青山学院構内にある間島記念館を訪れた。
5連アーチのエントランスポーチの上のバルコニーに、儀石洗い出しによるエンタシス円柱が並ぶ。ポーティコというのだろうか、そこから見る正面に丹下健三による国連大学が望める。正門からの軸線上にこの建築は建っているのだ。この記念館の青山学院での位置づけが感じ取れる。
構内にはスーツ姿の女子大生や父兄が集っていて記念館をバックに写真の撮りっこをしている。春の日差しが暖かい。今日は(4/4)短期大学部の入学式だ。新入生を祝うように桜が咲き乱れ晴れやかな雰囲気に満ちている。記念館にふさわしい光景だ。
この建築は1907年、米国聖公会から派遣されたミッショナリー・アーキテクトのJ・M・ガードナーによって設計された弘道館がベースになっている。
弘道館は関東大震災で破壊されたが、6年後の1929年青山大学の交友間島弟彦野よって再建され間島記念館となった。清水建設設計部による復元とはいえ既に77年を経ている。
早稲田には大隈講堂が、一ツ橋には伊藤忠太による兼松講堂が、東大本郷には安田講堂があるように、青山を象徴する建築として、間島記念館は多くの校友の心に深く刻みこまれ愛されてきた。いや多分それだけでなくこのキャンパス近隣住民の心象風景を形成する上でも大きな役割を担ってきたといえるのではないだろうか。青山学院はこの青山地域文化の象徴なのだから。
この建築を取り壊して建て替える計画が検討されている。
主とした論拠はまたしても耐震問題だそうだ。壊してレプリカで再現し背後には高層棟を建てるという。
時を経た建築の魅力は変えがたい。エントランスから一歩入るだけで心が震える。アーチ状の漆喰による天井、人研で造った微妙なカーブを持つ階段。時間が刻んだ艶やかで品格のある空間だ。
保存を望む声が学内やOBからも起きている。建築歴史研究者から保存要望書も出された。学校から詳しい情報は開示されていないが、既に引越しがされていることを考えると、この魅力的な建築の存続が危ない。学校のトップ、理事会はこの建築の存在する意義やこのキャンパスにとって大切なことを一番感じているはずだが、レプリカを造って保存するだと取りざたされている。学院のHPに保存方法の検討としてその検討事項が記載されているが、「建て替えも保存」とされている。
「錯覚」が起こっている。
「レプリカ」を造ることを保存とは言わない。レプリカは所詮レプリカ、本物ではない。だからレプリカをつくって保存したと言ってはいけないのだ。
話題になり、論議もされる同潤会青山や慶応義塾の萬万舎。レプリカを容認する、無くなるよりはレプリカでもあったほうがいいという言い方の弊害が起こり始めているのではないかと危惧する。僕自身が状況によっては言い出しかねない、実はとても難しい課題なのだが。
兼松講堂と安田講堂は改修、耐震補強がされた。
残そうと思えば残せるのだ。
間島記念館だけでなく大隈講堂は大丈夫だろうか。気になり始めた。僕の母校明大の記念館が解体されてリバティータワーになり、使いやすくなってキャンパスの活性化がなされた。しかし母校の伝統に胸がときめいた僕の若き日がなくなってしまった。明大は何にものにも代え難い大切なものを失ったのではないかと思う。間島の77年間はどうなるのか。
もう一度間島記念館のあの艶やかな空間を味わってみたい。
そしてそこから再スタートしたい。して欲しいのだ。
明大リバティタワーは環境工学、建築設備的には大変素晴らしい建築で、毎年必ず講義で取り上げております。しかし、その際に土地の歴史までは、考えがまわっていませんね。
モリス館を中心とした6棟のレンガ建築群をメモリアルゾーンと位置づけ、災害対策としては耐震改築ではなく免震構造の導入により、あくまで建造時の姿を半永久的に残そうとしています。(厳密には新築時に切妻式だった屋根を大震災による被害を受けてからは寄棟式に改築していますが)
幾星霜を経た校舎は、世紀を越えてキャンパスに学ぶ先輩後輩を繋ぐ絆になっています。古いというだけで十分価値があるのです。
立教大学は、発祥の地の築地から池袋に移転した際に、建造物による絆の継承が一度絶たれたことがありました。現在のキャンパスからは二度と絆の断絶がないように、学院ぐるみで努めているように思われます。
それともうひとつ重要なことは、イメージは決して虚飾ではないということです。美しいキャンパスは単なる学びだけの場ではなく、そこに集う教職員、学生たちの第二の生活の場所ともなります。
彼らにとって美しいキャンパスは、そこで学ぶことの誇りとそこに憩うことの安らぎを与えてくれています。美しいキャンパスのイメージを保存し続ける意義をこの大学は知っているのです。
同志社や関西学院も同じ考えを持っているといえます。
それだけに、青山学院、明治大学の例をはじめ、中央大学の多摩移転、日大の理工学部一号館同じく法学部旧図書館の取り壊しは残念でなりません。
古くなる前になくなってしまう現状をどうすれば良いのか、悩みはつきませんが一歩でも踏み出さなくてはいけないと思うのです。
立教はせっかくそこまでがんばっているのだから旧体育館も残してほしかったなあと思います。
創建当時の煉瓦建築があれだけまとまって残っているのは同学関係者の長年にわたる努力の賜物だと思います。
同学では、京田辺キャンパスの文科系教養課程を今出川に戻し、今出川で四年間を通して就学できるように検討しているようです。
先日 たまたまこのブログを拝見し、その評価の公正さ、的確さに感動し、方々に紹介しました。また失礼ながら抜粋、転載等も作者の方に無断でしてしまいました。もちろん出所、転載である明記はしておりますが、ご本人の了解もなしに失礼だったと反省しております申し訳ありません
ご不快でしたら その部分削除いたしますので、御連絡ください
しっとりとしたいいキャンパスですね。レンガ造の建築群もさることながら、吉村順三の設計した建築に魅せられました。時代を具現化する建築が、お互いを尊重しながら存在することの大切さを実感しています。
間島記念館を観ると、青山学院ってこういう学校なのだと想うのです。本物であってほしいですね。