ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

ふるさとに寄する讃歌 - 2 ( 中身は無いが、文才はある )

2020-07-18 17:08:29 | 徒然の記

  『ふるさとに寄する讃歌』を、読了。馬野氏の『嵌められた日本』は、批判をしましたけれど、温かい気持ちが余韻として残りました。

 しかし本書の読後にあるのは、乾燥した冷淡さだけでした。これが果たして「批判」なのか、それとも「味わい」なのか、区別するのは困難です。味わいたいと思っても、味わうほどの中身がなく、どの作品も独りよがりな観念の遊戯でした。

 それでも読み終えたのは、やはり、氏の文章の技でしょう。

 「こうして私は、腕の確かな、しかし非常に平凡な、」「そして相当貧乏な、さらにまた、時々私の、訳のわからぬ独り言を、思い余って聞く時も、」「きっとその人は吃驚して、私の顔を見つめながら、」「ぼやけた顔で、何ですかと聞いてみて、」「私の方で赤面してしまうような、」

 まだ続きますけれど、長いのでやめますが、これが全部好人物の医者を説明する、修飾語です。私はこの文を読みながら、かって読んだハムスンの『飢え』を、思い出しました。人物だけでなく、町の通りや、建物や、通行人など、全ての描写に、このように執拗な、修飾語がこれでもかと被さりますが、それが一向に煩雑でなく、返って魅力となる、そんな作品でした。

 用語と格闘する作家たちは、ハムスンの『飢え』を手本にしたと言いますから、氏もその手法を、取り入れているのでないかと思います。中身がなくても文章で読ませる・・、文学作品には、そんなものもあるのではないでしょうか。例えば、程々の技量の芸者でも、とびきりの美貌があれば、普通に舞っても、酒席の男たちが心を奪われてしまうと、こんな話に似ている気が、しないでもありません。

 「君はどうして生きているのだろう ?  君くらい、死のほかに道の残されていない人を、見出すことはできないような気がするのだ。」

当太郎は突然目を輝かして草吉を見つめながら、幾分息を弾ませて言い出した。

「君は夜道の街灯なんだよ。一途に何かを照らそうとしている。しかし結局、君を包む闇の方が、文句なしに遥かに大きい。」

「俺は生きたいために死にたいと思わない。自殺は悪徳だと思っている。」

「しかし君の方が、俺よりも死にたがっているのだよ。」

「無意味だ。」と草吉は吐き捨てるように呟いた。二人が襖を開けて出ようとすると、小柄な娘が叫びながら走り出てきた。妹のまさ子であった。

「お兄さん !   行っちゃいけないわ !   死んじゃうよ !  殺されちゃうよ ! 」

 互いに自死を考えている二人の青年が、部屋を出ようとする時、隣室から当太郎の妹が、突然現れる場面です。私は自分の経験の中で、このような会話をする若者に出会ったことがありませんが、世間にはこういう人もいるのでしょうか。陳腐な会話に堕そうとする時、唐突な妹の金切り声が、小説を転回させます。

 身に迫る、切ない言葉ですが、一歩引いて考えますと、私たち日本人は、本当にこんな会話をするのだろうかと、疑問が生じます。絶叫したり、暴れたり、感情の赴くままに、隣近所の目も気にせず、四六時中そんなことをするだろうかと、首を傾げてしまいます。

 西欧人なら、というより、中国人も韓国人も、自己主張の強い彼らは、喜怒哀楽をそのままぶつけます。それが彼らの文化であり、生活様式だから、なんの不思議もありません。しかし多くの日本人は、そのようなことをしません。異国の風を真似、異国風の言葉を喋らせ、それをあまり不自然と思わせないのも、やはり技巧の一つなのかと、私は考えてしまいます。

 巻末に書かれた「解説」を読んだ時、なんとなく自分の思いに自信を持ちました。東京工業大学の教授でもあり、川端康成の研究家としても知られる、川嶋至氏の解説でした。

 「『黒谷村』は、牧野信一、島崎藤村、宇野浩二によって絶賛され、」「先に牧野に認められた『風博士』とともに、安吾の出世作となった作品である。」

 作風が似ていると述べましたが、なんということはありません。氏の作品を絶賛し世に出したのが、牧野信一でした。私小説的、自然主義的、観念小説を書いている作家たちの仲間だったのです。自分の直観も満更でないと、自信を深めたという次第です。

 ネットで調べますと、評論家・川嶋氏も、世のスネ者の仲間でした。昭和49年に、安岡章太郎の作品について、「事実をねじ曲げて、作者の都合の良いように書いている。」と、批判し、文壇の権力者だった安岡を激怒させています。このため氏は文壇を追放され、江藤淳の推薦で東工大教授になったという伝説があるそうです。

 その川嶋氏の世話で、東工大に職を得た井口時男氏が、「川嶋が死んだ時、文芸雑誌には全く追悼文が載らず、文壇は川嶋を抹殺した。」と書いたそうです。何が言いたいのかと言いますと、はぐれ鳥のような坂口安吾を解説するのは、やはりはぐれ鳥のような評論家なのかという、感慨です。川嶋氏のように評価せず、批判的意見を私が述べても良いのではなかろうか、という自惚れでもあります。

 「中身は無いが、文才はある。」・・これが私の、今回の書評です。次回は、『暗い青春・魔の退屈』です。聞くだけで、退屈になりそうな書名ですから、息子たちも、そのほかの方々も、「ねこ庭」へのお誘いは致しません。

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ふるさとに寄する讃歌

2020-07-17 19:55:04 | 徒然の記

 坂口安吾著『ふるさとに寄する讃歌』( 昭和46年刊 角川文庫 )を、読みつつあります。変色し黄ばんだ紙に、小さな活字で印刷され、しかも時々インクが薄くなっています。

 今の文庫本は、活字が大きくなり、紙も上質で、苦労せずに読めます。昔はこんな本を、当たり前のように誰もが読んでいたのですから、時代の変化とは、不思議なものです。こうした時代物の文庫本が、まだ処分できないまま、本棚に並んでいます。

 単行本は、ほとんど市の図書館からの貰いものですが、文庫本は、たいてい20代の若い頃買った本です。274ページの本を、94ページまで進み、三分の一を読んだところです。面白いもので、20代の頃一度読んだのに、55年が経過しますと、ほとんど覚えておらず、新しく読むのと同じです。

 現在「温故知新」で、沢山読んでいますが、50年経てばみんな忘れ、また新しく読む楽しみが味わえる、と言うことになります。忘れるも忘れないも、50年後に自分はこの世にいませんので、こういうバカな空想は、息子たちに笑われない内にやめます。

 いつものように、著者の略歴をネットで調べようとしたら、何と、巻末に詳暦がありました。279ページから291ページまで、12ページにわたり記載されています。さすがに昔の本というべきか、それとも彼が大物作家なのか、そこは分かりませんが、手間が省けました。

