■Mozartの作曲はBach由来の厳格な対位法:新発見自筆譜を読む■
~ヘンレ新版、相変わらず頑強に、自筆譜通りには記譜せず~
2015.11.8 中村洋子
★先月28日は KAWAI 名古屋で、「平均律第1巻第1番」の
アナリーゼ講座を、開催いたしました。
遠方からもはるばる、たくさんの皆さまがご参加下さいました。
これから、皆さまと一緒に平均律1巻を勉強していきたいと思います。
次回は2016年2月24日(水)、第1巻第2番を予定しています。
★8月の KAWAI 金沢でのアナリーゼ講座で、「公開レッスン」として
勉強しました Wolfgang Amadeus Mozart
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)の、
PianoSonata KV.331 A-Dur を、引き続いて勉強しています。
この曲は、Mozart が27歳の1783年、ウィーンかザルツブルクで、
作曲されたとみられます。
★2014年秋、このKV.331の「Manuscript Autograph 自筆譜」が、
4ページ分だけ発見され、世界的なニュースとなりました。
第1楽章の55小節目の「Var.Ⅲ」から「Var.Ⅳ」、
「Var.Ⅵ」 の最後まで(143小節目) が3ページ。
そして、第2楽章「Menuetto」冒頭から、
「Trio」の58小節目までが、1ページです。
★この4ページを子細に見るだけでも、
一般に思われているような、“シンプルで美しい Mozart”という
通説が、陳腐な表現ですが、目から鱗が落ちるかのように、
崩れ落ちていきます。
★Mozart の音楽は、Bach と同じ厳格な counterpoint対位法 と、
harmony和声の構築物そのものであことが、
ひしひしと伝わってきます。
★後の Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)や、
Frederic Chopin ショパン(1810-1849)に見られるような、
考え抜かれた記譜、即ち、
スラーの掛け方やその位置と形、dynamic記号の位置、
和声構造が一目で分かる緻密で精緻な和声の記譜法が
目の当たりに、実感できます。
★現在の実用譜は、「Manuscript Autograph 自筆譜」が、
繊細に提示している、最も重要な要素を、
まるでブルドーザーが地面をのっぺりと平らにならすように、
刈り取ってしまっているのです。
★Mozart の記譜が、Chopinの記譜に極めて似ていることに、
驚きます。
名古屋の講座でもお話しましたが、Chopinはおそらく、
Bach 平均律の「Manuscript Autograph 自筆譜」を、
見ていなかったと、思われます。
★Chopinは、あの欠陥だらけの Czerny チェルニー校訂版の
平均律を持っていました。
にもかかわらず、そのChopinが Czerny版に自ら記した
様々な書き込みを見ますと、
Bachが「Manuscript Autograph自筆譜」で
訴えたかったことが、そのまま浮かび上がってくるのです。
まさに、天才は天才を知るということでしょう。
★新発見の Mozart 「Manuscript Autograph自筆譜」と、
Chopinの記譜とが、あまりに共通点が多いということは、
それが「西洋クラシック音楽」の本質を指し示している、
ということになるでしょう。
つまり、「名曲の構造」と「どう演奏するか」は、一体不可分であり、
構造を明確に分析してとらえることができれば、
素晴らしい演奏、作曲家が意図したような演奏が可能になる、
ということを示しているーと言い換えることができるでしょう。
★G.Henle Verlag ヘンレ出版が、いち早く2015年版として、
Mozart の新発見4ページ分を考慮した改訂版を出版したことは、
立派であると思います。
★しかし、このHenle新版でも、
私がいつも苦言を呈しているChopin 「Manuscript Autograph」
に対する、「Ekier エキエル版」の問題、つまり、
「Manuscript Autograph」の趣旨を理解せずに、
あるいは、理解できないがために、
自筆譜通りに記譜しなかったり、
恣意的な変更をしたり、根拠不明な記譜をするなどの問題点が、
ざっと見た限りでも、やはり、数多く見つかりました。
★気付きました所を、当ブログでこれから、
少しずつ指摘していきたいと、思います。
皆さまのMozart 理解、
Mozart をどうとらえていくかという点での、
手助けとなると、思います。
★発見された最初のページを観察してみます。
まず、Var.Ⅲの1小節目(55小節目)は、≪p ピアノ記号≫で、
始まりますが、ヘンレ新版を含めどの実用譜も、≪p ピアノ記号≫は、
第1拍目の上声と下声の間のスペースに、きれいに記されています。
★しかし、Mozart は実は、≪p ピアノ記号≫を二か所に記しています。
一つは、実用譜と同じく、第1拍目の上声と下声の間に位置しますが、
重要なのは、その「p」の字体が斜め左に大きく傾いており、
下端は上声第1音「c²」よりかなり、左に位置していることです。
★もう一つの「p」は、下声の下のスペースに記されてますが、
下声の第1音「a」の位置より、明らかに少し左に置かれています。
この「p」も、流れ星のように下端が左になびいています。
(Mozart は上声をト音記号でなく、ソプラノ記号で記譜)
★どうしてこのように記したか・・・その理由はいくつか考えられます。
直前の「Var.Ⅱ」までが「A-Durイ長調」であることから、
この「Var.Ⅲ」が「a-Moll イ短調」となることで、
世界は激変します。
そのためには、54小節目で「Var.Ⅱ」が終了した後、
55小節目の「a-Moll イ短調」の開始前に、
≪心の中で「p」を準備しておきなさい≫という、
