ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

散る日本 - 2 ( 奥野氏も安吾も、二人して「暗愚」 )

2020-07-27 18:49:12 | 徒然の記

 坂口安吾という人物が、戦時中、戦後に、日本についてどう考えていたか、国民をどのように見ていたのか。それが知りたくて、著作三冊を読みました。『散る日本』の19編は全て、小説というより、随筆、評論の範疇になると思います。

 自分の主張に自信を持つ彼は、私のような庶民を、「お上にへつらう、デクの棒」と、見ています。極論で人間や社会を論ずれば、曖昧なものが整理され、小気味良い意見と錯覚されます。極論でしか世間が眺められず、毒舌の小気味良さからも逃れられず、彼は一生を終えました。

 19編の雑文の中から、必要と思う部分だけを拾い出し、愛する息子と孫たちのため、貧しい彼の思想を残そうと思います。独りよがりの極論が、事実全体を眺める邪魔をし、変な思考を世間に広める様子が、分かってもらえたら幸いです。『二合五勺に関する愛国的思考』の、85ページからです。

 「勝手に戦争を始めたのは軍部で、勝手に降参したのも軍部であった。」「国民は万事につけ寝耳に水だが、」「終戦が、自分の意思でなかったという、意外の事実については、」「概ね感覚を失っているようである。」

 「国民は戦争を呪っていても、そのまた一方で、」「もっと根底的なところで、わが宿命を諦めていたのである。」「祖国の宿命と心中し、自分もまた滅びるかもしれぬ儚さを、」「甘受する気持ちになっていた。」

 これが、ひとかどの作家と言われていた人物の言葉かと、失望します。国民の全部が戦争を呪っていたというより、彼の周辺にいる左翼小説家や評論家たちが、そう思っていたに過ぎません。軍部が勝手に戦争を始め、勝手に戦争をやめたという極論は、彼がいかに報道に無関心であったのか、国際情勢の分析力が欠けていたのかを示します。

 「私は愛国者だった自分を、発見した。」とも、述べていますが、その意味は、無意味な戦争に抵抗せず、異議も唱えず、死を覚悟した自分を知ったということを指しています。「無意味な戦争」「他国を侵略した一方的戦争」と、氏は批判していますが、これは米国が意図した「東京裁判史観」そのままです。

 やっと最近になり、米英ソが手を組み、日本滅亡のシナリオを描いていた事実が、世に出始めていますから、当時の彼が、「日本だけが間違っていた。」「日本だけが悪かった。」と、信じていたとしても不思議はありません。知識人と言われる氏が、国への愛情のかけらもないのに、自分を愛国者だと言ったり、米国の捏造を何も疑わない愚かさを見せたり、このことが不思議でなりません。

 「家は焼かれ、親兄弟、女房子供は焼き殺されたり、」「粉微塵に吹き飛ばされたり、そういう異常な大事にもほとんど無感覚になっている。」「不思議な状態を眼前にしながら、その戦争をやめたいと、」「自ら意思することは、忘れていたのである。」

 「その手段があり得なかったから、諦めていたのだと言っても、」「同じことで、要するに諦めていた。」「勝手に戦争をやめ降参したのは、正しく天皇と軍人政府で、」「国民の方は、概ね祖国の宿命と心中し、それを余儀ないものと思っていたのだ。」

 「それとは別に、魔物のような時代の感情がある。」「極めて雰囲気的な、そこに、論理的な根底は全く希薄なものであるが、」「抜き差しならぬ感情的な思考がある。」

 氏が本物の知識人なら、「魔物のような時代の感情」を本気で分析すべきでした。これがいわば、当時の「民意」であり、政府とマスコミと、彼らのような評論家たちが作り出した「時代の風潮」です。戦意発揚、皇軍の聖戦、鬼畜米英と、国全体が沸きかえっていた事実を、なぜ語らないのでしょう。そうすれば、「勝手に戦争をやめ降参したのは、正しく天皇と軍人政府・・」という意見が、出てくる余地がありません。

 「私個人としては、まず、大体に、アナーキズムが、」「やや理想に近い社会形態であると、考えている。」「共産主義社会も、今ある日本の社会形態よりも、ましな形態であるのは、分かりきっている。」

 187ページの『戦争論』からの、抜粋です。こんな思想を持つ彼が、何で愛国者であるのか、軽蔑します。どんな検討をすれば、「共産主義社会も、今ある日本の社会形態よりも、ましな形態であるのは、分かりきっている。」と、断言できるのか、これでは反日・左翼の害虫知識人と同じです。

 197ページには、次のように書いています。

 「私は思うに、最後の理想としては、子供は国家が育つべきものだ。」「それが理想的な、秩序の根底だと思っているのだ。」

 親の愛と家族の愛を知らない彼は、こういう馬鹿を言います。国家が子供を育てようと、親から引き剥がしましたが、ソ連も中国も失敗しています。理想どころか、彼らがやったのは、全体主義的画一教育で、無批判のロボットを育成しただけです。

 当時のソ連が、人類の理想郷を作っている素晴らしい国と信じ込み、安吾も、周囲の左翼思想家たちに影響されています。

 「戦争は終わった。」「我々に残された道は、建設のみである。」「昔ながらのものに復旧することを、正義としてはならないのだ。」「日本は他国を侵略し、その自由を踏みにじって、」「今日のウキ目を見たが、要するに世界が単一国家にならなければ、」「ゴタゴタは絶え間がない。」「民族の血の純潔だの、ケチな垣のあるうちは、」「人間は馬鹿になるばかりで、救われる時はない。」

 この単純な、愚かしい意見を読み、私は、彼に関するブログをやめる決意をいたしました。こういう理論の破綻した人物を称賛した、奥野健男氏の言葉を、最後に転記します。私の言葉で表現すれば、奥野氏も安吾も、二人して「暗愚」です。

 「処女作以来、安吾は生涯何ものにも拘束されない、」「奔馬天を征くが如き人生を送り、奇想天外の発想、」「大胆な方法を駆使した小説、評論を書き続けた。」「その精神の振動の烈しさ、振幅の巨大さは、」「私小説中心の、日本近代文学のちんまりした枠の中には、」「とうてい、収まりきるものではなかった。」

コメント (6)
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