 無頼派作家と呼ばれ、沢山の読者を持ち、昔から有名なので、息の長い人気作家だと記憶しています。明治39年に生まれ、昭和30年に亡くなっていますから、ずいぶん長生きをしたように感じますが、計算しますと、49才で生涯を終えています。人生わずか50年と、昔の人が言いましたが、理想の人生を全うしたのでしょうか。

 本は短編集で、11の作品が収録され、『ふるさとに寄する讃歌』はその内の一編です。『黒谷村』『海の霧』『にじ博士の廃頽』等々、どれも暗く陰鬱な作品ばかりで、氏が理想の人生を全うしたとは、とても考えられません。若い時愛読した、『三太郎の日記』に共通する、自己研鑽への憧憬も垣間見えます。

 「充実した人生が欲しい」「自分を生かす道を探したい」「生きがいとは何か」などと、学生時代の私は、安吾に似てぼんやりと、しかし真剣に、青春の浪費をしていました。違いがどこにあるか考えますと、安吾は運よく49才で没し、私は77才になっても世俗の民というところです。彼は49才で有名人でしたが、私は77才でも無名のままです。

 無名も有名も、この年になりますと、大きな意味がない気がいたします。愛する妻も子もなく、子や孫の愛らしさも知らず、苦悶のうちに終えた彼を羨む気持ちは、どこからも生じません。

 『ふるさとに寄する讃歌』とは、名前ばかりで、描かれているのは不健康な、自堕落な、無気力な人間たちです。自然主義的、私小説的、観念文学とでもいうのでしょうか、読んでいて少しも楽しくありません。自分の中の異常性や、狂気、臆病、猜疑心を、細かく描写しますが、自分が生きる社会や、国や、歴史については無関心のままです。

 氏の作品を読んでいますと、牧野信一を思い出しました。家族を嫌悪し、人を拒み、悶々として生きる自分の姿が、誇張した文体で描かれます。雰囲気がそっくりなので、当時の小説の流行のスタイルだったのかと、そんな気がします。年表を見ますと、この作品は昭和6年、氏が25才の時に発表したと書かれています。

 横光利一は、「言葉と格闘した作家」だと言われますが、氏も同じでないかと思います。とるに足りないことが、さも重大らしく書かれているのに、退屈せずに読んでいるのは、ひとえに氏の文章力です。人間の悩みや苦しみや悲しみは、世間一般の誰もが持つもので、このありふれた喜怒哀楽が、粗末な文章で綴られたら、たちまち退屈され、読む人はいません。大した内容がないと感じつつも、それでも読まされるのですから、やはり氏はひとかどの作家です。まして25才の時の作品だと知れば、敬意を表すべき才能です。

 「白い灯台があった。」「三角のシャッポをかぶっていた。」「ピカピカの海へ白日の夢を流していた。」「古い思い出の匂いがした。」「佐渡通いの船が一塊りの煙を海へ落とした。」

 『ふるさとに寄する讃歌』の書き出しの部分の文章ですが、「海へ夢を流す」とか「一塊りの煙を海へ落とす」とか、誰もが思いつく言葉使いではありません。考え抜かれた文章だから、私たち読者は無意識のうちに、作者の世界に誘われます。

 昭和6年といえば、若手軍人の政治結社、「桜会」によるクーデター計画が発覚した年です。9月には柳条湖事件 があり、満州事変が勃発しています。東北や北海道で、冷害と凶作が深刻化し、農家の娘の身売りが急増しています。やがてこの困窮が、農村出身の下士官たちを、政治家への怒りへと駆り立て、2・26事件につながります。

 それなのに、氏は日本のことに構わず、自分や周囲の人間たちの狂気や激情を、語るだけです。若い女に恋をしたり、酔っ払ったり、喚いたり、そんなことを延々と描写します。自我の追求が人生と思っていた、若い時の私は、きっと氏に似ていたのでしょう。親も兄弟も、自分の住んでいる社会や国について、何も考えず、自己中心だったから、氏の本に惹かれたのでしょう。

 77才になった私は、破滅型人生を推奨するような氏に、眉をひそめます。自己研鑽の名目で、欲望やわがままを野放にし、自己破産者になる生き方を肯定する氏に、賛同しません。息子や孫たちが毒されるという点では、反日・左翼の書と同じです。

 氏の著書があと二冊ありますので、文学作品を読む姿勢として、私の「思い込み」は、正しくないような気もいたします。こんな結論を持っていては、読書ができませんから、批判をせず、味わうことを優先しようと、思い直しています。息子たちの参考になるか否かは、私の姿勢一つにかかっているような気もします。

 頑固な年寄りになった私に、そんなことが可能なのかどうか、次回から「批判せず、味わうことを優先する」努力をしてみます。

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嵌められた日本 - 17 ( 馬野氏が持つ4つの意見 )

2020-07-16 13:01:34 | 徒然の記

 《 3. 『秀真伝』(ホツマツタエ) 》

 『秀真伝』と書いて、ホツマツタエと読みます。意味は「真 (まこと ) の中の真 (まこと ) 」ですから、「正式の伝記」「正式の歴史書」となるのだそうです。

 「ヲシテ」と呼ばれる「神代文字」で書かれていますが、学者、学会、学界からは偽書とされています。その一方で、『古事記』『日本書紀』の原書であると固く信じる一部の人間がいます。

 つまり氏は、それの一部の人間という訳で、過激な珍説の出所も理解できます。しかし氏が愛読している偽書は、これだけではありません。『契丹古伝』、『竹内文書 ( もんじょ )』、『襲国偽僭考』、『古代史論考』など、初めて聞く名前の本を熟読・耽読しています。

 説明を読みますと、『竹内文書』などは恐るべき内容です。

 ・天皇が、来日したモーゼに接見しただけでなく、キリスト、釈迦をはじめ、世界の大教組は全て来日し、天皇に仕えたことになっている。モーゼの墓が、石川県宝達志水町に存在している、とある。

 凡人には荒唐無稽、常識の埒外の書でしかありませんが、氏は違います。174ページの叙述を、そのまま紹介します。

 「古い昔に遡って、日本天皇が世界の王であり、支那はもちろん、その支配下にあったとする伝承がある。」

 「『竹内文書』という古伝に出てくるのだが、一見荒唐無稽、論ずるに値しないものと見ても、当然の代物であり現に一般ではそう見られているが、色々な面を考え合わせると、どうも無下に退けることはできない事実を、含んでいるように、私には思える。」

 氏がこの著書を出版したのは、私と同じ77才ですが、この部分を読んだ時、凡人である自分にしみじみと感謝しました。凡人はどこまでも凡人で、常識の範囲内でしか、物事を考えられません。モーゼはおろか、キリストや釈迦までが、日本へ来て天皇に拝謁し、その墓が日本にあると言われますと、びっくりしてしまいます。

 「現在私の見るところでは、支那は確かに太古において、日本の支那 ( えだくに ) であったろうということである。支那文明の根幹は、日本から出ている。これは私の独断ではなく、私の目に触れた限りの事物、文献から自然に出てくる結論だ。」

