
ファインダーを透して視た、忘れられない景色がある。
奈良白豪寺に近い村落の蔵の漆喰壁だ。四十数年前にシャッターを押したときの感触をまざまざと覚えている。撮れたと思ったのだ。ところが二重写しだった。そのときのカメラがマミヤの二眼レフ、マミヤフレックスCプロフェッショナルだった。
このカメラはレンズ交換ができる世界で唯一のカメラだった。ところが二重写し防止装置がついていない(当時はまだ)。あああ、何枚失敗したことか!
シャッターを切った後巻き上げたか未だなのか、ついついうっかりするのだ。それにかさばるしなんたって重い。閉口した僕はやっと手に入れたこのカメラを友人に売ってしまった。最大の理由は、撮れたと確信した映像がだめだったことにショックを受けたからだと思う。
以来延々と、このときのがっかりした気持ちが、その景色・映像と共に忘れられないのだ。
とは言え、このカメラのメカニック的な機能をデザインとして表したスタイルは、心に描くだけでもどきどきしてくる。なんたってピントを合わせるためにノブを回すと蛇腹が繰り出してくるではないか。
僕は写真を撮るためにカメラを手に取るのであって、カメラオタクではないと宣言している。
ライカだってM6を2台も使っているが、ライカウイルスには掛かっていない。とは言うものの、ライカの3fも数年前に買ってしまった。
それには写りはいまいちなのに、ズマロンの35ミリがついている。しかもなんとしたことか、時折空シャッターを切ってにんまりしてしまう。まあ時々はシャッターを切らなくては、機械として良くないということもある、のだとおもうので・・
ふとマミヤC330を買おうと思った。
この「ふと」というのが曲者なのだが、ほしいと思ったらどうしようもない。ヨドバシカメラによったら写真工業出版社の「魅力再発見・二眼レフ」というのが目に付いた。ためらわずに買い込む。
延々とローライの記述が進むが、当然の事ながらマミヤのページがある。タイトルは「日本が誇るレンズ交換二眼レフ」。記述は詳細で15ページに渡っている。
このカメラは1994年1月に、最後の機種つまり最高グレードの、C330プロフェッショナルS型が販売終了した。これによって国産の二眼レフカメラの販売が終了したのだ。なんとまだ13年しか経っていない。
寝る前の楽しみ、雑誌アサカメ(アサヒカメラ)の何店舗もある広告を毎晩見比べる。
最終バージョン、最高級だというSはちょっと高いし、多分誰もがSを持ちたがるだろう。僕はその一つ前のバージョン「f」に決めた。
新橋駅の近くにある大庭商会で、ショーウインドウから出してもらって手に取ったとき、店長の江口さんに「f」のほうがいいですよ。Sは軽量化の為にプラスチックを使ったりしているので、といわれ、イヤアうれしくなった。
江口さんは写真家飯田鉄さんに紹介してもらったのだ。
このカメラ店では実は何度か中古のカメラを買ったことがある。でも飯田さんが前日電話をしてくれていたおかげで、江口さんとカメラ談義に話が弾んだ。
飯田さんは飲み友達なのだという。「写真談義で盛り上がるでしょうね」と聞いたら一瞬眼をつぶり[いやね、カメラ談義なんですよ]とにっこり。そうだろうなあ。なんとも楽しそうだ。
その江口さんが、店頭にまだ出していないピカピカのfを出してきて「こっちのほうが程度がいい、これにしましょう」と言ってくれたときは感激した。
よくこんなにきれいに使ってきたカメラがあるものだ。建築も撮るので方眼スクリーンに取り替えてもらった。
愛妻や娘に「また買うの!」といわれるのは覚悟の上、でもこれだけしかお金を使わなかったよと言いたいが為に、使わないキャノンL2やスクリューマウントのキャノン28ミリF3,5などを下取りしてもらった。
さて何を撮るか。それが問題だ。
でも僕には撮りたいものがある。ちょっと大げさだが、正方形の6×6でこの世を切り取りたい。
すっかりデジタル派になってしまった今の僕だが、銀塩でしっかり構えてまず、僕に撮ってくれと呼んでいる風景を撮る。合わせてやはり人だ。建築写真の前に。
写真の原点を考えてみたいのだ。木村伊兵衛はライカ使いの名人といわれたが、ローライで正方形の傑作を沢山撮っている。僕だって正方形にトライだ。
そして今日(5月13日)、まず愛妻と娘を撮った。
私はカメラにも、撮った写真にもさして興味が湧かなかったことを、心底「ほっと」しております。(笑)
僕は極めて意志薄弱(いや意志強靭?)なのか、なかなかコントロールできません。でもなんていったって、あの赤いやつに比べれば、C330くらいなんてことはない。心底「ほっと」しております。(笑)