■石牟礼道子さんの対談集「新版 死を思う」、Yilmazの素晴らしいゴルトベルク変奏曲■
~緑陰の読書と音楽~
2018.8.13 中村洋子
★記録的な酷暑は続いてますが、日没の時刻がめっきり早くなりました。
8月17日は旧暦の「七夕」です。
新暦に比べて、こんなに遅いのですね。
★石牟礼道子(1927-2018)・伊藤比呂美(1955-)の対談集
「新版 死を想う ~われらも終には仏なり~」(平凡社新書)
を読みました。
★≪良か夢なりとも、くださりませー七夕の願い≫が、心に刻まれました。
これは、石牟礼さんが幼い頃、先隣にあった女郎屋さんが軒先に
飾った大きな七夕に、吊るされていた短冊です。
石牟礼さんのお母さん「(女郎さんたちは)現生では良かことは
来ないわけですから、夢でなりと、良か夢が来ますようにと、
書きなはっとじゃなかろうか」
★この本では、石牟礼さんが戦中、戦後に実際に見た、
忘れられない光景も、生々しく語られています。
『飢えの体験』
「ただそのときにつらかったのは(略)・・・子供たちが畑の物とか、
盗みに行くとですね。
それは親が行かせたのかもしれないと思うケースもありました。
捕まったときに、子供をとても残酷に扱う大人と、
そうでなく扱う大人とおりますから、情け容赦もなく、その子をぶっ叩く。
なすびを盗るときは、急いで採るから、なすびの苗が捩じれますでしょう。
そのあとは、実が成らない。それでは、お百姓さんは怒りますよね、
かぼちゃなんかも、ツルごと採っていくことがある。
子供だから採り方がわからないんです。
畑泥棒すると、すぐ親の顔が分かるわけです。
黒あざの残るほどぶっ叩いて。・・・
その傷を"親に見せろ"と言ってねえ。
疎開した子供たちが、近郊農村で大変迷惑がられていたという話を聞くでしょう。
そういう家から死者が出ると、"飢え死にしなはったげな"って。
だけどそうそう村全体が冷たいわけじゃない。
やっぱり涙する大人たちもいるんですね。
"子供をそぎゃん、むごか目に遭わせるんもんじゃなか"って。
そうすると、そういう家を中心として村全体が、やっぱり捩じれるというか、
ひび割れるというか、そのことは長く記憶に残りますからね。(略)
やっぱり徹底的に人間の弱い部分というか、本能というものを見た感じが
しました。戦争中、とくに戦争末期ですね。」
★戦争中、石牟礼さんは代用教員をなさっていました。
「空襲のときに、最初に防空壕に入った人たちが、あとから来る人たちを
蹴り上げてね。自分たちは早く入ったからアメリカの飛行機から見えない。
あとから来る者が走ってくると、"あんたたちが来るのが敵機から見える"
"来るなー"と言って、足で蹴り上げていました。水俣駅の前だったけれど。
そうすると、あとから行った人は"なんば言うか"と言いながら、
先に入った人の足を引っ張りだすんです。それで自分たちが入ろうとする」
★石牟礼さんは「それが銃後の民の姿だったですよ」と、語っています。
代用教員をしていた合宿所のそばにも、爆弾が落ちたそうです。
「植えたばかりの稲田が、(略)人工的に切ったかのように・・・。
人工的に切っても、あんなにきれいにできないです。ひょろひょろしている苗が、
きれいに切り揃えたように上のほうがなくなっていて、本当にぞっとしました。
人が立っていたら、足から切れる人、腹から切れる人、首から切れる人に
なるでしょうね」
★お能や梁塵秘抄やご家族、特に心優しいお母様のお話にも、心打たれます。
「母は、自分が学校に行かなかったことが、一番心残りで、行けばよかったって
たびたび言っていました。"行ってれば、書いて加勢するって"。」
★字の読めないお母様は、"私が水俣のことに熱中しているのを、
するなとは全然言わずに、加勢したいと思っていたんですね"。
★夏の読書に是非加えていただきたいいい本です。
★さて、一昨年、昨年と全10回のシリーズで、
Bachの「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」
