ファジル・サイの人物像をその生い立ちから現在に至るまで、一冊の本にまとめたのが「ファジル・サイ ピアニスト・作曲家・世界市民」です。以前このブログの読者の方からコメント欄で教えていただきました。早速読んでみると、すごく面白い。クラシックの世界ではもう100年も200年も前に死んだ人の話が多くて、こういう同時代で現に活躍している人(しかも私よりずっと年下!)についての自伝は読んでいてとても新鮮に感じました。
今日はこの本の中のエピソードの一つをご紹介します。ファジル・サイが子供の頃ピアノレッスンに通い始めたときの様子です。興味ありますよね。一体、どんなレッスンを受けて、あんなにすごいピアニストになったのか・・・。
ファジルは1970年生まれ。トルコの首都アンカラで生まれました。彼が始めてその音楽的才能を発揮して周囲の人々を驚かせたのは2歳半のとき。モーツアルトのピアノ・ソナタK331の冒頭楽章のテーマを歌い、その数カ月後にはハーモニカでそれを吹いて見せた、というのです。
ファジルに天性の音楽的才能があると確信した父親は、当時トルコピアノ界の最高権威であったミタット・フェンメンのもとにファジルを連れていきます。まだ3歳にもならない子供をつれてこられたフェンメン先生、さすがに困ったのでしょう。もう少し大きくなったらまた来るようにとさとしたそうです。そしてファジルが三歳半になったとき、いよいよレッスンが始まります。父親は電子オルガンを処分してファジルのために本物のピアノを購入しました。なお、このときすでに母親は別居していて後に正式に離婚します。
三歳半から始まったフェンメン先生のレッスン。父親に連れられたファジル。初日のレッスンはこんな風に始まりました。
「フェンメンはこの弟子を抱き上げ・・・キャンディーを差し出し、名前はなんというのかな、何をするのが好きなのかな、本当にピアノを習いたいのかな、よかったら一曲弾いてみてくれるかな、と尋ねた。はい、と子供が答えると、ようやく彼はクッションでふくらんだピアノ椅子に弟子を座らせ、今日あったことを音でお話してくれるかな、と言った。そうやってファジルは教師に音で『語り』始めた。太陽の輝きについて。突然雲が空を覆い、雨が道路に打ちつけ、やがて再び太陽が出て、一筋の虹が見えたことについて・・・」
「今日あったことを音でお話してくれるかな」
初めてのレッスンで優しくこんな風にうながす先生。そしてそれに応えて音で「語り」はじめる三歳半のファジル坊や。眼をつむって、このときのこの師弟の姿を想像してみてください。それは、なんという素晴らしい光景でしょう!
この先生のレッスンは、徹底してファジルの自主性を引き出すことと、その感性を自由に伸ばすことを主眼としていたようです。
「『レッスンをする』という捉え方そのものが適切ではないかもしれない。この教師は、生徒には自分自身によって学ばせ、何も強制しなかったからだ。彼はファジルが完全に自発的にピアノに向かう決心をすることを望んだ。少年は7歳になるまでこの教師から音符一つすら習うことはなかった」
こうして、一回30分、週5回のファジル父子のレッスン通いが始まりました。
現在ファジル・サイはピアニストとしてだけではなく、作曲家としてもその才能を発揮して高い評価を得ています。「音で語る」ことから始まったフェンメン先生のレッスンがそのまま血となり肉となっているんですね。もちろんこの方法は決してすべての生徒に対して適切な方法とは言えないことは明らかですが、ファジルの素質を見ぬいてこのような指導法をとると決めたフェンメン先生の眼力に私は敬服しています。特に小さな子どもを教える場合、その子の持つ可能性を先生の方が見誤っては申し訳ありません。私も生徒の可能性を信じて、その個性に応じて、その生徒にあったきめ細かい指導を心がけていきたいと思います。
