愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

桜井市上の宮 旧多武峯(とうのみね)参詣道付近の石仏

2012年07月10日 | 石仏:奈良

桜井市街より、談山神社の在る多武峯(とうのみね)方面、あの聖林寺へと続く旧多武峯参詣道筋に見慣れない姿の石仏が在り、付近で見かけた石仏と共に紹介します。

そこははかと懐かしい景観を残す街道筋・・・、しかしこんな佇まいを見られるのもこの一画だけですが・・・・。

しるしの杉玉が居並ぶ造り酒屋さんの玄関口、談山正宗の名も見え、ここが談山神社のお膝元なのだと知る事が出来る。

そんな街道筋の古い景観を消しゴムで消し去ったような店先の、裏口正面にどかっと腰を据える大きな石仏さん。

勿論、石仏さんが先ここに居て、建物は最近こうした形で建てられたものでしょうが・・・・

周りに雑多のものが置かれ、石仏さんも日常生活に紛れ込んでいます。

まあ、これも庶民信仰、野に置かれた石仏さんの一つの姿なのでしょうが・・・・。

石仏は高さ約1.5m、大きな舟形光背を持つ如来形坐像ですが、右手は胸元で立て拝みし、左手は膝元で五指を揃えて手の平を見せる見慣れない印相。

目元、瞑想状態のように薄く閉じ、頭上の螺髪は立派ですがどうも馴染めない・・。

向かって右側、光背に宝永七年(1710)の紀銘が在り江戸時代中期の像立。

やっぱりなあ・・・という感を強くする。

近く街道の辻を西に折れ、立石橋の畔にはこんな地蔵さん

これも余り見慣れない顔付の地蔵さんだと涎掛け外してみると・・・・、やっぱり明治後期の近世仏。

やっぱり何かが違います。

近く寺川沿いの斜面に有る高田墓地の地蔵堂には・・・・

心落ち着くこんな地蔵さん。

総高約1mばかりの定型地蔵、磨耗風化が進んでいますが、見慣れた像容で少し童顔

台座はコンクリートで固められ、決定打には欠けますが・・・、室町期の地蔵石仏でしょうか??、古いものが良いと云うだけじゃ無く、どこか落ち着けます。

撮影2011.7.13


奈良市法蓮佐保山 興福院(こんぷいん)墓地阿弥陀石仏

2012年07月10日 | 石仏:奈良

奈良市中心街の真北、奈良県総合庁舎裏に当たる佐保山の山懐に抱かれ、格式有る尼寺の興福院が在り、その西に連なる墓地に等身大阿弥陀石仏が有る。

興福院は元近鉄尼ケ辻近くに在り、天平勝宝年間(749~757)、和気清麻呂が聖武天皇の学問所を移して創建し、現在地には江戸時代の寛文五年(1665)に移建し、元禄の頃に寺観を整えたと伝えられている。

夏草に覆われるかのよう、墓地の中央辺りに一目でそれと分かる背の高い石仏が単立しているが・・・何かとってつけたような感じもしないではない。

この石仏も尼ケ辻から引っ越してきたのだろうか??・・・・、そう言えば尼ケ辻方面には良い石仏が集中している。

 総高215cm、像高160cm、二重蓮台の上に立つ上品下生の来迎印を持つ阿弥陀如来立像。

厚肉彫りで刻みだされた体躯、尊顔共にゆったりとした優しい曲線で、特になで肩は特徴的。

鼻の頭が少し欠損する以外殆ど傷みも無く良好な保存時状態です。

紀銘は有りませんが鎌倉後期の像立。

この時期京都での如来石仏には坐像が目立つが、ここ奈良にはこうした立像の如来石仏が多い。

撮影2011.7.8