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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

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2008-01-01 12:45:20 | Science
□ 起こらないことが起こるとは、その逆も起こることである。

非可換エルゴードと巨視的/局所不安定性→リアプノフ時間(情報量次元の限界外)はマルコフ過程を経るだろうか。起こるべくことはあまねく起こる無限次元と、決定論的単一宇宙の実在性の差異は、内部観測からは区別不可能である。→事象の関係性とパースペクティブ(任意の事象が、他の準位系において同一性をもたない。あるいは離散/統合される)を記述・定量化する計算体系が未だ確立されていない。




□ 物理的側面からの公理の普遍性の意味

宇宙で起こる事象を定量化して、予想される結果を得ることが出来るのは、人間の脳内における定量信号交換が、数学や論理体系という形で、世界に対して一定の同期性を持つことが根拠となる。つまり、物理系において「理屈に合わない振る舞い」は「真相」ではないという関係性だ。でも、論理外のことは本当に起こっていないのだろうか。

仮に、宇宙の真相が、何者かによって滅茶苦茶に描かれた落書きだったとしても、一見カオスな点描の中にもランダムな規則性を読み取ることができる。落書きに一定の規則があるのではなく、非連続に離在する点と点の間に規則性が「勝手に」働く関係性(星空に星座を読むのと同じ)があるということだ。パラドックスだが、ここでは読み取る者の存在なしに関係性が先に規定されている。しかし、ある関係性で連結された系は、同時に規定された法則の枠に安定する。また落書き中の各点は、他にも無数の規則性で結ぶことが可能かもしれない。では人間と宇宙の関係性が何かと言うと、まさしく非可算な空間に準拠する、ごく狭い可算な領域。ランダムな点と、それを含む一定の関係性の元に結ばれた点の集合の共鳴であり、1個が全てと等価である。(この思索は、まだまだ理論的な改善と研鑽の余地があります。)




□ 美の行使と帰結の環

「美」は人間のbehavior[振る舞い]を規定するオーダーの一側面であり、その統合概念の呼称と言い換えられる。人は、あらゆる複合的な事象を「擬対象化」して感情移入を行う。忌むべき事象を駆逐することは、憎むべき誰かを殺すことと同値である。「美しい誰か」はその逆であり、規定されている実在性が人の価値観を通じて、抗いようのない絶対の作用を及ぼす。手の届かない美、実現できない理想。エロスの極限は神聖化である。信心は「得たい相」を導くベクトルとなり、自己と他者の振る舞いを自身にとっての均衡へ向かわせる欲求を、そして暴力を産む。斯様に、美は支配と暴力の一環を成す。

美を行使するもの、あるいは与えられた者には、他者に作用する自らのSurface(外表面)の負荷と責が生じる。美を所有するものは彼/彼女の内面でありながら、それは同時に他者の世界に属するものであり、外側から規定された価値を共有する。欲望の帰結が破滅ならば美は呪いに等しいが、確固たる意志に基づいた献身は、美に囚われた魂を解放する。その意志は、毅然として現実世界の無価値性を直視しながら、他者の生命を思いやるという矛盾と背反を背負う覚悟を伴うが、かの意志が世界を何者かの理想に近づけるなら、及ぼす原理は同じく幾許の悲劇の中に幾つかの代え難い物語を得ながら、かくて美はエロスの相克を為す。


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