 こういう怪しげな古文書から日本の凄さを語られて、どれだけの日本人が同意をするのでしょう。偽書をもとに組み立てられた、日本中心説は、私だけでなく、日本を大切にする人たちにも、受け入れられません。最初はブログからこの部分を省略しましたが、公平な書評とするため、入れることにしました。

 《 4. イルミナティ 》

 人によっては、「イルミナティ」を、「金融界を支配するユダヤ財閥」という言い方をします。バルーク氏はユダヤ人ですが、ロックフェラー氏は違いますので、気をつける必要があります。

 馬淵睦夫氏は、「ウォール街を支配する金融資本家たち」と、ユダヤ人に限定せず、確かそのように言っています。馬野氏も、「彼らによれば、その中核は国際大銀行の、首脳だと言う。」と述べており、これが正しい言葉ではないかと思います。

 「イルミナティ」という言葉は、ややもすると「ユダヤ人謀略説」に傾き、古代の偽書に似てくる危険性があります。今後は、狂信的団体という意味を持つ「イルミナティ」を使わないようにし、「ウォール街を支配する金融資本家たち」と言います。

 『秀真伝』(ホツマツタエ)のような偽書の説と違い、「ウォール街を支配する金融資本家たち」が、世界の政治や外交を動かしているという事実は、荒唐無稽な意見でありません。「謀略」や「陰謀」として、センセーショナルに語られてきたこれ迄が、大袈裟すぎたのだと思います。

 自分たちの住む市や町で、財力を持つ、やる気のある事業家たちがしていることを、考えてみましょう。彼らは事業の発展と利益の拡大を、人生の目的として生きています。大きな仕事は、たいてい町や市や県などが行う公共事業です。先々の計画を知っているのは、市議や県議や市長や県知事ですから、事業家たちは彼らとのコネを求め、様々な努力をします。

 有力議員や首長とパイプを作った彼らは、キブ・アンド・テイクの関係を作ります。やがて彼らは、自分の事業に有利となるように、市政や県政への助言や、意見を述べます。この中でやり過ぎた者が、時々贈収賄事件で新聞種になりますが、このような事件は、私たちの周りにありふれています。

 「ウォール街を支配する金融資本家たち」がやっていることは、桁外れの大きさで一般人に想像できないため、驚く話となりますが、基本は同じです。彼らは、市長や県知事の代わりに、大統領や、首相や、王様を相手に金儲けをし、世間にバレないようこっそり実行しているので、「謀略」に見えるだけの話です。

 もう一つの大きな違いは、「ウォール街を支配する金融資本家たち」がやっていることは、たとえその事件が発覚しても、彼らを取り締まれる者がいないというところにあります。馬淵睦夫氏は、こうした事実を踏まえ、資本の動きは陰謀でなく、当然の動きだから、目を背けず、直視しようと語っています。

 「ウォール街を支配する金融資本家たち」は、ユダヤ人が多数を占め、世界の金融界だけでなく、世界の思想界、言論界、教育界にも、強い影響力を持っています。

 田中英道氏は、ユダヤ人を異端者扱いせず、正当な評価と敬意を払い、協力できるところは、協力しようでないかと主張しています。だから私は、馬野氏が言う、「世界を支配するイルミナティ」については、無視しません。古伝の偽書のように、殊更異説として語るのでなく、ユダヤ人については、田中氏や馬淵氏のように、正面から取り上げるべきと思います。

 彼らがやっていることは、「陰謀」や「謀略」でなく、利潤を追求する「資本の論理」に過ぎません。これを正しく知ることが、明日の日本を考える上で、重要です。

 極論でしたが馬野氏に感謝し、敬意を払いつつ、本日で書評を終わります。

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嵌められた日本 - 16 ( 馬野氏が持つ4つの意見 )

2020-07-15 16:49:27 | 徒然の記

 『嵌められた日本』を、読み終えました。博識の著者は沢山のことを教えてくれましたが、一方では、私も及ばない「思い込み」の強い人物でした。

 複雑な思いで、読後の本を眺めています。自分のことを棚に上げた上で、言いますと、「過激な意見は、真実を外れる。」ということでしょうか。右でも左でも、過激な意見は所詮過激な意見で、多くの人が敬遠する偏りがあります。氏の著書も、読み通しますと、その例に漏れませんでした。一つだけ、変わらずに共鳴するものを上げるとすれば、「日本を愛する心」でした。

 反日・左翼の書が溢れ、反日の報道が発信される現在の日本を思うと、氏の意見を、過激の一言で切り捨てる気になれません。氏以上の「思い込み」を、承知の上で、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、氏の4つの意見をお伝えしたいと思います。

   1. アメリカへの視点        2. 中国への視点

   3. 『秀真伝』(ホツマツタエ)    4.    イルミナティ

 《 1. アメリカへの視点 》

  ・国が違えば、考えも異なる。アメリカ人は、駆け回りもしないし傍観もしない。彼らは猫科の動物で、言ってみれば、虎かライオンの本能を持つ。私はアフリカで、ライオンの放し飼いを見たことがあるが、大抵は寝そべっている。

 ・動いても極めて緩慢だ。とてもそんな奴が、しま馬とかキリンとかいった、俊足の動物を襲えるなどとは、想像できないが、機到れば、サッと獲物に飛びかかる。その機を見る目、飛びかかる速度、噛みつく力はやはり百獣の王である。

 ・米国は、アフリカのステップに棲んでいるのでなく、近代国家軍の中にいるわけだが、くだんのライオンと、あまり変わっているわけではない。日頃は日本が、肉を与えてくれ、商品と金を、気前よくくれるのである。毎日緩慢な生活を送る。

 ・肉が無くなったら、どうするのか。その時は飼育係の日本人の隙を見て飛びかかる。ライオンは獣である。飼ってもらった恩などを、感じはしない。彼にとって、人間もまた肉塊に過ぎないのだから。

 ・私はずっと以前から、日米は歴史構造の上から、絶対の敵対者だと述べてきた。これは歴史工学の示すところで、機械的必然である。

 これが、氏の一貫して変わらない「米国観」です。欧州はもちろんのこと、ロシアも中国も同根の国だというのが、氏の「歴史構造」分析です。日本以外の国は、米国の思考や文化を受け入れる素地がありますが、「八百万の神」を信じ、「皇室で一つにまとまる」日本人だけは、未来永劫米国式思考や文化を受け入れません。

 だから、米国と日本は歴史のある限り絶対の敵対者となる・・と、これが氏の言う「歴史工学の、機械的必然」です。ユニークな意見ですが、一面の真実があるような気がします。

 《 2. 中国への視点 》

 ・古い時代から、中国と日本はただならぬ仲である。漢字、漢文学、儒教などは古くから入っているし、早くから、朝鮮半島への影響力を競ってきた。」

 ・古い歴史を持つ中国は、すでにその民族、社会、国家としての寿命を終えているので、統一されれば確かに大国らしくなるが、とても近代国家として立ち、一人前の近代強国として、実質的な力を持ち得るものではない。

