愛しきものたち

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京都市左京区 小町寺(如意山補陀落寺)石仏群/他

2012年07月09日 | 石仏:京都

先日紹介の恵光寺から府道を挟んで対峙する寺が在り、通称小町寺と呼ばれ多くの石造物を残している。

小町寺と呼ばれる如意山・補陀洛寺は「小野小町」が晩年、小野一族の領地であり、父が住んでいたこの静原に帰り着き亡くなり、野晒しになっていた亡骸を弔った地であると伝える。

府道脇から直登の石段を登ると真正面に「小町寺」の扁額の掛かる最近建て替えられた新しい本堂がある。

本堂の正面には鎌倉期の像立だといわれる見事な阿弥陀三尊。

寺の上段は往古近隣の村々の郷墓があった土地、補陀落寺もそうした墓守寺の一つとして建立されたようです。

そんな墓地の最奥には基壇が設けられ、石仏がずらっと20m近くも並び立てられ、まさしく壮観です。

殆どは高さ50cmにも満たないような江戸期を中心とした小石仏ですが・・・・、総数にして三百体以上も有るようです。

中央後列には一列横隊で舟形光背を持つやや大きな石仏が約十五体ほど・・・、中でも中心基壇の五~六体が目を惹きつける。

中央には舟形光背の中、蓮華座上に結跏趺坐した厚肉彫りの定形地蔵、総高約1.2m地蔵坐像としては中々大きい。

向かって右隣は弥陀定印を持つ阿弥陀如来坐像、左隣には一寸見大日の宝冠と見紛う程の高い肉髻を持つ、やっぱり阿弥陀坐像??

三体共に肉付き良く、肩張り、膝張りも力強く鎌倉期の様式を良く踏襲している。

雛壇右端、一見地蔵かと見間違えた背の高い阿弥陀立像??風化磨耗が激しく 印相も定かでは有りません。

しかし確かに頭上の肉髻は如来のそれを表している。

境内から一段高い墓地入り口に建つ「小野小町供養塔」と呼ばれる五重層塔。

相輪は後補ながら塔身初軸部には顕教四方仏刻み、高さ約3m、鎌倉後期の建立。

境内脇には「小野皇太后供養塔」と呼ばれる総高2.4mにも及ぶ宝篋院塔。

塔身には月輪内に金剛界四仏の種子を刻み、鎌倉時代後期の建立。

撮影2007.3.31:2012.6.30