伴って定位する仮想現実的な音が、何の変哲もないヘッドフォンスピーカーで再現可能。日本でも某動画サービスに音源が紹介され、一週間で20万近い再生数を稼ぐなど、再び旋風を巻き起こしています。


20年以上前にアルゼンチン出身の神経生理学者、Hugo Zuccarelli氏によって開発された技術で、その原理については長年秘匿されたままだとか。実は何年も前に文献で読んだことはあったのですが、当時はどうせ疑似科学か何かの延長だろうと全く関心を寄せませんでした。。メディアでの表層的な扱いや紋切り型の解説、また技術的、専門的な考証は省いて、ざっと関連・言及している科学文献を検索してみた時点での予測をいくつか簡単に。


・音の回折とデリファレンス

一番気になるのは、開発当時のプロセッシング技術の程度による音源加工で、ほぼリアルタイムな変換を可能にしているということ(※スタジオ収録の映像資料より→完全にアナログデバイスだから当然)。これは立体音響が何か複雑な処理を経たエンハンスによるものではなく、処理されるソースの最低限な計算、ファンダメンタルな操作で実現されていることを示しています。やはり集音装置自体にもキーがあるものと思われます。

モニタリング・デバイスとプロセスの特許(ズッカレリ)


耳の発する参照音(リファレンス・トーン)と外部の音の干渉を何らかの仕方で認識させているとのことなのですが、この「参照音」が現代で言う「耳音響放射」(蝸牛内の外有毛細胞の振動現象)と同一のものなのかどうかわかりません。全くの憶測ですが、もしかしたら「参照音」は仮想的に定義したものに過ぎないのかも。

ホロフォニクスは、ホログラムの原理を聴覚上に置き換えたものだと説明されます。ホログラムが光学的に立体像を描くのは、被写体の部分から放射された光と、任意の光源(参照光)の干渉縞を透過した回折光が、空間全体の光学情報を保存する為ですが、これを時間展開的に捉えると、ホロフォニクスの仕組みが見えてくるかもしれません。(情報の一部分は全体の様相の反映であり、「全体」の再現性を内包しうる。)


問題は、全ての録音された音について、その無数の音色それぞれが「いつ、どこで」鳴らされたかという判断をするための情報をどう記録し、人間の脳が刺激からそれを認識する為に、その音色からどういうプロセスで情報を抽出する(デリファレンスする)かという部分。

仮説は無数に立てられますが(ex.逆位相の「壁」で仮想的に回折効果を得ている?or不可聴領域で空間構成を把握させる→ある基準音に対して音像を絶えず移動(定位を固定する為に補正処理)させれば単入力でも立体感が得られるor単純に入力や反響の時間差からの算出と増幅or聴覚刺激を認識する前の段階で、それが生の音でないと自覚する為の信号を相殺するに相当する何か。または何れかの複合。)、ズッカレリが既に確立した手法で得られたデータを普遍化すれば、特殊な録音装置を用いなくても、逐次音源に対するデジタル補正を行うことで立体音響効果が得られるでしょう。(Holophonicsの録音装置自体も、今ではヘッドフォン型マイクというシンプルな形に集約されています。)非常に大きな可能性を秘めた技術であることには違いないです。

※・・・他には、録音装置自体が参照音を発信できる構造の可能性。または、外耳道共鳴や頭部伝達関数を考慮して、音源の位置によって反応する脳の信号を固有な曲率を持つ平面上にマッピングして、それぞれに対応する信号を引き出すパターンを即時的にモジュレートするフィルターも有効かもしれない。

※・・・耳音響放射は「耳鳴り」との関連が研究されていますが、耳鳴りの治療の為の脳への電気刺激で幽体離脱を体験したという有名な臨床例(あくまで本人の主観でしか捉えられない)が報告されています。もしかしたら、ホログラムに共通する原理で、人間の意識は自身と空間の客観像を仮想的に構成しているのかも。

※関連?→人間は自分が予期した触覚、つまり自分自身の身体の部位に触れる場合に、信号を一部相殺して刺激を和らげるという処理が脳内で行われることが近年の研究で指摘されています。知覚認識における「表」と「裏」、「図」と「地」の概念。(→何かを思いだせないと感じられるのは、忘れたものを知っているから。)



しかし一方で、ズッカレリ自身による非常に哲学的な示唆に富んだ暗示が引き寄せる疑似科学めいた先入観が、この技術の可能性をスポイルしている様相も。ホログラフィー周辺で良く引き合いに出される体系的な思索、たとえば宇宙の非実在論、特に内在観(知覚できる外宇宙は自分の内に存在する等)などは、古くはヴェーダンタ哲学をはじめ、有史以前から人類が抱き続けて来たと思われる普遍的な発想ですが、近代の多くの科学者が、量子物理や化学に関する創造的な発見に際して、その東洋回帰的な啓蒙を、さも有り難みのある再発見のように評しました。

