日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

魅せられる螺旋階段

2006-04-06 11:04:10 | 建築・風景

「階段と便所の図面が描けるようになると一人前だと言われたんだよね」と、円形校舎の階段を見ながら案内してくれた建築家の松嶋さんが言う。
そうなんだ。僕も先輩に散々いわれたし若き所員にもそう言ってきた。そうか、坂本鹿名夫もそう言ったのか。
でも階段が描けたからといって建築家として一人前だと言うことではない。図面描き、つまりドラフトマンとしてまあ何とかなるなあ、というくらいかとも思う。しかし一方、図面が描けると言うことは、建築がわかってきたということでもある、といまさら言うまでもないことだがこれは結構大切なことだ。

昔は、といってもCADになるほんの数年前までのことなのだが、鉛筆?いや製図用シャープで四苦八苦して描いた図面を、赤鉛筆でぐちゃぐちゃにされてしまう。これはなにも前川國男に限ったことではなかった。こうやって建築の大切さを、建築に関わることの厳しさを叩き込まれたのだが、階段だと言ってもこの螺旋階段を描くのは大変だったと思う。これを描ければ正しく一人前だといいたくなる。

階段を下から見上げることはあまりないことかもしれない。建築基準法で竪穴区画が制度化されてから、三層以上の螺旋階段を見る機会がほとんどなくなった。と言うことはやはり螺旋階段は建築の見せ所だったのかもしれない。ぶきっちょな僕ではスケッチはできてもこの複雑な図面描きに四苦八苦するに違いない。老眼のせいだけではないなあ!と情けないことを思う。

円形校舎の見上げる階段は美しい。円形でなくても微妙なカーブを持った佐世保に建つ白井晟一の親和銀行の階段は、見上げても覗き込んでも建築家の情念が伝わってきて魅せられる。建築家は階段で遊ぶとも言えるが、階段に己を託すのだ。

ある若き建築家(?)はまず模型を作り、それを施工業者に示して図面をかかせ、デザインにこだわって(果たしてそれをデザインと言っていいのか)シャープな建築を作ったそうだ。それが評価されたりしてデビューする。何処かおかしい。図面の描けない設計者も、サポートするほうも、評価して賞を与えるほうも。
いずれは技術を自分のものにして著名建築家になっていくのだろうが、階段一つかけなくたって建築家だとさ!
だから雑誌に取り上げられ、もてはやされても数年しか経たないのに廃墟になるようなことが起こるのだ。勿論多くの建築家は今でも呻吟しながら創っているのだが。
真剣に建築を考えたいものだと螺旋階段を見上げながらこんなことを考えている。