全曲アナリーゼ講座を開催いたしました。
受講者の皆さまからも、「Goldberg-Variationen」の良いCDを
紹介して下さい、とのお尋ねがあり、随分とたくさんのCDを
聴きました。
★しかし、もう一度聴きたいと思う演奏はごく僅かでした。
Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)の演奏は、
汲めども尽きぬ泉です。
しかし、「ゴルトベルク変奏曲」が大流行のせいか、
その流れに乗って発表されていますCDには、
新機軸を狙ったり、まるで Franz Liszt フランツ・リスト(1811-1886)
の作品のように華麗であったり、"これがBachの音楽?"と、
疑問を感じることも多くありました。
★室内楽に編曲されました演奏も、当初は新鮮で、
目新しく興味をもちましたが、何度か聴きますと、
紅い朝顔の花が、みるみる脱色して白くなっていくような
失望感がありました。
まるで、メーテルリンクの「青い鳥」ですね。
★講座参加者の皆さまには、そのような理由から、
「ゴルトベルク変奏曲」は聴くより、ご自分で弾いて楽しんでくださいと、
お話していました。
★しかし先日、知人から紹介されましたCDには、
久しぶりに、心打たれました。
ピアニスト≪Kemal Cem Yilmaz ≫は、8歳のときドイツの
Langenhagen(ランゲンハーゲン)でピアノを習い始め、その後、
Hannover と Detmoldで研鑽を積んだ、
トルコ人のピアニストで、作曲家でもあります。
★彼はCDのプログラムノートで、「ゴルトベルク変奏曲は、疑いもなく
特別なマイルストーンのようなピアノ作品で、演奏者は、
その一生を費やすことが可能な曲です」と、書いています。
★今年は、Karl Marx カール・マルクス(1818-1883)の
生誕200年の年です。
ドイツでは様々な記念事業があるようです。
岩波ホール創立50周年記念作品第3弾「カール・マルクス生誕200年
記念作品映画「マルクス・エンゲルス」(原題:The Young Karl Marx)
も、見応えのある映画でした。
2017年、フランス、ドイツ、ベルギー合作映画です。
内容、時代考証、俳優、そして音楽も、素晴らしい映画でした。
★監督は、さぞや立派な"ヨーロッパ"のマエストロ監督かと、
思いきや、1953年ハイチ(カリブ海、キューバの右隣の島)生まれの
Raoul Peck ラウル・ペックさんで、
コンゴ、アメリカ、フランスで育ち、旧西ドイツの
ドイツ映画テレビアカデミーで、学ばれました。
★トルコのピアニストの Yilmaz は、プログラムノートに
「大きな喜び、Bachの作品に深く沈潜することができるという
大きな喜びは、人生のあらゆる場面で、
私に心の安定とオプティミズムを与えてくれました」
「私は、ドイツ文化に対してアウトサイダーであるが、
そのドイツ文化の中で、Bachを弾く喜びは、私の精神的な錨となっていた」と、
書いています。
★彼の演奏は、ありきたりな表現ですが、「ゴルトベルク変奏曲」に心の底から
感動して弾いている、それが真っ直ぐに伝わってきます。
プライベートと芸術を結び付けるのは、好きではありませんが、
彼はドイツで、厳しい暮らしと苦しみに直面したこともあったようです。
しかし、それを乗り越え、深いBach理解に到達しています。
★「ゴルトベルク変奏曲」を使って、自らをひけらかそうという
"卑しさ"は微塵もなく、彼にとって、「ゴルトベルク変奏曲」がなければ、
生きる支えがなかったかも、しれません。
★Yilmaz や Raoul Peck の芸術に、心から拍手を送りたいと思います。
ヨーロッパにルーツをもたない「本物の芸術家」が、
「本当の芸術」を、発表しています。
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