音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Chopin の意図とはかけ離れた Ekier エキエル校訂版楽譜は危険です■

2015-01-26 00:17:01 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Chopin の意図とはかけ離れた Ekier エキエル校訂版楽譜は危険です■

                   2015.1.26  中村洋子

 

 

★毎月、 KAWAI 表参道での平均律アナリーゼ講座に合わせ、

グループでの「アナリーゼ勉強会」も、開催しております。

現在は、「 Die Kunst der Fugue フーガの技法」などと一緒に、

「Chopin Op.28  Préludes」を、勉強中です。


★先日は、そのNo.8 fis-Moll を分析しました。

その方法は、 Chopin の

 「Manuscript Autograph  自筆譜 」facsimile を見ながら、
 
1) Debussy 校訂版 Revision par Claude Debussy :Durand

2) Henle版

3) Cortot コルトー版 24 Préludes

4) Paderewski パデレフスキー版

                   そして、問題の
5) Ekier エキエル版            
                 を点検します。

 

結論から申し上げますと、 Chopin を勉強するには、

 「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile が出版されているもの

につきましては、とにかく、それを勉強し抜くことです。

その場合、勉強方法は、Bach の

「Inventionen und Sinfonien インヴェンションとシンフォニア」 や、

Bach 「Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集」の勉強と

全く、同じです。

それは、 Chopin が100%、Bach の影響の下で

作曲しているからです。


その後は、 Debussy 校訂版を力強い道標として参照します。

彼の校訂版は1915年の出版ですので、細部では、さすがに

 「Manuscript Autograph  自筆譜 」facsimileとは、

齟齬がありますが、その骨格は揺るぎないものです。

 Debussy 校訂版を、譬えて言いますと、Bach の作品に対する、

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーや、

Julius Röntgen ユリウス・レントゲン (1855~1932)の

校訂版である、と言えます。

その作品が、どのように構成されているか、

どう演奏すれば、最も、作曲家 Chopin の意図に沿うことができるかを、

考え抜いた版であるからです。

 

 


★それに対し、最も新しい版である「Ekier エキエル版」は、

一見、 Chopin の 「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile を、

研究したかのように見せながら、Ekier の独断に満ちた、

根拠のない、“危険”な楽譜であると、言えます。


そのような認識をもったうえで、「Ekier 版」を見ませんと、

 Chopin の作曲意図には、終生到達できないでしょう。


★この Prélude No.8は、全34小節が、

 「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile では、

全3ページに、書かれています。


★各ページは、5段です。

1ページ目は1~11小節、2ページ目は12~21小節。

3ページは22~34小節。


★1ページ目1段は、1小節目から3小節目の前半 (1、2拍) までです。

つまり、3小節目は途中で分断され、

次の2段目は、3小節目の後半(3、4拍)から、

5小節目の前半(1、2拍) まで。

3段目は、5小節目の後半(3、4拍)から、7小節目の終わりまでです。

とても、変則的な書き方です。

まるで、Bach の書き方のようです。


★何故、 Chopin はこの不思議な書き方は、したのでしょうか?

そして、その狙いは・・・。

この曲を一見しますと、4小節を一つの単位として作曲しているように、

見えます。

そうしますと、1小節目に変化を加えて反復するのが5小節目、となります。

つまり、1小節目と5小節目は対応していることになります。


★しかし、 Chopin はこの曲を演奏した時、上記のようには、

弾いていなかったと、私は思います。

その理由が、この変則的な記譜にあるのです。


5小節目の前半を2段目の最後に置いた、ということは、

次の段で、5小節目後半(3、4拍目)が、6小節目に覆いかぶさる、

即ち、大きな意味で、

5小節目後半は6小節目のAuftakt アウフタクトである、

と見ることができます。

「Auf」 は英語の「on」、「takt」は「拍」と「小節」の二つの意味があり、

この場合は「小節」です。

つまり、5小節目後半は、6小節目の「takt」 に乗っかかるような

存在なのです。


Chopin は、この6小節目を、曲の最初の頂点としています。

5小節目前半で、1小節目に回帰したとはみせず、

5小節目前半を “声をひそめる”ように弾いた後、

5小節目後半から、頂点の6小節目に向かって、

猛然と進行していく・・・そのように弾いていたのでないか、

と思われます。


4、5、6小節では、各小節に一つの slur スラー が、

大きく、上声に描かれていましたが、

6小節目で頂点を迎えた後、

7小節目では、1、2拍目で1個、3、4拍目で1個、

それぞれ上声に、slur スラー を付けています。

それにより、頂点が持続し、発展していくのです。

 

