今からおよそ420年ばかり前、スペインの作家セルバンテスが、「ドン・キホーテ」という名作を書きました。本を読み過ぎて、空想と現実の区別がつかなくなった老人騎士の物語です。
弱き者のためなら、どんな敵とも戦うという、年寄りの冷や水の見本みたいな人物の話です。私はこの主人公が、堪らなく好きでした。一見馬鹿なことを言っている様ですが、英知と勇気と信義が語られています。馬野氏の姿が、ドン・キホーテと重なり、なぜかその意見が真剣に聞きたくなります。
「さて日本のマスコミ社会では、その時代、時代に、一つの土俵が、設定される。」
「その土俵の持ち主は、その時の権力者、すなわち時によっては政府であり、ある時は時代の風潮であり、さらに特定の思想であることもある。」
今の日本で言えば、「反日・左翼思想」と、「東京裁判史観」が権力者です。この権力者は、中国共産党と、金融資本家の支配するアメリカにつながっています。息子たちのために、分かりやすく言えば、反日・左翼の権力者を代表するのが、二階俊博氏で、もう一方の金融資本アメリカの手先が、竹中平蔵氏ではないでしょうか。
日本の土俵を支配しているのは、特定の思想であり、特定の外国であり、特定の外国と結びついた政治家・・ということになります。
「その土俵の上で相撲をとらせてもらえる人たちが、その時々に脚光を浴びる、一流人士で、国民大衆はエライ人たちが書き、喋ることを真に受けて懸命に駆け回る。」
「だが一流人士が皆本物かというと、実はそうでない場合が多い。この土俵は、持ち主が自分の利益のために運営し、あるいはひと時の世俗が営業しているのだから、その上に上る者たちは、どうしても、ひと時の人気者ということになる。」
「本物は時節の曲折に動ぜず、長い生命を保つ。一時、土俵に上がり脚光を浴びるが、後は行方不明というのでは、それは本物ではない。」
「従って、本物は、世俗の土俵に上がれない運命を持つ。しかも本物である限り、さようの土俵を忌避し唯我独尊の道を歩むはずであるし、その者が剛強の精神を持っていれば、この有害なる土俵を、破ろうと努めるであろう。」
「これから読者が読み進まれる本書は、私なりのこの土俵破りの作業なのである。」
なんだ、そんなことが言いたかったのかと、呆気にとられました。堂々たる自信に、敬服するしかありません。31年前の77才は、今の私の77才と違い、世俗を超越した境地にいたのかもしれません。しかし私には、憎めない老人の警句として心に届きます。
氏の説明によりますとこれまでは前文に過ぎず、本論はこれからです。面白い本に出会いましたので、時の経つのを忘れます。本日はここで一区切りとし、次回を楽しみたいと思います。