ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

散る日本 ( 19の短編と自分の物差し )

2020-07-25 13:18:23 | 徒然の記

 坂口安吾著『散る日本』(  昭和48年刊 角川文庫) です。19の短編が収められています。最初は、『FARCEについて』です。ファルスとは、茶番劇、道化芝居、軽喜劇という意味です。

 小説でなく、安吾の意見表明ですから、「論文」とでもいうのでしょうか。昭和7年26才、デビュー当時で、身体強健、野心満々、不健康なのは精神だけという時期の、作品です。分からないところは、文字を追うだけにし、分かるところを拾い読みました。

 と、ここまで述べて、71ページに飛びます。短編7つ目の『私は誰 ? 』です。昭和22年、41才の作品だと思います。

 「私は座談会は好きでない。」「その理由は、文学は語るものでないからだ。」「文学は書くものだ。」「座談会のみならず座談すること、友達と喋り合うこと、」「それすら私は好まない。」

 ・・(  省略  )・・ 「私は牧野信一、河上徹太郎、中島健蔵とよく飲んだが、」「文学は酔っ払って語るもの、特にやっつけ合うものというのが、」「当時流行の風潮で、そういう飲み方を強要したのは河上で、」「私もいつからか、文学者とはそういうものかと考えた。」

 「小林秀雄が一番うるさい議論家で、次に河上、中島となると、」「好好爺、好好青年か、牧野信一だけ議論はダメで、」「酔っぱらうと自惚れ専門で、最も調子のかげんで、酔えないことの方が多い気分屋だから、」「そういう時は沈んでいる。」

 ここまで転記したところで、もう一度あの奥野健夫氏の「解説」を引用します。

「言うまでもないことだが、坂口安吾は、いわゆる私小説作家ではない。」「日常生活の体験とか、細々とした身辺雑記とか、」「めんめんと綴って、それを小説と称した、」「日本の狭い、閉鎖的な私小説作家とは、もっと隔たった場所にいた作家だった。」

 今読んでいるのは、安吾の文庫本の最後の一冊で、19編の短編のうちの、7つ目の『私は誰 ? 』です。7つとも、みな身辺雑記です。氏の言葉を信じ、数ある作品のうちで、希有な私小説を読んでいるとつい思わされました。しかし次の数字を見てください。

  1. 『ふるさとに寄する讃歌 』 収録短編11作品の内、10が私小説

  2. 『暗い青春・魔の退屈 』  収録短編10作品の内、10が私小説

  3. 『散る日本 』                  収録短編19作品の内、19が私小説

 私が奥野氏に聞きたいのは、安吾も私小説作家の仲間ではないのか、ということです。彼はこのようにして、作家仲間の話を面白おかしく叙述しますが、身辺雑記を綿々と綴っているのではないのかと、質問したくなります。

 「処女作以来、安吾は生涯何ものにも拘束されない、」「奔馬天を征くが如き人生を送り、奇想天外の発想、」「大胆な方法を駆使した小説、評論を書き続けた。」「その精神の振動の烈しさ、振幅の巨大さは、」「私小説中心の、日本近代文学のちんまりした枠の中には、」「とうてい、収まりきるものではなかった。」

 だから私は、「解説」を書く評論家を、不動産屋の広告書きと言います。私は、安吾が私小説作家の仲間でも別に構わないし、それで彼の評価が下がるとも考えていません。こうして一連の作品を読み、奥野氏の解説が納得できないだけでなく、なんとなく我慢ができなくなりました。

 安吾にしたって、見当違いの褒められ方をされ、不愉快であるに違いないと、本日最後の文庫本を手にし、それを確信しました。

 「私は自惚れを持っていた。」「自分の才能に自信を持っていた。」「今の世に受け入れられなくとも、歴史の中で生きるのだと言っていた。」「それはみんな嘘である。」「ほんとはそんなことは、信じていないのだ。」「けれども、そういうふうに言っていないと、生きているイワレがないみたいだから、」「そんなふうに言っているので、」

 ・・(  省略  )・・ 「私はいつも退屈だった。」「砂を噛むように虚しいばかり。」「いったい、俺は何者だろう。」「なんのために生きているのだろう。」「そういう自問は、もう問いの言葉ではない。」「自問自答が私の本性で、私の骨で、」「それが私という人間だった。」

 「私は今も、突き放しているのだ。」「いつも突き放している。」「どうにでも、なるがいい。」「私は知らない、と。」

 73ページの叙述です。安吾の真剣さと言いますか、そうしか生きられない人間の本音と言いますか、私は彼を理解したような気がいたします。

 「その精神の振動の烈しさ、振幅の巨大さは、」「私小説中心の、日本近代文学のちんまりした枠の中には、」「とうてい、収まりきるものではなかった。」

 しかしこの気持ちは、どう考えても、不動産屋の広告書きの奥野氏の解説と、重なりません。彼はただ生き、呻吟して書き続け、個人的な喜怒哀楽を、彼なりに突き詰め、ついには普遍的な何かを掴んだと、私ならそう解説します。

 私は奥野氏のように、わざとらしく褒めません。安吾の生き方と作品には、真剣なものがあり、時として煌く美しさを伝えますが、私の物差しに合いません。私は彼のように生きたいと思わず、息子たちにも、まして、可愛い孫たちに勧めたいと思いません。私は彼らに、言います。

 「いろいろな生き方を、知りなさい。」「知ることは大切です。」「しかし理解することと、称賛することは別です。」

 安吾の小説の教えは、私の中で生きています。反日左翼の活動家も、反日野党のことも、「武漢コロナ」で、右往左往している自民党の政治家のことも、私は理解しています。理解しても、決して称賛しない・・・これが大切なのです。大切な日本を取り戻すためには、色々なことを理解しなくてなりません。理解しても、称賛したり肯定したりせず、自分の物差しを守らなくてなりません。

 私の小説の読み方、安吾の作品への向かい方は、もしかすると間違っているのかもしれませんが、自分の物差しで、このまま読み続けようと思います。

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