宇治平等院を建立した藤原頼道の娘で後、冷泉天皇の皇后寛子がその病の治癒を願って創建したと伝えられる金色院の遺構、白山神社に建つ九重石塔。
<金色院の遺構の一つだとされる白山神社惣門>
宇治市街の住宅開発の波がなだらかな尾根を挟んで真近まで押し寄せているが、 宇治川支流白川に沿うように建ち並ぶ、此処白川の里は今も静かな離れ里の佇まいを見せている。
藤原頼道の娘、四条宮寛子の供養塔といわれる九重石塔は、白山神社へ続く参道から少し奥まった木立の中、細身の瀟洒な姿で多数の小五輪塔と共に建っている。
総高4mばかり、格狭間の入った華奢な基台に乗る細身縦長の初層軸部には金剛界四方仏の種子梵字が月輪の中に刻まれている。
刻まれた線も弱く、女性的な全容からは、鎌倉後期と言うより南北朝期の造立のように思われる。
相輪は新しく後補されたもののようです。
急な石段の上に有る檜皮葺きの白山神社拝殿は、そのまま藤原寛子の別荘だったのかも??
撮影2007.4.1