日々・from an architect

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JIAの新年会で「200年住宅」とは!

2008-02-06 17:47:55 | 建築・風景

1月19日、恒例のJIA関東甲信越支部の新年会に参加した。
ワインやビールをかざして、会員と大勢の賛助会員、つまりJIAのサポータとが談笑する。支部長による新春の挨拶の後、来賓や現会長のメッセージが述べられたが、前半は歴代会長4人による新春放談。進行役は芦原太郎さんだ。

早稲田で教鞭を取った6代目会長穂積信夫さんのメッセージに、ついほろりとした。少人数で収入が少なくても建築が好きで、いい建築・いい住宅をつくることが、少しでも町をよくするのではないかと頑張っている建築家がいる。その人たちの想いがJIAの原点ではないかというのだ。
いいなあと思う。僕は穂積さんのようなこういう言い方に弱い。JIAにもまだこういう視点で僕たちの組織(JIA)を語る建築家がいる。大きな声を上げていなくても、建築を心から愛している建築家がいるのだ。

しかし、ほかの元会長連は、穂積さんの想いには触れずに、自分が会長時代の、国交省や他会などとの制度改革などに取り組んだ話に終始し、僕をがっかりさせた。どこぞの政治家の話を聞いているようだ。
この10年、JIAをとりまく環境は益々厳しくなり、歴代会長の努力なくしてはJIAの存在はもっと酷いものになってしまったかもしれない。でも僕が聞きたかったのは、彼らの建築に対する思いだ。JIAを率いた建築家の建築論だ。都市論でもいい。新春放談だからだ。

何せJIAのトップは、国交省が『美しい国』と一言漏らすと、得たりやおうと、JIAの指針は「美しい国つくり」だといい始める。しかも安倍首相も言っているとの付言つきだった。
僕は「そうではない、`美しい`という言葉は恐いのだと」言い続けてきた。例えば昨年の2月に東大本郷キャンパスで行った保存大会のシンポジウムで、「美しい」という言葉と「安全」の為にというお題目で、路地がなくなり道路が拡幅され、時を経てきた建築や街並みがなくなっていくことを指摘し、僕の言い方も多少抽象的だが、「美しい」ではなく、僕たちが目指すのは生活観に満ちた「生き生きとした町」だと述べた。

安倍首相が失脚して「美しい国つくり」と言えるJIAのトップがいなくなった。美しい国の建築をどう考えているのか、それでもいい、だからこそ、本音で言ってきたのなら「美しい国」(僕には美しい国のイメージが湧いてこない。感性失調症か!)それを言わずして放談とはいえない。
ところが挨拶で「200年住宅」といい出した人がいた。唖然とする。福田首相が言った根拠のない論旨、つまり法制改変による`建築つくり`の、言ってみれば「ものつくり」現場を知らない国交省の失態と、それを推し進めた政界の失態糊塗の思惑にのるとは節操がない。

『200年とはどれだけの長さだろうか。言うまでもないが200年前は江戸時代だ』と言ったのは東海大学の教授だった建築家吉田研介だ。朝日新聞の投書欄「声」で氏は、まさか冗談だろうと思っていたら、国交省も動いているし、税も優遇することを考えていると知り、『冗談ではない、やめなさい』といいたくなったと書く。

建築を経済の道具だと考えている財界の思惑が、「200年住宅」の裏にチラチラと見えてくる。いま政界を揺るがせている「道路特定財源」問題と同じ構図だ。何せ社会状況が変わっているのに、二十数年前に線引きがされた「計画道路」の見直しがなされないおかしな状況を、誰も口にしない。

今月(2月)16日、17日とJIAの保存大会を行う新潟新発田市にある、レーモンドの代表作「新発田カトッリク教会」が接する道路(道と言いたい)が拡幅されることになり、2年前に大騒ぎになった。教会堂が培ってきた景観が壊れる。
何せ人も車もほとんど通らないのんびりとした田舎道を広げるというのだ。計画道路だからつくることにした、という行政の言い方も歯切れが悪い。車の迂回路になるとも思えないが、車がたくさん通るようになったら、困るのは住民ではないのだろうか。でもそれに建築家が触れるのはオフレコだという。

