馬野氏が、イルミナティとして名前を出しているのは、バーナード・バルーク氏とデイヴィッド・ロックフェラー氏です。
1. バーナード・バルーク氏 ( 明治3年生まれ、昭和40年没 95才)
・ アメリカの官僚、政治家、投資家
・ サウスカロライナ州出身のユダヤ系アメリカ人
・ 戦争を一種の公共事業と認識している人物
・ 第一次世界大戦時は、ウィルソン大統領の側近として、戦時産業局長官
・ 世界最大の工業国家となった米国の、軍産複合体の実権を握り、外交ではドイツに巨大賠償金を課した、賠償委員会議長
・ 以後ハーディング、クーリッジ、フーバー等、歴代大統領の特別顧問
・ 実質的に、大統領以上の政治的影響力を行使できる立場にあった
・ ルーズベルト大統領の顧問として、強大な影響力を行使し、公的には金融界の大物から、長老政治家というスーパーエリートへ転身した
・ トルーマン政権でも、影響力を行使し、国連原子力委員会の米国代表となる
・ アメリカの核独占による世界平和を唱え、「冷戦」という言葉を初めて用いた人物
・ 「冷戦」の語が、世界情勢を意味するものとして認められた事実は、彼の特権的地位を証明する
バーナード・バルーク氏について、初めて知りましたが、「憎まれっ子、世にはばかる」とは、よく言ったものです。長生きをし、歴代の米国大統領の顧問として、大いに活躍しながら、世間には名前が知られていません。「闇の力」と言われる、所以でしょうか。
2. デイヴィッド・ロックフェラー氏 ( 大正4年生まれ、平成29年没 101才)
・ アメリカの銀行家、実業家、慈善家、ロックフェラー家3代目の当主
・ 元国務長官ダレス氏は、ロックフェラー家の顧問弁護士
・ 昭和36年にチェース・マンハッタン銀行会長に就任
・ 昭和44年から、昭和56年まで最高経営責任者
・ 海外に銀行事業を拡大し、世界各国の政財界に幅広い人脈を築き、民間外交を活発に行う
・ 冷戦の最中の昭和48年に、ソ連へ行き、ソ連初の米銀行支店を設立
・ 同年中国へ行き、中国初の米コルレス銀行を設立し、三極委員会を創設
( 注 1 : コルレス銀行とは、外国に送金するにあたり、その通貨の中継地点となる銀行である。)
( 注 2 : 三極委員会とは、国際社会における日本・北米・欧州の協調促進のため設立された、非営利の政策協議組織。世界各国から著名な政治家、官僚、財界人、学者などが参加。発足時の名称は「日米欧三極委員会」)
・ 昭和47年 ブレジンスキーと共に、宮沢喜一、大来佐武郎を招待した勉強会を開催。翌年、三極委員会を創設
・ 昭和50年 昭和天皇アメリカ訪問時に、ロックフェラー邸をご訪問
・ 昭和53年 日本文化を伝える非営利団体「ジャパン・ソサエティ」の名誉会長に就任
・ 昭和63年から平成2年まで、高松宮殿下記念世界文化賞の国際顧問、名誉顧問
・ 平成 3年 勲一等瑞宝章を受勲
・ 平成 6年 平成天皇アメリカ訪問時に、ロックフェラー邸をご訪問
・ 新生銀行 社外取締役
以上ネットから、転記しました。熟読すれば、特にロックフェラー氏については、日本との深い絆が見え、分かる人には分かるものがあると思います。
「イルミナティ」を代表する人物として、馬野氏が二人を挙げていますが、人によっては、「イルミナティ」を、「金融界を支配するユダヤ財閥」という言い方をします。バルーク氏はユダヤ人ですが、ロックフェラー氏は違いますので、気をつける必要があります。
馬淵睦夫氏は、「ウォール街を支配する金融資本家たち」と、ユダヤ人に限定せず、確かそのように言っていますが、これが正しい言葉ではないかと思います。
次回は親日家といわれるロックフェラー氏が、鄧小平氏と、どのような会話をしたかを、紹介します。眼から鱗の「親日家」ぶりが、語られています。