Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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読書案内:アガサ・クリスティーと14の毒薬 -とくに気になるタリウムについて-

2023年05月10日 | 医学と医療
推理小説の根底に流れる思考過程と臨床医学における診断学の思考過程は本来同じである」・・・これは岩田誠先生の「続・神経内科医の文学診断」のなかの言葉です.岩田先生は,臨床診断学的思考も,事件の謎を解く探偵の思考も「観察」という行為を通して得られた事実情報に基づいて推理し,病気や事件のプロセスを再構築していくという点で共通していると解説されています.診断において,問診や診察のウェイトの大きな脳神経内科はとくにその傾向が顕著です.私の好きな杉下右京は「細かいところが気になるのが僕の悪い癖」と自嘲しますが,それ(=観察)ができるのが良い探偵であり,良い脳神経内科医かと思います.

さて前述の岩田誠先生の言葉はアガサ・クリスティーの「蒼ざめた馬」に関するエッセイの中に出てきます.彼女の作品には毒殺が多く,砒素,ベラドンナ,シアン化物,ジギタリス,トリカブト,ニコチン,アヘン,リン,ストリキニーネなどさまざまな毒物が登場します.なぜ彼女が薬や毒物に詳しいかというと,薬剤師でもあったためです.「アガサ・クリスティーと14の毒薬」は作品に使用された14の毒薬を取り上げ,その特徴や実際に起きた毒殺・中毒事件などのエピソードを紹介した本です.彼女がいかに毒薬の性質を巧みに利用してトリックに仕立てたのかが分かります.推理小説好きが楽しめる知的エンターテインメントになっていますし,薬理学の副読本としても最適かと思います.お勧めの一冊です.



さて14の毒物の中でとくに気になったのはタリウム(Tl)です.医師には心筋シンチで有名です.しかし厄介な薬物で,無味,無臭,水溶性で,かつ毒性が強いため犯罪に用いられます.前述の「蒼ざめた馬」で初めて毒薬としての使用が紹介され,1960年代,英国の有名なシリアルキラー,グラハム・ヤングが使用しました.かつて殺鼠剤として使用されましたが,近年は入手困難となり,急性中毒は稀となりました.しかし2015年には名古屋,2022年には京都で硫酸タリウムを用いた殺人事件が起きています.脳神経内科医として「タリウム中毒を見抜けるか?」は気になります.なぜなら潜伏期12-24時間を経て,神経症状と消化器症状にて発症するためです.具体的には悪心・嘔吐,出血性下痢,歯肉の変色などと,ポリニューロパチー(軸索型)や中枢神経症状(せん妄,傾眠,痙攣発作等)が生じます.有名な脱毛は摂取後1-2週間で生じ,3週間で完成するため初診時にないことも多く,ギラン・バレー症候群と誤診されることも報告されています.治療は全身管理で,致死量で服用1時間以内であれば1%ヨウ化ナトリウム液による胃洗浄を,中毒量であれば活性炭を投与します.またプルシアンブルーを経口投与し,Tlの排泄を促進させるという論文が複数あります.タリウムにまつわる面白い話はいろいろあるので,また改めて詳しく書いてみたいと思います.
Liu H, et al. Long-term misdiagnosis and neurologic outcomes of thallium poisoning: A case report and literature review. Brain Behav. 2021 Mar;11(3):e02032.

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