Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

バイロイトでの仇は

2024-02-27 | 文化一般
クリスマスに貯めたデジタルコンサートホールの無料期間が近々終る。それまでに確認しておきたいことは、バルトーク「木彫りの王子」である。悲劇的序曲、シマノフスキ―、家庭交響曲のプログラムはハイレゾで流した。圧縮音源のラディオ放送との印象は若干最後の曲での対位法的な合わせ方ぐらいで、主なる印象は変わらなかった。

「ヤコブの梯子」の感想も纏めておかないと記憶が薄れて仕舞うが、これも漸くマイクで拾った音を聴く準備が出来てきている。次にデジタルコンサートを流すのは来シーズンの無料券の秋だろうか。昨年は一週間券を何枚か購入したがそれで十分だった。

バーデンバーデンからのマガジンに、ペトレンコのブレーンであるクラスティング氏がヴァ―クナープログラムについて書いている。このプログラムを見た時にこのタンホイザー序曲と「ヴァルキューレ」第一幕の二曲の組み合わせを奇怪に思ったのだが、そのことについて書いている。

ベルリナーフィルハーモニカーでは創立二年目で「ヴァルキューレ」の終幕の「ヴォータンの決別」と「騎行」が演奏されて、その後も何度も演奏されていて、完結した一幕も1951年ブレッヒ指揮で、1971年にカラヤン指揮、2005年のラトルと引き繋がれている。そして「タンホイザー」との組み合わせは1929年のカール・ムック指揮で行われている様だ。

ペトレンコにとっての2001年の復活祭は、マイニンゲンでの世界的に脚光を浴びた楽劇「指環」四日続けてのツィクルス一回目の成功だったとある。それはバイロイト初演の一回目が偶々歌手の不調で中一日開けただけなのだが、本来は四日連続の予定だったからとある。マイニンゲンに1999年に音楽監督に就任して、最初からその準備をしていたとある。マイニンゲンの管弦楽団がバイロイト音楽祭を最初から支えた母体だった。

そしてペトレンコにとってヴァ―クナーは数少ない重要なオペラ作曲家であってと、このように書いているのは、当然のことながら2026年のザルツブルク復活祭のことを示唆しているのだろう。

その中でペトレンコの今迄のヴァ―クナー指揮経験として、バイロイトまでにミュンヘン、ボッフム、リヨン以外にドレスデンが挙がっていて、最後のはあまり知らなかったのだが、逆にベルリンでもヴィーンでもバルセロナでもメトでも振っておらず、するとトリノでの「指環」練習指揮は貴重なものだったと分かる。

なにはともあれ、ミュンヘンとベルリンの両方で演奏されて比較する曲が増えてきていて、ペトレンコが語るベルリンでこれ以上望むことも望めないこともないというように、オペラの演奏においても復活祭で完結させるという意志が改めて示されていることになる。

ヴァ―クナーに関してはミュンヘンで出来ていなかったことも明らかであって、逆にベルリンではまだできていないことも大きなカリキュラムの中で目標に至れるという勝算を示していることになる。そしてタイトルからすれば、どうしても「指環」ツィクルスとなるのだが、ベルリンで準備して、ザルツブルクで本番という事か?確かにまだ二年の準備期間はあるのだ。



参照:
Aufs Ganze gehen, Malte Krasting, FHB vom 23.2.24
ヴィーンでの家庭騒乱 2024-02-20 | 音
言葉通りの「お試し」 2024-01-01 | 音

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