 ・蒙古にせよ金にせよ、侵攻した実勢力は極めて少数で、彼らは漢民族の中では、大海の一滴に過ぎない。その一滴が、漢民族を承服・支配できたのは、なぜであるのか。それは漢族が、2000年の文明を経て腐敗老残していたからに他ならない。

 ・その腐敗は、他民族との混交による相互排斥と殺戮、及び文明、特に物質金銭への欲望がもたらしたものだ。時代により汚濁の様相は異なるが、文明による人間集団の腐敗は、人体の老化のようなもので根本的に若返ることはない。

 漢族はこのようにして清に支配され、清もまた、漢族の腐敗に汚染され、自らから倒れたのだと、氏は説明します。

 ・以前毛沢東は、中国を世界の前衛として誇示していたが、それは愚かな誇大妄想であって、中国は遥かな昔に、すでに生命を終えた国家と社会の残骸なのである。

 ・以前の中華民国も、また今日の中華人民共和国も、等しく大国の矜持と幻想を抱き、日本に対し、対抗心のみならず優越感を持っている。

 ・今世紀の中国は、膨大な人口、巨大な資源を擁しながら、社会は腐敗し、政治は乱れ、一種の奇形国家として列強の前に放り出されていた。いわば美味しそうな焼けた豚が、食卓に出されたようなもので、世界の強国はそれぞれの肉にありつくべく、動き出した。

 ・蒋介石が、日本権益、列強権益に不快の念を抱き、東洋鬼 ( トンヤンキ・日本人 ) と、洋鬼を追い出そうと策を巡らせたのは、自然である。

 ・遅れて姿を現したアメリカは、同じ侵略を目指す国であったが、イギリスと日本を追い出すことで協力した。

 中国への視点は、長いので後を省略しますが、要するに氏が言いたいのは、「侵略されたのは、中国自らが招いたものだ。」ということです。まして日本を、逆恨みするのは本末転倒でないかと、そこまでは言っていませんが似たような論調です。

 いずれも、過激な主張ですから、中国人ばかりでなく、日本人の中にも、それは言い過ぎだろうと、不快になる人間が生じるのではないでしょうか。私もその一人で、共産党の支配する中国政府は嫌悪していますが、押さえつけられている一般国民に対しては違う思いを持っています。

 一つの見方として、息子たちの参考になればと、紹介しました。次回は、『秀真伝』(ホツマツタエ)と、イルミナティの二つです。参考になると思わない方は、スルーしてください。

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嵌められた日本 - 15 ( 日本は、氏族・部族社会 ? )

2020-07-13 23:46:28 | 徒然の記

 今日はまた、新しい視点からの氏の「日本論」です。

 「日本の政治を実際に左右しているのは、自民党の最高実力者、一等官庁の特等官僚、経済界の最高層の人たちと言ったところであろう。」

 「しかしその近代的な外貌を剥ぐと、日本の社会はなお、色濃く氏族、部族社会の心理と、遺構を残している。」

 「これは何も、遅れているといった事態ではなく、もとより善悪、優劣の問題ではない。」

 「たまたま日本人が、大陸の人口中心から離れて、長期間孤立した列島内に籠もってきた歴史的結果で、人口が増し、異人種間の融合が始まると、部氏族社会的な特徴が、消滅してしまったということに過ぎない。」

 こういう見方もあるのかと読んでいますと、いつもの「馬野節(ぶし)」が現れます。

 「世に識者と呼ばれる不識者は、このような日本社会の成り行きを西洋眼鏡で眺め、日本は遅れていてダメだとか、西洋流、アメリカ流に変えなければと、活発に喋って回るが、そういう人たちはおよそ頭の悪い困り者である。」

 「日本社会の有り様の方が、本来の人間社会の性(さが)であって、長い目で見た着実な発展は日本社会の方にこそある。」

 日本を軽視する学者が多い中で、こんな意見を聞かされますと、心が引かされます。

 「日本社会は、いろいろな氏 (うじ) の上 (かみ)、部族長の下に、家族的集団が積み上がってできている。政党、その他の派閥、企業、子会社、孫会社などなど、いずれも同様な、原理、構造を持つ。」

 「日本国全体が、天皇を全ての氏の上とする巨大氏族とみて良いだろう。」

 なるほどこういう意見になるのかと、納得させられます。反日・左翼の人間なら、頭から否定するでしょうが、私はそうでないのだ、広い心で耳を傾けます。

 「日本では、重要な決定は、それぞれの族内で広く検討され、時間をかけてコンセンサスが探され、合意が得られた時、氏の上の裁可を得て、氏族全員一致協力して突貫する。」

 「かくて何によらず、日本での事業は素晴らしく成功する。あるいは、すべてを失う失敗もする。」

 ほとんど成功するが、全てを失う時もあるとは、大東亜戦争の敗北を言っているのでしょうか。一方的な日本賛美でなく、一種の「両論併記」と思えば、納得できます。

 「欧米社会はその歴史からして、部氏族はほとんど完全に解体され、一様な社会の中に、孤独な個人が露出する格好になっている。従って、極めて優れた指導者が追従者を周辺に集めて、一時的な集団を作り、それによって目的を達成する形をとる。

 「各人は強制によって働くので、自発性は少ない。」

 ずいぶん乱暴な意見だという気もしますが、次の言葉で補っています。

 「然るがゆえに、典型的な欧米社会の形態は奴隷制度である。ギリシア・ローマは、その典型的なものだ。日本には、家の子・郎党は発生したが、奴隷は現れなかった。日本と西洋の、本質的な違いである。」

 奴隷制度の有無は、日本と欧米を際立たせる本質的な違いなので、やはり納得させられます。

 「山本七平氏は、日本社会には独特の空気なるものがあり、誰もがその空気を呼吸し、その空気を吸わない者は窒息すると述べている。」「言い得て妙で、誠にその通りだが、日本社会が空気支配になる原因は、部氏族的状態にある。」

 「家が、社会・国家構成の根底である日本では、家が潰れると何もかも潰れてしまう。かくして一面では、空気は日本存立の条件なのだ。」「西洋では、空気支配はない。それが進歩であると考える者は、非日分子であり、反日分子である。」

 言葉は乱暴ですが、日本社会の本質を語っています。ハンチントン氏が語る「孤立した日本の文明」の萌芽があります。

 「日本は古来から、親子、兄弟的 " 情 "  の通う世界で、それは今も変わらない。一方、民族と階層が衝突・抗争する西洋(シナ、インドも同じ) では、情は消え、理の世界となる。ここでは情に訴えても通用せず、理と力で押さなければ事は進まない。」

 若かった頃の私は、日本の「義理と人情」を嫌悪していました。道理を曖昧にし、うやむやのうちに解決する日本的思考が、胡散臭くてなりませんでした。70代になった今は、氏の意見に納得しますが、息子たちには通用しない気がします。

