Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

言葉通りの「お試し」

2024-01-01 | 
大晦日のジルフェスタ―コンツェルトを観聴きした。ベルリンのフィルハーモニーからの世界に向けての生中継だった。昨年までは映画館への生中継と共に独公共放送での生中継があった。しかし今年からは明らかに将来的な中継の形式がベルリナーフィルハーモニカーの独自のデジタルコンサートホールで試されていた。それによってメディア業界とのタイアップでアップアップになっている正月のヴィーンのノイヤースコンツェルトのビジネスモデルを乗り越えるための試みである。

その評価は改めるとして、中継内容を公共放送ラディオとDCHの無料券での聴視から書き記しておく。因みに毎年自動的に貰える一週間券を大晦日までに登録しないと無効になる為に、早速1月7日までの期限を確保した。その後も合わせて数週間分の無料券を持っているので2月まで使える。

今回のプログラムの前半と後半はアンコールを除いてペトレンコ指揮でNHKホールで演奏されたものなので、それらとミュンヘンでの本公演での比較となる。「タンホイザー」に関しては、DCH生中継開始前のペトレンコよるインタヴューが流されていたが、今回の序曲と日本でも公演でなされたようにパリ版のバレーに合わせたバカナールが演奏されて、その比較的初期のヴェーバーによる影響を受けた初期版から既に創作をしていた「トリスタン」までの広い範囲の音楽的なアイデアがそこに一同に会することが取り分け面白いということだった。これは所謂ヴィーン版などの死の直前までに改正に勤しんでいた作曲家の像がそこに映される。

その些か「ヴィーヌスの花園」の浪漫的な創作過程の楽曲を経て、後半には「ヴァルキューレ」一幕が超リアリスティックに音楽的に描かれると新聞評でも書かれて、その客人との近親相関への禁じられたオーガズムスはR指定にするべきだとまで初日に関してのベルリンの新聞評には書かれた。

なるほどペトレンコが語るように — この一幕は楽匠自らが「金の成る木」と呼んだようにうける事は予定されていたが、その幕だけでの完結した物語となっていて、そしてその音楽がリアルに物語を音楽化しているということでは卓越していて、舞台の必要がないというぐらいなのである。先日シュトッツガルトの音楽監督マイスターのことで書いたように、そこまで音化が可能な指揮者にだからこそ言わせる音楽的な評価である。

それゆえにこの曲はバイロイトの蓋のついた奈落では到底楽器間の受け渡しも困難で、特殊にそのように作曲されているからだと、演奏会形式で演奏する曲としての選択だったとなる。

そしてフィルハーモニカーの献身的な演奏は、今回の演奏が恐らくザルツブルクでの復活祭初日へと向けてのペトレンコの言葉通り「お試し」だったとなる。勿論音楽のドラマトュルギー的には意味無しであり、歌手もそこに音楽的に歌ったのみであり、それ以上のでは全くなかった。バーデンバーデンでも未知の期待がかかるテノール歌手との次のお試しがあるので、その進展が確認されることであろう。ーデンバーデンでも未知の期待がかかるテノール歌手との次のお試しがあるので、その進展が確認されることであろう。



参照:
希求の無い所、何も無し 2022-01-02 | アウトドーア・環境
避けがたい芸術の力 2023-01-01 | 音

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