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ファジルは1970年生まれ。トルコの首都アンカラで生まれました。彼が始めてその音楽的才能を発揮して周囲の人々を驚かせたのは2歳半のとき。モーツアルトのピアノ・ソナタK331の冒頭楽章のテーマを歌い、その数カ月後にはハーモニカでそれを吹いて見せた、というのです。
ファジルに天性の音楽的才能があると確信した父親は、当時トルコピアノ界の最高権威であったミタット・フェンメンのもとにファジルを連れていきます。まだ3歳にもならない子供をつれてこられたフェンメン先生、さすがに困ったのでしょう。もう少し大きくなったらまた来るようにとさとしたそうです。そしてファジルが三歳半になったとき、いよいよレッスンが始まります。父親は電子オルガンを処分してファジルのために本物のピアノを購入しました。なお、このときすでに母親は別居していて後に正式に離婚します。
三歳半から始まったフェンメン先生のレッスン。父親に連れられたファジル。初日のレッスンはこんな風に始まりました。
「フェンメンはこの弟子を抱き上げ・・・キャンディーを差し出し、名前はなんというのかな、何をするのが好きなのかな、本当にピアノを習いたいのかな、よかったら一曲弾いてみてくれるかな、と尋ねた。はい、と子供が答えると、ようやく彼はクッションでふくらんだピアノ椅子に弟子を座らせ、今日あったことを音でお話してくれるかな、と言った。そうやってファジルは教師に音で『語り』始めた。太陽の輝きについて。突然雲が空を覆い、雨が道路に打ちつけ、やがて再び太陽が出て、一筋の虹が見えたことについて・・・」
「今日あったことを音でお話してくれるかな」
初めてのレッスンで優しくこんな風にうながす先生。そしてそれに応えて音で「語り」はじめる三歳半のファジル坊や。眼をつむって、このときのこの師弟の姿を想像してみてください。それは、なんという素晴らしい光景でしょう!
この先生のレッスンは、徹底してファジルの自主性を引き出すことと、その感性を自由に伸ばすことを主眼としていたようです。
「『レッスンをする』という捉え方そのものが適切ではないかもしれない。この教師は、生徒には自分自身によって学ばせ、何も強制しなかったからだ。彼はファジルが完全に自発的にピアノに向かう決心をすることを望んだ。少年は7歳になるまでこの教師から音符一つすら習うことはなかった」
こうして、一回30分、週5回のファジル父子のレッスン通いが始まりました。
現在ファジル・サイはピアニストとしてだけではなく、作曲家としてもその才能を発揮して高い評価を得ています。「音で語る」ことから始まったフェンメン先生のレッスンがそのまま血となり肉となっているんですね。もちろんこの方法は決してすべての生徒に対して適切な方法とは言えないことは明らかですが、ファジルの素質を見ぬいてこのような指導法をとると決めたフェンメン先生の眼力に私は敬服しています。特に小さな子どもを教える場合、その子の持つ可能性を先生の方が見誤っては申し訳ありません。私も生徒の可能性を信じて、その個性に応じて、その生徒にあったきめ細かい指導を心がけていきたいと思います。
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ファジル・サイの子どもの頃のお話、読んだ時に、『矢野顕子と一緒だ!』と思ってついコメントしたくなりました。矢野顕子さんはクラシックの演奏者ではありませんが、私は昔から彼女の音楽が大好きです。
その矢野さんは小さい頃、学校から帰るとお母さんに『今日こんなことがあったんだー』と、ピアノでお話していたそうです。しかもそれが普通だったみたいです。矢野さんもファジル・サイもそうやって、もっている才能をさらに開花させるのは家族と教師の支えがあってこそですね。
色んなもののと共にに音楽があるんだなあと…思いました。
矢野顕子さんも音でお話されるお子さんだったんですね!やはり、才能ある人たちというのは、すごいですね。才能と環境と運といろんなものが反応して、素晴らしい音楽や音楽家が生まれるんですね。