ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

嵌められた日本 - 5 ( 騎士ドンキホーテ )

2020-07-06 17:34:57 | 徒然の記

 今からおよそ420年ばかり前、スペインの作家セルバンテスが、「ドン・キホーテ」という名作を書きました。本を読み過ぎて、空想と現実の区別がつかなくなった老人騎士の物語です。

 弱き者のためなら、どんな敵とも戦うという、年寄りの冷や水の見本みたいな人物の話です。私はこの主人公が、堪らなく好きでした。一見馬鹿なことを言っている様ですが、英知と勇気と信義が語られています。馬野氏の姿が、ドン・キホーテと重なり、なぜかその意見が真剣に聞きたくなります。

 「さて日本のマスコミ社会では、その時代、時代に、一つの土俵が、設定される。」

 「その土俵の持ち主は、その時の権力者、すなわち時によっては政府であり、ある時は時代の風潮であり、さらに特定の思想であることもある。」

 今の日本で言えば、「反日・左翼思想」と、「東京裁判史観」が権力者です。この権力者は、中国共産党と、金融資本家の支配するアメリカにつながっています。息子たちのために、分かりやすく言えば、反日・左翼の権力者を代表するのが、二階俊博氏で、もう一方の金融資本アメリカの手先が、竹中平蔵氏ではないでしょうか。

 日本の土俵を支配しているのは、特定の思想であり、特定の外国であり、特定の外国と結びついた政治家・・ということになります。

 「その土俵の上で相撲をとらせてもらえる人たちが、その時々に脚光を浴びる、一流人士で、国民大衆はエライ人たちが書き、喋ることを真に受けて懸命に駆け回る。」

 「だが一流人士が皆本物かというと、実はそうでない場合が多い。この土俵は、持ち主が自分の利益のために運営し、あるいはひと時の世俗が営業しているのだから、その上に上る者たちは、どうしても、ひと時の人気者ということになる。」

 「本物は時節の曲折に動ぜず、長い生命を保つ。一時、土俵に上がり脚光を浴びるが、後は行方不明というのでは、それは本物ではない。」

 「従って、本物は、世俗の土俵に上がれない運命を持つ。しかも本物である限り、さようの土俵を忌避し唯我独尊の道を歩むはずであるし、その者が剛強の精神を持っていれば、この有害なる土俵を、破ろうと努めるであろう。」

 「これから読者が読み進まれる本書は、私なりのこの土俵破りの作業なのである。」

 なんだ、そんなことが言いたかったのかと、呆気にとられました。堂々たる自信に、敬服するしかありません。31年前の77才は、今の私の77才と違い、世俗を超越した境地にいたのかもしれません。しかし私には、憎めない老人の警句として心に届きます。

 氏の説明によりますとこれまでは前文に過ぎず、本論はこれからです。面白い本に出会いましたので、時の経つのを忘れます。本日はここで一区切りとし、次回を楽しみたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵌められた日本 - 4 ( 仏徒、信徒、洋徒 )

2020-07-06 12:54:51 | 徒然の記

 あまり意識していませんが、私は日本の歴史について楽観論者です。

 古代から現在に至るまで、時代と共に人知が開け、暮らしが便利になり、快適になり、国民が幸せになっていると、そういう漠然とした認識を持っています。大化改新も明治維新も、素晴らしい歴史の転換点であり、ご先祖への感謝しかありません。

 ところが氏はこれについても異論を述べ、私の思考を停止させます。

 「太古以来、日本の思想、政治の様相を見ると、時の政権者はそれまで国内に無かった新規な外来思想を取り入れ、それを手段として、政権を私してきた。」

 「漢字、儒教、仏教、西洋思想、工業技術が、日本の政治と社会にどんな作用を及ぼしたかを深考すれば、思い半ばに過ぎるものがあろう。」「神道さえも、外来であるかもしれない。」

 ひっかかるのは、次の叙述です。私の楽観論からは出てこない思考です。

 「だが、それら外来のものが消化された後には、草莽(そうもう)から起こった土着的政治主体が崛起(くっき)し、民族本来の精神の支配を回復するに至る。」

 草莽崛起とは聞き慣れない言葉ですが、幕末に吉田松陰が維新への決起を促した時、使ったと言われています。草莽は、一般庶民、在野の民衆を意味し、崛起は、立ち上がるという意味です。