 氏族の長としての天皇を敬う気持ちがあり、日本を大切に思っていますが、基本に家があるという考えは薄れています。私にあるのは、「家」でなく、「家族」です。

 「私と妻と子で構成する家族」、「父や母とともに、子供として暮らした時の家族」、「祖父母とともに暮らした時の家族」が、私の中にあります。神様に毎日手を合わせる時、短い祈りの中でこれらの家族が一つになり、ご先祖様につながります。

 理論的に言いますと、自分のご先祖の一番最後に神代の天皇があると・・こういう話になります。会社で転勤ばかりしてきた私には、故郷と言える特定の場所がなく、現在住んでいる場所に、わずかな土地と家があるだけです。息子たちには、核家族の経験しかなく、祖父母や親類縁者とのことは、旅行先での思い出のひとつという程度です。

 情も家も、氏の言われる意味でなら、それは、息子たちの世代には伝わらない思考でないかと、そんな気がしています。その代わり私が信じているのは、「日本人の中にあるDNA」です。

 「日本の社会はなお、色濃く氏族、部族社会の心理と、遺構を残している。」と氏が述べる時、この内容がDNAとして伝わっていると、そのように理解しています。日本人の本質が変わらないという意味で、「情と家」を氏が語っているのなら、私と同じとも言えます。違う意味であれば、氏と私と、いずれの意見が妥当なのか分りません。

 私がいなくなった後で、子供たちが「ねこ庭の独り言」を読む時、どう受け止めるかで決まるのでないかと、そんな気がします。尻切れトンボのブログとなりましたので、「ねこ庭」を訪れた方には申し訳なく思います。

 自分の家族や家庭と比較し、どうかそれぞれでお考えください。

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嵌められた日本 - ( 黒人より下層の、ユダヤ人 )

2020-07-12 21:40:06 | 徒然の記

 今から39年前の昭和56年に、朝日新聞記者本多勝一が、『合州国』という文庫本を朝日新聞から出版しています。本来なら『合衆国』と書くべきところを、わざわざ『合州国』と言い変え、その理由を次のように説明していました。

 「衆は、人々や民族を意味する言葉だが、黒人差別のアメリカが、何で民族の融和した国であろうか。」

 「アメリカとは、単に複数の州が連邦になっているに過ぎない。本来ならこの本は、『黒人の側から見たアメリカ 』 と、題をつけても良かったのだ。分かり易い言葉を使えば、白人対黒人、つまり 、" 殺す側と殺される側 " の話だ。」

 北部のニューヨークから、南部の州まで、黒人の友と一緒に旅をした記録です。名前を耳にするだけで嫌悪を催す彼なのに、図書館でもらった廃棄本の中に、混ざっていました。今から6年前の話です。

 馬野氏の書評のブログで、こんな人間の著作を語るのかと、疑問を抱かれるのかもしれませんが、ユダヤ人やイルミナティがテーマになっているので、偶然思い出しました。

 この本で知った得難い収穫は、ユダヤ人が、アメリカ社会では黒人より低い階層に位置づけされている、という事実でした。

 ゲットーに住み、差別に耐えているユダヤ人がいるかと思えば、世界を動かしているユダヤ人がいます。本多勝一が語っているのは、下層社会に住む一般のユダヤ人たちで、馬野氏が取り上げているのは上流社会のユダヤ人です。

 バーナード・バルーク、キッシンジャー、ブレジンスキー氏は、上流社会のユダヤ人です。ロックフェラー家と並ぶロス・チャイルド家もユダヤ人で、もっと言えば、マルクスもレーニンもユダヤ人です。

 日本で、ユダヤ人が世界を牛耳っていると語られるので、米国での彼らの地位が、高いとばかり思っていました。本多勝一の著書によりますと、本来ならユダヤ人は黒人と協力し、民族差別と闘って良いくらいなのに、黒人からも嫌われているのだそうです。

 白人は黒人をニガー、ニグロと呼び、黒人は白人を白ぶたと言って罵倒しています。規制されていても南部では銃が溢れ、いつでも乱射される。警官は全て白人の側に立ち、些細なことで黒人を捕まえ、殴る蹴るの暴行をし逆らえば射殺します。

 日本では反日のマスコミが、在日コリアンを日本人が差別すると騒いでいますが、アメリカの差別は、そんな生易しいものでありません。日本のテレビや新聞だけ見ていますから、「日本人はひどい差別をする」と、私たちはいつも反省しています。黒人差別だけでなく、ユダヤ人差別も、国際社会では想像できない状況にあると、それが伝えたくて、『合州国』の著作に言及しました。

 馬野氏の著作へ戻ります。

 「私はずっと以前から、アメリカの本当の姿を知り、日米関係を見誤らないようにと警告し続けてきたのだが、耳を傾ける人は思ったより少なく、世間ではその場その場の、軽薄な言説を流す物書きや、テレビタレントが幅を利かせている。」

 嫌米の馬野氏の酷評は、止まるところを知りません。

 「私から見れば、この事態は、大多数の日本人が夢を見ているわけで、実に危険である。この日本人の呑気さの底には、苛烈な民族、あるいは国際抗争を知らない、穏やかで正直な、人を疑うことのできない国民性がある。」

 「それは人間として、尊い性質だけれども、相手がそれを逆手に使い、攻撃してくればひとたまりもない、もろく、弱いものなのだ。」

 私の言いたいことを、すっかり氏が代弁しています。しかも、39年前です。書評は一向に進まず、ページは同じところですが、息子たちに言います。

 「馬野氏の言葉を、真面目に聞きなさい。」

 天気予報で、明日は少し涼しくなるとのことですから、終日氏の本に向かいます。蒸し暑い今夜は無理をせず、ここで一区切りとします。

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嵌められた日本 - 13 ( ロックフェラー氏とブレジンスキー氏 )

2020-07-12 13:47:19 | 徒然の記

 うっとうしい暑さを忘れ、馬野氏の「米国悪人史観」と「イルミナティ思考」を紹介するのは、米国を悪の塊として見るよう勧めるためではありません。

 アメリカでも、中国も、ロシアも、みんな自国第一で動いているので、日本から見れば、全部極悪人の国に見えます。国際社会では当たり前の話ですから、伝えたいのは馬野氏の警告です。

 「日本以外の世界の国々は、みんな素晴らしい国です。」「話し合えば、真心と誠意が必ず通じます。」「みんな、同じ人間ですから、互いの思いやりと愛が、人類を救います。」「二度と、無謀な戦争をしてはいけません。」

 戦後74年間、朝日の記事に感激し、日本だけを悪と信じてきた「お花畑の信仰」から、卒業しませんかと、氏が読者に語りかけています。

 著作の124ページです。「親日家」と言われている、ロックフェラー氏が、どのような親日家だったのか、氏が説明しています。

 「デイヴィッド・ロックフェラーは、現在までに4回訪中している。」「初回は73年、ニクソン 訪中の翌年。」「もちろん、毛沢東、周恩来と会談した。」「彼の回想記を読むと、」「自分のような資本主義の首魁に対して、考えられないほど歓待してくれた、」「と書いている。」

