愛読してきた宇江佐真理(敬称略)の`「髪結い伊三次捕り物余話`シリーズの、「竃河岸(へっついがし)」(文藝春秋刊)を読み進めていたら、宇江佐さんの訃報(昨2015年11月7日)が蘇ってきた。
このシリーズのデビュー作「幻の声」はオール読み物1995年5月号に掲載されているとのことなので、20年を越えたことにもなる。
作者も読む僕たちも歳を取ったが、伊三次と恋い女房芸者お文や登場人物も少しずつ歳を取り、絵師を志す息子の伊与太がこの「竃河岸」では、なにがしかの(特段のと思われる)資質があり、葛飾北斎に見出されることが伝わってきて、どうなるのかとワクワクしてきたものだ。でも文中ではお文の心をこう書きとめる。
胸騒ぎと言うほど大袈裟なものではないが、依然として気分はすっきりしていなかったのだ・・・
さてこれは、母としての息子への期待を内在した心根なのか、などと思わず我が娘の姿をちらりと思い浮かべたりしたものだが、宇江佐はこんな風に書き添える。
おふさ、「親は幾つになっても子を案じるものですよ。お内儀さん、くよくよ考えるのはよしにしましょう」・・そうだねえ 「なんとかなりますって」。
こう書かれるとこの先どうなるのか!大成するだろうと想うものの、続きを読みたくなる。茜と伊与太がどうなるのかとも・・・
ところで朝日新聞では、宇江佐真理が亡くなったほぼ2ヶ月後に、遺作「うめ婆行状記」の連載を始めた。そして文庫化する。文庫化はともかく、どうも新聞でのこの4段組の掲載には得心できず(異論のある方が沢山いるだろうと思うものの)、僕は眼を通さない。
追記:文藝春秋から「髪結い伊三次捕り物余話」の「擬宝ジ珠のある橋」と題する新刊が発売されるとの報が入った。さても!と思いながら拝読するのが楽しみです。
<本書「竃河岸」の奥付に一切の複写は著作権法により認めないとあるので、表紙の写真の掲載が出来ない。さてと思い、宇江佐真理氏の冥福を願って天空の写真を掲載する>
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