「現実」が「完結した時空」の一側面の投影だというシュレーディンガーの手記(※)は、フラクタル理論にも通じる尊敬に値する本質的な要素が感じられますが、ホログラフィー哲学も系統的にはこれとほとんど同じ想定に基づき、ズッカレリの考えも似たようなものだと発言から計り知れます。しかしそういう啓蒙は、科学が自身の論拠とすべき基礎研究とその目的にとってはどうでも良いことなのです。

実在と知覚の捻れがどうあれ、人間が一般化された方法で定量的に干渉できる世界は、その実在と等価であるはず(これを前提としなければ、内在観自体の論拠も崩壊する)の宇宙しかありません。これは個人が如何なるバイアスを通した世界観・教条を抱いていようと同様で、パースペクティブの切り替えは、任意の文脈(手段)の可干渉な階層間でのみ有効であり、その混用はナンセンスなまやかしでしかないのです。


※(→数学的には目新しい発想ではない。『空間上の振る舞い』は認識の形容であり、他の次元系にも変換可能。前後左右に移動するという概念をパラメータで定量化すると、例えば任意の系で「空間上を前に歩く」→「平面で右に回る」と等価なパースペクティブを構築できる(時間軸についても同様)。この世界も同時に他の次元に重畳的に実在し、(連結ならば)ある観測者にとって関係性を保存しながら、異なる振る舞いを見せているのかもしれない。しかし、社会的な人間にとっては「前に歩く」ことは空間上を前進することだという認識を共有して問題ない。どちらも真性(本質)は等価である。)



何が言いたいかというと、特定の発想や技術が「社会にマイナスを齎す(ズッカレリ)」かどうか、あろうことか「思想的なインパクト」の害悪について判断するには開発者といえど僭越かつ早計であって、そんなことを理由に可能性のある技術が停滞したままだとしたら非常に残念だということです。

あるいは、そんな四方山は置いておいて、研究は進んでいるが軍事機密に関わるとか、単に実用の目処が立たない(外部の音を空間を介して録音することしか出来ない制限)、応用のメリットの少なさで引き算されているとか。。ここまでヒントがあって、いくつかの同様の技術が追随しているにも関わらず、現在も実際の応用例をほとんど目に出来ないのは、本当は実利的な要素が強いのかもしれませんね。


(補足)
Wikipediaによると、球体表面におけるwave field synthesisという原理を利用した"Holophony"という全く別の3-D音響技術があるらしい。

>> http://en.wikipedia.org/wiki/Holophony
>> http://en.wikipedia.org/wiki/Wave_field_synthesis

これこそが「ホログラムの原理を利用した技術」で、「バイノーラルの一様体であるHolophonicsと混同してはならない」との但し書きがあるが、当該箇所には編集者の作為が感じられてならない。Holophonicsこそ、(ズッカレリの説明によるとバイノーラルとは全く違う)よりシンプルで基本的なホログラム原理に基づいているのに対し、(→編集者が明らかにHolophonicsについて説明されていることを知らない。或は信用していない。)HolophonyはHuygens?Fresnelの理論を経由した、より複雑な仮想音源音響の構築技術だと見受けられる。しかしどちらにせよ、ズッカレリがHolophonicsをオーバーテクノロジーだと言うのは過大評価かもしれないし、何らかの意図(単なる権利保持かエンジニアとしてのライフワークの確保)を伴ったブラフか牽制であるとすら思えます。(大昔と比べて人間の何が変わったかということ。文明の更改が世界観を一律に支配しているようには、今のところ見えません。)



□ clip.

量子情報:現実直視
Quantum information: Reality check pp175 - 176
Published online 7 November 2007
It will be a long experimental haul before the great potential of quantum effects can routinely be exploited for technological ends. A sense of practical purpose among researchers will encourage progress.

When the citizens of Geneva cast their votes in the Swiss federal elections on 21 October, they could be confident that their ballots were safe ? thanks to the rules of quantum mechanics. The poll results were sent down an optical fibre from the counting station to a government data centre, and their integrity was safeguarded by a quantum encryption key transmitted through the same fibre.

Liesbeth Venema
doi:10.1038/450175a
Standfirst: http://ml.emailalert.jp/c/abs1ad1gdq7lb8aB
Article: http://ml.emailalert.jp/c/abs1ad1gdq7lb8aC




□ Monster black holes power highest-energy cosmic rays

>> http://space.newscientist.com/article/dn12897

19:00 08 November 2007
Enormous black holes in galaxies millions of light years away are pelting us with energetic particles. The finding, from a telescope array 10 times the size of Paris, solves a long-standing mystery about the origins of the most energetic cosmic rays that strike the Earth's atmosphere.

Supermassive black holes that lie at the centres of galaxies and are devouring their surroundings act as cosmic peashooters, firing energetic charged particles through space.