 「鄧小平の復活後、78年にも訪中している。」「88年には、キッシンジャーを連れて行き、鄧小平に会っている。」

 今から紹介するのは、昭和60 ( 1985 ) 年に北京でなされた、ロックフェラーと鄧小平の会話です。

 《 鄧小平 》

  「お国は、財政赤字で、貿易赤字。」「それもこの先、どんどん増えるようですが、」「いったい、どうされるおつもりですか。」

 《 ロックフェラー 》

  「正直言って、対策はありません。」「まあ、日本から出させる以外はないでしょう。」

 昭和60年代の日本の総理は、中曽根氏です。馬野氏は言及していませんが、トロイの木馬中曽根氏は、ロックフェラー氏の言葉通り、紙屑同様の米国国債を、大量に買っています。日本嫌いのキッシンジャーを連れて、中国を訪問していると知りますと、眼から鱗の「親日家ロックフェラー氏」でした。

 ロックフェラー氏の指示に従い、「日米欧三極委員会」を主導したブレジンスキー氏について、日本の政界や知識人たちは、知日派の政治家として、好意的に見ています。しかしそれも、「お花畑の思考」に過ぎませんでした。

 『大いなる失敗』の著書で、氏は崩壊したソ連の共産主義を酷評します。「マルクス主義は、20世紀最大の失敗だった」と言い、本の題名もソ連を意味しています。知日派の氏が、中国をどのように見ているのかを紹介します。

 「中国共産党の軌跡は、東欧諸国やソ連とは違っている。」「中国の共産主義は、国産である。」「中国の若い指導者は、ロシア革命に衝撃を受けたが、」「モデルとして見習うべきとは、考えなかった。」「注目すべきは、伝統ある文明を誇る中国人は、」「自らの手で革命を達成し、戦略を立てたいという、」「知的、文化的自負心があったということだ。」

 日本の政治家や知識人たちが、親日家、知日家と言って褒める米国人に、大抵碌な人間がいません。ブレジンスキー氏もライシャワー氏と同様、高く評価し、親近感を抱いているのは中国です。

 「中国共産党は、イデオロギーと歴史を、」「うまく結びつけることができた。」「単に労働者の不満をすくい上げる、階級闘争だけでなく、」「100年にわたって、西欧諸国に痛めつけられたきた自国の、」「屈辱感や愛国心に結びつけて、」「イデオロギーを訴えたのである。」

 「こうした国民感情は、日本の侵略によって、さらに燃え上がった。」「中国の悠久の歴史は、19世紀になり、どん底に落ちていた。」「文化的に誇り高い中国人にとって、」「これは耐え難いことであり、」「近代的な民族論と、急進的な社会改革論が、」「ここ中国でひとつになった。」「ソ連でさえ、共産主義が民族主義の色合いを帯びたのは、」「ドイツとの戦争中だけであった。」

 手放しの礼賛です。氏の著書が出版されたその年の10 月に、鄧小平氏が、天安門で学生のデモ隊を弾圧し、戦車でひき殺しています。ブレジンスキー氏は、安全保障関係の政治家として、緊迫した中国を知っているはずなのに、称賛は変わりません。

 「中国の歴史的再生を進める上で、共産党の指導者は、」「理論の大幅な、見直しをはかっている。」「プロレタリアートの独裁を主張する、革命的な党という主張が、」「次第に薄れ、国家を後ろ盾とした、新商人階級の独裁を主張する、」「近代化思考の党、というニュアンスに変わってきた。」

 おかげで一つ、発見をしました。自民党の幹事長だった加藤紘一氏が、そっくり同じ言葉で中国政府を語っていました。ブレジンスキー氏の受け売りだったのです。

 「中国の高度な文化、孔子の思想、国家に奉仕する官吏階級、」「優れた商業的手腕に、裏付けられた文化、」「これらには、しっかりした伝統があるため、」「共産主義といえども、その影響は免れなかったのである。」

  アメリカが独立宣言をしたのが、1776年です。米国の歴史はやっと300年を越えたばかりですから、2000年以上の歴史を持つ中国に対し、氏のような知識人は、理屈抜きに引け目を感じるようです。

 米国人らしく「東京裁判史観」そのままで、日本のことを語ります。こういう意見を持つ人物が、果たして「知日派の米国政治家」なのでしょうか。中国が日本に居丈高になるのは、中国贔屓のロックフェラー氏や、ブレジンスキー氏のような政治家が、アメリカに数多くいるからです。

 「アメリカと中国は、根っこのところで結びついている。」

 日本の政治家や知識人と言われる人々は、どうして馬野氏が語る簡単な事実に、気がつかないのでしょう。戦前の政治家に比べ、愛国心だけでなく、知的レベルも落ちているのでしょうか。

 「来るべき世界の状況は、日本の孤児化であり、」「米ソ、そして中国に囲まれ、」「これらにいたぶられるという構図が、浮かび上がってくる。」

 馬野氏が打つ警鐘を、せめて、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々には、伝えたいものです。暑い夏がさらに暑くなりますが、次回も氏の警鐘と向き合います。

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嵌められた日本 - 12 ( バルーク氏とロックフェラー氏 )

2020-07-11 23:09:26 | 徒然の記

 馬野氏が、イルミナティとして名前を出しているのは、バーナード・バルーク氏とデイヴィッド・ロックフェラー氏です。

     1.    バーナード・バルーク氏         ( 明治3年生まれ、昭和40年没 95才)

  ・ アメリカの官僚、政治家、投資家

  ・ サウスカロライナ州出身のユダヤ系アメリカ人

  ・ 戦争を一種の公共事業と認識している人物  

  ・ 第一次世界大戦時は、ウィルソン大統領の側近として、戦時産業局長官

  ・ 世界最大の工業国家となった米国の、軍産複合体の実権を握り、外交ではドイツに巨大賠償金を課した、賠償委員会議長

  ・ 以後ハーディング、クーリッジ、フーバー等、歴代大統領の特別顧問

  ・ 実質的に、大統領以上の政治的影響力を行使できる立場にあった

  ・ ルーズベルト大統領の顧問として、強大な影響力を行使し、公的には金融界の大物から、長老政治家というスーパーエリートへ転身した

  ・ トルーマン政権でも、影響力を行使し、国連原子力委員会の米国代表となる

  ・ アメリカの核独占による世界平和を唱え、「冷戦」という言葉を初めて用いた人物

  ・ 「冷戦」の語が、世界情勢を意味するものとして認められた事実は、彼の特権的地位を証明する

 バーナード・バルーク氏について、初めて知りましたが、「憎まれっ子、世にはばかる」とは、よく言ったものです。長生きをし、歴代の米国大統領の顧問として、大いに活躍しながら、世間には名前が知られていません。「闇の力」と言われる、所以でしょうか。

     2.   デイヴィッド・ロックフェラー氏         ( 大正4年生まれ、平成29年没 101才)

