日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

円形校舎 窓よ光れ

2006-04-03 14:58:56 | 建築・風景

息を切らしながら急な坂を上っていく。
一息ついて左手を見上げると石段のはるか上に福聚寺の山門が見える。お墓参りも大変だと独り言をつぶやき、ふと右手を見ると、一刀彫りのような素朴な石仏がある。地蔵を浮き彫りにした下部に、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿を刻み込んでいる。。思わずカメラを取り出した。
三猿とは!何か謂われがあるに違いない。僕は石仏が好きで、気に入ったものに出会うとほって置けないのだ。

坂の正面に背の高い石の擁壁が見えてきた。その上に陽を背にしてオフホワイトの円形校舎が浮かび上がる。これかと心が騒ぎ出し、見上げながら校門に向かう。
この道は切り通しのように両側が高台になっており、学校の敷地の右手は崖になっていて建てるのに苦労したことが納得できる。
横浜市保土ヶ谷の旧明倫高校、仏教系の現清風高校を,建築家松嶋晢奘さんに案内してもらって訪れたのだ。

見たい建築は無数にある。建築雑誌に次々に紹介される建ったばかりの建築も気になるし、時を刻んできた洋館、町屋や民家、それに社寺にも出会うとつい覗きたくなる。まして著名なモダニズム建築は、ほんのちょっとした機会さえあれば飛んでゆきたいのだ。

坂本鹿名夫が設計した円形校舎の存在は、学生時代から知っており、考えてみると40年以上前から気になってはいたのだ。
仲の良い松嶋さんは坂本事務所のOBで、散逸している坂本鹿名夫の記録をまとめたいと思っている。時折資料など見せてもらうが、バックミンスター・フラーが来日した折、丹下健三と共に坂本事務所を訪れた有様が写真と共に記載された雑誌のコピーも貰ったし、幾つかの校舎の写真も見せてもらった。

北海道から鹿児島まで、病院や市庁舎のほか全国に100棟以上の円形校舎が建てられたが、それもその時代に受け入れらたからだといえるだろう。坂本は円形の仕組みを真似されてその真意が誤解され、クオーリティが落ちることを恐れて特許をとったという。

円形校舎の最大の魅力は、中央に階段と廊下を採ることによって共用面積を減らし、動線が短くなることにより経済性、機能性に優れていることによる。つまりモダニズムの一側面、機能性、合理性に長けていたともいえる。
しかしその反面、敷地が小さく予算のない学校に採用されていったこともあり、まあいわば安普請建築と言えなくもなく、また地域性に配慮したとも言い難い。
また採光が背面光となり、教室を覗くと廊下側のほか、両サイドに黒板が設定されており、使い方に苦労していることが感じ取れるが、そこがこの校舎群の評価の分かれるところでもあり、むしろだからこそ僕の好奇心が刺激されるのだ。

しかしなかなか見る機会がなかった。
この日は昭和8年に建てられた木造平屋の無塗装ドイツ下見張り「後藤分院」の実測調査が行われたが、その建築を観ておいて欲しいとの関わっている建築家からの要請もあって藤沢に出かけ、当主ご夫妻の話を聞き、撮影もさせてもらい、その足で保土ヶ谷を訪れることができた。

春休みで教室内の整理ができてないのでと、にこやかで素敵な(ふくよかな女性なのだ)事務長に恐縮され、僕のほうこそいやいやと恐縮してしまうが、練習している吹奏楽がどこからともなく聞こえてくるなど、やはり桜吹雪の中の学校の華やかさが感じられる。

円形外部の各階にコンクリートの帯があり、その帯と梁いっぱいにカーテンウオール的にアルミサッシが組み込まれ(竣工時には白色に塗装されていたスチールサッシュだった)、帯の上に低い当初のスチールによるシンプルな手すりが周っている。
確かに安普請かもしれないが、北校舎では最上階はさりげなく下階の帯(庇)の先端まで張り出されて変化をつけ、南校舎の帯はサッシュ上端に配するなど工夫されている。またシンプルではあっても何処かに清貧に通じる品格を感じるのだ。

さて何より魅力的なのはコアの円形階段だ。
一期として建てられた最上階に鉄骨で組み上げられた円形講堂(体育館)があってドーム形の天井、屋根の鉄骨組みのバランスが良く刺激を受けるが、その北校舎では、まだコンクリートの螺旋階段を受ける壁があった。だが二期工事の南校舎ではその壁が無くなってシンプルになりデザインが一歩前進している。

下から上を見ても上から覗いても、螺旋階段は面白い。
これは武基雄さんの長崎市水族館でも、丹下さんの山梨文化会館でも同じで、設計者はこういうところでさりげなく遊んでいる。
この学校での鉄のパイプに熱砂を入れて暖め、微妙なカーブを造り出したと松嶋さんの言う曲線を多用したこの階段もとても魅力的だ。手すりが2段目から始まるのも空間を広く見せると共に、使いやすさを追求したのだろう。
装飾を排除したとはいえモダニズム建築の、実は大変な奥深さがこういうところにもうかがえる。

さらに松嶋さんが言う、坂本カラーと言われたオフホワイトが、外部にも内部の壁や木によって組み込まれたスクリーンにも使われていて心地よい。
おや、北校舎最上階のスクリーンが淡いピンクだ。
あれ!と松嶋さんが言う。いや内部はやはり坂本カラーだと安心した模様。なんとなく微笑ましくなる。

この校舎は両端の円形校舎第一期は1957年(昭和37年)、第二期が翌1958年に建てられ、さらに翌年に増築された中央部は長方形のまあ普通(さてね、普通ってどういう建築なのと言われそうだが)の建築で、これは残念ながら坂本鹿名夫ではなく、かつては元気だった創和設計によるものだ。
明倫校は土地がなく,まずやっと狭い北側に円形校舎を作ってスタートしたが、現在は道路の向かい側に広い校庭、運動場があり、学校経営はうまくいっているのだろうと二人で安心する。学生が礼儀正しく僕たちに挨拶してくれるから、すぐに清風フアンになってしまうのだ。

前庭に明倫高時代と現在の清風高校歌が石に刻まれている。
作詞は「岩崎巌」知らないなあ。作曲「黛敏郎」エーツ!
校歌の二番の歌詞「円形校舎 窓よ光れ・・・」