日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

白井晟一の闇と光

2006-04-23 18:29:41 | 建築・風景

白井晟一を語るとき、深い闇と抉られる石を想わざるをえない。栗田勇は闇と石の空間を「聖なる空間」と言った。そして人は光を語るが、光は闇なくしてみることはできないともいう。
解体の始まった親和銀行銀座支店の室内を見せてもらいながら、僕はこの栗田の記述を思い起こしていた。
しかし一階、地階の闇で白井の光を感じたのではなく、二階役員室の有孔ブロックから差し込まれる銀座の光を視ながら、白井はこの丸い光になにを託したのだろう、そして銀行の役員はここでなにを得たのだろうかと考えた。

三越管財のゼネラルマネージャーは、訪ねた僕たちの想いを聞き、現場の状況を確認し、ここ一両日中ならまだ白井の空間を感じ取れるかもしれないと案内して下さった。
半階を降りる一階客溜まりのカウンターも既に除却されていて、半円の天井も半分は取り外されていたが、石壁の過半は残っていてほのかに光に浮かぶ中でその闇を想像できる。
電気が切られていた地階のビシャンで叩かれた石壁、ざらりとした触覚の左官による柔らかなカーブを持った格天井の様子が懐中電灯と投光器によって照らし出された。同行したJIA前保存問題委員会委員長はかつて見学したことがあり、この床に紫色の絨毯が敷かれていたという。応接室として使われていたようだ。本店客溜まりの紫紺ビロード壁を想う。

一階外壁の花崗岩による量塊と、三階から上の紫紺のタイルの函状マッスとの間の`くびれ`による対立はこの建築の存在を都市に叩きつけ、まさに屹立しているといわせる迫力を感じさせているが、その`くびれ`は神秘的な真鍮ボックスの中にコンクリートを埋め込んだ有孔ブロックスクリーンで覆われていて、内部が役員室になっている。そして円形有孔から入る光のために、室内から見るこのブロックは常にシルエットになるのだ。

白井はこの有孔ブロックを四同舎や松井田町役場(1955)のバルコニーの腰壁に使っている。1956年の東北労働会館計画のパースを見ると、正面壁全面に使われることになっていて、西日から守るブリーズ・リレイユ(日除け)と防音スクリーンの役割を果たすと書かれている。(三一書房刊 現代日本建築家全集参照)

しかしこの1963年に建った銀座支店2階のスクリーンは、単にブリーズ・リレイユと防音のためでなく、白井の持つ「闇つまり光」を具現化したものではないだろうか。ガラス窓に映りこむ円形光の重なりを視ていると、次第に白井の世界に引きずりこまれて行く。
ここにも白井の「闇と光」がある。
この白井の情念を受け留めなくてはいけなかった役員は日常生活の中でどう己をコントロールしたのか。白井の建築はコンバージョンしにくいと言われるが、それは物理的、機能的な視点からではなく、この光と闇のかかえる問題だ。だからこそトライしたいとも思うのだが。

こういうことが気になるのは、たとえば栗田勇、草野心平との鼎談の中で、メタボリズムを「メタボリックな建築をつくるということは、外の時間や社会とかへの姿勢ではなく、自分の命を懸けてつくる、歴史の新陣代謝に自己を投入する」と白井は言う。僕たち凡人は、役員を凡人とはいえないかもしれないが、僕たちはこの白井の情念に応えられるか。

この建築は無くなるかもしれないが、白井晟一という存在は「建築とはなにか、人間とはなにか」と言う命題を常に僕たちに突きつけてくる。この建築を壊してつくる建築家は、この重さを受け留めているだろうか。

可能な限り例え部品であっても保管し、設計者に(言い方は悪いが)突きつけて欲しいと伝えた。なぜなら小さな部品一つにも白井の心がこもっているから。