 


★この曲のレイアウトについて、後世のエディションを見ますと、

Ekierエキエル版を除き、1段に2小節を規則的に割り振っています。

それは、常用譜としては常識的な記譜でしょう。


しかし、Ekier エキエル版だけは、理解しがたいレイアウトです。

 Préludes No.8の前の No.7は、あの有名な短い A-Dur の

 Prélude (全16小節)です。

 Ekier エキエル版は、No.7 が終わった(3段目)後、

その下の段(4段目)から、No.8を始めています。


★1~4小節目までは、「1段に2小節」という他のエディションと

同様のレイアウトです。

5小節目から次のページに移りますが、

ここから奇妙なレイアウトが、始まります。


まず、1段目は5小節目を全部書き、そして6小節目の前半

(1、2拍)で、この段を終えています。

2段目は、6小節目後半(3、4拍)と、7小節目の全部です。

さらに、8小節目から始まる3段目は、9小節目の前半で終わります。


★そのように、22小節目まで同様のズタズタに切ったレイアウトが、

続きます。

ここでもう一度、 Chopin の

「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile を、見てみましょう。


Chopin が、小節の途中で切っているのは、

「3小節目」と「5小節目」だけです。

それだけ、 Chopin はこの3、5小節目で言いたいことが

あったのです。

それは、作曲する際や、演奏の際の羅針盤として、

頂点である「6小節目」を、楽譜の中心の位置に据えたい、

そのためには、変則的な記譜とする必要があった、

ということなのです。


★Ekier エキエル版は、肝心の3、5小節目については、

分割することなく、完小節で書いています。

ところが、Chopin が考え抜いた大事な「6小節目」を、

無残にも、1段目と2段目に分断して記譜しています。

何故そのように分断したか、その理由について、

Ekier エキエルは、注釈などで一切、説明していません。

 

 


★この場合、Ekier エキエルの考えは、“5小節目が1小節目に

対応しているため、5小節目を強調する必要がある”

というつもりだったのでしょう。

しかし、その結果は、 Chopin のえもいわれぬ詩的な、

芸術の華ともいえる曲の作りが、砕かれてしまうことになります。


それにしても、Ekier エキエルは何故、

6小節目を、分断してしまったのでしょうか。

おそらく、 Chopin の作曲意図を読めないため、

3、5小節目で分断されているという事実があるから、

6小節目も切っていいであろう、という独断でそうした、

としか、いいようがありませんが、全く意味不明です。


★これは、Ekier エキエル版しかお持ちになって

いない方にとって、大変な問題です。

Ekier エキエル版は  「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile を

研究し尽した結果の edition で、

Ekier エキエル氏は Chopin 研究の権威と、宣伝されていますので、

疑いもなく、6小節目の分断は、

Chopin 自身による分断であると、受け取られるでしょう。


★そして、どうしてこのようなことを Chopin がしたのか、

さっぱり分からないと、真面目な演奏者は考え悩むことでしょう。

しかし当然、答えは出てきません。

 

 


★大変に困ったことです。

さらに、これ以外にも、

「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile とは異なった

記譜になっているところが、多々あります。


例えば、1小節目、2小節目の主要旋律

「cs1 d1 cs1 fis1・・・」は、

「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile では、

符尾が下向きに書かれているため、

「内声」と言えます。

 

 

ところが、3小節目の主要旋律は、 符尾を上向きにしていますので、

「外声」なのです。

 

 

続く4小節目は、1、2拍目は主要旋律が soprano ソプラノ 、

3、4拍目は主要旋律が alto アルト です。

 

 

4小節目を弾く時、1、2拍目の上声「a1 h1 a1 gis1」と、

3拍目内声の「fis1 eis1 d1 eis1」は、声部が違うのですから、

一本の旋律として弾くことを、 Chopin は望んでいなかったと

思います。


★このように、 Chopin は大変に繊細な記譜法で、

声部を分割しているのですが、残念ながら、

Ekier エキエルは、この主要旋律をすべて「内声」として扱い、

乱暴にも、符尾も下向きに統一しています。

本来は2声部で弾くべきところを、単調な一本の線で弾くように、

指示することになってしまいます。

 

 

このような例は、枚挙にいとまがありません。

 ≪僕はこんな風には書いていない!!!≫という

Chopin の悲鳴が、聞こえてきそうです。


Bach の Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集

などを勉強すれば、するほど、 Chopin を深く読み込むことが、

できるようになります。

どうぞ、ご自分で 「Manuscript Autograph  自筆譜 」 facsimile を

見て、お勉強下さい。

 

 


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