日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

 残したい 間島記念館 

2006-04-12 18:31:38 | 建築・風景

青山学院構内にある間島記念館を訪れた。
5連アーチのエントランスポーチの上のバルコニーに、儀石洗い出しによるエンタシス円柱が並ぶ。ポーティコというのだろうか、そこから見る正面に丹下健三による国連大学が望める。正門からの軸線上にこの建築は建っているのだ。この記念館の青山学院での位置づけが感じ取れる。
構内にはスーツ姿の女子大生や父兄が集っていて記念館をバックに写真の撮りっこをしている。春の日差しが暖かい。今日は(4/4)短期大学部の入学式だ。新入生を祝うように桜が咲き乱れ晴れやかな雰囲気に満ちている。記念館にふさわしい光景だ。

この建築は1907年、米国聖公会から派遣されたミッショナリー・アーキテクトのJ・M・ガードナーによって設計された弘道館がベースになっている。
弘道館は関東大震災で破壊されたが、6年後の1929年青山大学の交友間島弟彦野よって再建され間島記念館となった。清水建設設計部による復元とはいえ既に77年を経ている。

早稲田には大隈講堂が、一ツ橋には伊藤忠太による兼松講堂が、東大本郷には安田講堂があるように、青山を象徴する建築として、間島記念館は多くの校友の心に深く刻みこまれ愛されてきた。いや多分それだけでなくこのキャンパス近隣住民の心象風景を形成する上でも大きな役割を担ってきたといえるのではないだろうか。青山学院はこの青山地域文化の象徴なのだから。

この建築を取り壊して建て替える計画が検討されている。
主とした論拠はまたしても耐震問題だそうだ。壊してレプリカで再現し背後には高層棟を建てるという。
時を経た建築の魅力は変えがたい。エントランスから一歩入るだけで心が震える。アーチ状の漆喰による天井、人研で造った微妙なカーブを持つ階段。時間が刻んだ艶やかで品格のある空間だ。

保存を望む声が学内やOBからも起きている。建築歴史研究者から保存要望書も出された。学校から詳しい情報は開示されていないが、既に引越しがされていることを考えると、この魅力的な建築の存続が危ない。学校のトップ、理事会はこの建築の存在する意義やこのキャンパスにとって大切なことを一番感じているはずだが、レプリカを造って保存するだと取りざたされている。学院のHPに保存方法の検討としてその検討事項が記載されているが、「建て替えも保存」とされている。
「錯覚」が起こっている。

「レプリカ」を造ることを保存とは言わない。レプリカは所詮レプリカ、本物ではない。だからレプリカをつくって保存したと言ってはいけないのだ。

話題になり、論議もされる同潤会青山や慶応義塾の萬万舎。レプリカを容認する、無くなるよりはレプリカでもあったほうがいいという言い方の弊害が起こり始めているのではないかと危惧する。僕自身が状況によっては言い出しかねない、実はとても難しい課題なのだが。

兼松講堂と安田講堂は改修、耐震補強がされた。
残そうと思えば残せるのだ。
間島記念館だけでなく大隈講堂は大丈夫だろうか。気になり始めた。僕の母校明大の記念館が解体されてリバティータワーになり、使いやすくなってキャンパスの活性化がなされた。しかし母校の伝統に胸がときめいた僕の若き日がなくなってしまった。明大は何にものにも代え難い大切なものを失ったのではないかと思う。間島の77年間はどうなるのか。

もう一度間島記念館のあの艶やかな空間を味わってみたい。
そしてそこから再スタートしたい。して欲しいのだ。