心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

夏祭りに想うこと

2022-07-21 22:28:01 | Weblog

 3年ぶりの祇園祭(山鉾巡行)を覗いてきました。遠くから聞こえてくる祇園囃子に耳を傾けていると、ぼんやりと昔の情景が浮かんでは消えていきます。学生の頃、賄い付きでもないのにお祭りの日には決まってビール1本と祭り寿司(ちらし寿司)を部屋に持ってきてくれた下宿のお婆さん。浴衣姿で友人たちと団扇片手に京の夜を闊歩した若き日々...。
 そもそも夏祭って何でしょう。広辞苑によれば「夏季、みそぎ浄めて病魔・罪穢をはらい、清福を祈請するために行われる祭」とあります。...古き良き時代の7月某日、我が家(実家)の表座敷に隣接して急ごしらえの神社(舞台)が仮設され、夏祭の3日間は笛と太鼓が響き渡っていました。山間の、ふだんは静かな街でしたが、この日ばかりはどこから沸いてきたのかと思うほど人々が集います。お小遣いを握りしめて姉と一緒に夜店を巡ったものでした。
 そんな賑やかな夏祭も終盤が近づいてくると、凛とした笛の音が響き渡ります。ああ、これでお祭は終わるのかと、なんとなく寂しい気持ちになりました。その篠笛の音がお能の舞台をきりっと引き締める笛(能管)の音にそっくりなのです。
 先週、山本能楽堂であった能講座のテーマは「逢坂関の琵琶法師」でした。今昔物語や平家物語にも登場する平安中期の琵琶法師「蝉丸」のお話しです。延喜帝第四皇子でありながら生まれつき盲目のため逢坂山に捨てられる運命。その姉、第三皇女は髪が上に向かって生える狂気さから流浪の身となり「逆髪」と呼ばれました。姉と弟の再会と別離。なんとも悲しいお話しでありました。いつの日にか、ピーという笛の音で始まる舞台を観たいものです。
 そういえば、祇園祭の帰りに立ち寄った古本屋さんで、山折哲雄対話集「こころの旅」(現代書館)を手にしました。お相手は白洲正子、佐佐木幸綱、河合隼雄、松原泰道、杉山二郎/大澤真幸、谷沢永一、山下悦子/森岡正博、芹沢俊介の面々。山折さんには能楽堂で一度お話を伺ったことがあり、なんとなく先生の著書は気になっていました。 
 本を開いて最初のテーマは、白洲正子さんとの対話「象徴としての髪」でした。平安朝では髪の長さが美しさの象徴でもあったし、黒い長い髪の毛は日本の宗教的な伝統のなかでは女神と強く結びついていて、髪の毛をご神体として祀る神社が各地にあるとも言います。
 話は白髪の翁と黒髪の女神、髪の呪力へと展開していきます。髪の毛が逆立つということが死者・亡霊のイメージと繋がるというあたりから、話題はお能の世界に入っていきます。そこで登場するのがなんと能「蝉丸」でした。
 1週間の間に「蝉丸」に2回も出会ったことになります。まもなく72歳を迎えようとしている暑い夏の盛り、祇園祭、夏祭り、横笛、お能、蝉丸、逆髪、象徴としての髪といった言葉が、私の頭の中をぐるぐると駆け巡っています。

 そうそう、朝のお散歩で立ち寄るお不動さんの境内に並ぶ四国八十八カ所の祠。蝉時雨という言葉がありますが、現実の世界から幽玄の世界に紛れ込んだような錯覚を覚える夏の風景でもあります。
 明日は、フランス文学講座を受けたあと、この春亡くなったシニア仲間を偲ぶ会があります。お酒が好きだったので皆で冷たいビールをいただきながら故人を偲ぶことになります。ということで今夜は一日早いブログ更新となりました。

コメント    この記事についてブログを書く
« ヴァイオリンの路上ライブ~... | トップ | 真夏の昼下がりに本と遊ぶ ~... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