  ・ アメリカの銀行家、実業家、慈善家、ロックフェラー家3代目の当主

  ・ 元国務長官ダレス氏は、ロックフェラー家の顧問弁護士

  ・ 昭和36年にチェース・マンハッタン銀行会長に就任

  ・ 昭和44年から、昭和56年まで最高経営責任者

  ・ 海外に銀行事業を拡大し、世界各国の政財界に幅広い人脈を築き、民間外交を活発に行う

  ・ 冷戦の最中の昭和48年に、ソ連へ行き、ソ連初の米銀行支店を設立

  ・ 同年中国へ行き、中国初の米コルレス銀行を設立し、三極委員会を創設

     ( 注 1 :  コルレス銀行とは、外国に送金するにあたり、その通貨の中継地点となる銀行である。)

    ( 注 2 :  三極委員会とは、国際社会における日本・北米・欧州の協調促進のため設立された、非営利の政策協議組織。世界各国から著名な政治家、官僚、財界人、学者などが参加。発足時の名称は「日米欧三極委員会」)

 〈 「 三極委員会 」( 旧・日米欧三極委員会 ) 〉
 
   設立  :   昭和48年7月
   会長  :   長谷川閑史 ジャン=クロード・トリシェ、 メガン・オサリバン
   創立者 : デイビッド・ロックフェラー、ズビグネフ・ブレジンスキー、ジミー・カーター
   本部 :  ワシントン、東京、パリ
 
 ロックフェラー氏は、日本との関係が深く、ネットの情報では親日派として紹介されています。知らないことが多いので、そのまま転記します。

  ・   昭和47年 ブレジンスキーと共に、宮沢喜一、大来佐武郎を招待した勉強会を開催。翌年、三極委員会を創設

  ・   昭和50年  昭和天皇アメリカ訪問時に、ロックフェラー邸をご訪問

  ・   昭和53年   日本文化を伝える非営利団体「ジャパン・ソサエティ」の名誉会長に就任

  ・   昭和63年から平成2年まで、高松宮殿下記念世界文化賞の国際顧問、名誉顧問

  ・   平成 3年 勲一等瑞宝章を受勲

  ・   平成  6年   平成天皇アメリカ訪問時に、ロックフェラー邸をご訪問

  ・   新生銀行 社外取締役

 以上ネットから、転記しました。熟読すれば、特にロックフェラー氏については、日本との深い絆が見え、分かる人には分かるものがあると思います。

「イルミナティ」を代表する人物として、馬野氏が二人を挙げていますが、人によっては、「イルミナティ」を、「金融界を支配するユダヤ財閥」という言い方をします。バルーク氏はユダヤ人ですが、ロックフェラー氏は違いますので、気をつける必要があります。

 馬淵睦夫氏は、「ウォール街を支配する金融資本家たち」と、ユダヤ人に限定せず、確かそのように言っていますが、これが正しい言葉ではないかと思います。

 次回は親日家といわれるロックフェラー氏が、鄧小平氏と、どのような会話をしたかを、紹介します。眼から鱗の「親日家」ぶりが、語られています。

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嵌められた日本 - 11 ( イルミナティについて )

2020-07-11 11:30:18 | 徒然の記

 93ページまで来て、本の核心部分に達しました。氏の依って立つ思想が、やっと分かりました。

 「イルミナティ史観」です。9回目のブログで、アメリカもソ連も、いずれの国もイルミナティが造ったという、氏の言葉を紹介しました。この思考が氏の基本にあるとは、いささか意外でしたがそんな予感もありました。

 興味本位に流されますと、「ユダヤ人陰謀説」につながります。氏の著書が出された頃は、ユダヤ人について語るのは、まだタブー視されていました。しかし最近では、田中英道氏や馬渕睦夫氏などが、正面から取り上げています。ユダヤ人の歴史的役割を、暗闇のものとして扱わず、彼らの功績と罪を、事実として知るべきという意見です。

 ユダヤ人問題は、これもまた人類の歴史における、過酷な人種差別問題でもあります。蔑視され、迫害されてきたユダヤ人は、悲惨な歴史を持つ民族ですが、優秀な彼らは、世界の様々な分野で活躍しています。

 世界史は彼らを抜きに語れないと言っても、過言ではありませんが、世界には様々な意見があり、取り上げる人により極端な差があります。

 息子たちに、「イルミナティ史観」を説明するのは容易でありません。誤解が生じないよう、自分の解釈でなく氏の説明を忠実に紹介します。分かりやすくするため、箇条書きにします。

  ・「イルミナティ」は、18世紀に南ドイツで組織され、世界を暗闇から動かしてきたと考えられる、秘密結社である。

  ・  彼らの初仕事は、フランス革命であり、革命の成功には彼らの協力があった。

  ・  彼らの中核は、18世紀以後の工業化の波に乗り出現した大工業資本家であり、大金融業者である。

  ・  既成勢力を排除し、自分たちが自由に活動できる社会を作ろうと画策した。 

     ・  フランス革命と同時に、アメリカの独立運動が起こり合衆国が生まれた。フランス革命で働いた仕事師たちが参加し、その背後に彼らがいた。

      ・  第一次世界大戦で活動を開始し、戦争の遂行、ベルサイユ講和会議の操縦、国際機関の設立運営など、彼らの設計と指示によった。

   ・ 20世紀において、彼らが仕上げた大仕事はロシア革命による、ソ連国家の創出。彼らはレーニン一派を支援し、革命を成功させた元凶である。

  ・ 中世以来続いている社会勢力が、新興勢力である工業資本家の彼らの前に立ちはだかる時、彼らはその抵抗を排除するため何でも利用した。

  ・ 米ソは、思想的に両極に分かれていると見えるが、成立の事情を子細にみれば、同一の勢力により建てられた国家である。

 一般的説明をやめ、氏が自分の言葉だ語っています。

 「私は、イルミナティに関する知識を、カリフォルニア州にある歴史修正学会、その他の発行する公刊物から得ている。特別な情報ルートなどは、何もない。イルミナティ結社の実在の証明は、私の知る限りどこにもない。」

 「ところがその実存の噂は、20世紀後の今日でも米国の一部で強く信ぜられ、恐れられているとさえ言って良いらしい。」

   「前記の歴史修正学会は真面目な人たちの集まりだが、彼らはもちろん、その実在と活動を確信している。彼らによれば、その中核は国際大銀行の首脳だと言う。」

 「この話は、われわれの頭を惑乱させる。なぜ大銀行家が秘密結社を結んで、共産主義国家を作るのか。なぜ、ソ連国家が存続することを願うのか。不可解とは、まさにこのことではないのだろうか。」

 この部分が、話の核心だろうと思います。田中英道氏も馬渕氏も、同様な意見を持ち動画の中で説明しているので、初めて聞く話ではありません。むしろ確認したのはは、田中・馬渕氏の話が単なる推測でなかったと言う事実でした。

 「誰しもが持つ当然の疑問に対して、歴史修正学会の人たちは、彼らは、ワン・ワールド・バンカーだからだ、と言う。これだけでは読者には何のことか分からないだろうが、その心を解くと次のようになる。」

