Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

不死鳥の音楽的シオニズム

2023-12-17 | 文化一般
ガザ問題へのアピールはなされた。取り分け11月の訪日前に語った指揮者キリル・ペトレンコの近東問題への姿勢から、どうしても同じウクライナに所縁のある合衆国の指揮者レナード・バーンスタインのシオニズムに対する姿勢への懐疑の念が湧いた。なぜならば故人こそは人権擁護の芸術家であり、そうした運動もそのリベラルな政治性を体現していたからだ。

指揮者バーンスタインのマーラー交響曲演奏指揮は所謂マーラールネッサンスと呼ばれるものを引き起こして、20世紀後半の演奏に多大な影響を与えた。ユダヤ系音楽家を中心にその亜流が主流を占めるようになって、漸く昨年のペトレンコ指揮の交響曲七番の指揮のそのプログラムでの合衆国ツアーでその流れに明確な終止符が打たれた。そのことは自明と認識としていたのだが、シオニズムとの関連に迄は興味が向かわなかった。

そして今回その存在は知っていたYouTubeにあるMGM制作の「1967年のイエルサレムへの旅」と題するドキュメンタリー映画で指揮者自身が語っているのを観て、イスラエル建国戦争当時から前線で演奏会をして、武器を持って戦うことでこそのシオニズムの成就があるのだという確信に満ちた思想を理解した。なるほど少なくともバーンスタイン指揮で二曲のマーラー交響曲の演奏を体験して、そこに描かれている世界は作曲家グスタフ・マーラーを越えたシオニズムであることは感じており、その切っ掛けがナチスドイツによるユダヤ人問題の解決を経ての演奏活動であることも分かっていた。

しかしそこで語られているキリスト教世界の秩序を超えての世界のモデルとなるイスラエルへの植民と再生へのその期待までを語っているとは思ってもみなかった。それは、そのものシオニズムであり、現在の独連邦共和国が国是とするイスラエルの存続とそれに反抗するイスラエル非難がそのものアンティセミティズムとなることの裏返しともなっている。

ヘブライズムやシオニズムどころか旧約聖書についてさえ語る資格はないのだが、バーンスタイン指揮のマーラー演奏を所謂文化的シオニズムとするとあまりにも多くのことが分かるだろう。音楽に限らず芸術や文学の素晴らしいところの一つは、居ながらにして多くの体験に相当するような経験が叶うことではないだろうか。

映画の中で実際にマーラーの復活交響曲がそこでは解釈されていて、そこで復活するのは再生イスラエルとなっている。最初にイスラエルで演奏した時の英雄的な行為で指揮者本人が語っているようにそれはイスラエルの国歌になったとまで言及している。

そしてここに反イスラエル若しくは反シオニズムがアンティセミティズムとされるかの回答がある。その要因には、一般的に多く語られるれるよう植民地主義の近代の歴史があるとしても、それは何もナチズムの虐殺の記憶の歴史に対峙するドイツだけではなくて、欧州そして英米にも通じているにはそれなりの社会文化的な背景がある。

特にドイツにおいては、ユダヤ文化がその中に文化的な根幹として組み込まれている歴史的事実があって、西欧におけるユダヤ人のその文化を含むその独自性の発露が社会の近代性を裏打している。即ち、社会主義やマルキズムなどをまたは宗教原理主義を除く近代的精神の中に自ずからシオニズムが生じていて、イスラエルの再生はモットーとなっているからである。(続く
A JOURNEY TO JERUSALEM 1967 With Leonard Bernstein & Isaac Stern




参照:
ペトレンコの日本への真意 2023-10-21 | マスメディア批評
人類共生を訴える声明 2023-12-16 | 文化一般

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