強い強いメッセージを、発しているのです。
★さらに、現在の実用譜のように、上声と下声との間に
一つだけポンと置くのではなく、
≪上声もp、下声もp≫という「声部」に対する強い認識が
働いているのです。
これは、大変に重要な視点です。
★「Var.Ⅲ」の4小節目(58小節目)の
上声4拍目「a¹ c²」、同6拍目「gis¹ h¹」の音についても、
ヘンレ新版は、次のようになっています。
★「a¹ c²」の符尾を上向きに揃えて、“串刺し”にしています。
この書き方では、単なる二和音、あるいは3度の重音が
二つ続いている、という風にしか理解できません。
★しかし、Mozart は明らかに上声と下声の二声部に分割して
記譜しています。
符尾の向きが異なり、上向きと下向きにしているのです。
つまり、「c² h¹」はソプラノ声部、「a¹ gis¹」はアルト声部として、
作曲していたのです。
★Bach の時にもよくお話しましたが、
作曲家は、≪四声体のパレット≫の上に、
“音の絵の具”を落として作曲するのです。
そうでなければ、緊密にして壮大な音の構築物は、
作り上げられないのです。
★スラーの書き方についても、Mozart は大変に詩的に、
書いています。
Chopinと本当に、似ています。
★例えば、第1小節目(55小節目)にあるスラーは、
1小節目上声最後の、16分音符「c²」で、閉じられていません。
55小節目と56小節目を分ける小節線の上にまで、
優美に、たなびいているのです。
★第2小節目(56小節目)の最初の音「h¹」の前から、
二つ目のスラーを始めていますが、
これも、小節線の上から開始されているように見えます。
★後世の Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)が、
有名な「月の光」が入っている「ベルガマスク組曲」などで、
よく使った手法です。
先行するスラーが閉じないうちに、続くスラーが始まるのです。
大きく見ますと、非常に息の長いスラーになるのですが、
実用譜が判で押したように記している、
1小節に1スラーという、官僚的なのっぺりとしたものとは、
別物でしょう。
★さらに驚いたことには、三つめのスラーである3小節目
(57小節目)のスラーが、3小節目から始まるのではなく、
その前の2小節目の最後の上声音「h¹」から、始まっているのです。
★これの意味するところは、次のようなことです。
56小節目上声最後の「h¹」は、二番目のスラーを
閉じる音であると同時に、三番目のスラーの始まりを兼ねている、
ということなのです。
★56小節目最後の「h¹」は、57小節目のAuftakt
アウフタクトと意識して、Mozart は弾いていたのでしょう。
それは、畳み掛けるような緊迫した演奏になります。
そして、その頂点として、4小節目(58小節目)の、
先述しましたソプラノとアルトの二声
「a¹ c²」と「gis¹ h¹」が、あるのです。
★Mozart のスラーは、それを分析して読めば読むほど、
彼自身がどういう音楽を書き、それをどう演奏していたかが、
読み取れるようになるのです。
★続く5、6小節目(59、60小節目)では、Mozart はなんと、
その下声部分について、一つのスラーで両小節をくくっています。
5、6小節目の和音は、1、2小節目の和音と同じです。
正確には、下声は同じで、上声はユニゾンにしたものです。
1小節目はトニックⅠ(主和音)、2小節目はドミナント(属和音)です。
1、2小節目では、それぞれの左下声にスラーをつけ、
和音をクッキリと浮かび上がらせています。
★Mozart は、5、6小節目について、単なる反復として、
とらえていません。
そのために、両小節にまたがる長いスラーを架したのです。
これにより、緊張感に満ちてくっきりとした1、2小節に対し、
緊張を和らげつつ、開放された華やかさをもった、
別な相貌を提示しているのです。
しかし、ヘンレ新版は1、2小節に合わせ、
5、6小節ごとに1つずつプツンプツンと、スラーを付けています。
★続く61、62小節目については、Mozart は61小節目は第1段に、
62小節目はその下の第2段目に書いていますが、
61小節目のスラーは末尾が先頭より高く跳ね上がっています。
そこでスラーが終わるのではなく、やはり、62小節目まで続く
スラーと見た方がいいでしょう。
★当然のことながら、ヘンレ新版は、ここもぶつ切りに、
一つずつスラーを機械的に書いています。
これらの点について、コメンタリーでは何の説明や注釈も
書いていません。
★Mozart をどう勉強するか・・・。
このわずか4ページを手掛かりに、推理していくしかないでしょう。
ヘンレが、頑強に「Manuscript Autograph 自筆譜」通りに
変更しないのは、もし、そのように直しますと、
彼らが作った記譜に関する規則が、ガタガタになってしまい、
Mozart の作品全体を、改訂しなくてはならなくなるからでしょう。
★私が、ヘンレなど海外の定評ある楽譜を批判いたしますと、
「それでは、日本で出版されている楽譜はどうですか?」
という質問を、必ずと言っていいほど受けます。
★はっきり言いまして、日本の楽譜はほとんどが海外の楽譜の
“Copy and Paste”です。
いろいろな版から部分的にピックアップし、
それらをごちゃ混ぜにしたものである場合も多く、
それは一貫した分析ではありませんので、
真摯に勉強すればするほど、戸惑うだけでしょう。
★あるいは、昔に出版され現在は入手困難な名校訂版を、
かなり張り付けたものもあるようです。
しかし、その名校訂版に、勝手に余分なことを加えるなどの
“加工”が施されているため、それを勉強すればするほど、
論理不統一で、精神錯乱をきたすことになりかねません。
従いまして、当ブログでは、日本の楽譜については、
言及いたしません。
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