 もう一度文章体をやめ、氏の説明を箇条書きにします。

  ・ 彼ら銀行家にとって日常活動の目的は、「金融による金儲け」である。

  ・ 世界的視野で活動し、長期的視界を持っているから、各国の政治に隠微に介入する。 

  ・ 政治家を操ることも、当然含まれる。

        ・ だがイルミナティの本領は、そうした日常性を遥かに超えたところにある。

  ・  彼らは常に、黄金(財力)と世界独裁の政治権力を欲している。その仕組みが、一方では自由主義、他方では共産主義になる。

 ここではユダヤ人への言及がなく、分かったような分からないような説明です。氏は、私のような人間のためさらに続けます。

 「おそらく読者は、まだ狐につままれた気持ちをお持ちだろうが、とても紙幅が足りないから、この問題は別に十分に説明したい。」

 「今のところは、米国政府、そしてかなりの程度まで、英、仏政府を動かしてきた彼らは、ソ連もまた自らの産んだ双生児の一方として、世界支配のため動かしていると知っていただければ良い。」

 不親切な言い方ですが、本気で説明すると、分厚い本一冊でも足りないだろうと、予測がつきます。氏が具体的な例として、二人の人物の名前を挙げていますので、次回はこの人物を中心に、イルミナティの紹介をしたいと思います。

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嵌められた日本 - 10 ( 奥野国土庁長官と読売の社説 )

2020-07-10 14:01:44 | 徒然の記

 馬野氏の著作が出版されたのは、平成元年で、今から31年前です。敗戦後の日本は、変われないまま続いていたと思っていましたが、著作を読んでいますと、微妙に変化していることが分かります。

 本日は、息子たちに「生きた勉強」の一つとして、馬野説を紹介しようと思います。相変わらず、「トロイの木馬」の中曽根氏への酷評ですが、まんざら間違いでありません。

 「昭和63年、奥野国土庁長官は靖国神社の春の大祭に参拝して、中国の鄧小平の言動に、国民が振り回されているのは情けないと批判した。」「その後国会で、発言をエスカレートさせ、支那事変について当時の日本には、侵略という意図はなかったと、答弁した。」

 当時私は44才で、新聞で叩かれていた奥野氏のことを、覚えています。朝日新聞の定期購読者でしたから、極悪人のように書かれていた氏の印象が今もあります。

 「アジア全体が、白色人種の植民地になっていたが、大東亜戦争の結果独立を果たした。日本だけが、侵略者の烙印を押されるのは残念だと、述べたようだ。」「一般に世間では、自民党寄りと思われている読売新聞がどんな判断をしているかを、調べてみよう。」

 ここで氏は、読売新聞の社説を紹介します。

 「列強がアジアに進出して植民地とし、日本もそれに伍して、中国大陸を侵略したことは歴史的事実である。」「満州事変以降の日本の行動は、国際連盟の非難決議にも反し、奥野発言のように、政府は不拡大方針を支持してきたなどと正当化することはできない。」

 「やるべからざる間違った戦争だった、というのが、中曽根首相以来の政府見解であり、奥野氏の見解はこれに反する。」「戦前の歴史観から脱皮できない、政治家の一人の発言と言わざるを得ない。」

 読売の社説が、こんな意見を述べているのは知りませんでしたが、面白いのは、次の氏の意見です。

 「朝日新聞というのは、日本人の出している新聞とはとても言えないが、読売の社説の論旨も、戦後教育を受けた者の洗脳度を遺憾なく示している。徐々に本復はしているようだが、まだまだ占領政策の痕がこびりついている。」

 「まずこの読売の記者に、一撃を加えておかねばならないのは、中曽根首相以来の政府見解に奥野氏が反しているという、くだりについてである。」

 「読売が、中曽根氏の後援紙であるのかないのか、私には知るすべはないが、ここにいう政府見解は、なるほど中曽根内閣では、閣僚の守るべき約束であったかもしれないが、竹下内閣の閣僚がそれに縛られる筋合いはどこにもない。」

 私はなぜか、左傾のある歌を思い出します。

   フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん

   本当ことを言ったら  お利口になれない

  反戦平和主義者だった彼女は、焼身自殺をして世界に抗議しました。切ない歌詞とメロディーが左傾の若者の心を捉え、大ヒットしました。馬野氏は左翼でありませんが、「本当のこと」を言いすぎているようです。焼身自殺はしていませんが、言論界の土俵に乗り、意見を述べる機会を閉ざされました。それだけに痛快な意見でもあります。

 「中国に関する発言規制法が、中曽根内閣で成立したという話は募聞にして聞いていないのだが、それならどうして、中曽根内閣以来、この男の決めたことを永久に守らねばならないのか。不思議なことを言う、論説委員もいるものだ。」

 「日本が間違った戦争をした」という、政府見解を出したのが、中曽根内閣だったとは、今の今まで知りませんでした。ロン・ヤス関係とマスコミにおだてられ、愛国心を失った氏だから、「日本は、アメリカのための、不沈空母だ」と、バカな追従が言えたのでしょう。

 一方で中曽根氏は、憲法改正が終生のテーマだと公言しています。国を愛する国民への裏切りは、安倍総理が最初でなく、中曽根氏から始まっていたと言うのが、正しいのかもしれません。

 馬野氏の意見は、31年後の今でもそのまま通用します。

 「まともに相手をするのは気骨が折れるが、しかし読売は、毎日数百万部出ている、全国紙である。その影響力を考えれば、放置できない焦燥を感じる。」

 「まず第一にこの事態は、中国当局が、文句をつけてきたところから起こっている。では中国当局に聞くが、君たちは現在、チベットで何をやっているのか。あるいは、他の少数民族は公正に扱われているのかと、」

 日本人の魂を持つ者だけが言える、中国への反論です。安部氏以下自民党の議員は、媚中の二階氏一人が抑えられず、習近平氏の国賓招致すら、「取り消し」できません。国民の信任を得ていながら、腑抜けになった自民党の議員たちに比べれば、たった一人で反論する馬野氏の方が、ずっと立派に見えます。

 「西洋かぶれの愚か者は、日中間に侵略があり植民地化があったというが、そうであれば、夏、殷、五胡十六国、金、元、清という中国王朝は、皆侵略者であり、この間中国は植民地であったことになる。」

 「大雑把な計算だが、中国本土を支配した民族は、古代から今日まで漢民族が56%、東族44%になっている。」

 「日本人は代表的東族であり、満蒙蔵族と同族である。してみれば漢族に対して日本は、清や元と何ら変わるところのないものに過ぎない。東アジアにおける、日本の軍事的、経済的活動を、侵略とか、植民地化だというのは、西洋の思想や政治概念を金科玉条として、これを日本と東洋に当てはめたものだ。」

 「そんな議論は、お門違いの骨折り損である。」

 77才の学者の言と思えない、元気の良さです。息子たちが、氏の意見をどのように受け止めるのか、聞いてみたくなります。反論する知識がないのなら、極論は極論として、せめてこの気骨だけでも見習って欲しいと思います。

 ( 現在87ページ、まだ半分も進んでいません。)

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