 「志を持った在野の人々こそが日本変革の原動力になる」、意味だそうです。

 「奈良、平安朝は、外来仏教思想に浸潤された時代であった。それが、東北から自発した、非仏教の武士たちによって覆され、幕末までの武家政権時代が続いた。」

 「維新後の日本の政府と社会は、よく目を凝らしてみると、西洋政権であることがわかる。」「軍服を着た天皇というのが、紛れもないその証拠だ。これは中世に、僧形をした天皇、上皇、法皇が現れたのと同じことである。」

 学校ではこの様なことを教えませんから、驚きながらも新鮮な意見です。

 「維新政府に反対した神風連から西郷隆盛、そして2・26事件の青年将校たちは、草莽の臣であり、西洋政府に対するリアクションであった。」

 神風連の武士や西郷のもとに集まった武士たちは、時代の流れに取り残された人間だった、情にもろい西郷は、彼らを見捨てることができず、死を覚悟で政府に反旗を翻したと、私が教わった歴史はそうでした。

 また2・26事件の青年将校たちは、軍の上層部に踊らされた無謀な者たちだったと説明を受けました。その彼らを草莽崛起と言うのですから、すぐには信じられません。

  「日本の歴史の大きな波動は、仏徒と神徒の角逐であったと見ることができよう。維新の廃仏毀釈で、最期的に仏教は政権から排除された。」

 神仏習合、廃仏毀釈など、言葉は習ってきましたが、日本の歴史が、神徒と仏徒の角逐であったとは、考えたことがありません。しかし、思い当たることはあります。島崎藤村の『夜明け前』を読んだ時、仏徒との戦いに勝利した神徒が、明治政府で大きな力を持つ様になります。だがそれは束の間のことで、今度は西洋の思考が重用され、神徒は政府からことごとく追放され、政府の裏切りに切歯扼腕したと、その様なくだりがありました。

 聞き流していた「神仏習合」について、改めて調べてみました。

 「神仏習合とは、日本土着の神道と仏教信仰が融合し、一つの信仰体系として再構成(習合)された、宗教現象で神仏混交ともいう。」「当初は仏教が主、神道が従であり、平安時代では神前での読経や、神に菩薩号をつける行為なども多くなった。」

 「仏、菩薩が仮に神の姿になったとし、阿弥陀如来を八幡神、大日如来を伊勢大神であるとする本地垂迹説が台頭し、鎌倉時代にはその理論化として、両部神道が発生した。」

 「明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上、神仏習合の時代が続いた。」(  注: 垂迹とは、仏・菩薩(ぼさつ)が民衆を救うため、仮の姿をとって現れること)

 学校時代の生徒に、歴史の事実が正しく教えられないのは、敗戦後の東京裁判だけでなかったと、この年になり実感しました。明治政府は、神道の国教化政策を進め、明治元年から神道にある仏教的要素を排除し、これが神仏判然令だと言います。

 こういう説明を読みますと、氏の主張通り「日本の歴史の大きな波動は、仏徒と神徒の角逐であった」とも、言えます。さらに氏は、私を安心させない意見を述べます。

 「しかしその代わり、明治の元勲たちが引き入れたのは洋徒である。日本の将来は、この洋徒をいかに始末するかにかかっている。」

 仏徒、神徒、洋徒と、日本の歴史をはかる新しい物差しが、氏によって示されました。島崎藤村の『夜明け前』の一節が、解明された瞬間でもあります。現在の日本を考える上で、反日・左翼と保守だけでなく、仏徒、神徒、洋徒が追加されることになります。重なり合っている部分もありますが、いずれにしても、私の知らない要素が加わることになります。

 350ページの本の、まだ15ページです。ここで私は、目を閉じて、考えます。

 「氏は一体、どういう人物なのか。」

 「武漢コロナ」の収束も見通せず、今も「外出自粛」を続けていますから、時間はいくらでもあります。子供たちのため、孫のためと言う以前に、まずは自分自身のため、「温故知新」の読書をします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする