愛しきものたち

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山科 四ノ宮明神の石仏

2012年07月06日 | 石仏:京都

JRの高架と新興民家の裏に挟まれた僅かな空間、狭い境内脇に粗末なトタンの覆屋を設えられ、安置されている石仏さん。

近所の子供達の絶好の遊び場と化しています・・・僕が撮影してる間も子供達かくれんぼに夢中。

山科地蔵堂脇を京阪線を越え、それと解る案内板のある民家脇の路地奥に四ノ宮明神の小さな祠と狭い境内がある。

祠の台石には琵琶琴元祖四宮明神の文字が刻まれ、この地も人康親王(さねやすしんのう)所縁の地である事が窺われる。

粗末な覆屋の下に置かれた石仏は小石仏を含めても三体、向かって左端の小石仏はともかくとして他の二体の石仏には一見の価値がある。

中央の三尊仏は、目と鼻の先に有る先日紹介の四ノ宮四体石仏にどこか通じるものが有り興味深い。

高さ約1m、舟形石の正面に、背の高い蓮華座上に座す阿弥陀坐像を中尊に、左右には観音勢至立像を配している。

背の高い蓮華座は約30cm、結跏趺坐して弥陀定印組む阿弥陀坐像は像高40cm足らず、左右の両菩薩像は共に像高ほぼ45cm。

かなり磨耗が激しく像容も詳らかではないが、四ノ宮四体仏と同時期の像立と考えられ、鎌倉末期~南北朝期の作

向かって右手の如来石仏も古式を伝える優れた石仏ですがやっぱり磨耗風化が激しく尊名も覚束無いほどです。

高さ約80cm強の舟形に整形した花崗岩に、像高約70cm足らずの如来坐像を、丸彫り近くまで深く刻み出している。

丸顔の頭上には螺髪(らほつ)まで刻み出し、衣文の流れは自然で写実的、体躯や膝張りにも力強さが感じられ、鎌倉後期の像立か??。

どうしても気に成る肩まで挙げた右手ですが・・・、僕には親指と薬指でOKサインを出しているように見えます。

膝上の左手はサッパリ何がなにやらで・・・・・弥勒仏だとする向きも有る様ですが、僕には尊名の確定は出来ません。

人康親王(さねやすしんのう)供養塔の首が挿げ替えられた如来石仏の体躯と似通っている。

撮影2012.6.30