戦後10年、朝鮮戦争特需を受けて始まった戦後復興・高度成長期に建てた建築が次々に建て替えられる。200年?いやまだやっと50年だけど・・・
吉田氏は言う。『そんなことに口を出すくらいなら、まだ十分建物として使えるのに、どんどん壊している状況にストップをかける法律でも作ったらどうか』と。

そうだそうだと拍手を送りたい。
政府は、住宅密集地を取り壊して高層化すると宣言し、既に法改訂している。「200年住宅」はどこに建て、どうやって200年建ち続けるのだ。

<写真 新発田カトリック教会>


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6 コメント

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考えさせられます★ ()
2008-02-07 12:36:13
何かをカモフラージュする目的の”お題目”には・・ファシズムに通ずる怖さすら感じられますね。(penkouさんのブログはいつも何かを考える切欠を与えて頂けます。)
200年住宅の話題とは異なりますが(汗)昔から「容積率」の考え方が疑問です。 床面積×階数ではなく純粋な”容積”で規制出来ないものでしょうか? そうすれば他の集団規定と合わせて街並み景観形成などに寄与すると思うのですが・・・。
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ロートル(笑)は困っている (penkou)
2008-02-09 10:30:28
mさん
mさんの容積率に関する考え方は、とても面白いですね。そういう見方も出来るのだと刺激を受けます。床面ではなく、単純な容積とはサスガに思いつかなかったのですが、高さ制限と容積率があるのだから、道路斜線規制は不要だとかねがね思っていました。

あの斜線による町並み、どう思いますか?
建てさせないように規制をかけながら、一方では何とか大きなものを建てさせたい(と要求されるので?)ついには天空率<ロートルは困っています(笑)>なんていう、コンピューターで解析しないとよくわからないものを生み出したりして、法規が複雑に絡み合ってわけが判らなくなる。
容積率一つだってこうやってちょっと考えるだけだって変なところが沢山あるのに、人によって解釈が異なる(判りにくいのでそうなってしまうのでしょう)事が頻繁に起きる。
Mさんがかねてから云っているように、建築基準法を抜本的に変えなくてはいけないと僕も思います。単純でいいのです。誰でもそうだと納得できるわかりやすい法律に・・・
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どうかんです ()
2008-02-09 20:40:07
弊社でも”天空率”は専任の担当者がチェックしています。 道路斜線に利用するならまだ良いのですが・・北側斜線にまで(行政によっては高度地区にも!)利用出来る制度は私はおかしいと思っています。(住環境保護の無視?)
基準法は是非とも景観法や住宅保障制度などとの関連性を整理した上で再構築+簡素化して欲しいものです。 もっとも・・・そうなったら私は失業?笑
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放談〈笑〉しましょう。 (penkou)
2008-02-14 10:39:09
mさん
建築に関わっている誰しも〈一部の人〈苦笑)を除いて)が思っていることだと思うのですが、ざっくばらんにこの問題を考える機会をつくらなくてはいけませんね。お会いする機会があったら放談〈笑〉しましょう。
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初体験 ()
2008-02-23 11:16:27
昨夜、生まれて初めて雑誌取材なるものを受けました。(お相手は日経アーキ記者氏。喫茶店で3時間も!苦笑) 取材主目的の他に、僭越ながら基準法の根本的再構築の必要性について意見を述べさせて頂きました。

「本気で200年住宅なんて標榜するくらいなら関係法規も含めて現行法の不備を洗い出し、じっくり議論・審議して今後100年間の「建築」の根幹・指針となるようなシンプルかつ素晴らしい【新世紀建築基準法】をつくれ!」
「私は建築技術の継承・発展の為(設計・監理・施工など全ての建築技術面で)伊勢神宮を見習って200年住宅と対極の【20年住宅構想】を提唱します。 孔子だって三遷。 居住者の生活環境・人生のステージ変化に見合うよう20年程度の区切りで建替え可能なローコスト+エコなシンプル住宅があってもいいではありませんか?」


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さーて、どうしたものか! (penkou)
2008-02-23 23:40:45
mさん
日経アーキの情報網はすごいですね。
掲載楽しみです。
ところで『20年住宅構想』とは!なんとも刺激的な!かつての(いや、今でも(笑))プレハブは、ちょうど20年くらいで建て替える羽目になりました。さーてね、どうしたものか(笑)
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