昨日のNHKニュースで、今年の夏は猛暑でなく酷暑だと説明していましたが、朝も夜も猛烈な暑さです。
冷房のある部屋から外へ出ると、ムッとする暑さのため息苦しくなります。そんな中で「日航機墜落事故」のシリーズを書いています。森永氏が死を覚悟して提起した「事故原因の悲惨さ」が、千葉の片隅の「ねこ庭」まで酷暑と共に伝わり、懸命に振り払わずにおれなくなった・・・
シリーズを続けている理由は、こんなところかもしれません。
・これほど一方的な「不平等協定」を、日本は何故アメリカから押しつけられなければならなかったのか。
・証拠隠滅のためとは言え、何故自衛隊は犠牲者の遺体と共に現場焼却という無謀な行動をしたのか。
・一連の過酷な「不平等協定」が「日航機墜落事故」の直後から始まっているのは、単なる偶然なのか。
目を背けたくなる事故のことを思うと、猛暑と酷暑を両手で払いながらでもシリーズが止められなくなります。
息子や孫たちに誇れる日本を伝えたいと言う気持と、政府と自衛隊が証拠隠滅のため事故現場を焼却したとする、森永・三橋両氏の意見を肯定したくない気持がそうさせます。
愛国心なのか、国民の役目というのか自分には分かりませんが、いつか「ねこ庭」を読んでくれる息子や孫たちが、判断してくれることでしょう。
本日は小沢一郎氏に続き、宮沢喜一氏に関する情報を紹介します。平成29年に氏は87才で亡くなっていますので、生きて活躍している小沢氏のように遠慮のない批判ができません。亡くなった人を批判すると、弱い者いじめをしているような疚しさを感じるからです。
しかし氏は存命の時日本国民を、韓国と一緒になり、胃が痛むほど苦しめた首相ですから、多少の批判は我慢すべきという気もします。
「ねこ庭」の過去記事とウィキペディアの情報を元に、出来るのか出来ないのか分かりませんが、感情的にならず、客観的事実に基づき氏の紹介をしてみます。
そのためにはまず、シリーズの29回目で取り上げたヴォーゲル氏の意見を再度紹介しなければなりません。
・1953( 昭和28 ) 年、池田勇人の強い勧めで第3回参議院選挙に出馬し当選
・ここから、氏の政治家としての人生が始まり、党内では池田派 ( 宏池会 ) に所属し、早くから総裁候補として見られ、本人もその気でいたと言います。
宏池会は、池田氏が佐藤栄作氏と袂を分かって旗揚げしたのが始まりで、党内最古の派閥となり岸田派と名前を変えていましたが、今回の「裏金問題」のため岸田首相が解消しました。
・歴史と伝統のある派閥にいて早くから総裁候補として目されながら、どうして宮沢氏は平成3年72才になるまで総理になれなかったのか。理由はただ一つ、「人望の無さ」でした。一つには氏の人を評価する基準が「学歴」だったという事実からくるもので、誰もが否定しない有名な話です。
・日本で一番優秀な人間が集まる大学は東大というのが価値基準で、その東大の中でも一番出来の良い人間が法学部にいるというのが、終生変わらない強い思いでした。
次回も「ねこ庭」の過去記事を中心に、事実に基づいた情報の紹介に努めます。サブタイトルを、「人望のなかった宮沢氏」にしました。