NewScientist.com news service
Hazel Muir


ミニミニコラム:『教育における天動説』

2007-09-05 12:11:53 | Science
「地球を中心に宇宙が回っていると思っている子供が増えている。」

ゆとり教育への反動として、最近までとくに揶揄されていた子供の学力低下。それを端的に象徴する表現として、上のような文言を口にする大人をメディアで頻繁に目にしました。天動説、地動説を比較対象にするやり方は、そのインパクトや象徴性の高さから好んで用いられることが多いですが、反面、問題の重要な軸を見失わせがちです。以下のポイントについて、


1) 子供が「天動説を信じている」わけではない。
2)それは「天動説」ではない。
3)太陽系についての一般的な認識こそ「天動説」である。


1)については、宇宙の仕組みを「どの程度、どの時期で」覚えさせる必要があるかという問題に置き換えられます。「子供」とはどのくらいの層のことを指すのか、また、その時期にいわゆる「地動説」を学ぶ必要性は?3)にも関わることですが、「教育現場で浸透している太陽系モデルを固定概念とすることの弊害」と、リスクを対比してみる必要性は?

これは、自然科学という分野も教育の段階においては「社会的承認事項の入力」という作業に過ぎないという一面を露にします。そのメリットは、世界の仕組みに関する共通認識を得ることで、社会に通用する自身の教養の一つとすることが出来るということ。更にその先、「見かけとは異なる宇宙観」を早い段階で身に付けさせることで、自然に対する探究心、解明欲を育てる足がかりになるかもしれない。


2)は、天動説タイプのパラダイムを持つ子供や教育現場の状況に対して、まるで旧時代的な敵対感を抱く大人の態度の問題。1)の理由から、異なる教条の対立の如く感情的に批判するやり方はこの場合全くナンセンスです。


3)については実は過去に言及したことがありますが、現在の太陽を静止系とした地動説モデルも、本質的には天動説と大差ないということです。(ex.銀河回転:しかし、太陽系惑星間の関係性に視点をロックすることは、原理に最も近いファンダメンタルな記述を可能にすることから、様々な観点で理に叶ってはいます。)天文学だけではなく、あらゆる科学領域において『観測者の非中心性』は常に付きまとう大きなテーマです。素粒子論の最先端の本丸とも言える超対称性理論についても"回転座標系と慣性座標系を混同した天動説に過ぎない"という論文に端を発した言論弾圧問題が有名となっています。

教育における地動説が、実用性と言う社会要求によって確立されているという点では、旧キリスト教時代の弾圧と教化と同じでさえあると言えるでしょう。(既に古代ギリシャから地動説は支持されていた。)但し、そこを自覚しているか否かに大きな隔たりがあります。少なくとも私が見た限り、大口で平然と例のセリフを叩く人々にはそういった配慮も自覚も感じられませんでした。

逆に、以上の了承の上で「間違いではない天動説」を子供に呈示することも可能なのです。種々の座標系に関する計算が複雑化しますが、あらゆるパースペクティブが存在することについて言明すること自体に価値があるのではないでしょうか。或は「太陽も動いてるんだけどね。」と教師が一言付け加えれば良い話なのかもしれません。子供のイマジネーションこそ、教育がもっと信じて活かしてやるべきものなのでしょう。




□ News.

□ 宇宙の太陽光をレーザー光に変換、地上へ

>> http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200709040017.html

模擬太陽ランプを使った実験で、新開発のセラミック材料を使い、大出力のレーザー光に増幅することに成功した。これまで、数%~10%程度だった太陽光からの変換効率を42%に高めた。波長の幅広い太陽光を吸収できるクロムと、太陽光を効率よくレーザー光に変換できるネオジムを、セラミック材料に高密度に注入して実現した。

 太陽光は、大気や雲に吸収され、地表に届くのは3割程度。一方、宇宙では、昼夜や天候に左右されずに利用できる。このため、宇宙からレーザー光で地表に運べば、利用可能なエネルギーは、地表の5~10倍になる。

 JAXAは2030年を目標に、100~200メートルの反射鏡を備えた人工衛星を打ち上げ、レーザー光に変換して地上に発射、発電や水素製造に利用する研究を進めている。



インパクトのある研究成果の割にあまり注目を集めていない理由は、その実用可能性の乏しさにあります(笑)そんなに巨大な衛星をスペースデブリの行き交う渋滞の衛星軌道に打ち上げ維持するコスト、安全面の問題、仮に実用化されたとしても、そのリスクに対するCPがさほど大きくないという数々の問題点。技術的に可能かどうかは実はその次の問題でしかありません。ただし、エネルギーの転送技術としては、将来の宇宙開発、例えば他惑星開拓や、宇宙船への遠隔エネルギー供給に向けた大きな魅力を秘めたものです。次の段階としては、太陽追尾システムと集光装置の最適化が計られるでしょうね。