Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ミュンヘンでの新制作ベスト

2022-07-21 | マスメディア批評
車中のラディオが伝えていた。子供の言語は既に体内で形成されていると。つまり母親が話す言葉のリズムが母国語化するという話しである。これで分かると思う。日系の音楽家も多いが、すると例えば母親が日本人でドイツ語が母国語でない限り、本格的には独墺系の音楽が母国語ではありえないという事だ。少し思い出すと成程と思えないだろうか。

ノイエズルヒャー新聞がドルニー体制最初の一年を振り返る。リヨンでの成功は其の儘ミュンヘンでは使えないが、その意志は全く変わっていないとみている。日曜日で最後の初日を終えた。しかし劇場の氏神であるリヒャルト・シュトラウスの「カプリッチオ」は2013年の焼き直しらしいが、新シーズンではよりミュンヘンの常連さんを喜ばす演目が入ると紹介している。

反面、オペラ通にとっては最初の「鼻」、「ジュディッタ」などは月見草のような日陰の存在のレパートリーの発掘であって、そうしたものを紹介したと、若者や普段は劇場を訪れない層への働きかけもなされ、教育効果が目されているとしている。

特に「ジュディッタ」に関しては、その頭脳派のマルタ―ラー演出が起毛のような肌触り感覚をあたえたようだ。しかし、創造力を掻きたてられた「ブルートハウス」や「ルードンの悪魔」を筆頭にベストの制作のなかで「ピーターグライムズ」、「鼻」などもこの劇場のスタンダードレパートリーとして定着するかどうかは疑問としている。

ミュンヘンはリヨンの劇場とは異なり、その規模は世界屈指であり、リヨンなどのシーズンの企画では済まないからで、その意味からブーもなく熱狂的に受け入れられた「ルードンの悪魔」初日も満席ではなかったとしている。実際に座席占有率は90%に至っていないらしい。

そこで前任者のバッハラーの魅惑的な美意識と飾り立てられた料理は決して味わえないのだが、意味のないことをすることが最終的帰着でないことは明らか。その様に、インターネットプレゼンテーションはドライで、とげとげしているのだが、まだその告知されているデジタル企画はまだ実現されていないとする。

上述した様にマルタ―ラーのあの知的な芝居が起毛効果を上げるようであるから如何にそのミュンヘンの現体制の出しものがドライで同時に美学的にも刺激的で尚且つ都会的なのかがよく分かる。

五月に為された再演「薔薇の騎士」を待たずの結論だったが、どれ程うまく演奏してもその演奏の限界が見えているということなのか。そのようなことであれば「コシファンテュッテ」も前途多難。



参照:
München ist nicht Lyon. Wer hier wie dort die gleichen Opern zeigt, darf sich nicht wundern, wenn er es sich mit den Deutschen verscherzt, Marco Frei, NZZ vom 18.7.2022
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
アンサムブル劇場とは 2022-07-19 | 文化一般

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